本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」と仰せられた
イエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
嘘、偽りの誘惑がはびこる世の中
本文:ヨハ8:44-47(マタ5:11-12、マタ23:29-33、ルカ20:9-16、使7:51-60)
今日、天の神様とイエス様が私に「何をしてみたい? 」と問われたら、私は「主が一時でも私に審判権を下さるなら、まず、今日の韓国のにせ判事とにせ牧者を裁いてみたいです。」と答えるだろう。これは、天地が韓国のにせ判事やにせ牧者の全てを、見て聞いたのでこれに答えてくださるはずである。
信仰人が頭に入れておくことは、天にも法があり、地にも法があるということである。天では天の法を守らなければならず、地では地の法を守らなければならない。今は地の法によって悔しい思いをした人が泣いている。あちこちで「偽物」がはびこる世の中ではないか。惑わされ、真理を信じていないからではないか。
反国家・反社会・反宗教は誰なのか。
日帝時代に日本の手先、親日派になり宗教人たちと国民たちを扇動し、日本の神を拝ませ、称えさせた長老教団(韓基総の主流教団)の牧者たちは悔い改めたのか。高神派に聞いてみろ(*高神派:神社参拝に反対して長老教団から分裂)。クーデター政権の維新憲法の支持を扇動した長老教団(韓基総)の牧者たちは悔い改めたのか。
韓基総の牧者たちは、神様の約束の御言葉(預言書)を違った意味に歪曲した嘘を作り出して、約200個の偽りを信徒たちの心に植えた。これが反国家・反社会・反宗教である。なぜ、これを正統と言うのか。それで、私はイエス様に一時でも審判権を頂き、天と地の法で裁いてみたいと言ったわけである。
人は誰でも一度は裁かれると言われた(啓20:12)。人が夢を見ると肉体は部屋で寝ているが、霊は遠い所でよく遊び、その姿はその時の肉体の姿そのままだ。この時、肉体が死んだら、霊だけその姿で生きるだろう。もし、この霊が裁かれるとしたら、自分の一生の行いに応じて裁かれ、天国と地獄、永遠のいのちと永遠の罰に分かれるのである。
この世で一番愚かなこの私が、過去の人、未来の人の姿を幻で体験した。だから、常に気を付けている。信仰をする人たちは、自分の行いに応じて裁きを受けることを考え、気を付けるべきである。
出典 : http://cafe.daum.net/scjschool