일본 JBPress 기사에 이런 내용이 있네요.
"... 이 사업의 발안자는 당시 경제산업성 제조산업국 과장급으로 알려져 있다.
지금밖에 일본이 항공기 산업을 재흥할 기회가 없다는 위기의식을 조성했지만 내키지 않는 미쓰비시중공업을 보조금 뭉치로 때려 경제산업성이 백업하겠다는 약속 아래 착수시켰다.
この事業の発案者は、当時の経産省製造産業局の課長クラスと言われている。
「今しか、日本が航空機産業を再興する機会はない」という危機意識の醸成をしたものの、気が乗らない三菱重工を補助金の札束で引っ叩いて、経産省がバックアップするとの約束のもと着手させた。"
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73967
三菱スペースジェット失敗の理由、ホンダジェットとの比較を詳解
2023年2月15日 6時0分
三菱重工業は2023年2月7日、連結子会社の三菱航空機が取り組んでいた「三菱スペースジェット(旧MRJ)」の開発事業から撤退すると発表した。
同社が、国産リージョナルジェット機の事業化を決定し、三菱航空機を設立したのは、2008年である。
三菱航空機は、最初の顧客となる予定だった全日本空輸への機体の納入を2013年に始めるはずだった。
しかし、2009年に設計変更を理由に納入延期すると、その後も検査態勢の不備や試験機の完成遅れなどで6度の納期延期を繰り返した。
三菱重工業が約1兆円の巨費を投じ、経済産業省も約500億円の国費を投入し開発を支援した、国産初の「日の丸ジェット旅客機」の開発は、一機も納入されることなく 開発が中止された。
実際には2020年10月30日に三菱スペースジェット事業は打ち切られていた。
三菱重工は同日、三菱スペースジェットの開発活動は「いったん立ち止まる」と発表した。
筆者は、事業打ち切りの主要な要因は2つあると考える。
一つは採算が取れないことである。
2019年10月31日に地域航空会社3社を持つ米トランス・ステーツ・ホールディングス(TSH)が100機購入の契約を解消したのである。
TSHが契約解消する前の契約総数は387機であった。これで契約総数287機となった。
2007年時点の報道では採算ラインは350機、利益確保には600機の生産が必要とのことであった(出典:J-CASTニュース 2007.6.28)。
TSHが契約を解消した理由は、米国の労使協定「スコープ・クローズ」を既契約機では満たせないためであった。
契約当時、MRJは標準座席数が88席の「MRJ90」と、76席の「MRJ70」の2機種構成で、TSHはMRJ90を発注していた。
両社が契約を締結した時点では、リージョナル機の座席数(最大76席)や最大離陸重量(39トン)を制限する米国の労使協定「スコープ・クローズ」が将来緩和され、MRJ90(標準座席数88、最大離陸重量43トン)が運航できることを想定していた。
しかし、協定は現時点でも緩和されておらず、三菱航空機が協定をクリアする機体を製造できていないことから、契約解消に至った。
三菱側の「スコープ・クローズ」に対する見通しの甘さがうかがえる。
もう一つの事業打ち切りの要因は、型式証明の壁である。
MRJプロジェクトの納入延期のほとんどが型式証明の取得手続きに関わるものだった。
事業凍結への決定打となった大幅な5回目の遅延も、型式証明を得るための大規模な設計変更が理由である。
型式証明とは、民間航空機を対象としたもので、機体の設計が安全性基準に適合することを国が審査・確認する制度である。
安全性基準に適合すると判断した場合に限り、その型式に対して国が適合証明書を発行する。
三菱航空機のエンジニアらは「国内初のジェット旅客機とあって基準の解釈や、どうすれば基準をクリアしたことになるのかが分からず、戸惑い続けた」(三菱航空機の元事業開発担当者)。
機体強度や電気系統、耐火性能などを立証すべく試行錯誤を続けたが、「審査に耐えられない」と設計変更をたびたび余儀なくされた。
2016年秋以降はカナダのボンバルディアや米ボーイングのエンジニアらを次々と採用した。
しかし、それでもなお基準に適合していない不備があちこちで見つかり、証明作業の無限地獄に陥った(出典:日経ビジネス「国産ジェットの夢を阻んだ「型式証明」の壁 責任は三菱重工だけか」2023.2.7)。
また、型式証明の取得にこだわれば、今後数年にわたり年1000億円前後の出費が必要になる可能性があったと報道されている。
