第9篇 家庭教会と氏族的メシヤ
第1章 家庭教会
第4節 訓読会と家庭教会運動
1 先生のみ言は、先生が語ったのではありません。天が先生を通して語られたみ言です。そのみ言は、皆さんがいつどこで聞いても、心が動き始めます。それ が違うのです。先生一人ではありません。縦横を合わせたその場で語ろうとしたので、心も体も共鳴体になるのです。振動が起こります。体が振動しても、心が 一つになれるので心も振動し、心が感動すれば体に一大革命的変化が起こります。そのような力があるのです。それは先生の言葉ではありません。
訓読会は、「み言を売る」と書きますが、もっていては大変なことになるので、売らずにそのまま与えなさいというのです。物を積んでおいて腐らせれば、罰を 受けます。お金をもらって売るより、もっと貴いことが起こるので、売らなくても分けてあげなさいというのです。これが訓読会の本然の意味です。
訓読家庭教会と活動方向
2 訓読の「訓」の字は、言偏に「川」の字です。水は、あらゆる生命の要素です。水は緑地帯を造り、空気中に漂う雲を形成し、深く進み、高く動きながら世 界を平準化させます。水は平準化させるのです。「読」の字は、言偏に「売」の字です。み言を中心として売りなさいという意味です。売らないのであれば、自 分がみ言どおりに行動しなければなりません。水には、流れて大きな川となり、海を形成してこの宇宙を生成する力があるのと同じように、このみ言にはそのよ うな内容があるのです。
3 訓読会を通して、訓読家庭が完成します。訓読教会で再び重生、復活、永生してこそ天国に行くのです。家庭から天国に行かなければならないというので す。その家庭から行くべきであって、他の所からは天国に行けません。家庭で平和と天国を成し遂げてから行かなければなりません。それは地上でするのです。
4 人は、万物を復帰したあとに愛するようになっています。旧約時代までは万物祭物時代です。新約時代は子女祭物時代、成約時代は父母祭物時代です。神様 をこの地に迎えるために、父母が家庭を率いて十字架の道を経てきたのです。地上で家庭教会の祭壇を中心として活動し、精誠を尽くせば、各界各層の霊人が再 臨し、地上の聖徒を協助するでしょう。家庭教会が訓読教会に変遷するのです。そして、これからは、氏族加入時代が来ます。個人加入時代ではなく、氏族加入 時代が来るのです。金氏であれば金氏、朴氏であれば朴氏が加入するのです。それが過ぎれば、国家入籍時代が来ます。これからは早いのです。目まぐるしいほ ど早く回っていくのです。
5 天国は、家庭を中心として出発するのですから、皆さんが訓読教会の意味を知って実行すれば、それは驚くべきことです。そこに教会があっても、家庭教会 です。家庭教会は、心のような教会の上に家庭があるので、訓読教会を発展させるというのです。種を多く蒔いて、たくさんの収穫の実を収めれば、それを天上 世界が、もしくは万民が食べて暮らせます。それで新しい出発をして、春を迎えるのです。冬に耐えて生き残り、より高い次元の春の季節を迎え、また発展に発 展を重ねることができ、その起源が訓読会をする家庭です。
6 家庭に種を蒔き、実が実れば、国を越え、世界を越えて天の国にそれを献納できるのです。その世界が天上天国なので、どれほど多くの実を自分自身が収め て献納するか、ということが人間の最高の目的です。この代価の基準によって、天上世界で皆さんが暮らせる永遠の位置が決定するのです。
投入して忘れ、低いところに投入し、与え、忘れてしまいなさいというのです。より多く忘れれば、必ず返ってくるのです。人間は個性真理体なので、真を受け たならば、真がただそのままなくなるのではありません。人間は精誠を込めた贈り物を受ければ、その受けた以上のものを与えたい思いがあるのです。個性真理 体があるので、循環運動により大きなものを授け受けできる環境条件をつくれる基盤、土台が訓読教会です。
7 統一教会が認定するからといって、天国に入れるのではありません。手続きを踏み、国民としての生活をしなければなりません。税金を捧げたりしなければ なりません。統一教会もなくなり、宗教もなくなり、政治もなくなります。国家もなくなるようになっているのです。先生が生きてきた生活と心情を訓読会で徹 頭徹尾、教育することによって、世界は一つの大家庭国家、一つの国家心情世界になるのです。ですから、訓読教会であり訓読家庭です。教会は家庭を求めてい かなければなりません。
8 訓読会は、宗教と国家基準を越える天一国の務めとして実践するものであり、孝子の中の孝子、天の国の忠臣の中の忠臣の先祖と子孫がこれを仰いでいくの です。天と地が一つになって訓読するそのみ言を通して、再創造された実体完成者として、私たちが家庭理想の基盤を天のみ前にお捧げすべき新しい教育の時 代、全体教育時代に越えていくというのです。
