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愛の世界 1-2 苦難と栄光の座

작성자Together|작성시간20.08.07|조회수269 목록 댓글 1

愛の世界 /韓鶴子

第1章 愛の道

⒉ 苦難と栄光の座

1977年5月3日 17周年聖婚記念日(ベルべディア)

[主に出会う道]

お父様はきょう、皆さんに私自身の証と18回目の聖婚記念日を迎えた感想を述べなさいとおっしゃいましたが、もし皆さんが3度の食事よりももっと証を聞きたいというのであれば、1日中でも話をしてさしあげましょう。

先週の日曜日にベルべディアでお父様の説教を聞いた人は、真の父母をこの地に迎えるために、何か特別な天的、摂理的出来事が誰も知らないうちに内的に起きたということを認識したことでしょう。当時韓国には、聖書とイエス様を信じさえすれば天国に行くことができると、単純にかつ盲目的に信じている形式化されたキリスト教団とは違った、特別な霊的教団が数多くありました。

それらの教団は再臨主を迎える道を準備し、主の花嫁を探し出すために、神から啓示を受け取ることを唯一の目的として存在していました。

これが私が生まれる前後の宗教的状況であり、私はそのような状況のもとに、ある特別な霊的家庭の中で生まれました。

私は常に神との霊的交流を通して、主の再臨と新時代について、主が再臨される日には何か明かされるかについて啓示を受けていました。

私がきょう、その当時のことを考え、悲しみにひたるのは、私の母が属していたその教団が、到底語ることのできない、実に信じられないような堪えがたい苦難を通過しなければならなかった日々が思い出されるからです。

彼らは常に神の啓示を受けて過ごしました。そして蕩減路程を通して主の道を直くするために、実に信じ難い苦難の道を通過しなければならなかったのです。そしてその中の多くの人々が、ありまにも不運な事情の中で過ごさなければならず、ある人は監獄の中で死んでいきました。

彼らは神に選ばれ召された人々として、献身的に神に侍りながら、いつの日にかメシアにまみえるという唯一の希望にすべてを託し、あらゆる苦難を乗り越えていきました。彼らは再臨主を迎えるためにすべてのものを準備しました。例えば、スプーンから衣服に至るまで、一切を準備したのです。

神の息子をメシアとして送られる神ご自身の計画について、詳しく明かされた啓示に従って準備しました。霊能者たちは、服のサイズまで知っているほど、霊的交感を通して大変詳しい啓示を受けていました。

そのようにして、口では言い尽くせない苦難の中で主の日を待っていた彼らは、不運にもその日を見ることができず、一人また一人と死んで行きました。その間、その使命は三代にわたって引き継がれていき、彼らの啓示の最後の頂点として私が生まれたのです。


[天のプロポーズ]

私が生まれたころ、神がそのみ子を地上に送られるための計画を明らかにした啓示を受ける使命を引き継いできた最後の霊能者がいました。その女性霊能者は、私が6歳にもならないときに、「このかたこそ天の新婦になられるでしょう」と預言しました。その女性霊能者はそのとき、6歳にもならない少女が天の新婦になるべく運命づけられているという啓示を常に受けていました。

当時、韓国の情勢は非常に厳しく、事実上、どんな人も神やキリストへの信仰を待ち続けることは不可避でした。ご存知のように、当時韓国は日本帝国主義の占領下にあったからです。私はそのとき北韓にいたのですが、特にその地域もやはり日本帝国主義の支配下にあり、日本総督府は教会活動を激しく迫害していました。したがって、だれでも信仰を持ち続けることは事実上不可能なことでした。

私は平安南道の安州で生まれました。そこは韓国の38度線以北にあり、先生のお生まれになった定州がある平安北道からそれほど遠くない所で、お父様と誕生日を同じくして生まれました。しかし私が故郷にいた間、そういうことは知る由もなく、もちろん先生にお会いすることもありませんでした。

当時神によって予定され召命下にあった教団は、主に北韓に広まっていましたが、その北韓の中心である平壌は、新時代の聖都エルサレムになるであろうという預言や啓示が下りていました。