上記のとおり、経済産業省が全面支援し、三菱重工が巨費を投じた国産初の「日の丸ジェット旅客機」の開発は、一機も納入されることなく 開発が中止された。
一方、8人乗りのプライベートジェットで単純比較はできないが、自動車メーカーのホンダがプライベートジェットであるホンダジェットの製品化に成功した。
重工メーカーが失敗し、自動車メーカーが成功した航空機開発、なぜこのような結果になったのであろうか。両者を比較して教訓を見つけてみたい。
以下、初めに三菱スペースジェット開発の経緯について述べ、次に三菱重工によるスペースジェット事業失敗の総括について述べ、最後に三菱スペースジェットの失敗とホンダジェットの成功について述べてみたい。
1.三菱スペースジェット開発の経緯
①リージョナルジェット(RJ)開発の背景
三菱リージョナルジェット(MRJ)計画の発端は、2002年に経済産業省が発表した30席から50席クラスの小型ジェット機開発案「環境適応型高性能小型航空機」で、開発について機体メーカー3社(三菱重工、川崎重工業、富士重工業)に提案を求めた。
「YS-11」以来の日本国産の旅客機となったが、YS-11と大きく違うのは、同機がターボプロップエンジンによるプロペラ機であるのに対し、噴射式のターボファンエンジン搭載の機体としている点である。
その背景には、1990年代半ばのリージョナルジェット(RJ)革命がある。
1990年代後半、カナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルが小型のRJを多数発表した。
客室の騒音が少なく速達性に優れるジェット機は、中小エアラインに注目され、販売数を急速に伸ばした。
米国のエアラインではパイロットユニオンがパイロットの雇用確保のために一定数以上の50席以下の航空機を保有することをエアラインに要求しているため、RJを使わざるを得ないという理由もあった。
2000年代初頭はターボプロップ機市場が凋落する一方、RJ市場は今後も拡大の見込みが大きく、日本にも参入の余地があると考えられた。
②2003年4月7日、経済産業省は航空機メーカーを招いての説明会を行い、4月末を締切として希望者を募集した。
計画案を提出したのは三菱重工のみで、5月29日に三菱重工を主契約企業として、富士重工と日本航空機開発協会(JADC)が協力することとなった。
機体開発に関しては宇宙航空研究開発機構(JAXA)と東北大学が協力する。
③2005年5月の第46回パリ国際航空ショーで、三菱重工はこれまでの計画案と縮小モデルを展示した。
この年の春頃、30席クラスでは成熟した市場に対して需要に限りがあり、また21世紀前半にはアジアで航空需要の急成長が見込めるといった理由から70~90席に規模を拡大した。
そして、MRJは、MRJ-70とMRJ-90の2タイプが開発されることになった。標準座席数はMRJ-70が76席、MRJ-90が88席仕様である。
④2007年10月9日、三菱重工はプレスリリースを公表し、MRJ事業化への重要なステップとなる正式客先提案(ATO:Authorization to Offer)を決定し、世界各国の顧客候補エアラインへの販売活動を本格的に開始すると発表した。
同時に、エンジンには、最新鋭のプラット&ホイットニー社製「GTF(Geared Turbo Fan)」を採用することや、MRJが参入を目指すクラスのリージョナル機市場は、今後20年間、世界で約5000機の需要が見込まれていることを発表した。
⑤2008年3月28日、全日空が自社のサイトで合計25機(うち10機オプション)の発注を公式発表した。
全日空からの注文を受け、三菱重工は、2008年(平成20年)4月1日に「三菱リージョナルジェット(MRJ)」の名称で事業化を決定するともに子会社の三菱航空機を設立した。
初代社長には三菱重工取締役執行役員の戸田信雄氏が就任した。
⑥2009年4月1日、三菱重工業副社長の江川豪雄氏が第2代社長に就任。
⑦2009年9月、胴体と主翼の設計変更に伴い、2008年9月の時点で2011年初飛行、2013年に納入と発表していた予定を、初飛行を2012年第2四半期に、初号機納入を2014年第1四半期に見直した(1度目の納期延期)。
