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⊙.....♪ 古賀政男

Re:엔카시조 작곡가 고가 마사오(古賀政男)/선린상고 출신

작성자柳 덕인|작성시간11.03.24|조회수195 목록 댓글 0
歴史 [編集]
 幼少期 [編集]
1904年(明治37年)に福岡県三潴郡田口村(現・大川市)に生まれる。
近くには水の都柳川があり、その風景は後年の『誰か故郷を想わざる』
のモチーフになった。7歳で父が死亡、田口村を離れ、
朝鮮に渡り感情起伏の激しい少年時代をすごした。故郷喪失の悲しみは
「人生の並木路」のモチーフとなったが、最初は仁川に、その後京城で暮らした。
従兄弟から大正琴をもらったのもこの頃である。
古賀政男が初めてマンドリンを手にしたのは中学三年(京城善隣商業学校)のときで、
一番仲のよかった兄からマンドリンを送られた。

 青年期 [編集]
京城善隣商業学校を出て大阪の商店に勤めたのち、
1923年(大正12年)に東京の駿河台にある明治大学に入学し、
明治大学マンドリン倶楽部の創設に参画した。当時の明大マンドリン倶楽部は、
ボッタキアーリ、ラウダス、バッチなどのマンドリンの大曲が演奏されていたが、
古賀も「幻想的狂想曲」(ロマーノ)の難曲を独奏するなどの活動が見られている。
1928年(昭和3年)夏には自殺を図るが未遂に終わる。蔵王の夕暮れを見て
「影を慕いて」の詩が浮かんだと言われている。
その年の秋の定期演奏会は明治記念館講堂で開催されたが、
このとき佐藤千夜子と知遇を得た。また、このとき「音楽は和也」の理念が生れた。
1929年(昭和4年)6月、明大マンドリン倶楽部の定期演奏会で『影を慕いて』
(ワルツ・ギター合奏)を発表。その年の暮れには、
佐藤千夜子の歌唱とマンドリンオーケストラを率いて、
「文のかおり」など自作品をビクターで吹込んだ。1930年(昭和5年)秋には
『影を慕いて』をビクターで佐藤千夜子の歌唱によって吹込む。
この時は、まだマンドリン・ギター演奏家「古賀正男」だった。
1931年(昭和6年)1月、新譜でレコードは発売されたが、
売れ行きは芳しくなかった。尚、『影を慕いて』の創作過程については、
菊池清麿による古賀政男の研究評伝に詳細に記されている。

 作曲家としての誕生・活動 [編集]
大学卒業後の1931年、日本コロムビア専属となった。
当初作曲に自信が無く文芸部の社員を希望したが、結局作曲家として契約した。
この時、東京音楽学校在籍時の藤山一郎と出会ったことが古賀政男の
人生を大きく変えることになった。
藤山一郎の歌唱表現が古賀政男の才能を開花させたのである。
『酒は涙か溜息か』、『丘を越えて』、『影を慕いて』の3曲がSPレコードで発売され、
以降多くのヒット曲を世に出した。(なお、藤山は東京音楽学校卒業後、ビクター専属となる。)

1933年(昭和8年)には、松平晃が歌唱した『サーカスの唄』がヒットしたが、
直後離婚騒動などもあり、体を壊し、1933年の晩秋から翌年にかけて伊東で静養した。
翌1934年、コロムビアからテイチクに移籍したが、ビクターから迎えた藤山一郎、ディック・ミネ、
楠木繁夫、美ち奴などを擁し、『緑の地平線』『二人は若い』
『東京ラプソディー』『あゝそれなのに』『青い背広で』『人生の並木路』などの作品はヒット曲となった。

1938年(昭和13年)秋、外務省の音楽文化親善使節として渡米。渡米直前にコロムビアに復帰した。
1939年(昭和14年)秋、アメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられた。
帰国後は『誰か故郷を想わざる』『目ン無い千鳥』『新妻鏡』『なつかしの歌声』等がヒット曲となった。

 戦後の活動 [編集]
 
東京都渋谷区にある古賀政男音楽博物館。
日本音楽著作権協会(JASRAC)本部ビルに隣接している。
戦後の1948年(昭和23年)に近江俊郎が吹込んだ『湯の町エレジー』がヒット。
同年には「古賀ギター歌謡協会」(後の古賀ギター学院)を設立した。

1960年代には過去に自らの前で「悲しき竹笛」を歌った、
美空ひばりの歌の作曲を手がけた。1965年(昭和40年)発表の『柔』は
第7回日本レコード大賞を受賞し、翌1966年(昭和41年)発表の
『悲しい酒』もヒット曲となった。