とにかくその地域は、キリスト教の勢力が非常に強い所でした。私は北韓では先生にお目にかかることができず、北から南韓に渡ってきた後に、ソウルで初めてお目にかかりました。それは私がちょうど13歳のときで、まさに小学校を終えたばかりでしたから、今の仁進と同じ年でした。当時は母親とともに入教してしばらくしかたっていないときであり、それまで多くの苦難の道を歩んできたために、未来に対する確信を持つことができませんでした。特に1960年に何が起こるのか、知る由もありませんでした。

はじめて先生にお会いしたとき、先生は私をごらんになった瞬間、目を閉じて瞑想された後に、心の中でささやくかのようにおっしゃいました。「名前はなんというのか」と尋ねられたので、「はい、私は韓鶴子と申します」と答えました。すると「おお神よ、あなたは韓鶴子というこんなに素晴らしい女性をこの韓国に送ってくださいました。感謝いたします」と言われたのです。先生はその瞬間に瞑想され、ほとんど独り言のように言われたのですが、私にはそのように聞こえました。

そのときは、統一教会の教祖であられる先生が、私の未来に関して特別な啓示を受けておられるかのような感じを受け、多少不思議に思われました。そのころ私は韓国の北東部にある春川に住んでおり、先生はソウルの教会本部におられたために、春川とソウルという距離をおいて遠く離れていました。

私は先生と出会って後、教会に通いながら中学を卒業し、高校に入学しました。

きょう私達が記念している聖婚式が挙行されたのは、1960年4月11日(陰暦3月16日)でした。聖婚式の1カ月前に、先生が夢に現れ、神からの特別な啓示を受けました。

「その日が近づいたので、準備しなさい」と啓示が下りたのです。そのときから、いわば天が求婚をしたというより、天の訓令が下されました。訓令があったとき、私は完全に自我を離れた立場におかれました。私はそのとき、天の摂理でなくては、そのような大きなことを判断することはできないと思ったので、無私になる以外にありませんでした。そして祈祷せざるをえませんでした。「いままで私はみ言のままに生きてまいりました。今、神のみ意がなんであったとしても、神の摂理の目的がどんなものであったとしても、私はあなたの僕としてどんなことでも命じられるままに従います。」啓示に対して私の心を応答してみせました。それは私が18歳のときの春2月ごろでした。

私は完全に無私の立場に立って準備していましたから、その事情など分析したくはありませんでした。神のみ意のままに、全面的に身をささげることをひたすら願っていました。

当時の私は性格がおとなしいほうで、平安と静けさの中で読書や音楽を好む人として学校内でも知られていました。あまり感情的でもなく、あまり激しくもなく、常に理性的で、初めて会った人にはむしろ少し冷たい感じさえ与えたでしょう。

私のその当時の生活は、ほとんど修道女のようなものでした。男性と行動を共にすることは一切避けていましたし、まるで温室の中に咲く一輪の花のように、完全に外の環境から自分自身を隔離していました。今になってそれが、いつか主にまみえ主の新婦になる者として聖別をするための天の準備であったということが分かりましたが、当時の私には何も分かりませんでした。そして私の本来の性格も外向的ではなく、いつも消極的で、この世から離れて自分自身の世界を楽しむほうでした。ですから男性に対しては、ほとんど完全に無視するかのように行動し、周囲にいる青年や男性を自分のほうから先にみたこともありませんでした。男性を見るだけでも何か決まりが悪く、純粋性を失ったようにさえ感じたからです。

外からふと見るときには、お父様がどのようなかたであるかを知っているので、皆さんは一様に、そして単純に私がとても幸福で、すべての面において完全な人に違いないと思われるでしょう。「あなたは神がそのように創造され、もともと完全な姿として生まれたので、ご自分は何の努力もする必要はなく、ただその位置に選ばれるようになったお方なのだ」と考えるかもしれません。そして「全宇宙の母であり、お父様に出会って幸福な家庭を持っており、生を楽しんでいる」というのが私に対する人々の一般的な見解でしょう。

