本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」と仰せられた
イエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
- 啓21章の約束 -
私が田舎で農業に従事していた若い頃、朝夕神様に祈った。ある日の夜、祈っている時、天から私の元にやって来た大きくて明るい星の導きで、信仰を始めるようになった。そして頻繁に、新しい天、新しい地の夢を見た。私が過ごした所は、田舎の農家がある清道(チョンド)とソウルと果川(クァチョン)、仁徳院(安養(アニャン))などである。
私が信仰する新天地イエス教会は、新約の啓示録(黙示録、以下啓示録と表記)通り創造された。人名、地名、組織などは啓示録通り創造された。これは、イエス様のお導きに従い、新約の啓示録通り創設されたのである。私は、神様の御心、新約の啓示の御言葉以外は伝えなかった。そして新天地は、新約の啓示録に精通している。これは天国に入るためである。記録されたところ、啓示録を加減すれば天国に入れないと言われた(啓22:18-19)。プロテスタント教会とカトリック教会は啓示録を加減したが、新天地は精通した。これは新天地が新しい契約、すなわち、啓示録の約束を信じるからである。
イエス様が、エゼ3章の巻き物である本を受けて食べ、反逆したイスラエルに伝えたように(マタ15:24)、今日、新天地の約束の牧者は、啓10章の開かれた本を受けて食べ、啓示録全章が成就された実状をすべて見て、諸教会に伝えるのである(啓22:8,16)。しかし初臨の時、エルサレムの牧者たちがイエス様を異端呼ばわりしたように、今日もまた、プロテスタント教会が新天地を異端呼ばわりしている。それゆえ新天地は、新約の御言葉により一緒に試験をして、まことの異端とまことの正統を区分しようと提案したが、プロテスタント教会はこれに応じなかった。
新約聖書の啓示録のまことの意味もわからない者たちが、「異端」という言葉だけ習い、「異端、異端」と言っている。しかしイエス様が約束された収穫の時、収穫された者と収穫されなかった者のうち、誰が異端だろうか?また啓示録を加減した者と精通した者のうち、誰が異端だろうか?牧師たちの偽りの証しに関する「本」に一度目を通してから言ってごらんなさい。うそつきになってはいけない。偽りを証しするのはやめなさい。誰がまことなのか、試験場に出て来て、聖書の試験をして確認しよう。新約の約束の牧者である私は、証しする言葉で勝利した者である(啓12:11)。プロテスタント教会の牧者たちは、竜、すなわち、悪魔のように、どうしてそんなに偽りが上手いのか?偽りはやめなさい。
啓21章には、以前の天、以前の地がなくなり、新しい天、新しい地が創造され、ここに天国と神様が臨んで来られると約束されている。プロテスタント教会は、腐敗した以前の世である以前の天、以前の地なのか、新しく創造された新しい天、新しい地なのか?新天地は、新約の啓示録通り創造された新しい天、新しい地である。啓示録通り創造されて、啓示録に精通した新天地に来てこそ、天国と救いが得られるだろう。