⑧2011年2月1日、米独立系地域航空会社トランス・ステーツ・ホールディングス(TSH)のリチャード・リーチ社長は、ロイターとのインタビューで、三菱航空機との間で次世代リージョナルジェット機「MRJを最大100機(確定50機、オプション50機)発注する契約を結んだことを明らかにした(2019年10月31日に契約解除)。
⑨2012年4月、開発並びに製造作業の進捗の遅れから試験機初飛行を2013年度第3四半期に、量産初号機納入を2015年度半ばから後半に延期になった(2度目の納期延期)。
⑩2012年12月14日、三菱航空機と米国のスカイウェストは、90席クラスの「三菱リージョナルジェット」(MRJ90)100機購入と、オプションで100機、合計200機の契約を正式に締結したと発表した。
大型発注を受け、2012年10月4日に今後20年間の受注目標を従来の1000機から5割増の1500機へ引き上げた。
⑪2013年1月、三菱重工副社長の川井昭陽氏が第3代社長に就任。
⑫2013年8月22日、装備品について、安全性を担保するプロセスを構築することに想定していたよりも時間が必要だとして3回目の開発スケジュール(試験機初飛行予定を2015年第2四半期に、初号機納入予定を2017年第2四半期に)の遅延を発表(3度目の納期延期)。
⑬2014年7月14日、三菱航空機は、MRJについて、米国のイースタン航空が最大40機(確定20機、オプション20機)発注する覚書(MOU)を締結したと発表した(同年9月に正式契約したが、2018年に契約は解除された)。
⑭2014年7月15日、三菱航空機は、ミャンマーの航空会社エアマンダレーからMRJ10機(確定6機、オプション4機)を新規に受注した。
⑮2014年10月18日、三菱航空機は、MRJの試験用初号機が完成したことを記念した式典(ロールアウト)を名古屋航空宇宙システム製作所小牧南工場で開催した。
⑯2015年1月28日、 三菱航空機はMRJ 32機の購入について日本航空と正式契約を締結。三菱航空機にとって、MRJ の合計受注機数は、今回の契約を含めると 407機(確定223機、オプション184機)となる。
JAL への納入は、2021年に開始する予定。
⑰2015年4月1日、三菱重工執行役員の森本浩通氏が第4代社長に就任。
⑱2015年10月15日、MRJ量産初号機の組立開始に伴って「鋲打ち式」を実施。
⑲2015年11月11日、県営名古屋空港において初飛行を行った。その後19日に2回目、27日に3回の飛行を実施。
⑳2015年12月16日、三菱航空機は試験工程から量産初号機の納入時期に至るまでの全体スケジュールを精査し、納入延期の方針を発表(4度目の納期延期)。
同日に発表された納入延期について全体スケジュールのレビューを行い、スケジュールを変更し、量産初号機の納入時期を2017年第2四半期から1年程度先に変更すると発表。
㉑2016年2月16日、三菱航空機は、米航空機リース会社エアロリースから最大で20機(確定10機、オプション10機)を受注することで基本合意したと発表(2021年1月8日、米エアロリース社と20機分の受注契約を解除)。
㉒2016年7月11日、ファンボロー・エアショー会場でスウェーデンの航空機リース会社のロックトン(Rockton AB)から、MRJ90を20機の購入で基本合意したと発表。
これは、欧州企業から初の受注である。
(筆者注:最終的には正式契約には至らなかった模様である)
㉓2017年1月20日、機体を制御する電子機器の配置を見直しするなど設計変更が必要となったため、航空会社への納入開始予定が2018年半ばから2020年半ばへと2年間延期されることが判明した(5度目の納期延期)。
報道によれば、理由は耐空証明を行う際、極端な状況(機内での爆発、キャビンからアビオニクス・ベイへの水漏れなど)での継続的な運用のために認定要件を満たす必要があることが判明したため。
㉔2017年4月1日、三菱重工常務の水谷久和氏が第5代社長に就任。
㉕2018年三菱航空機は、開発中のリージョナルジェット機「MRJ」について、米国のイースタン航空と結んでいた最大40機の契約を解除したと発表した。
契約解除の理由はイースタン航空が買収されたことに伴い航空事業から撤退するためである。これが、「MRJ」の初の契約解除である。
㉖2019年3月28日、三菱航空機は、FAAによるMRJの型式証明飛行試験開始に向けて、 LOA(Letter of Authorization)をFAAより取得したと発表した。