9 自分の氏族を中心として、訓読家庭教会をしなければなりません。これが世界的家庭です。訓読教会に出席している人は、もう国境がなくなるので、どこに 行ってもその国が、私たちの国だというのです。文化と宗教の背後がどうだこうだと言える時は過ぎていくのです。
10 み言に狂い、御飯を食べるのも忘れて走ってみてください。病気がすべて逃げていきます。先生は、若かったときに肺病にかかり、他の人たちは「死ぬ」 と言いましたが、死ぬなら死んでもよいと考え、肺病を忘れるくらい忙しくして、夢中になれば、病気が逃げていくと考えたのです。今や、民主と共産の二つの 世界の中に私たちが入っていき、その二つを消化するために革命的な責任を果たさなければなりません。父母の責任を果たさなければなりません。全国で訓読教 会をしてこそ、父母が立つ位置が生じるのです。
11 訓読をすることにより次元が変わります。天の国と地が一つになって訓読会をすれば、霊界がすべて降りてきて協助するようになっています。それをしな ければ、自分が生きる道を開放することもできず、その目的を成就することもできないというのです。それで、訓読教会です。家庭教会です。天国家庭がありま せん。神様も家庭がありません。天国に入れる家庭がないので、天国の民がいないというのです。これを再び編成しなければなりません。
家庭教会運動と統班撃破
12 復帰とは、帰ることです。どこに帰らなければなりませんか。先生が天下において、いくら高い位置に上がったとしても、循環する一番下は家庭です。で すから、統班撃破です。統班撃破とは、サタン世界のすべての家庭に対して、根源的に、血統的に、文化的に、生活的に浸透したものをすべてひっくり返すこと です。それで、撃破という言葉が出てきたのです。
13 統班撃破と共に復興会をしなければなりません。そうすれば、縦的基盤が立てられるのです。家庭において、「私の母と父は真の母、真の父であり、私の 息子、娘は真の息子、娘だ」と言える家庭の声がこの地の上に湧き上がるとき、地上世界のサタン圏は終わりを迎えるのです。家庭で出発したので、
家庭で締めくくらなければなりません。統班撃破は、サタン世界の家庭を転覆するためのものです。サタン世界の血統を転覆させ、意識的なすべての内容を消化 するためのものです。
14 私たちは、統班撃破をしなければなりません。そして、神様の歴史的な願いを成し遂げなければなりません。家庭から誤ったものを、家庭からひっくり返 さなければならないのです。天の国は、国家を通して出てきます。出てくるときは、真の男性と真の女性を通して出てきます。サタン世界の反対家庭から出てく るのです。そのため、統一教会はすべて反対です。真の父母という言葉も反対です。
それでは、今までの父母は何でしょうか。真の父母と反対なので、自分を生んだ父母は偽りの父母だということです。その言葉は、神側においては正しいので す。また、サタン側においても正しいのです。そのため、真の父母を強調すれば、サタンは退きます。神様が重要視するので、サタンは退くというのです。それ で、ひっくり返すのです。
15 なぜ、統班撃破をしなければならないのでしょうか。復帰歴史は、今まで堕落した世界からどこを通じて戻るのかというと、真の父母の門を通じて戻るの です。堕落の門から出てきて繁殖したものが、すべて真の父母の門を通って、再び上がっていかなければなりません。上がっていくその主流が統一教会の教会員 です。
上がるときは、ぼろのふろしき包みのようなものは必要ありません。サタンが汚したすべてのものをきれいに清算し、水晶のように澄んでいなければなりませ ん。蒸留水のようにきれいな真の愛の体と心をもってこの地上に顕現した天の国の王子、王女であり、真の愛の後継者であるという自信をもった人にならなけれ ばなりません。
16 今、標準は統班撃破です。これは、イエス様を中心として氏族的版図を成就できなかったので、今日、統一教会の教会員の家庭を中心として、氏族版図を 完成することによって、世界氏族圏の解放が四方から始まるようになるのです。そして、それが万国に統班解放圏が広がる条件になると考えるので、先生がそれ を命令し、皆さんの決意をここで確認するのです。
17 今、最も重要なことは、私たちがどこに根を下ろさなければならないかということです。この根を道に下ろしてはいけません。道の下に郡があり、郡の下 に里があるのですが、そこに根を下ろしていないので、サタンが入ってきて、仮住まいができる基盤になるというのです。ですから、統班に根を下ろさなければ なりません。これを原理的に知らなければなりません。統一教会の目標は、統班を撃破するという単一目標です。復帰の目標は一つです。過去の時代でも、現代 の時代でも、未来の時代でも、蘇生、長成、完成、すべての目標は一つです。完成はいつでも、個人から始まります。それと同じように、統班を中心として鉄の 城のような基盤を築かなければなりません。
