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文鮮明先生御言選集 20000210 - 世界と南北の統一は真の愛によって

작성자대태양/김현수|작성시간20.11.16|조회수466 목록 댓글 0

世界と南北の統一は真の愛によって
文鮮明先生ご聖誕八十周年記念式における御言
2000年2月10日
ソウル・オリンピック公園体操競技場


 南北統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様

 今、正に始まった新千年は、分裂と葛藤の先の世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆様の各家庭に、新千年の祝福が共にあられるように祈願いたします。
 初めに、私の八十回目の誕生日を祝賀するために、世界各地から訪ねてこられた皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光をお返し申し上げます。

 私の過ぎし生涯を振り返ってみるとき、ひとときも平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んだ民族の受難史とともに歩んできました。

 私は、十六歳の少年時代に祈祷をしているさなか、突然、神様のみ旨に接したのち、生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全心全力を尽くしてきました。
 そうして気がつくと、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落によって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果であったのです。このことによって人間は、神と人生と宇宙の根本問題等について、無知に陥ったのです。
 これまで私は、世界各地の公的な席上で、一万余回のみ言を通して、「神主義」に立脚した真なる人間観、世界観、歴史観を提示してきました。
 これは、十二種類の世界各国の言語に翻訳され、すでに三百余巻の書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明したものではなく、有形、無形世界を自由に行き来しながら、原論的、かつ根本的な答えを説き明かしてきたものです。

 きょう、私はこの意義深い場を感謝しながら、わが民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算といえる韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な回答として「世界と南北の統一は真の愛によって」という題目で、お話ししようと思います。
 我が国の統一は、単純に国土の統一だけでなく、これは堕落によって引き裂かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の二大世界に分かたれた全世界の統一のためのモデル的な路程です。したがって、この問題は神様の救援摂理観的側面から理解しなければならない事案であり、ゆえに摂理的次元から解いていかなければならないのです。
 人類歴史は、人間始祖が堕落によって失ってしまった本然の世界を再び取り戻すための蕩減復帰摂理歴史です。したがって歴史は、神様の創造理想を実現させるための目標をめぐってのサタン側と天側の善悪闘争の歴史なのです。

 歴史の背後においては、いつも善なる側は善霊が協助し、悪なる側は悪霊が協助してきました。人間の堕落によって始まった分裂の歴史は、家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった無神論と有神論の対決として現れたのです。

 二千年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていたならば、イエス様はユダヤ教を基盤として、ユダヤの氏族と民族を統一して、十二支派の後孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたことでしょう。ひいては、イエス様の思想が、中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方ではローマ帝国と全ヨーロッパを掌握して、イエス様の時代に、統一された一つの世界を成し遂げていたことでしょう。最終的には、イエス様を中心として一つの新しい宗教文化圏を形成し、王の王になられなければならなかったのです。

 しかし、イエス様が十字架で亡くなられることによって、それ以後、「肉身の文化圏」である人本主義のヘレニズムが先に発達してローマの中心文化を形成しました。一方、内的な「心の文化圏」である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、四百年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。

 人間始祖の堕落によって引き裂かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何を狙っているのでしょうか?。神様をはっきりと狙っています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、天地創造時に理想とされた基準も、永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンは、そのような神様のみ旨を破壊しようとするのです。

 神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められることでしょう。サタンが神様に、「神様 最初に私を天使長として立てられたときには、一時的な愛で立てられましたか、それとも永遠なる愛のために立てられましたか?」と質問するならば、神様はどのように答えられるでしょうか?。考えてみてください。

 神様は、「永遠に愛するために立てた」と語られることでしょう。一時的な愛で立てられたとするならば、一時的な神様となります。永遠に愛するという基準を持たなければ、いつかは、サタンの前に神様の権限を行使することができなくなるのです。ゆえに神様は、サタンがどんなに反対したとしても、彼を「愛した」という条件を立てるしかないのです。

 それで神様は、悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それは、どうしてなのでしょうか?。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就なさるときまで、いかなる環境の中でも、堕落してサタンとなった天使長を愛さなければなりません。

 神様は、サタンがいくら跳梁跋扈するとしても、罰したり、打ってしまわれることができないのです。どのような状況においても「愛した」という基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられる。降伏しました」と告白しない以上は、神様は完全な勝利を成し遂げられることができません。それが問題なのです。