FAAのLOAを取得したということは、MRJの開発の最終関門である型式証明取得のための飛行検査を開始してもいいということを意味する。
㉗2019年6月13日、三菱航空機は、開発中のMRJについて、「三菱スペースジェット」に改称すると正式に発表した。
また、標準型のMRJ90(標準座席数88席)は「SpaceJet M90」に、短胴型のMRJ70(76席)は「SpaceJet M100」に、名称をそれぞれ変更する。
㉘2019年10月31日に地域航空会社3社を持つ米トランス・ステーツ・ホールディングス(TSH)が最大100機購入する契約を解除した。契約解除の理由は既述のとおり。
㉙2020年2月6日、試験の遅延により年内の型式証明取得が難しくなったため、初納入の時期について、これまで目標としていた2020年半ばから21年度以降に延期すると正式に発表した。
(6度目の納期延期)
㉚2020年3月18日、設計変更が反映された型式証明取得飛行使用予定機(JA26MJ)が名古屋空港にて初飛行した。
これまでの開発費総額は8000億円近くで、事業化総額は1兆円を超える見通しが報じられた。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行拡大により、3月下旬から北米試験拠点では州政府による外出制限がとられ、飛行試験中断を余儀なくさせられており、JA26MJの渡米に影響が出る可能性があり、日本国内試験飛行を増やすことを検討している事が報道された。
㉛2020年4月1日、三菱重工常務執行役員/米国三菱重工業社長の丹羽高興氏が第6代社長に就任。
㉜2020年10月30日、三菱重工はオンライン会見の中で、三菱航空機が開発を進める三菱スペースジェットM90について、開発活動は「いったん立ち止まる」と発表した。
ちなみに、M100については既に同年5月11日に開発が停止されている。
「立ち止まる」という表現については、型式証明の取得に向けた作業などは継続するものの「多額の資金を投下して、納入時期などスケジュールありきで進めることは控える。飛行試験などは当面行なわず、人員の規模は適正な規模で進めていく」という意味だと説明。
この時点での、三菱スペースジェットの総受注は287機で、内訳は確定注が163機、オプションが124機。内訳は全日空(確定15:オプション10)、スカイウェスト(100:100)、エアマンダレー(6:4)、日本航空(32:0)、エアロリース(10:10)である。
㉝2021年1月8日、三菱航空機は、米エアロリース社との20機分の受注契約を解除したと発表した。契約解除の理由は開発の停止である。
三菱航空機と米エアロリース社は、開発再開の目途がついた時点で、改めて再契約の交渉をするとしていた。
「当社は、2020年12月31日、エアロリース社と締結済の契約を解除した上、開発再開の目途がついた時点で、同社と改めて再契約の交渉をさせて頂くことで双方合意に至りましたので、ここにお知らせ致します」
㉞2023年2月7日、三菱重工は、2022年4~12月期の決算会見を行い、その中で、三菱スペースジェットの開発を中止することが発表された。
三菱重工の泉澤清次社長は、三菱スペースジェットの開発で得た知見などについて、英国、イタリア、日本で共同開発している航空自衛隊の次期戦闘機開発などに役立てたいとしている。
子会社の三菱航空機は、三菱重工に資産を移管するなどの準備を経て清算する予定。
2.スペースジェット事業失敗の総括
三菱重工は2月7日の記者会見で、チャートによりスペースジェット事業を次の様に総括した。
(1)反省点
①高度化した民間航空機の型式認証プロセスヘの理解不足
②長期にわたる開発を継統して実施するリソースの不足
(2)中止する理由
以下の観点から開発再開に足る事業性を見出せず。
①技術:開発長期化によりー部見直しが必要。脱炭素対応等も必要
②製品:海外パートナーより必要な協力の確保が困難と判断
③顧客:・北米でスコープクローズ(労使協定による機体サイズおよび重量の制限)の緩和が進まず、M90では市場に適合しない
・足下でのパイロット不足の影響あり、リージョナルジェット市場規模が不透明
④資金:型式証明の取得にさらに巨額の資金を要し、上記市場環境では事業性が見通せない。
(3)今後の取り組み
①CRJ( Canadair Regional Jet)事業での完成機事業への取り組み