しかしそれに反して、お父様がその位置に立たれるために苦難と十字架の道を歩まれる限り、私も当然私なりに信じられないほどの、耐えることができないほどの難しい十字架を背負ったのでした。もちろん私も最初から完全な人間として出発したのではなく、完成まで行かなければならないのです。その到達しなければならない基準はあまりにも高く、時にはゴールまで行くのは本当に不可能なのではないかという思いさえありました。その使命を果たして、神の期待に応えるためには、非常に難しい試練と苦難と絶対的な信仰が必要でした。私はそのような立場にいたのです。


[過ぎ去った過酷な試練の日々]

過ぎし日のこのような事情と私が歩んできた路程について振り返って見るとき、私は涙を流さずにはいられません。なぜならば、これについて語ろうとすれば、苦難と試練の記憶のすべてが再び生々しくよみがえってくるので、私にはそれを語ることがとてもつらいのです。今朝私が悲しそうに見えるかもしれませんが、それはそのような理由からです。

私が歩んできた道は、考えるだけでも堪えがたい苦難の連続でした。神は選ばれたお父様に試練を与えたと同じように、私にも同じように、試練を与えられました。そしてサタンも先生とイエス様を試練したと同じように、私にもやはり試練しました。メシアが通過されたと同じような過酷でひどい試練を、このか弱い女性が通過したのですから、本当に皆さんには信じられないことでしょう。そしてすべてのことは、歴史の過程の中に秘して隠されてきました。皆さんは原理を知っているので、蕩減の関係から見るとき、私が聖婚記念日を迎えた今日に至るまで、どれほど難しい道を歩んできたかを想像することができるでしょう。

1960年に聖婚式が挙行され、私は今、天宙的な使命を帯びておられる偉大な先生と結婚した女性であるわけですが、お父様のその天宙的使命をそばで見るならば、普通の人間にはそのような使命を果たすということを考えることすら不可能なことです。

私は温室の中の一輪の花のように成長してきました。平和な周囲の雰囲気の中の温室で、砂漠に咲く花のようであると、私自身感じてきました。砂漠のような所が私が暮らしていた環境でしたから、行く先々に荒波が荒れ狂って押し寄せてくるように感じました。私の周囲は、一寸先も見えないほどに、多くの誘惑と試練とあらゆる苦難が渦巻く難しい現実的、霊的な状況だったからです。私はまさに荒海に浮かぶ小さな小舟のようでした。

一方、その当時は、私を訪ねてこられる神の恩恵を最も感じたときでもありました。私が苦難の中にいるときでも、神はご自身を現して啓示を与え、導いてくださいました。そのような直接的な導きがないときでも、私を愛し、守ってくださろうとする周囲の人々を通して、絶えることなく導きと日々の啓示を受けたのです。そのためその当時は、かくも難しい試練と忍耐と苦難のときであったにもかかわらず、同時にこのときこそ最も美しく、神の恩恵に満ちた、まさに神が共にいてくださることを実感することのできたときでもありました。

このようにして、完成に向かって苦悶してきた成長期間が終わり、今や天が願っておられる基準に到達した私がその当時を振り返って見るとき、その苦難に満ちた記憶のすべては喜びに変わりました。

私はお父様といつでも深い話を交わし、交流することができました。言い換えれば、お父様と私の間には、つきない話題と限りない理解があり、無限なる信頼に満たされた対話がありました。お父様とそんなに多くを語らなくても、深くお互いの事情を理解することができました。なぜならば、お父様が通過してこられた事情と、私が歩んできた道が、神秘なまでにあまりにもよく似ていたからです。

お父様とは共通の一なる目的を深く理解し、そのために不屈の信仰ですべてのことを忍耐し、すべての苦難と闘って完成基準に到達し、もはやサタンが一切侵入することのできない基準まで至りえたという勝利感があります。お父様と私がお互いに向かい合うとき、お互いが感じる勝利感によって、私は限りない慰めを受け、平安を得ることが出来ました。