 神様が、そのようにサタンを愛されることによって屈伏させることが復帰原理的な道であるならば、神様の子女となった私たちも、やはりその道を行かなければなりません。

 世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立つとしても、彼らを「愛した」という条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈伏させようとする神様の戦法は「怨讐を愛しなさい」ということでした。一度、言ってみてください。「怨讐を愛しなさい」。(「怨讐を愛しなさい」)

 内容は簡単ですが、これが神様とサタンの闘争の勝敗が分かれる境界線となってきたということをだれも知りませんでした。

 神様が、サタンを敵であり、怨讐であると見なして、復讐しようという思想を持たれたとするならば、絶対に勝利の頂を手に入れることはできません。反対に、神様は「怨讐を愛しなさい」と言われて、愛の作戦を繰り広げてこられたのです。

 神様の独り子であられるイエス様が、サタンの役事によって自分のことを殺そうとしている怨讐に対して祈祷されたということは、偉大なことです。もしイエス様が、十字架で亡くなっていくときに敵愾心を抱かれたとするならば、摂理は逆転していたことでしょう。福を祈り、愛する心を持って死を克服されたために、サタンが自然屈伏したのです。ここが分かれ道なのです。

 永遠に神様の子女として残ることができる資格が、そこで生まれるのです。サタンもこれを是認し、「あなたは本当に神様の息子、娘である」と、サインするのです。

 皆さんも、神様の前で「サタンよ、私は神様の息子であることに間違いないだろう?」と問えば、「はい、間違いありません」と答え、また、「神様の息子として相対圏を拡大していくつもりである。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異見はないだろう?」と言えば、「はい、それは原理原則なのでしかたありません」と答えるように行動しなければならないのです。

 神様は、このような条件に従って、キリスト教文化圏を中心として摂理を推進してこられました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても神様を愛し、怨讐までも愛する運動を展開してこられたのです。私たちは家庭、社会、国家、世界において、この運動を展開しなければなりません。(拍手)

 キリスト教の愛の精神によって、激しく迫害を加えてきたローマ帝国が屈伏させられました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。
 これまでクリスチャンは、個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家であるとか、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。そうしなければ、神様は解放されません。

 怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成されません。このようにして伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上の基準で消化する主義は生じません。

 韓国が日帝下に置かれていたとき、韓国、日本、ドイツ、米国など主要な摂理的四大国家は、互いに怨讐の関係でした。その当時の状況では、日本と韓国が怨讐の関係であり、日本と米国が怨讐の関係であり、米国とドイツが怨讐の関係でした。

 ところで私は、このような怨讐関係にある日本人とドイツ人たちを米国に連れて行き、米国が神様を無視し、失ってしまったならば、滅び、死んでしまうので、「米国を生かさなければならない」と言って、真の愛の道理を実践しました。

 「日本やドイツの人たちにとって敵対関係にあった米国を、自分の祖国以上に愛することができる伝統を立てることなくしては、神様が望まれる新しい世界理念を立てることができない」と強調し、真の愛の伝統を教えたのです。

 怨讐の関係にある国家を、自分の祖国以上に愛することができる基盤と伝統を成さないかぎり、地上に神様は顕現なさることはできません。このような歴史的な伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。(拍手)

 私は、米国連邦政府から屈辱を受けながら、罪なく法廷に立ったとき、米国の未来を心配しながら保守正論紙である「ワシントン・タイムズ」を発刊し、放送局を設立させるなど、むしろ米国を生かすために、あらゆる努力をすべて尽くしたのです。

 近来では共産主義の没落以降、ロシアと中国の未来を心配し、数十種にも上る各種教材を出版し、青少年を中心とした倫理教育に多くの支援をしています。

 皆さん。日帝下で反日地下運動をした私にとって、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろんのこと、個人的にも怨讐でした。しかし、日本が敗戦した後、私は日本人を愛しました。

 「地下独立運動をした」と言って、私を引っ張って行っては、ひどい拷問をした日本の警察官たちは、私が一言でも言えば、皆、死刑になるところだったのですが、反対に私は、追われている彼らを安全に送ってあげたのです。

 今日、日本の多くの若者たちが、なぜ私に対して、永遠なる生命を懸けて忠誠をなしているのかお分かりですか?。因果の法則に従って、報いなければならない原則があるためです。それは国家を超越し、神様の心情的なみ旨に従って、世界に向かって真の愛を植えたからです。(拍手)。