(筆者注:三菱重工は、2019年6月に現金5億5000万ドル(590億円)の支払いと約2億ドルの債務を引き受けてCRJ事業を買収している。スペースジェットの開発に失敗したことで、カナダですでに認証を受けている航空機を、低コストで生産する可能性が指摘されている)
②海外OEMとのパートナーシップ深化
③完成機を見据えた次世代技術の検討
④FX(次期戦闘機)への知見活用
⑤愛知県にある施設・設備活用
(4)スペースジェット開発により達成できたこと
①型式証明(TC)取得しうる機体を設計・制作・認証する体制の整備
・3900時間超の試験飛行を安全トラブルなく遂行
・民間旅客機への日本での型式証明プロセス実践
・欧米当局との二カ国間相互認証制度の締結
②航空機開発プロセスのデジタル化に向けた技術情報獲得
・Model Based Systems Engineering(MBSE)
・Certification by Analysis(CbA:解析による適合性証明)
(5)技術的成果
①航空機開発ヘの本格的なV&V(Validation&Verfication)適用
②VaRTM(Vacuum assisted Resin Transfer Molding:真空含浸工法)での新材料等の滴合性証明
③大口径GTF(Geared Turbo Fan)エンジンのリージョナルジェット主翼搭載
④世界レベルの飛行試験と実施経験
⑤CFD (Computational Fluid Dynamics:数値流体力)を用いた空力最適化
⑥実機レベルの試験設備(名古屋地区)
3.三菱の失敗とホンダの成功
三菱スペースジェットとホンダジェットを対比させた報道記事は多数出ている。以下はそれらの記事を筆者の視点から取りまとめたものである。
(1)「飛行機作りにはジーザス・クライストが必要だ」
この言葉は、飛行機の「神」、つまり全権を握る存在が不可欠という意味である。
これはホンダジェットの開発リーダーである藤野道格氏が、飛行機設計のノウハウをたたき込まれた米ロッキード(現ロッキード・マーチン)の技術者から教わった言葉である。
ロッキードには「神」がいたという。それがケリー・ジョンソン氏、通称、JCケリーだ。JCはジーザス・クライストの略である。
ロッキードの精鋭部隊「スカンクワークス」の創設者だ。
後にステルス戦闘機を開発し、JCケリーの後を継いだベン・リッチ氏は初めてスカンクワークスに足を踏み入れた時のことを「この世界は一人の男、ケリーを中心に回っていることが分かった」と回想している。
実際、スカンクワークスにはすべての連絡事項をJCケリーに集め、全権を持って決定するための「14カ条のおきて」が存在したという。
これは何もロッキードだけの流儀ではなかった。米航空機の雄、ボーイングが第2次大戦後に確固たる地位を築く立役者となったのがジョー・サッターという技術者だった。
超大型機「747」の開発者としても知られ、ボルト1本の設計さえサッターの許可が必要だったと言われている。
国産旅客機として代表的なホンダジェット、YS-11の開発にはカリスマ技術者と呼ばれるリーダーが存在した。
ホンダジェットの場合、それは藤野道格氏で、日本で技術経営を実践した代表的な人物だ。
藤野氏はホンダエアクラフトカンパニーの社長として、また技術者として同機を開発し、大成功を収めた。
そして、開発開始から販売開始までの30年間、ホンダジェット開発のリーダーを務めた。
翻って三菱重工はどうか。
2008年に開発が始まってから約10年で、三菱航空機の社長を5人もすげ替えてきた。
迷走が顕著となってきたのは、2015年に4代目社長として森本浩通氏が就任した頃からだろう。
森本氏は火力発電プラントの海外営業が長い。直前も米国法人の社長としてニューヨークに駐在していた。つまり全くの門外漢だ。
「突然、宮永さんに通告された時は正直、冗談かと思いましたよ」と当時回想していたが、無理もない。
2013年に三菱重工の社長に就任した宮永俊一氏にとって森本氏の起用は、独立心が強くプライドが高いことで知られる航空・防衛部門を牽制する狙いがあった。
根城の名古屋航空宇宙システム製作所は「名航」と呼ばれ、三菱重工の社長も輩出してきた。
三菱航空機でも航空・防衛畑出身の社長が続いたが、機械畑の宮永氏はジェット開発の掌握のため門外漢をあえて起用した。
森本体制で2015年11月に初飛行に成功したが、その1カ月後に主翼の強度不足という致命的な欠陥が発覚し、4度目の納入延期に追い込まれる。
すると宮永氏はわずか2年で首をすげ替えた。
