本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」と仰せられた
イエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
ヨハ1章を見ると、神様は初めの御言葉であられ、神様の子であるイエス様も、Ⅰヨハ1章1-2節を見ると初めの御言葉であられる。だから、私たちがその種、すなわち御言葉の種で生まれたなら、当然、私たちも御言葉体となり、歩く御言葉の本にならなければならないだろう。形式的な信仰人から実際的な信仰人にならなければならない。神様の種で生まれたならば、神様の姿といのちがあるだろう。天の知識も、信仰も、御言葉もなければ、神様の種で生まれた者ではない。
初めの御言葉は、すなわち神様であり、光といのちであり、創造力がある(ヨハ1:1-4)。私たちは、神様の種で再び生まれなければならない。私たちが、すでに神様の種と聖霊で生まれたなら、再び生まれる理由がない。神様の種で生まれなかったから、神様の聖霊で生まれなかったから、そして初めの御言葉で生まれなかったから、「再び生まれなさい」と言われたのである。神様の種で生まれた者と悪魔の種で生まれた者の、各々の結果がどうなのかは、聖書を通してわかるところである。これを信じる者はへりくだり、従順な心で再び生まれなければならない。神様の目的も、人の目的も、「アダムが罪を犯す以前の世界に戻ること」である。そして、悪魔を捕らえてなくすことであり、神様が統治されることであり、人と天の聖霊たちが結婚することである。このすべてのことは、御言葉でのみ解決できる。
神様が約束されて、共におられたイエス様の御言葉に、万物が従った(マタ8:23-27参考)。主の再臨の時である今は、啓示録(黙示録、以下啓示録と表記)の成就の時であり、啓示録の成就のための戦争の時である。この戦争で勝利してこそ、神様も天国も来られる。これがわかる所は、唯一新天地のみである。新天地は今、着実に天国と神様を迎える準備をしている。新天地は新約の啓示録通り創造され、啓示録に精通した。見てもわからなければ、愚か者であり、目が見えず、口のきけない者であり、死んだ者だろう。御心が天で成し遂げられたように、この地でも成し遂げられた所は、新天地のみである。確認してみなさい。
神様の子どもになる資格は、神様の種、すなわち御言葉で再び生まれなければならず、神様の聖霊で再び生まれなければならず、神様の国、新天地12枝派に所属されなければならない。すなわち啓示録通り創造されなければならない。そして、啓示録を加減せず、精通しなければならない。