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文鮮明先生御言選集 20060208 - 根、骨、深い谷間になれ 7

작성자대태양/김현수|작성시간22.05.21|조회수16 목록 댓글 0

文総裁も全羅道の人

文総裁がどれほど有名かわかるか?韓国では全羅道の人たちをくだらない金物と言うがそれ以上悪い人の取り扱いを受けた。全羅道の人に唾を吐くじゃないか?ペッペッ!先生と近い友人も全羅道の人が多かった。多かったが文総裁をあらゆる方面で利用して食べた。全羅道の人たちが出世をよくするのだ。どこに行ってくっついて、ここにくっつきあちらにくっついてずるいお調子者になって全羅道の人が・・・。臨時で食べる人は良いのだが、全羅道の人を3年以上使えば滅びる。3年後にすべて知ってからは自分の風呂敷包みをまとめて、盗んで逃げる。

何故?全羅道は完全に稼いでおく運動をする道士たちだと言うのだ。(笑い)全羅道がそれではないのか?羅州、‘ボリル(벌일) ラ(라:羅)’の字か?修羅場という時に使う羅だ。完全に全羅道を信じるなと言うのだ。(笑い)

春の園に行くようになればその主人が誰か?労働場であれば労働場の班長をする奴が全羅道の人であって、平安道の人と咸鏡道の人は汁もないのだ。全羅道の人は目が生じるのを見れば山が高ければ目も一か所だけ眺めるのでそうなのだ。だからごつごつしては醜いようだが、顔は厚かましいほどに見眼がよかったのだ。(笑い)何故笑う。

私も全羅道の人ではないのか?南平(ナンピョン)!(笑い)南側の国で楽だ。南太平洋の中で一番水平になる南平だ。また文氏だ。文氏は祭壇を言う、祭司長。そうじゃないか?(文)、祭司長がそうだ。一つの水平の中で一つの祭物(供え物)を置いてそれを受けて4つの足が伸びている‘ムーン(:文)’の字ではないのか?

その名前がなにか?今名前は二番目の名前だ。私が復帰するために変えた。むかしは‘ヨン(龍) ヨン(용:龍)’の字だ。龍明だった。世の中のようであれば自分の元の名前を変えたとすれば教えてくれないが、‘ヨン(龍) ヨン(용:龍)の字に‘パルグル(밝을)ミョン(명:明)の字だ。雲に乗って通った。真理の供えるお膳が夢に乗って通ったと言うのだ。雲に乗ってひと月と友達と生きたのだ。や、その龍明と言う名前が真の・・・。

そう、‘ヨン(용:龍)’の字がかかった人は苦労するとか出世する。我が平安北道で‘ヨン(용:龍)’の字を使った人が李明龍だ。3・1運動の功臣者であり、造船業とかそこの先祖になるヤンバン(両班)なのだ。こ奴の子供たちが統一教会を反対したのだ。キリスト教を信じる核心要員だ。その婿たちがアメリカに行って勉強し、嫁まで失った夫が行った所を訪ねて行って、一人で女が天理院正の男を訪ねて戻って来た家だ。有名な家なのだ。金持ちなのだ。暮らし向きがよい。

李家だ、李家。木陰の下では暮らし向きがよかった。そうじゃないか?李家なので。木陰では暮らし向きがよかったが空中では生きられない。文総裁はその反対だ。反対になっていると言うのだ。‘文’の字が反対になっていて、龍明は雲と友で世の中では関心がない。

愛国的な生を生きて行った従祖父

そう、李明龍と言う人が徳興教会を建てた人だ。定州に和信百貨店をつくり、五山学校を建てる時わが従祖父と友人たちだ。李承晩(イ・スンマン初代大統領)の博士とも友人なのだ。五山学校を建てた人の中の一人なのだ。李博士が大統領になってわが従祖父が牧師をして前線に住むのでヘリコプターで人を3回づつ招請した。その時来たとすれば私が自由党の創始者になったでしよう。李博士が出て韓国を売って良く住んできたと思って訪ねなかった。

