本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」と仰せられた
イエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
昔、モーセにしたように、イエス様にしたように、今日プロテスタント教会の牧者たちが、また私を殺そうとする。どうしたらよいだろうか?すでに神様に捧げた身なので、私は神様のものである。神様の御心に従います。
私が平和歴訪を目的として海外に行った時、五度にわたり私の上に光が共にある姿を、各国の人々が私に教えてくれ、一緒に記念写真を撮った。私にはわからなくても、人々は光が私と共にある姿を見た。神様は「光といのち」であられる(ヨハ1:1-4)。イエス様は、光として世に来られた(ヨハ12:46)。光が私と共にあることは、光であられる神様とイエス様が共におられることがわかるようにされたのである。
私は、誰かに伝道されて信仰をしたことがなかった。祈っている時に天の御使いが来て、導くことで信仰をするようになったのである。世のキリスト教徒たちのうち、啓示録(黙示録、以下啓示録と表記)に精通する者は一人もいなかった。ところがイエス様は、啓示録を成し遂げられる「全章の事件」を私に見せて下さり、開かれた啓示録である本を食べさせて下さり、精通させた。啓示録の実状をすべて見た者(啓22:8)、啓示録の本を食べた者(啓10章)、イエス様が選ばれた者の使命は、その「見て聞いたこと」を諸教会に知らせることであった(啓22:16)。
今、地球村の各国の教会のうち、啓示録が成就されたことに精通した所は、ただの一ヶ所もない。新天地は啓示録に精通し、我が国韓国をはじめとし全世界のキリスト教徒たちに啓示録の実状を知らせている。海外各国の多くの教会と牧者たちが、新天地とMOUを結び、啓示の御言葉を学んでいて、看板まで新天地の看板に変える所が多いが、我が国韓国では、啓示の御言葉を学ぶことを望む所があまりない。
物事には、始まりがあり、終わりがある。聖書の預言もそうである。神様は、新しい契約、啓示録通りすべて成し遂げられ、終わらせられる(啓21:6)これは、神様の御心である。
啓示録の戦争では、結局、新しい天、新しい地(新天地)12枝派だけが生き残るようになる。これが啓示録の預言と成就である。