作曲活動の傍らで1959年(昭和34年)には日本作曲家協会を創設。初代会長となった。
晩年の1974年(昭和49年)には『広島平和音楽祭』を開催した。

1978年(昭和53年)7月25日に死去。直後の8月4日、国民栄誉賞を贈られた。

 主な作品 [編集]
丘を越えて(1931年) 歌:藤山一郎 
酒は涙か溜息か(1931年) 歌:藤山一郎 
私此頃憂鬱よ(1931年) 歌:淡谷のり子 
影を慕いて(1932年) 歌:藤山一郎 
強くなってね(1933年) 歌:渡辺光子 
サーカスの唄(1933年) 歌:松平晃 
ほんとにそうなら(1933年) 歌:赤坂小梅 
夕べ仄かに(1935年) 歌:松島詩子 
緑の地平線(1935年) 歌:楠木繁夫 
東京ラプソディ(1936年) 歌:藤山一郎 
男の純情(1936年) 歌:藤山一郎 
女の階級(1936年) 歌:楠木繁夫 
ああそれなのに(1936年) 歌:美ち奴 
うちの女房にゃ髭がある(1936年) 歌:杉狂児・美ち奴 
青い背広で(1937年) 歌:藤山一郎 
人生の並木路(1937年) 歌:ディック・ミネ 
のばせばのびる(1937年) 歌:楠木繁夫 
青春日記(1937年) 歌:藤山一郎 
人生劇場(1938年、1959年) 歌:楠木繁夫(1938年版)、村田英雄(1959年版) 
誰か故郷を想わざる(1940年) 歌:霧島昇 
なつかしの歌声(1940年) 歌:藤山一郎・二葉あき子 
新妻鏡(1940年、1965年) 歌:霧島昇・二葉あき子(1940年)、島倉千代子(1965年) 
紫紺の歌(明治大学第一応援歌)(1941年) 歌:霧島昇 
そうだその意気(国民総意の歌)(1941年) 歌:霧島昇・松原操・李香蘭 
南の花嫁さん(1942年) 歌:高峰三枝子 
月夜船(1944年、1949年) 歌:波平暁男(1944年)、近江俊郎(1949年) 
旅役者の唄(1946年) 歌:霧島昇 
麗人の歌(1946年) 歌:霧島昇 
悲しき竹笛(1946年) 歌:近江俊郎・奈良光枝 
恋の曼珠沙華(1948年) 歌:二葉あき子 
湯の町エレジー(1948年) 歌:近江俊郎 
雨の夜汽車(1948年) 歌:奈良光枝 
シベリヤ・エレジー(1948年) 歌:伊藤久男 
三百六十五夜(1948年) 歌:霧島昇・松原操 
港の恋唄(1949年) 歌:鶴田六郎 
希望に燃えて(1949年) 歌:伊藤久男・霧島昇・近江俊郎・二葉あき子・奈良光枝・高倉敏 
赤い靴のタンゴ(1950年) 歌:奈良光枝 
トンコ節(1951年) 歌:久保幸江・加藤雅夫 
月が出た出た(1951年) 歌:霧島昇・久保幸江 
ゲイシャ・ワルツ(1952年) 歌:神楽坂はん子 
白虎隊(1952年) 歌:霧島昇 
こんなベッピン見たことない(1953年) 歌:神楽坂はん子 
見ないで頂戴お月さま(1953年) 歌:神楽坂はん子 
りんどう峠(1955年) 歌:島倉千代子 
江戸の闇太郎(1957年) 歌:美空ひばり 
青春サイクリング(1957年) 歌:小坂一也 
永遠に答えず(1957年) 歌:島倉千代子 
無法松の一生(1958年) 歌:村田英雄 
思い出さん今日は(1958年) 歌:島倉千代子 
銀座地階の女(1959年) 歌:コロムビア・ローズ(初代) 
花散る下田(1960年) 歌:島倉千代子 
東京五輪音頭(1963年) 歌:三波春夫、他 
柔(1964年) 歌:美空ひばり 
ウソツキ鴎(1964年) 歌:小林幸子 
お島千太郎(1965年) 歌:美空ひばり 
柔の男(1965年) 歌:美空ひばり 
悲しい酒(1966年) 歌:美空ひばり 
世界平和音頭(1968年) 歌:都はるみ 
浜昼顔(1974年) 歌:五木ひろし 

	
					

				
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