その時は既成教会の5大名士の中で一人が私だった。おじいさんがそうだったとすれば間違いがない。我々のような人が天下を取って座って訪ねたとすれば何故韓民族がこのようになったのか?我々のおじいさんが怨讐まで愛する私のような思想を持ったとすれば、政治をすることに自分が改革する為でも先頭に立ったとすれば私が苦労をしない。

そう、我々の従祖父、そのおじいさんが漢学者だ。咸鏡道から江原道から慶尚道から東海岸の地域を日帝の統治期の時は漢学者たち、周易を研究した、中国にもいない預言者たちが夥しかったがその山川の境界を訪ね回った。独立運動をして監獄生活そして出て来て要注意人物だった。先生のように2年8か月監獄生活をした。

そうしてある財産、自分の兄の財産全部すべて上海臨時政府に根こそぎ東拓会社(東洋拓殖株式会社)に抵当として取られて寄付してから、牧師がその事をしたことがあらわになれば大変だったではないか?その時はキミ(期米 ; 米豆、米穀の時勢を利用して約束だけで取引する一種の投機行為)と言うのがあった。最近の株と同様だ。数千石、数万石を一度に買うのだ。連絡だけするようになれば、その名簿の中にある人がするようになれば間違いなくその通り信じてあげなければならないのだ。百万石、数十万石を買うと言うようになれば米の値段が上がったり下がったりそうなのだ。

だから期米は賭博と同様だ。カジノと同様だ。牧師がそれをしたと噂が立てばうるさくなるので夜逃げをしたのだ。牧師が本職以外のことに手を付けて、期米をして滅んで夜逃げしたのだ。

日本人たちが国内にそのような愛国者がおれば上海臨時政府に対して助けて入って来るのでありえるのか?維持しようとするので最後に守った人たちを中心に命令をするのだ。その命令を受けて遂行しようとするので仕方なく募金できる責任者の立場で財産は兄の土地以外になくだから根こそぎして期米をしてばれて逃げたと言ったのだ。こうして避難生活をしたのだ。

私が赤ん坊の時に見たそのおじいさんの顔が美男子で傑出し器量の良いおじいさんなのだ。私もあのおじいさんよりももっと美男子でもっとよくならなければならないと思ってそうだったが、そのおじいさんがいない時にはおじいさんがいる所に連れて行ってほしいと言った。オモニ、おじいさん、近所のおばさんたちやその息子娘たちがそのような内容を知ったのでどこかに連れて行ってくれどこにいると言う話をするようになっている?私が15,16歳の時は全羅南道から八道江山をすべて通して旅行した時なのだ。だからそのおじいさんをどうかして訪ねて行ったのだが・・・。

龍明と言う名前のように龍に乗り雲に乗って通った

五山高普は我がおじいさんと李昇薫(イ・スンフン)氏が建てたのだ。長老として建てたが、最近ではよくわからないのだ。愛国思想を五山出身、韓国の文人だとか思想家は五山学校で教育したのだ。そう、私も漢文学者の我が家で勉強させれば家庭が滅んだと言う噂が立った。賢明な孫たちを勉強させれば日帝の統治期の時には全部すべて死ぬ。勉強させるなと言うのだ。

だからソウルに行って勉強する子供たちは必ず病にかかってきた。しおれて生気がなくすべて行くのだ。従祖父もわかる。長子よりも二番目の奴は、私が二番目の奴だが賢明なので勉強させるなと言ったのだ。そう、漢文は勉強した。16歳まで『論語』、四書三経がどうだと言うことを知ってと言うことだ。

そう、私が文章を書いて勉強しようとしたが、本を求めることがどれほど大変だった?千里の道をいとわず歩んで通ったそのような時代なので。漢学は勉強しなさいと言ったがと言うことであり、逃げることができる所は中国以外になかった、ソ連と。新学の勉強もさせないと言ったのだ、おじいさんから家庭がそうなので。

