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2. 南北統一

【神様の摂理から見た南北統一】 - 59. 統一は真の父母を通して成される

작성자대태양/김현수|작성시간24.11.29|조회수5 목록 댓글 0

神様の摂理から見た南北統一

第4章 統一の根本理論

第2節 統一の原形

 

3. 統一は真の父母を通して成される

神様の創造目的とは何でしょうか。アダムとエバを造って置いて、ただ見るためではありません。男と女を造ったのは、男は男で女は女で、老いて死ぬようにするためではありません。

 

彼らが成長して互いに異性に対する相対的な心情を通じて、神様を中心とした人類の真なる地上天国を建設するようにするためでした。

 

神様を中心とした愛の巣をつくるようにするためだったのです。ここで男性のアダムは天を代表し、女性のエバは地を代表します。

 

それゆえ彼らは二人であるけれど、彼らが横的に一つになれば天と地が統一されるのです。神様の愛を中心として二人が統一されてしまえば、天宙は自動的に統一されるのです。(二一―四五)



人間始祖が神様を中心として一つになり、一つのモデルにならなければなりませんでした。そうすれば、神様の愛を中心として植えられた根は、体と心の基盤を築く根になるのです。

 

このようになって、神様の愛のあとについて一方通行の道を行き、神様の理想世界へ突入するように人間を創造されたのです。

この方向は愛を中心として行くのです。神様の愛で体と心が一つになった私、男と女がそのような立場に立って神様に従い、愛の目的に向かわなければならない人生行路が堕落によって歪みました。これを収拾するために送られた方がメシヤであり、救い主なのです。


救い主は失ってしまった愛を探して救ってくれるのです。

 

堕落することにより偽りの父母に会ったので、再び復帰するために真の父母として来られ、人間が到達できなかった愛の核を神様を中心として、神様の愛の圏内に入っていくようにする使命をもたれた方です。

 

人類は真の父母を探し、夫婦を中心とした神様の愛の絶対的起源を再び探さなければなりません。

 

この愛の核を設定するところから、人間のすべての堕落した世界にもたらされた悲しみと悲哀と苦痛、戦争、病気などを解決できるのです。(一九八六・二・一)

家庭を中心とした心情の法度は、父母から子女に流れるのです。しかし、植えられなければならないこの心情が植えられなかったがゆえに、これを再び植えようとするのがほかでもない復帰歴史なのです。ここで男性の代表者がメシヤであり、女性の代表者が聖霊です。

太初に新郎新婦が天理の原則に食い違ったゆえに、それを整理して本軌道に上げておかなければなりません。そうしなければならないみ旨が厳然と残されているので、神様は救援摂理をして来られたのです。

人間が堕落することにより、神様は彼らを分散させた後、特別な摂理のみ旨を広げて精誠を集め、神様の前に忠誠する群れを集められたのです。そうして新しい家庭、氏族、民族を編成されましたが、この数多くの民族の中で代表的な責任を担って出た民族がイスラエル民族でした。それでイスラエル民族が世界的な主流民族になったのです。歴史は人類の始祖であるアダムとエバの基準を中心として発展してこなければならなかったのに、そうできなかったので、これが再現できる基準、理念を中心としたある基準が立てられなければなりません。その基準は、キリスト教が願う希望の基準にならなければならないというのです。すなわちそれはメシヤ思想であり、信者の立場から見れば新婦思想なのです。

それではメシヤ思想はどのような思想でしょうか。世界のための思想です。世界を統一させることができ、家庭を統一させることができる中心は真の父母です。

それではキリスト教の実は何で現れるのでしょうか。キリスト教は数多くの逆境の路程を経ながら、新郎新婦の基準に向かって出てきています。(一七―七六)

歴史的な終末時代に、主はどのような資格をもって来られるのでしょうか。父母の資格をもって来られます。しかし、イエス様がこの地上に来られて父母の立場に立てなかったゆえに、すなわち栄光の中で神様に仕え、万民を代表して神様を慰労する生活的な基盤をもつことができなかったゆえに、メシヤは再び来られるものの、栄光の主として来ることができないのです。それゆえ、再び来られるメシヤは、イエス様がこの地に来られて完遂することのできなかったみ旨を継承し、実体をもって神様を慰安してさしあげることができる孝行の道理をまずしてから選択を受け、サタンまで屈服させて神様の前に栄光を帰することができる基盤を立てるまでは、真の父母の資格を備えることができないのです。(一七―七五)

この世界が燦爛たる文化を成すことのできない暗黒の世界であり、混沌の世界であり、荒廃した世界だとしても、真の父母と因縁さえあるならば、この世界は平和の王国なのです。それゆえ、有史以来今まで数多くの民族は、その方を標準として思想的な集中と精神的な集中と生活的な集中をしてきました。神様は外的には一つの世界を指向する立場で引っ張ってこられ、内的には宗教を中心として一人の主人に連結させる歴史を引っ張ってこられました。(一七―七七)

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