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文鮮明先生御言選集 20060218 - 宇宙の根本は永遠な愛の光 1

작성자대태양/김현수|작성시간22.10.01|조회수23 목록 댓글 0

宇宙の根本は永遠な愛の光

2006年2月18日(土)、漢南国際研修院。
このみ言葉は朝の訓読会の時にされたものである。


 (敬拝)「信俊拍手、マンセー、ウインク!(オモニム)」(笑い、拍手)さ、訓読会をしよう。(『天聖経』 ‘人間の生と霊魂の世界’ 編 ‘第2章 霊界はどのような所か 1)霊界の実相と法度 ⑤霊界での衣食住問題は自由自在’から訓読)

 悪魔が改革するのは真の愛の光を照らせばすべて無くなる


 『・・・・・・宇宙の最高のおじいさんが誰かと言えば神様です。その次にこの世界を一つ作るが、全天地を一つにつくるのにその終わりの子孫が誰かと言えば未来の後孫だ。これを連結しなければならない。何で連結するのかと言えば家庭です。国ではありません。天国に行く所アメリカの人だと言って認定してあげません。後進国の人だと言って排斥しません。この主流、家庭組織を中心に神様のみ旨とともに過去・現在・未来を連結させることができるモデルの型だけを認定します。これが公式だということを知らなければなりません。そのようになった実を持って来て貯蔵する倉庫が天国です。』

 終わりの日にサタンは個人の破壊よりも家庭の破壊だ。家庭破壊は、人間に一番貴い物生殖器の破壊だ。すべて終わったのだ。サタン世界はすべて終わったのだ。ホモとかフリーセックスとかこのようなもの、神様の世界には夢の中でもなかった事実、神様のすべての理想を破壊させるために堕落の結果としてなされた応報的な実体圏だ。皆さんがそのように愛するという心に自由がありません。のみならず傷だけ残る。心配だけ積まれる。

 それをどのように清算するのか?霊界に行って霧の中で雲の中で方向を知らないがどのように抜け出すのか?それが堕落によって得られた悪の贈り物、それを解消しなければならない。解消は愛以外にはないというのだ。偽の愛から積まれたすべての雲とすべての霧のようなものが真の愛によって、堕落する前の愛よりももっと輝かなければならないのだ。

 堕落する前の愛、真の愛よりももっと輝かなければならないが。天が最初の出発した愛、赤ん坊のような愛が王のような愛は異なる。だからその宇宙圏内の赤ん坊から王が生きて行ける世界を動かす世界、主体世界なのでどれほど大胆だということを考えればそれをいずれにせよ抜け出なければというのだ。

 このおばさんたち、少しだけ誰が好まなければその反対にどれほど間違ったのか知らず終わりから終わりに来て行ったと言う。そのために絶望と嘆息を持って環境にいくら良く住むとしても一度怒るようになれば、ひっくり返されるようになればすべてのことを否定したいし、‘こやつの生活をすべて取り込みたい。夫も取り込み、子供も取り込みたい。’そこ迄来たり行ったりする。

 その世界の中で平和と言う基準は帰着点がないと言うことを知らなければならない。そのようなことを感じるようになる時、国は存在がその何かに、非常に邪悪な罠にかかっているのだ。これをどのように抜け出るのか?世の中で悪魔が計画するその世界その何が真の愛の光を照らせばすべて無くなるのだ。

 天地理知を知って環境理知を知れば世の中を抜け出る


 そのために天地の理知を知って自分が行く道の環境の理知を知れば世の中を抜け出ます。世の中の雲の中で、世の中の霧の中で接していることをどのように抜け出るのか?自分を中心にしてはだめだ。根本が間違ったことを知らない。‘本来人間がこのように生まれた、生まれてこのように生きることが人間の本来的な道だ。’と言うが、そうではない。堕落したためにそうだ。

 そこで聖書ではアダムエバを追い出したがどこに追い出したのかこれだ。永遠な愛の太陽世界で永遠な光の世界ではない。夜の世界に追い出したのだ。夜と言うこと、夜にも光があるのです。朝には光があるのか?12時と言うのがあっても人間世界で12時だが神様には朝よりももっと明るく見ることができる日々だ。だから朝の世界から暗い世界がない永遠な光の世界に回れば回るほど光がもっと強くなるのだ。

 これも触れれば熱が出る?(テーブルを何かとこすられる)燃えてしまう。同様なのだ。そのようなことを知らなければならない。そのような世界が燃えてしまえば光が明るいのだ。サーチライト(探照灯)、開けてみることができる何かがあらねばならないが、その開けてみることをできるのを今まで堕落人間は体験したことがない。知らない。永遠に知らないために永遠にその世界は関係を結ぶことができない。

 だから本来そのような人間でなく、本来光の王子の圏内では母体が核にならなければならないのだ。核の場で出発したのでその核の場に、暗さが太陽の真ん中に入ることができるじゃないか?永遠な嘆息圏内にいることを知らなければならない。

 霊界に入ればすでに私がどこにいると言うことがわかります。真っ暗な天地で少しだけ行けば私よりももっとできたがすこしだけ、このように戻るようになれば一回り以上回ってその次に暗い世界を回るようになれば回るのが異なる。左側に回ることが右側に回ることであり、上に上がるので。そのような世界を人間が地上世界で体験すると言うことが夢だ。

 そこで度が必要であり、精誠が必要だ。ここに‘至誠感天’と言う言葉があるじゃないか?至誠感天が何か?‘ソン(성:誠)’の字は‘まるすむ(말씀) オン(언:言)’ 偏になされた(成)と言うのだ。‘ジ(지:至)’の字はなされたと言うことであり、‘カム(감:感)’の字は感じることであり、一番後はトゥ(두:二)サラム(사람:人)を言う。二人がハヌル(하늘:天)である。二人と言えば天ではないのか?一人点になりえない。至誠感天にすべて入っている。

 韓国語の中で‘ジゴ(지고)’と言う言葉、オファヅンヅン(어화둥둥) チョッコジゴ(좋고지고)!そのような言葉、最高を言うのだ。それが‘イルル(이를) ジ(지:至)’であるが成すと言うことは天地に至って、心の世界にいたり、み言葉の世界に至るのだ。至誠感天だ。感天が何か?‘ジ(지)’と‘カム(감)’は相対的です。‘ソン(성)’と‘チョン(천)’と相対的である。核と扇だ。

 そのように考えれば至誠感天と言うこと!だから全部すべて相対的になっているのか?目も体のすべての細胞もそのようになっているが、一つになっていない。心と体が相対的なので何故相対になっていないのか?根本が壊れてしまったので。

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