後任には航空・防衛畑の水谷久和氏を据えた。名航にとっては「大政奉還」と言えたが、これがさらなる迷走を助長した(出典:日経産業新聞『三菱ジェット、ホンダジェットと明暗分けた鉄則』(2020年10月30日)。
(2)純国産・自前主義の弊害
三菱スペースジェットの主要部品・装置の約7割が海外サプライヤー製であるが、三菱重工は高学歴のエリート技術者が集まる名門企業のため、そのプライドもあり、自前主義や純血主義へのこだわりが海外サプライヤーとの統合や調整に難航したとされる。
その結果、三菱重工技術者だけで、運航開始に不可欠な米国連邦航空局(FAA)の型式証明(注1)の取得作業を進めた。
「日本の防衛を担う戦闘機を造っているのだから大丈夫」という根拠なき楽観論が同社の多数派であったといわれるが、型式証明のルールを欧米勢が握る民間航空機の世界は甘くなかったのである。
(筆者注:自衛隊機は航空法第11条の適用を受けないため、型式証明が不要である)
一方、ホンダ エアクラフト カンパニーは米国に拠点を構え、ホンダジェットを開発・生産した。以下の3つが大きな理由として考えられる。
①航空機産業で世界をリードするのは米国企業であり、有能な人材の確保が可能である。
②キーコンポーネントであるジェットエンジンの内製化を期し、航空機エンジンのグローバル3大企業の1社である米ゼネラル・エレクトリック(GE)と共同開発を目指した 。
③運航開始に不可欠な FAA の型式証明取得のため、米国航空業界の人脈・知見をフルに活用可能である。
(出典:国際ビジネス・コンサルタント江崎 康弘氏『比較経営検証:日本のものづくり-三菱スペースジェットとホンダジェット-』2021.12)
(注1)航空関連の著作を多数刊行してきたノンフィクション作家の前間孝則氏は「型式証明」についてこう書いている。
「FAAに提出する申請書類やレポート、設計書や図面、数々の書類などの紙の重さの合計は機体の重さに匹敵する」
ちなみにホンダジェットの重量は約4トン。量もさることながら、用紙代だって巨額だ。認証の対象になるのは、機体はもちろんのこと、すべての搭載機器、その部品、材料一つひとつ、これらの設計計算書、図面、製造設備、製造方法、検査手順、治工具管理、マネジメントの体制、教育システム・・・。
ひとたび事故が起きれば死に直結するだけに、開発者に対する要求は想像を絶する。
(3)本田宗一郎のDNAと国家プロジェクト
本田宗一郎氏は「政府が介入すれば企業の力は弱まる。良品に国境なし。良い製品は売れる。自由競争こそが産業を育てる」 という考えで、国産四輪車開発などで中央官庁と正面から対立したが、この DNAこそがホンダジェットの源流であろう。
ホンダジェットは、ホンダエアクラフト カンパニー社長兼CEOである藤野道格氏が発案した。
彼は当時、歴代のホンダのトップからの厳しいダメ出しに敢然と立ち向かい、ホンダがホンダジェットをやる意味を社内で共有させた。
また、経験のない事業を蓄積も乏しくその基盤のない日本でやることを放棄し、北米に拠点を設立、北米のエコシステムの中で事業を育んだことも、藤野氏の慧眼と思われる。
そして完成まで一貫して藤野氏がプロジェクト・リーダーであったことも大きな要因(勝因)であろう。
ところが、対するMRJは全く対照的な発想と経緯を辿った。
この事業の発案者は、当時の経産省製造産業局の課長クラスと言われている。
「今しか、日本が航空機産業を再興する機会はない」という危機意識の醸成をしたものの、気が乗らない三菱重工を補助金の札束で引っ叩いて、経産省がバックアップするとの約束のもと着手させた。
MRJは、国家事業でもあったため、拠点を国外に置く事など夢想だにしなかった。
また三菱重工側には藤野氏のように、この困難な事業に命を賭けてやる意思のあるリーダーは一人もいなかったのではないかと思われる。
結局ナイナイ尽くしの中で、認証取得困難、設計変更の繰り返しで、刀折れ、矢尽きたのである。
(出典:国際ビジネス・コンサルタント江崎 康弘氏『比較検証:日本のものづくり:ワクチンそしてMRJとホンダジェット』2021.06.22)
おわりに
なぜ、日本の航空機産業をリードする三菱重工業は、「リージョナルジェット」の開発に失敗したのか。多くの国民が関心を持つところであろう。
新型コロナウイルスという不測事態の発生があったにしても、型式証明への準備不足や「スコープ・クローズ」に対する見通しの甘さなど三菱重工業の事業管理の不手際が失敗の要因であったことは否めない。