18 皆さんは、一線で闘う先生と同じ立場に立てなくても、統班を中心として涙の峠を越え、定着しなければなりません。堕落した運命、ゆがんだこの悲哀の 運命を打開しなければなりません。そのようにしなければ、天が協助しないのです。天が動きません。天が離れるのです。先生がいくら苦労し、皆さんがいくら 先生についていくとしても、天が共になければできません。天が共にいなければなりません。
19 皆さんは、統班撃破運動をするとき、靴が何足も擦り切れるほどやらなければなりません。統長や斑長を訪ねようとすれば、自動車ではいけないのです。 歩いていかなければなりません。靴を何足擦り減らしてでも、歩いて回りなさいというのです。汗を流しながら一日に三回、四回、訪ねてみなさいというので す。皆さんは、ほとんど一回しか訪ねることができなかったと思います。講義をするために一日に何度も統班に行けば、汗でぬれておふろに入らなければなりま せん。そのようにやってみなさいというのです。天が役事(働き)してくれるでしょうか、くれないでしょうか。火がついていくか、消えていくか、見てみなさ いというのです。
20 今からは、統班撃破をしなければなりません。一つの家も逃してはいけません。今がそのようなときです。それで先生は、統班撃破という言葉を使うので す。いくら疲れても、疲れを知らずに夜も昼も、自分の足が一軒でも多く立ち寄っていかなければなりません。東西に行き、南北を経て、円形に通過していかな ければなりません。ですから、三回は訪ねていくべきです。三回以上訪ねていきなさいというのです。会って何をするのでしょうか。最も貴い贈り物をあげるの です。その貴い贈り物とは何でしょうか。真の父母の息子、娘になりなさいということです。ですから、そこでは血統を転換しなければなりません。
21 先生は、皆さんを私の母と父よりもっと愛しました。一生をすべて統一教会のために生き、血と涙の出る事情を経て満たしていくのです。個人を満たし、 家庭を満たし、氏族を満たし、民族を満たし、国家を満たし、世界を満たしていくのです。満たさなければサタンが離れません。それで、先生がアメリカへ行 き、千辛万苦の受難の道を歩んだのです。そして、ソ連を救うために準備しているのです。今やすべて成し遂げたので、故郷に帰ってきて統班撃破をするので す。
22 本然の故郷の地に帰らなければなりません。これが原理観です。ですから、今、「韓国で還故郷をしなさい」と言ったのです。自分の村の統班撃破を完遂 した基盤の上に、国家基盤を完遂しなければなりません。各家庭の出発点を立てて、蘇生、長成、完成に通じるのです。家庭は蘇生であり、統班は氏族として長 成であり、国家が完成になります。家庭にこの三つが連結されなければなりません。そのようにしなければ、氏族を連結できず、国家を連結できず、世界を連結 できません。皆さんがこのように拡張していくことによって、サタンの隠れる所がなくなります。きれいに清算するのです。皆さんは、すぐにそのような基盤を 築けます。迫害がないというのです。皆さんを歓迎できる基盤がすべて準備されているのです。
23 統班撃破は、銃剣で脅迫し、恐喝しなさいということではありません。愛のみ言と愛の実践を通して夜も昼も活動するならば、老人たちがたばこを吸い、 酒を飲みながらも、あるいは悪いことをしながらも、「うちの息子、娘にもあの人たちを見習わせなければ」と統一教会を褒めるのです。そうすれば、酒好きの 悪魔がそこにくっついていても、逃げていくというのです。けんかしていた者たちも、統一教会に入教してからはけんかしないのを見て、「うちの息子、娘も統 一教会の教会員のようにならないといけない」と思えば、サタンは逃げていくのです。
すべての面において、原理原則を代表した一つの立て札となり、家庭に先祖の標的を立てなければなりません。先祖の中の先祖が真の父母なのです。
24 統班撃破の組織さえ完了すれば、家ごとに旗を掲げた竿を立て、統一教会の人が一日に三人出入りしても喜ぶことのできる家庭にさえなれば、すべて救わ れます。ですから、先生が世話をするのです。先生を中心として成就されたすべての事実、先生のみ言から始まって、精神的分野と物質的分野で恵沢を受けさせ ました。そのような段階まで来たのです。
ですから、父母様を宣布して歓迎することによって、世界の頂上を越えて、サタンが今まで舞台としてきたこの地球星を踏んで上がっていき、韓国に帰ってきて 天の国と連結させ、王権定着宣布式ができる時になりました。上から押さえるのです。精神を統一すれば、何も言えません。拳で殴るのではありません。思いだ けですべて制圧できる時が来るというのです。