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文鮮明先生御言選集 20060220 - 為にする真の愛と中心存在 1

작성자대태양/김현수|작성시간22.10.07|조회수23 목록 댓글 0

為にする真の愛と中心存在

2006年2月20日(月)、漢南国際研修院。
このみ言葉は安侍日の敬拝式及び朝の訓読会の時されたのである。

<祈 祷> 

愛するアボニム!今日は天一国6年2月20日、3回目の安侍日を迎えました。天と地が共に祝福の恩賜を感謝しながら真の父母様に向かって敬拝するこの朝にあなたが中心になられて天宙の群れを抱いて本然の愛の心情でこれらを愛することができる心をお広げ下さるように。

 生まれてから育ち育ってからこの地の上を経てあなたの前に行ったすべての存在をより高く貴い愛を持って愛され地上に今や残された整備しなければならない蕩減の歴史を一人で責任を負うのでなくこれらとともに歴史的な過去から今まですべての結ばれたものを解いて、解放の特権的本然の理想的な基盤をあなたに見せられるすべての万物と共に喜びで抱かれて自らの愛の心情を通した種から幹を経て枝と葉と花を咲かせて実を得ることができる本然的創造理想の収穫をできる喜びの日を充分に持たれることを懇切に願います。

 この地の上に摂理のみ旨を整備しなければならない真の父母様が行く道、まだ残されているすべての加重されたサタンの影をすっきりと整備され、残されたみ旨を自らの解怨成就の条件を中心に許して超えられてい抱かれることを再び願います。

 この場に参席した自らの子女たちを希望の心をもって祝福してくださり、前進発展する歴史の前に恥ずかしくない自らのみ旨と自らの所有の財産を管理して相続されることに不足さがない愛の子女の心の場を守って受けることができる責任を果たす者たちになるようにお許しくださることを願います。

 その上個人個人でなくこの時代は祝福的家庭を中心に腹中にいる赤ん坊から生まれた全体、祝福前の全体をアボジの全体の愛を受けて全体の心の中で記憶され、未来に訪ねてくる本然の世界の前にうち立てて誇り大きく高く広い希望の心を加えて愛の心で守って保護できる解放だけでなく自主的な天民的伝統を相続して万民の前に同じ祝福の因縁を置いて与えることができる希望世界の先祖たちになるようにお許しくださることを懇切に願ってやみません。

 この朝に共に敬拝し共に参席して訓読会を守るすべての者たちも自らの国の眷属なので守られ導かれて一律的な愛と平均的な感謝の心で天を仕奉するのに恥ずかしさのない祝福された家庭たちと国々になることをお許しくださることを懇切にお願いしてやみません。

 この朝の全体を喜びをもってここに集まった者たちを迎えられて祝賀するこの朝を喜びでお迎えください。さらにアボジの深い愛の中で記憶する群れたちになるようにお許しくださることを懇切に懇切に懇切に願いながら、真の父母の名前で報告宣言します。アーメン!「アーメン!」アーメン!「アーメン!「アーメン!「アーメン!」

 (敬拝、家庭盟誓、代表報告祈祷)

<み言葉>

「シンジュナ(信俊)、こちらに来なさい。拍手、マンセー、ウインク!(オモニム)」(笑う、拍手)さ、訓読会!「今日は西部から来ました。」西部であればどこ?「龍山、麻浦、恩平、西大門です。」刑務所も入ったのだ。何人?「150人くらいになります。」そう、2月の月も今では峠を超えたので、今や8日おれば終わるのだ。(『天聖経』 ‘人間の生と霊魂の世界’ 編 ‘第2章 霊界はどのような所か 2)天国と地獄 ⑤地獄は神様の愛と関係のない所’から訓読)

 愛は平等権がある


 『・・・・・・服がいくら良くても死刑場に出る時に着る服は至極嫌なものです。しかしながらいくら悪い服でも愛の差し伸べた手を通して妻が作ってくれた服は極めて輝くのです。愛と言う内容を中心としたすべてのことは神様がどこでも歓迎すると言う結論が出るのです。地獄に行っても愛のために地獄に行ったとすれば神様もそこに共に行っていることができると言うその言葉です。