 国家的な怨讐を愛しながら生きる道に導く心情的な基盤を植えたので、自分たちも知らずに天命に従っているのです。

 天は、滅びる者をさらに打つようなことはされません。自らの罪を自白して、おとなしく謝罪する者に対しては、哀れみをもって対されるのです。そのような天であられるので、敗者に対してさらにやいばを執って打つようになれば、打った者の後孫が滅びるのです。(拍手)
 米国もやはり、私を敵対視した国家です。しかし私は、道徳的に塗炭の苦しみに陥った米国を救うために、父母、兄弟を後ろに置いて、祖国を振り返ることなく、カイン世界を救うために、私に属しているすべてのものを捨てました。

 また、既成教会が統一教会をどれほど憎んだでしょうか?。彼らにとっては怨讐であると言えます。しかし、怨讐のように闘ってはなりません。お互いに愛で和合しなければならないのです。二つが和合して、大韓民国を天のみ旨の前に立て、以北(北朝鮮)を消化しなければなりません。解放直後に、既成教会と統一教会が一つとなっていたならば、すべてのことが解決されていたことでしょう。

 しかし、そのようにならなかったために、私たちが行く道の前途には絶えず、個人的、家庭的、氏族的、民族的な怨讐たちが立ちはだかってきました。それらと闘ってきながらも、闘わない条件を立てるために無限なる犠牲を払ってきながら、受難の道を克服して今日まで来たのです。

 内外の貴賓の皆様
 すでに北韓の人たちは、全国民が皆、「主体思想」で武装しています。私たちは、彼らを消化することができる「真の愛の思想」で武装しなければなりません。北韓は、ソビエト文明から来た冷たい風が吹きつける北方文明です。サタン世界の文明です。私たちは温帯圏の文明によって、彼らが自ら溶けていくことができるような作戦を採らなければ、お互いが滅びるのです。
 ですから私たちは、徹頭徹尾なる「真の愛の思想武装」をしなければなりません。(拍手)「真の愛の思想武装」です。(「真の愛の思想武装」)。この真の愛は、個人、家庭、氏族、民族、そしてこの天宙の万物と神様までもが必要としているものなのです。

 私たちの思想は、個人の欲望のためのものでなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。

 「より大きなもののために生きよう」という思想です。しかし共産主義者たちは、共産党員たる何人かの幹部を中心としてなそうとするのです。それで彼らは、自分の敵となる者が現れれば、それを除去してしまうのです。

 しかし、私たちはそうではありません。「相対的環境と和合して一つとなって、より高い次元の相対的基準を成そう」。すなわち「カインとアベルが一つとなって、より高い父母を迎えよう」という思想です。
 言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕することができる私たちとならなければなりません。

 私たちが彼らに影響を及ぼすことができる環境を持たなくては、カイン国家を復帰することはできません。カイン国家を復帰することができなければ、天の国を中心とした世界的な国になりうる復帰の国家が成立しないのです。問題が大きいのです。
 したがって、南北韓は分断されましたが、北韓と闘わずして解放しようというのです。ゆえに、お互いが利益となることができる思想を捜し求めなければなりません。

 皆さん。現在、南と北が食い違っています。方向が異なった立場で、一方は南に、もう一方は北に行こうとする分かれ道があるのですから、その目的が異なっているのです。

 どのように統一されるのかという問題について見るとき、深刻です。その主体的使命をだれがしなければならないのでしょうか?。皆さん全員が、しなければなりません。それを南韓が主導するようになるというとき、北韓が反対するでしょうし、北韓が主導するようになるというとき、南韓が反対することでしょう。互いが「我々がしようと言うとおりにしよう」と言うときには、成されません。自分自身に固執する立場からは、必ずまた決裂することでしょう。

 これをどのように克服するのかということが問題です。問題は、南韓の人の中で、南韓を愛する以上に北韓をもっと愛する人が出てこなければなりません。同様に、北韓の人で、北韓を愛する以上に南韓を愛する人が出てくればよいのです。それ以外に、模索方案、解決方案はありません。(拍手)