さらに次のような国レベルの問題点も指摘されている。
有限会社オリンポスの四戸哲社長人は、「MRJの開発主体である三菱重工業、そして開発のために設立された三菱航空機は『作る』ことはできても『創る』ことができなくなっているのではないか」という。
すなわち、航空機を製造する技術が高くても、ゼロから航空機を創造することはできないということである。
また、同社長はその背景について次のように語っている。
「米国からの新技術情報がどんどん来るものですから、自分で考えるより、文献から『学ぶ』ことが好きな人が採用され、どんどん組織の中で偉くなっていったんです」
「そうすると、オリジナリティがあって、自分で何かをしようという意欲のある人が、なかなか組織に入れなくなるし、入っても偉くなれなくなってしまう」
「この選別は、日本の航空産業にかなりのダメージを与えたと思います」
上記のことは、三菱重工だけの問題でなく日本の航空機産業全体の問題でもあろう。
さて、型式証明を得るのに足踏みを続けた責任は三菱航空機だけにあるのでなく、航空行政をつかさどる国土交通省航空局にも問題があるという指摘がある。
「日本では1962年に初飛行した国産ターボプロップ旅客機『YS-11』から半世紀も航空機の型式証明審査から遠ざかっていた。米ボーイングの旅客機などで知見豊富な米連邦航空局(FAA)と比べ日本の航空当局は審査が付け焼き刃だったと言える」
「航空局も危機感を募らせ一時期、FAAからアドバイザーを呼びノウハウを吸収しようとしたが技能を身につけるのはたやすくなかった」
「『ある意味、経験則が生きるのが航空機の世界だが、MRJは燃費性能が高いエンジンや革新的な空力設計、高度な電気システムを採用した。それがさらに審査を難しくさせ、必要あるかないか分からない証明作業を求められた。それに三菱航空機は対応しきれなかった』(同社元関係者)」
「国家プロジェクトでありながら、国が最新の航空機の知見を取り入れ安全性を判定する能力を養ってこなかったのは三菱航空機にとって不幸といえる」
(出典:日経ビジネス2023.2.7)
上記のことは、航空産業をつかさどる行政当局の構造的問題である。
最後に、三菱重工の泉澤清次社長は、三菱スペースジェット開発中止を発表した会見において、「スペースジェットの開発で得た知見は、日本と英国、イタリアの3カ国で共同開発する次期戦闘機などに生かす」と述べた。
是非とも次期戦闘機の開発を成功させてほしい。
また、今回の三菱スペースジェットの失敗を奇貨として、日本の航空行政を含む航空機産業界の改革・改善が進むことを願っている。
筆者:横山 恭三
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답댓글 작성자백선호 작성자 본인 여부 작성자 작성시간 23.02.17 10-15년 전에 제가 참여했던 프로젝트가 그랬습니다... -.-;;;
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작성자백선호 작성자 본인 여부 작성자 작성시간 23.02.18 YS-11에 대한 만화에는 이런 장면이 나옵니다.
http://www.yes24.com/product/goods/113822257이미지 확대
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작성자백선호 작성자 본인 여부 작성자 작성시간 23.02.18 1920년생으로 도쿄대 법대 나와 1942년 상공성(지금의 경제산업성)에 들어가자마자 해군 경리학교 거쳐 2차대전 때 전함 히에이에서 보급(?)을 맡은 장교였던 사람이 나중에 통산성 과장이 되어 YS-11 개발의 발동을 걸었다고...
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작성자Black Knights (윤재산) 작성시간 23.02.18 예나 지금이나 별 잘 모르는 사람이 뻑가기는 잘하는듯
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답댓글 작성자백선호 작성자 본인 여부 작성자 작성시간 23.02.18 내키지 않는 업체를 정부가 등 떠미는 민간 항공기 사업이 성공하면 이상하죠...