 ここにラブヘル(love  hell :愛 地獄)をぴたりとくっつけておけばどうか?気分が良い、悪い?地獄でも愛の地獄であればどうか?地獄に行っている人がこう―こうしていても愛の地獄!こうであればホホホこうだ。それが分かるか?それがそれをそのようか?』

 ラブヘルと言うのが何の言葉か?英語にもラブヘルと言う言葉がない?(笑われる)地獄も愛には撤廃されなければならないのだ。愛を間違って使ったのだ。愛のために堕落したことを知らない。それを知らないので限界線も知らず、警戒線も知らず、安定地も知らない。思い通りすればできると思うのだが、とんでもない!さ、継続してしなさい。

 これを過ぎる言葉ではありません。すぐに行ってみなさい。夢の中で描きながら何の夢想的な発表ではない。直接遠くないすべて、歳が多くなればそこを経て神様の、そこを経ずしては神様の宝座の前に行けない。真の宝座前に行くことによって真の神様がいらっしゃるので真の神様の愛が、一番高く貴い神様の愛が現れるのだ。それは理論的です。さ!

 『愛する人のために監獄に入っているのは監獄ではありません。愛する人をもっと輝くようにしてもっと深く因縁を結ぶようにしてくれる場所になるのです。そのために真の愛と言うのは高くは神様まで、深くは地獄まですべてコントロールできるというのです。

 それではこの愛は人の世界でのみできることか?違います。万物世界、すべての動物世界もそうだし、地もそうだし、植物もそうだし、全部愛の歌は好きです。皆さんが朝に起きた時鳥たちが互いに愛し合う歌が良いのか。争う歌が良いですか?愛する歌が良いと言うのです。今や分かりました。この宇宙は真の愛を持ったところは警戒線がありません。警戒線がなくどこであれ通じることができる内容があって神様と地獄までもコントロールできる内容がある為に、どこであれ警戒線を崩して行けるそのような力があると言う事実を皆さんは知らなければなりません。

 愛が宇宙を存在するようにする柱になったことと同様に、これが地獄をなす柱になっていると言う事実を知らなければなりません。この世になったことをつくり直すことがどれほど大変か?』

 皆さんがそのような場にいるようになれば父母が自分の父母であることを知るようになる時はそれを越えることができる。お母さんお父さんが自分が愛する愛の基準が次元が高ければ高いほど地上にいても自分がお母さんお父さんを見たいし慕わしく思って共にいたい心がずーっと上がるのだ。愛は平等権があると言うのだ。

 愛の空気の中で、愛の海の中でおれば程度が同じものたちが一緒に住むのだ。移動することが一つもない。同じ場から移動すると言うのだ。そのような人は不平な世界にも不平を感じず不幸なことも克服できる。それは不幸ではありません。一歩だけ超えれば愛が訪ねてくるのを知る時不幸ではない。

 皆さんが一週間であれ断食して終わると言うその時間を待つと言うことがどれほど懇切かと言うことをすべて感じてみたか?(笑われる)一週間を与えても変えることができないこの瞬間!そのようなことだ。愛が偉大だ。愛は真の愛だ。真の愛と言うのは自分を中心にしては真の愛ではない。全体を代表した場で真の愛、そこで父母の愛が真の愛であり、神様の愛が真の愛であり、国の王の愛が真の愛であるが王が自分を愛すればその環境に埋められてしまう。真の愛の前に埋められて陰に降りて行くのだ、いくら生まれが良くても。

 わが統一教会が他のものがそうです。統一教会を知るようになれば頻りにここの家に来たい。来なければここの垣根で夜でも、自分の家に住むことよりも何だと言うか、スリーピングバックでもない。バラバラにでも使って来てこの塀にもたれて生きたいのだ。何故?愛の温度を感じることができるために。そのようなのだ。

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