 南韓のどこのだれよりも、もっと国を愛する人、北韓のどこのだれよりも、もっと国を愛する人、そのように一つの道を行く人がいるというとき、そこから統一方案が出てくることができるのです。それ以外に道があるでしょうか?。どんなに考えてみても、それ以外に道はありません。
 そうだとすれば、これをどのように実践するのかが問題です。それは、北韓の人よりももっと苦労し、南韓の人よりももっと苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が、南北韓を生かす近道であり、解決方案です。(拍手)

 悪なる世界と善なる世界を統一することも、やはり同じです。今まで、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張することができる人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾することができるのです。

 そのような意味から見るとき、イエス様は偉大でした。ユダヤ民族が不信して、十字架の道を行かざるをえない立場になられるや、「神様のために生き、イスラエル民族のために生きる道は、神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬことしかない」と考えられたのです。それが十字架の道理です。(拍手)

 人類を愛することにおいて、有史以来、だれよりも人類を愛し、神様を愛することにおいて、有史以来、だれよりも愛したので、滅びるようであった歴史が、そこから新しい方向を取って、より次元の高い善の目的の世界に向かって復活し、進出したのがキリスト教文化圏です。それは歴史的事実です。

 したがって、南北を統一することができる方案は、南と北のために死ぬことのできる群れとなる道しかありません。それ以外に、統一することができる道はありません。本当に「共に生きたい」という心がなければいけません。

 人間がどのように生きるのか、あるいは、私たちの人生路程をどのように行くべきかということを念頭に置いて見るとき、その骨子をまとめるならば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。

 まさしく、「永遠に共にいたい」と思い、「共に生きたい」と思う心です。上、下を問わず、「共にいたい」と思い、前後左右、昼夜を超越し、生涯を超えて、共に生きたい思いに満ちた人生のことではないでしょうか?。このような結論が出てくるのです。

 「共に、一緒に生きたいなあ」と思う、その内容の共通分母は何でしょうか?。それは権力ではありません。権力は歴史を超越することはできません。それは一時のものです。
 知識もやはり同じです。知識世界は発展するものです。知識の世界で、「この学問とともに、永遠に共に生きたいなあ」という思いがあるでしょうか?

 確かに、私たちが共に生きることができるのは、知識でもなく、金銭でもありません。

 このように見るとき、上や、下や、前後左右に関係なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から見て、共通的に認定することができる一つの分母とは何でしょうか?。これがすなわち、神様を中心とした真の愛、ということになるのです。(拍手)

 それで「孝子」とは、家庭において父母を限りなく愛して生きる人です。また「愛国者」とは、国をこの上なく愛して生きる人です。「聖人」とは、世界万民をこの上なく愛する人であり、「聖子」とは、人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。

 ゆえに、愛国者の心のように「民族と共に生きたい」と思い、民族が困難なときには、その困難をそのまま自分のこととし、それを自分の痛みとし、喜びがあるとすれば、「それは過ぎ去る喜びでなく、永遠なる私たちすべての喜びとして残りうるものでなければならない」と誓うことのできる、真なる心情の基盤が問題なのです。

 真なる愛と心情の因縁を持った人には、統一圏に同参することのできる特権があります。

 皆さん、文字を全く知らない女性でも、博士と結婚して愛の因縁を結ぶならば、一日にして博士夫人になるでしょう?。このように、「共に生きよう」という情の因縁をたくさん持った人は、今日、統一圏に堂々と参席することができる特権があるのです。

 神様ご自身が、そのようなおかたであられるために、一つとなることができる生活内容を持てば、同参することができる資格が自動的に付与されるのです。

 それならば、南北統一はどこから、何をもってするのでしょうか?。力で屈伏させるならば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。その方式では、統一を成し遂げることはできません。たとえ以南の地で暮らしてはいても、以北で暮らす彼らと本当に「共に暮らしたい」という心、「一つとならなければならない」という心があってこそ、統一の道が開かれるのです。

 北韓を思いながら胸が詰まり、哀れに暮らす自らの同胞のために涙を流し、「あなたがたの困難とともに私は生きている」と思い、「解放の一日のために準備し、皆さんの前に現れるつもりである」と誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。(拍手)

 皆さん、その最初の段階として、郷土とともにどのように生きるのか、ということを考えてみなければなりません。自分の父母とともに生きたいとは思わず、郷土とともに生きたいとも思わない人が「国を愛する」と言っても、その言葉は偽りです。

 国とともに生きてこそ、世界とともに生きるようになっています。そして世界とともに生きてこそ、神様と生きるようになっています。ですから郷土を愛し、その地域社会を愛してこそ「愛国」も可能なのです。

 政治をする私たちの指導者たちが、国をどれほど愛しているでしょうか?

