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文鮮明先生御言選集 20060214 - 本然の道とカイン世界克復 5

작성자대태양/김현수|작성시간22.08.30|조회수22 목록 댓글 0

   『天聖経』のみ言葉を標準について行けば正しい道に行く

 そこで訓読会をしながら私が霊界に行く前に一言でも違えば、助詞が異なれば正しく掴んで置かなければならない。助詞が違えばそこにサタンがしきりに出入りし、罪人たちが地獄から天国に行く門もすべて開けておいてしきりに出入りするのだ。しきりに出入りするようになればそれが無いことと同様だ。そのようなことなのだ。分かるか?「はい。」今や分かると言う人手を挙げてみなさい。何故あの平和大使は一番後で聞く?(笑い)先に聞かなければならない。

 そこで先生がどこかに行くときは壇上で言うようになれば、言葉に節がいるのと同様であるがその順序が違って尾をつかむことができないようになれば問題とみなすのだ。その前までは絶対服従だ。神様が一人赤ん坊が一人同じく尊敬しなければならない。

 『天聖経』が貴いと言うことが何か?この言葉を中心に、標準にして聞くようになれば前後関係が反対にならない。ついて行けば正しい道に行くために‘天聖経’、天の聖書だ。ついて行けば良い所に行くと言うのだ。だからこれを無視する人はご飯も、もてなしもよくするなというのだ。

 我々統一教徒たちはそのようなことをすでに知っている。先生が今でも霊的地的!天的であれば地的!霊地という言葉、‘タン(땅) チ(지:地)’を‘ある(알) チ(지:知)’と読む時違えるのですぐに私が指摘するじゃないか?相対基準がなっていない。

 そのように生きた人がある団体に行って生きることができない。行くようになれば眠りの場が異なる。この家の一番良い場なのでぐるぐる回って10分であれば10分を過ごしてみて場をとらえなければならない。反対でも、寝て、南北に枕をしておいたが東西にも寝てこうしておけば眠りが来る。そうでなければ夢の場が荒々しい。だからどこに行って寝ても、いくら豪華な王宮の王夫婦が愛する奥の間に持って来て置いてもわかる。間違ったと言うのだ。分かるか?

 国で立派な培地(badge)をつくるがその培地が何をするのか?方向をつかんであげること、‘私について行くようになればよい人になる。’これだ。これが思い通り生きて手本になることがどこにある?統一教会の教徒たちがどれほど先生の欠点をつかむために研究するが、いつでも一生涯そのように生きるのだ。

 飛んで行く雁の大将であれば前に立てば死ぬ時まで、疲れてだめになる前まで飛んで行くことが間違いなく自信があって行かなければならないのだ。行って中間に‘アイグ、私これが良くて他の所に行く。’と言えない。行かなければならない目的が何か?千年万年を行ってもだめなのだ。そのような時は地に降りて来て休んで正しくとらえて行かなければならないのだ。

 そのために宗教生活が必要です。厳粛な天をに侍ることができる、ー東西南北の防水がすべて違うじゃないか?ーその場に入るようになればすでにわかる。体心が場をつかまない。水が揺られるが中央に立つことができるか?水平まで中央の中央にあらねばならないが、漂うのだ。

   自分の目の中の梁を知らず人の目の中の埃を評してはならない


 何分話した?私が取って食べたのか?丸20分取って食べた。しかしながら結論がだめだったために、結論をつけて取れば確実であるために結論付けた。さ、継続しなさい。

 訓読するアガシ(娘さん)、訓読女か、訓読母か?「訓読士です。」‘ジュグル(죽을) サ(사:死)’の一番初めには思い通り初めには思い通り行ったり来たりして読むのも間違えてすべてそうだったが、少しだけ送り仮名が異なっても私が是正したので今では相当に正しくなっている。正しくなっているのだ。長い咳をしても、咳をしてからも忘れずその場に戻るのだ。普通の人は行を忘れて上下・前後・左右を知らない。

