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⊙.....♪ 夏木綾子

夏木 綾子...母への供養から芸能界の扉を叩く

작성자柳 덕인|작성시간10.06.06|조회수184 목록 댓글 0

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母への供養から芸能界の扉を叩く

演歌歌手  夏木 綾子さん

  「小さい頃は貧乏のどん底でした」。 演歌歌手の夏木綾子さんは自身をこう振り返る。 幼くして両親が離婚。 生活苦から母とともに福岡を離れ、 大阪へ移る。 そこでも苦闘が続くが、 二人に温かい手を差し伸べてくれる人がいた。 大阪・新世界。 ここから第 二の人生がスタートする。 母は安い酒と煮物を出す評判の店を構え、 店から流 れてくる演歌が夏木さんの子守歌だった。 母の夢は 「娘を歌手にする」 こと。 だが、 母が存命中にこの夢はかなわなかった。 母への供養。 その思いから芸能界の扉をたたく。 平成五年、 「浪花の母」 でデビュー。 母との思い出をつづった歌だ。 今年で歌手生活十年目。  このほど新曲 「晩愁海峡」(キングレコード) をリリースした。 (平成14年9月28日の中外日報紙面から)

 小さい頃は大分苦労されたみたいですね。

 夏木 苦労したのは私じゃなく、 母なんです。 私が一歳の時離婚したんですが、 当時は女性が働きながら子供を育てるという環境がまったく整っていなかったんです。 だから仕事を求めて福岡から大阪へ出ましたが、 行く先々で断わられたみたいです。 大阪の町を右往左往している間にお金も無くなり、 私も泣きじゃくり……。 母は絶望的な気持になってしまったんです。 でも不思議ですよね。 そんな時でも、 拾ってくれる神様っているものなんですね。 見ず知らずの他人なのに、 ジャンジャン横丁に持っている店まで無償で貸してくれたんです。 普通はそこまでしてくれませんよね?  あの頃は人情に厚い時代だったんですね。

 どんなお母さんでしたか?

 夏木 勝ち気で負けず嫌いな面もありましたがとても優しく、 強く、 とにかく豪快な母でした。  でも、 私は世間でいう良い子ではなかったんですよ。 寂しさから非行に走ろうとしたんです。 そうしたら母は何て言ったと思います?  「中途半端な悪さするんだったら許さない」 って。 「とことんやるか、 それができないなら真面目になりなさい」 って言うんです。 だからその年齢でしかできないことをさせてもらいました (笑い)。 私はロックが好きだったんです。 だから友達とバンドを組み、 思う存分ロックをさせてもらい、 毎日が充実してました。
 普通の方から見たら母の言動は無責任に思えるかもしれませんが、 逆にそうしてもらったことで自分自身で自覚というか責任感を持つことができたんです。 母は私を信用してくれました。 それが何より嬉しかったです。

 歌手になったきっかけは?

 夏木 私を演歌歌手にすることが母の夢だったんです。 小さい頃は人の集まる場所によく連れて行かれては歌わされていました。 内心、 いつ歌手になるのか、 期待していたみたい。
 その母も十四年前に亡くなり、 いなくなってからふと思ったんです。 苦労して育ててくれた母に何か親孝行したかなって。 すごく後悔しました。 「何ができるか、 何をしたら喜んでくれるか」。 すぐ 「歌手になる」 ことだって思いました。 でも何のつてもなくて……。 そんな時、 福岡にいた頃の母の旧友だった方から手を差し伸べて頂いたんです。 その方の紹介で作曲家の岸本健介先生を紹介して頂きました。 でも、 そこからが大変でした。 先生は弟子を取らない主義だったんです。 弟子にしてもらうために福岡から先生の住む横浜まで一年間通い詰めました。 そうしたら先生も根負けしたみたいです。

 デビュー曲 「浪花の母」 は二十万枚を超すヒットになりました。

 夏木 母との絆を温かく描いている曲なんですが、 私と母の人生を基にして作った曲なんです。 台詞がすごく長いんですが、 その中には父のことも触れられているんです。 母は父の事を悪くは言わず、 むしろ父を立てているんです。 「お父ちゃんにはお父ちゃんの夢があったんやから恨んでは駄目よ」 「お母ちゃんにも悪いところがあったんやからね」 っていう台詞があるんですが、 そこが一番好きなんです。 この曲で 「第二十六回新宿音楽祭新人賞」 を受賞したんです。 母と二人で受賞した感じがして、 少しでも親孝行できたんじゃないかなって思ってます。

 デビューしてからは順調でしたか?

 夏木 全然 (笑い)。 デビュー当初は一年がかりで 「全国千ヵ所キャンペーン」 を一人でやりました。 それこそ死ぬ気で頑張るぐらいでないと。 歌うことは好きでしたから、 さほど苦にはなりませんでした。 でも、 何から何まで自分でやらなければならないのは辛かったです。 それこそ、 荷物運び、 レコード店の手配、 現場でのセッティング……。 誰にも頼ることができないんです。 「修業しろ」 っていう事務所の方針なんです。 「それぐらいの気合がないと成功しない」 って。 自分でもやる気を見せたかったから死にものぐるいで一年間やり通しました。

 十年たった今でもデビュー時の思いは変わらない?

 夏木 変わりません。 どんな小さなことでも、 自分でできることは自分ですべきです。 人にばかり任せていたら成長できないと思います。 些細なことでもやらなかったり、 見過ごしていたら、 歌い手としてだけでなく、 人間としても飛躍できないと思います。 歌謡界ってパッと出るみたいな印象が強いですが、 本当は一つ一つの小さな積み重ねなんです。 くだらないこと、 無駄だと思えるようなことでも、 目に見えない努力ってとても重要なんです。 それが数字につながるんです。
 全国を旅したデビューの頃は肉体的にも、 精神的にも辛かった。 でも、 そのキャンペーンがあったから、 人への感謝の気持が自然に湧いてくる。 人に頼ることが当たり前になったらそうは感じられませんよね。 歌謡界って歌い手一人の力だけでは何もできないんです。 作詞作曲家の先生をはじめ、 スタッフ皆さんの協力があって一つの作品が生まれるんです。 依存じゃなく、 共存し合う関係でないと決して良い作品は生まれてきません。

 ジンクスは何か。

 夏木 家を出る前、 ステージに上がる前、 必ず手を合わせてます。 亡き母に 「これから頑張ってくるからね」 「見守っててね」 ってお願いしてます。 手を合わせないと妙に落ち着かないんですよ。 だから、 一日に数度は合掌しています。

 お母さんから学んだ事とは。

 夏木 強さ、 優しさかな。 母の生きざまから人間哲学みたいなものを学びました。 母は 「冬は必ず春になる」 って口癖のように言ってました。 なぜ母がその言葉を好んで言っていたかが、 実感できるようになりました。

 今後の予定は。

 夏木 今月二十五日に新曲 「晩愁海峡」 が出ました。 二十九日から来年七月にかけては歌手生活十周年記念のコンサートを全国で行ないます。
 今後十五周年、 二十周年と年数がたっても皆さんに愛され続けるように頑張ります。 (聞き手=川上昇吾)    *   *
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