 彼らに、国民とともに本当に「共に生きよう」という心がないときには、そのような政治家は流れていってしまうのです。どんなにりっぱな人でも、水の泡のように流れていってしまうのです。

 引き裂かれた南と北が、そのまま一つとなることはできません。愛国同士たちが闘争するその過程では、昼夜寝ないで、時間を超越して、困難な環境を克服することができる心の決意と実践が必要なのです。

 「本当に、共に生きたい。死んでも共に死に、生きても共に生きたい」という、そのような心を互いが持つようになるときに、南北統一運動は始まるのです。

 南北統一を成し遂げるようになれば、民主世界と共産世界の統一もここから始まるのです。

 そこで、韓国の問題が気掛かりなときは、世界を代表した立場に立って、六十億人類を代表し、三十億のアジア人を代表し、民族の将来、世界の将来を見通さなくてはなりません。
 そして「私は、あなたがたとともに、本当に共に生きる運動を展開するつもりである」という誓いをしなければなりません。

 このことが「聖人」の道理に通じれば「聖人」に似るのであり、「聖子」の忠節を持って神様に対して実践すれば「神様の相続者」「み旨の後継者」となるのです。そのことを私は、生涯を通して確証したので、きょう、皆様にこのようなみ言を伝えているのです。(拍手)

 内外の貴賓の皆様
 神様と真の愛の因縁を結ぶようになれば、必ず、主管権と所有権、それから相続権を持つことができる特権が付与されます。力学では、入力よりは出力が小さいのですが、真の愛の世界では、入力よりも出力がもっと大きいのです。

 真の愛とは何でしょうか?。それは、ために生きる愛なのですが、「与えては、ただそのまま忘れてしまう」というものです。事新しく与えたことを記憶することすらしないのです。さらにまた、どんなに降り注いでも、疲れるということを知りません。九十歳を超えた親が、七十歳になった息子に「息子よ 車に気をつけるんだよ」と言っても不自然ではなく、何十年間、その言葉を数限りなく繰り返したとしても、嫌気がさしたり、疲れたりするということはありません。

 堕落したこの世の中の親ですら、このようであるというのに、いわんや本質世界で、父母なる神様の愛を授け受けするというとき、疲れるなどということがあるでしょうか?
  人生において真なる神様の対象圏を確定し、真の愛の栄光が不変であるということを初めて知るようになるときには、永生の論理を妥当化させることができるのです。

 私が、去る一九八四年に、何の罪もなく米国の監獄に入り、獄中のベッドに独りで横たわっているとき、神様が訪ねてこられて、「信ずべき者はお前しかいないので、ニカラグアの事態を解決しなさい」と命令されました。神様が訪ねてこられる人間が、一体、私しかいないというのでしょうか?

 先進国を代表するという米国には、二億四千万という国民と、数え切れないほど多くの教役者(宗教活動に携わる人)がいますが、彼らを訪ねていかれることができず、私を訪ねてこられた神様が、どれほど哀れであられるか、推し量ることができるはずです。
 しかしながら、神様は愛を尋ねて行かれるすべをご存じなので幸いでした。神様は、昼夜、世界のために心を配る私を訪ねてこられたのです。そのとき、私が「ワシントン・タイムズ」を全面に立てて世界のために働かなかったならば、南米はすでに廃虚となっていたことでしょう。

 紳士淑女の皆様
 わが民族の念願である南北統一は、この時代の神様の願いでもあります。北韓と南韓を統一させ、神様が安息されうる基盤を、皆さんの家庭と私たちの教会に築くことを天は願っていらっしゃるというのです。

 それでは、神様に何をもって侍るというのでしょうか?。何をもって、これをすべて皆、きれいにぬぐい去るべきでしょうか?。何をもってぬぐい去ってこそ、神様が「きれいだ」と言われるのかというのです。
 それは、ほかでもありません。自分の父と母を愛する以上、夫、妻を愛する以上、子供を愛する以上、真の愛を中心として祭物的な祭壇を築こうというその立場から、初めて理想的な南北統一がもたらされるのです。理想的東西文化の統合が起こるのです。分離されていた地上世界と天上世界の理想的統一が起こるのです。地獄と天国の解放圏が始まるのです。
 それで、真の愛のキー(鍵)が必要なのです。(拍手)それを持ちたいですか? 「神様のキーを持とう」。一度、言ってみてください。(「神様のキーを持とう」)。神様の祝福があるように祈ります。