 訓読おばさんはそのような場で訓練したために、いくら咳が出てもすぐにその場に戻ってするために咳をしない人よりも、一度咳をしたとすれば他の所に行って出発するが、咳を数回しても本然の場で出発するので有利なためにそのような不便なことを知りながらもさせる。何故おかしく考える?「いいえ、CDには咳がなくよく出ます。」(笑い)また音色に対して習慣になっている。

 お母さんお父さんのお話は習慣になっているために良くても聞かなければならないし、悪くとも聞かなければならないのだ。(笑われる)悪いと聞いては大変だ。自分が悪い気分を持って聞けばお母さんお父さんが本当に話したことがそれると言うのだ。前後がどのようになったものを知るために子供たちをそのようにだけ掴んであ放蕩息子になれと言ってもなりえない。

 統一教徒たちが先生を一生涯、40年間ついてくるが何の論難が繰り広げられて‘こやつめ、あんたいたずらに考えて答えるのか?’と言う時‘何故先生は私だけ見てそうですか?’と言えばすぐに問題とみなす。あ奴の子供は大きなことを任せられない人だと言うのだ。
文総裁がどれほど監獄で・・・。取り調べれば取調官を私が教えてあげるのだ。文字も女史が間違ったとすれば‘助詞が違います。それでは今後裁判正の前で何番であり間違った検事は追放されるじゃないか?それを直しなさい。’と言うのだ。座って一週間にだけなれば友人になる。私に尋ねなさい。‘これがこうなのか、どうなのか?’というのだ。

 さ、おかしく考えることではない。すべて同じ人なので他の人になって千態万象が異なったと言う事実、これが大きな禍なのだ。‘ブル(불) ファ(화:火)’の字だ。火を点けて燃やしてしまって煙が出なければならない。煙が出れば残りの灰までも飛んで行くのだ。‘フィーック!’呼ぶようになれば目に来て覆いかぶさる。前から吹けば覆いかぶさるのではないのか?

 そう、聖書にもそうじゃないか?自分の目の中に梁があることを知らず人の目の中にある埃を評してはならないのだ。その人に悪いことがあれば悪いことを私が代身して解いてあげる意味において百の過ちがあれば百列ほどは許すことができる心をもって90点だけ行っても100点を与えることができなければならないのだ。そうすれば後孫たちが先祖よりもよいのでありうるが、100点だけ引いておけば万年100点をえられないがいつでも90点でも私は0点だと考えるのだ。さ!

   環境が異なったことを知るようになれば合わせることができる


 『・・・・・・サタン世界は地獄に行くのであり、神様の世界は天国に行くのです。それでは自主的な、自分のための世界は悪い世界に行き、公的な世界、全体のための世界は天国に行くのです。善悪の分岐点が私から繰り広げられる。

 皆さん、ここから一つは公的に行こうとし、一つは私的に行こうとする肉と心があります。心は公的であり、肉は私的な立場で闘争するのです。偽の愛、偽の生命、偽の血統で生まれたことを否定させてここで切ってしまって真の愛を中心とした真の愛・真の生命・真の血統も接ぎ木されて再び生きるこのような道を行くことが人類が行かなければならない道であり、個人全体が行かなければならない道です。」

 説明するのだ。体心が闘争の母体になるのだ。これがどれほど驚くべき言葉か?手術台に私がいてここに反対するのは切ってしまわなければならないのだ。最近に癌があれば種まで、流れる栄養迄、陰のようなものまで、肉芽でも切ってしまわなければならない。骨がそうであれば切って新しい骨を入れなければならないのだ。それは不可避なのだ。さ!

