本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」と仰せられた
イエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
人は誰もが皆、死に至った。創造主である神様は、人の死は罪の報酬だと言われた(ロマ5:12、6:23)。神様の子イエス様は、人類の罪を赦すため、代わりに十字架を負われた。そして、私たちには、隣人を自分の体のように愛しなさいと言われた。
啓示録(黙示録、以下啓示録と表記)の事件は、道を備える七つの金の燭台の幕屋の七人の使者によって始まり、その終わりは、毎月十二種の実を結ぶいのちの木によって完成されると言われた。この啓示録は、善(神様)と悪(サタン)の戦争であり、神様の勝利で終わる。新しい契約として預言したこの啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けるようになる。そして、啓示録に精通した者が、戦争で勝利することで、神様の国と救いがあるようになる(啓12章)。
私は、イエス様が啓示録の預言を成し遂げられる時、全章の事件をその横ですべて見て聞いた。私は、私が見て聞いたことを証ししなければならない。この証しはまことである。しかし、誰が、これを聞いてくれて、信じるだろうか?それでも、私は、私がするべき仕事をしなければならない。
私は、田舎の農民であった。世の中の学問は、特に学んだことも、知っていることもなく、信仰も知らず生きて来た。しかし、私は啓1章でのように、イエス様に選ばれ、指示された通り、啓2-3章の七人の使者たちに手紙を送った。そして、啓10章で、開かれた本を受けて食べ、啓示録全章の事件をすべて見て、主は私に啓示録22章8,16節のように、私が見て聞いたことを諸教会に証ししなさいと言われた。しかし、諸教会は、私を異端だと受け入れない。初臨の時、ユダヤ人たちは、旧約の開かれた本を受けて食べて(エゼ3章)来られたイエス様(マタ15:24)も異端だと迫害して殺した。それなのに、私のような者の言葉を、だれが信じるだろうか?証しするたびに「異端、異端」という声だけ聞いた。
イエス様は、旧約の開かれた本を受けて食べて来て、証しされ、私は、新約の啓示録の開かれた本を受けて食べて来て、証しするのである。しかし、初臨の時のように、私もまた、「異端」の声を聞いている。しかし、私は、終わりまで約束を守るだろう。神様とイエス様は、勝利され、勝利された神様とイエス様が私と共におられるので、私は勝利して、また勝利するだろう。イエス様の血と証しする言葉で勝利して、また勝利し、神様の栄光を現して、人類に救いがあるようにするいのちの木になるだろう。