 自らの心と体の愛による統一は、家庭的な愛の統一と、常に互いに通じることができるのです。家庭が和合した愛の夫婦は、家庭だけでなく、その氏族にも通じることができます。

 愛し合う夫婦が一つになれば、それをだれがそしり、蹂躙することができるでしょうか?。和合した家庭、和合した民族、和合した政府、和合した世界、和合した天地、和合した真なる人間愛と神様が一体となった、そのような世界が、真の愛のユートピアではないでしょうか?

 すべての植物が、太陽の光を生命の要素として吸収することと同じように、人間にとっては、愛が生命の要素となるのです。私たちの願いは、永遠に真の愛とともに敬い、慕いながら生きることができる地上天国や天上天国が建設されることなのです。

 しかし、この世の中には、すべてのものの主人格として登場することができる驚くべき人生の価値と、その特権的な権限を持った真の愛の主体者、あるいは対象者が、果たしてどれくらい存在するでしょうか?

 きょう、この場に参席された皆様は、どうか、このことを忘れないで、心と体が一つとなるように努力することによって、自分の夫と妻のために生き、愛するところから、家庭と、民族と、国家と、世界を愛することができる真なる人となるように願います。(拍手)

 もし、そのようになれば、南北統一はすでに成されたも同然です。どんなに強い「主体思想」であるといっても、神様の愛の中では力なく吸収され、消滅してしまうことでしょう。真の愛をなす心を持つようになれば、南北統一は絶対に問題にはなりません。

 そればかりでなく、東西問題や世界的な南北の貧富の格差の問題も、この神様の真の愛をもって完全に解決することができます。
 このような神様の理想を中心として世界の理想を消化し、そこから国家理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人にまで連結することができる理想世界の平和的無限境が成し遂げられることによって、この地上に真の愛の平和世界が建設されることは間違いありません。(拍手)ありがとうございます。

 内外の貴賓の皆様
 私は四十余年前から、今、ここでお話ししたように統一の根本原則を宣言し、国内外で「神主義」を中心とした理念運動を土台として、周辺の四大強国に統一の国際的な基盤を造成してきました。韓国や日本、米国などで、おのおの数百万を超える会員たちが、国際勝共連合、カウサ(CAUSA)運動などを行って民間基盤を構築してきたのです。

 これまで私が主張してきた「神主義」は、唯物論、無神論の相反する価値観の統一はもちろんのこと、世俗的人本主義を解放することができる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界において検証されました。
 南北統一を熱望する愛国同胞の皆様
 私たちは皆、共に真の愛の「神主義」によって、私たちの価値観を定立し、国民思想武装に総決起しましょう。(拍手)私たち自身と、韓民族と世界平和のために「南北統一」を信仰化しましょう。
 そして、この新しい役事と召命に勇ましく立ち上がって、南北統一運動において、私たちすべてが先頭に立つ義人と指導者になりましょう(拍手)

 真心より「共に生きたい」と思う真の愛、怨讐までも愛そうとする心で、真の愛の温気を北方の地の同胞たちに送りましょう。これが宿題です。

 特に、最初にエバの失敗によって歴史が誤ったので、終わりの日には、女性たちが先頭に立って、愛の母性で青少年の和合と統一の新しい歴史を創造しなければなりません。
 女性が過ちを犯して種をまいて、すべてが滅んだのです。ですから、特に女性の使命は、子女格である青年男女、および学生たちを、真なる教育を通して真なる子女たちに復帰しなければなりません。
 教育すべきことは、私から学ばなければなりません。神様の教えられる教育方法を知らないのならば、学ばなければなりません。

 そうして、さらに夫まで、この教育を通して真なる息子として復帰し、和合して神様を中心にして侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。

 いま一度、きょうの私の話が、南北韓が共に一緒になって真の愛によってまみえる、その日を早まらせる汎国民運動となるように願いながら、私の話を終えようと思います。

 神様の祝福が、皆様の家庭に共にあられることを祈願いたします。ありがとうございました。

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