頭で見れば我がおじいさんのような人は頭が大学者にもなりえるおじいさんだった。三国志のようものは一度、二度聞いてすべて覚える。録音よりもよい。そのようなヤンバンなので大学者になりうるが・・・。我々のアボジも讃美歌がその時4百数章になるのを持たずに通う。何章と言うようになれば全部覚えているのだ。‘あんたたちでも記憶するのであって、おじいさんは記憶すれば何をする?すべて忘れる時なのに何故そうか?’と言って次次々と覚える。

そうしながら従祖父がおじいさんにお願いしたことが、五山学校が中学校4年生だったが1学年から4学年まで勉強できるものを自分の甥になるわがアボジ、長男の長男の前に勉強ができなければだめなので本を買ってあげた。4年以内にこれを熟達するようになれば、‘頭が良いのであんたは間違いなく熟達するが熟達すればあんたを私がアメリカに送ってあげる、宣教師を通して。’そうだった。その時おじいさんが試験をして間違いなくなればアメリカに送ることに約束してわがアボジはその約束を信じて漢文の勉強もせずそれを勉強したので開けたのだ。

そう、アボジが熱心に勉強するがそれは私が学ぶ漢学でない。新しい現代教育なのだ。飛行機とか何とか化学とか物理とか歴史のようなものが全部出てくるのだ。それをずーっとそのまま夜とか昼とか覚えている。そうだったために4年後に何完全に熟達だ。そこにどんな試験の問題でも100点取ることができるようになったために‘あんた今や私がアメリカの宣教師たちをよく知るので・・・。’英語をよくするのだ。平壌神学を出てそのような時学んだのだ。その時革命をした。こうして英語もよくし漢学をよくした。愛国闘士たちと彼らを教育しようとするので・・・。

詩文書を書く所は我々のアボジがアジアにまで噂になったと言う話を私が聞いた。詩をよく書いてそうなので。先生も子供の時、12歳になればすでに詩に対する関心を持ったために16歳になる時に書いた詩一遍が残されてアメリカで7年前に出品したものが世界文学賞の一等賞を取った。先生も頭が悪くないだろう?「はい。」含蓄性がどれほど大きいのかわからない。

先生は勉強よりも、世界文学全集とかこのようなものを見てすべて投げ捨てた。全部すべて嘘だと言うのだ。私はそのようなことをしなくとも一日の夕方に長編小説を一つづつ描き出すことができると言うのだ。私が監獄にいてお腹がすいた人、哀れな人にそのような話をしてあげれば頭(かしら)なるのだ。ワンマンショウをよくする、ワンマンショウ。馬に乗って走るカツンカツンと・・・。私が申年なのでそうかもしれないが真似をよくするし木にもよく上がり、人ができない冒険もよくしてそうだ。名前も龍明なので雲に乗って通うのではないのか、雲に乗って?そうだった。

神様と友人で、夢示を見るようであれば龍に乗って空中を通ったのであって、歩いて通わなかった。目で見てもそうだ。昔に何だと言うか、しわをつかんで通う人を何だとそうか?「縮地法!」縮地法のようなものは問題ではなかった。龍に乗って‘行こう!’と言えば飛んで行くのだ。(笑い)目を閉じれば行くのだ。

そのような話は子供たちや好む、歳をとったおじいさんはすべて通り過ぎる話で・・。おじいさんになったので似合わないが春の季節において目の間に咲きたい花たちのようなもの、目の中で美しい花が咲くようになればそれは園の誇りであるのと同様であり、そのような花たちを心配する心を持った、そのような時を知る人々は園のそのおじいさん神様の代わりに人の世界に天使が現れてそのような遊びも教えてあげてすべてそうだと言うのだ。 

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