 『・・・・・・また初めて天地の中心として地の上に定着できる愛の王宮がそこから始まるのです。初めて愛の本源地が出発するのであり、また生命がそこから連結されるのです。そうじゃないか?血統がそこに連結されるのです。それと同時にそこから国が生じるようになります。地上天国天上天国が初愛の門を開くその場で、愛から始められるのです。これを知らなかったのです。

 本宮、わかりますか?その愛の出発地は地上天国の出発地であり、天上天国の出発地です。』

 本宮をすべて持っている、皆さんの本心は。千年前や今や死ななかったのだ。それがある為に可能だ。復帰と救援が可能だと言うのだ。さ!

 『男と女が絶対的に一つになる場です。その絶対的な場で神様が目に見えない性相と形状を分立して、人を創造し始めたことと同様に、女男が愛によって一つになって息子娘を産むのです。目に見えない神様が創造したものを見ることができる実体になって成すのです。

 血を混ぜることができる地からは愛です。血を混ぜることができるその軸がどこか?どこが発電所かと言えば、女と男のオモク(오목:凹)ポルロク(볼록:凸)が初愛をする所です。そこで初めて初愛として発電し始めるのです。真の愛の発電、真の生命の発電、真の血統の発電、真の地上家庭と友に地上天国の発電、天上天国の発電の震源地がそこです。」

 サタンはそれを一番悪い所として初めから場をふさいでおいた、一番良い所を。‘いや!ここで全ての万事が成就もされ万事が破壊もなるのだ。’そうかそうでないか考えてみなさい。

 そのためにどこに行っても衣服を3着来たとすればそこに4着を持ってきてかぶせろと言うのだ、7着!それをいたずらに使うことができない。3代おじいさんから尋ねて見なければならない。‘おじいさん、脱いでもいいですか?’‘お父さん、脱いでもいいですか?’その次に自分を中心にして心と体が‘脱ぎなさい。’と言えば脱ぐのだ。

 衣服を着た所において双対数である。三七だ。3×4=12,3と4と、東西南北の中心、これは必ず3だ。1,2こうすればこれが合うようになっていて、4になれば間違うのだ。合わない。そう、3×4というのは12数になっている。周易で言えば十干12支と言う言葉になっている。それがすべて仲間だ。中心の場を中心にして12数が相対的なのだ。

 韓国のすべての飲食制度は主体と対象だ。膳のようなものも七―飯床(訳注:ご飯、知るなど基本料理の外に七種のおかずを添えたお膳立て)だとそうじゃないか?七つを合わさって飯床器、それを調えるのだ。世の中に多くの種類の飲食を繰り広げておいて食べる民族は韓国民族以外にいません。朝食、昼食、夕食にできなくても10種、数十までなる?お客として行くようになれば大きな膳にいっぱいに置かれたが、アイゴ!

 先生が夏に暑い時、平安道に行こうと全羅道に行こうと同様にしておくので膳を見るようになれば背を向けて座るようになっている。あ、全羅道と平安道と気候が同じか?食べる習慣が同じか?全羅道のおばさんが平安道におれば全羅道の飲食をしておいて、平安道のおばさんが全羅道におれば平安道の飲食をしておいて、平安道の飲食を食べて習慣になっておればそのまま食べることができるが、種類が違うようになれば平安道の飲食をてきぱきとしておいて種類が違うのを食べたくなるのだ。

 キムチというようになれば平安道は水キムチ、全州のような所に行けば塩辛いキムチ!何故このように塩辛い?気候がそうなので塩辛くなければならない。塩が多ければもっと酸っぱくなるのか?それがそのようになったのだ。

 そのようなことを知るようになれば気候が異なり日光が異なるのだ。朝に私が起きる時は我々の故郷ではこうだが何故日がこちらに浮かぶ?すでに環境が異なったのだ。月のようなものも新月がこのようになることがわかったが、反対になっている。反対になっているのだ。

 だからその時は体が暑く生きたが注意しなさいと言うのだ。反対になれば反対を中心に暑い場にだけ行かず寒く準備しなければならないのだ。それを自分が知るようになれば合わせることができるのだ。さ、継続しなさい。これから30分まで終えよう。

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