[地獄を天国に変えて]

最後に皆さんに一言語りたいことがあります。私は私自身の体験を通して、神について、神がどのようにそのみ旨を成就されるか多くのことを知りました。私の人生において、まさに天国と地獄をすべて通過してきたのですが、そのどちらも神が期待される完全に成熟した人格を形成するために必要なものであったということを知るようになりました。

もし私が天国の喜びのみを享受してきたならば、天国の生活をそんなに深く味わい、感謝することが出来なかったでしょう。私は地獄の一番そこまでも通過し、その苦い味も味わいました。「これ以上、このように難しい道を生き続ける力は私にはありません。絶対に不可能です。神様!なぜ私にこのような道を行けと言われるのですか」と尋ねることも数限りなくありました。私に必要なことは、真に倦むことのない不屈の信仰と決意と忍耐であり、それが今日の私自身をつくりあげたといえるでしょう。

もう一つ付け加えたいことは、皆さんが天国に行く道において、天国的な面だけを期待してはならないということです。地獄のような面も当然、予期しなければならないのです。地獄の底の底、監獄を通過することも当然予期しなければなりません。

そしてこれこそ、神の恩恵を感じることのできる最も貴い部分であるといえます。これを通過することによって、皆さんはさらに堅固に立って、強くなることができるし、円満で総合的な人格、神的人格を成就させることができ、天国をさらに深く味わうことができるでしょう。そのような体験のすべてが、いつか皆さんの誇りとなるでしょう。

勝利と忍耐の記録こそ、いつの日か皆さんの誇りとなるでしょう。
この2、3日の間、先生は釣りの競争をさせられましたが、そのとき皆さんはふと心の中で「なぜお父様はこんな無意味なことを私たちにさせるのだろう。こんな天候の悪い日に水の中に入ろうという者がどこにいるだろうか。そんなことはやる必要もなく、川の水はこんなに深いのに、死ぬかもしれない」と思ったことでしょう。

誰しも、一瞬でもふとこういう思いがよぎったことがあるに違いありません。
なぜ、お父様は何か気が狂ったかように、このようなことをされるのでしょうか。なぜこのようなことをしなければならないのでしょうか。しかし皆さんはそのとき「私はそういうことはしなくてもいいでしょう。私にはできません」と言わないでください。

このような瞬間こそ、皆さんが早急に決定し考えてはならないときです。そしてなぜお父様は皆さんに泥だらけの川の水の中に入れと言われるのでしょうか。そのような霊的試練があるときこそ、そういう思いがどんな人にも、正常な人はだれでも、自然な本能的思いとして心の中をよぎるものです。

そのときに、どのようにしてその思いを克服することができるか、それを喜びに転換することができるか、ということが問題です。

私の前半生は、毎日毎日がまさに皆さんが経験した釣りの競争に比喩することができるものだったといえます。

私が語りたいことは、以上です。ですから、皆さんが常に忍耐強く、不屈の状態で聞いてくださればと思います。何事も早急に決定したり考えたりせず、直ちに反発しないようにしなければなりません。そうすれば、どんな難しい試練も、喜びに一変することでしょう。それこそ、いつの日にか誇りとなるのです。

私が今朝流した涙には、二つの意味があります。一つは悲しみの涙ですが、単に悲しみの涙ではなく、喜びの涙であることを知って欲しいのです。勝利したその喜び、そしてこのようにお父様と共にいることのできる喜びの涙であることを、実際にそのような二重の意味を持った涙だったのです。

そしてこれからは、ただ喜びの涙だけを流したいと思います。ですからどうかこれからは、私の過去に関しては尋ねないでください。ただ勝利的な未来の大きな理想についてのみ話を交わしましょう。このように皆さんにお願いしたいのです。
未来に来るべき大いなる日のために、何度でも喜びの涙を流しながら喜びましょう。

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  • 작성자JUNKO*^^* | 작성시간 20.08.08 고맙습니다*^^*
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