CAFE

文鮮明先生御言選集 20060223 - 競争と開拓の主人になれ 3

작성자대태양/김현수|작성시간22.11.20|조회수37 목록 댓글 0

   完全に主人になろうとすれば完全に除去してもっと大きな結果を探して行かなければ

 そのために私は必ず上と下を持って垂直と横的な物を中心にして3面を合わせれば存在位置が決定されるのだ。自分が存在するが上下を否定して存在し、前後を否定して存在し、左右を否定して存在すると?雑種犬たち!雑種犬たち!蛆(ウジ)の子たちにも及ばない。蛆が食べたものは雌雄が食べたものに従って肥桶で食べるのだ。一番臭いがし臭いが悪どい所で卵を産んだのでそこで大きくなって因縁を結んでその関係の上で羽が突き出て飛んでこそハエになる。

 ハエ(パリ:파리)を一番悪くする。皆さん、ハエが何故悪いのか?世の中で見れば悪いと言うが、‘どこに行くのか?’と言う時はフランスのパリ(파리)に行くと言う。(笑い)最高の臭いがする所を探していくのだ。それを見ればハエが悪いものと分かったが飛び始めれば一番よく、臭いを一番よく嗅ぐのがハエだと言うのだ。良いことと悪いことを分けて一等できるのがハエだ。

 何故そうか?生まれるに一番悪い因縁で生まれたので悪いものは良いものを先有条件としたので悪い所から出発されうる先有条件としてハエを認定するためにハエは飛んで行くと言うのだ。それでは見物を一番よくし味を一番よく見ることができるのがハエだ、このように出てくる。世の中で私も因縁を持って私も関係を持って飛ぶことができて生きることができると言うのだ。

 そう、上監媽媽(サンガムママ:王様)のお食事の朝の膳昼の膳夕の膳でも王様が食べるものよりも自分が先に行って味を見ては申し訳ないので(両手をもまれて)‘お祈りします、お祈りします。’と言うのだ。(笑い)ハエが祈るのか?「はい。」だからハエが一番先に来てつくものをに従って食べなければならないと教えてあげるのだ。そのような時ハエをつかんで殺すのか、ハエを後にするのか?神様がハエの1双をつくって殺してしまうのか、‘さ、子を産みなさい。’そうなのか?答え!殺せ?それもいなければならない。何故笑う?

 ‘いや、私がハエよりも及ばないのだ。’フランスのパリをいつ学んでみたのか?わかりもしえないので。ハエは羽だけ立てれば臭いを嗅いで訪ねて行く。人の匂いだ。そこでフランスが文化の主体国だと言うのだ。ヒットラーに戦争のとき自分の文化都市を根こそぎ捧げたのだ。

 フランス人は終わりを見れない。主人になりえない。主人になろうとすれば、完全に主人になるためには完全に失って除去しなければならない。完全に失って完全に除去してそれを継続してもっと大きく起こってもっと大きな結果を訪ねて行かなければならないのだ。それを失敗するようになれば‘私はもっと大きなもののためにする。’と言わなければならない。がっかりしてはならないと言うのだ。

 韓国人が、極東の人が地の果てのウルグアイに行って、その次に西側であればロンドンに行って東側であれば東京に行ってその次にニューヨークまで行って世の中の見物をすべてして死んでも‘アイゴ、ここで死ねばだめだ。’というのだ。ニューヨークに行って死ぬと好む人がいない。‘アイゴ、あんた死ぬな。天国がある。’と言うのだ。

 天国は一人で行けない。‘ハヌル(하늘) チョン(천:天)’の字がトゥ サラム(:二人)か?二人が一つになれば天になるのだ。目も一つだけあれば、片目は病身の扱いをします。鼻もこれがふさがるようになれば病身だ。唇も一つが歪めば、いぐち(兎唇)になれば話しづらい。言葉が漏れるのだ。これも全部すべて相対的な基準だ。

 永遠な因縁と永遠な関係、あんたと私とは永遠な因縁と永遠な関係において二つが一つになって、そうしながら東側の国から西側の国からその次に地獄の国から天上世界のどこに行こうとえて置いておくところがないと言うのだ。それは解放されうる。その言葉が合う言葉のようであり、合わない言葉のようか?「合う言葉です。」

 
因縁と関係を持たなければならないのであって一人で生きれば一番憐れだ


 美人として生まれた女たちは‘アイゴ、私は王でなければ嫁に行かない。’と言うが、王に嫁に行くと言う証明書を持って来たのか?どこに行くのか金持ちの家に行って餅でも貰って肉とかすべてのものを扱うすべてのものを扱う料理のお膳立てをする所まで入ろうとすれば証明書があらねばならない。主人の後ろについて行くとか横について行くとか前で案内するとかすれば主人と入ることができるのであって、一人では行けないのだ。

 嫁に行かないと言う女がどこにでも通うのか?独身生活すると言うのは今後先生が追い出します。男やもめ寡婦たちは教育もできない。最近女たちが‘アイゴ、私大学院を出て博士をすれば教授になって食べて生きる。男のようなものは水をはじくように蹴ってしまう。アイゴ、アイゴ、アイゴ!’と言うが、このようになればどのようになるのか?自分一人どの様になるのか?このようにしておけばこのようになりうるのか?因縁と関係を、開いて閉じたという関係を持たなければならないのであって因縁だけ持ってはだめだ。表面の因縁だけではない。呼吸する因縁、来て行く因縁、混ぜ合わせて生きる因縁だ。

 若い奴ら、新入生、卒業したと言う若い奴ら、そこに容貌が優れた人がいるのか?容貌の優れた人と言うようになれば、人は男と女がいるが、二人の男と女を置いて容貌の優れた人を私が好むがどのような人をつかむのか?‘容貌が優れた’と言う女と男がおれば男と言う怪物は女が浮かんだ水だ。容貌が良かったという男は浮いた水のような女をつかんだ。

 女が二人の美人美女がおれば一人で行って、容貌が良かった女が現れては容貌の良い男をつかむのか、容貌の良かった女をつかむのか?人は男女を言うが‘私は人を愛する。’と言う時、男が男を愛するとすれば狂った奴なのだ。それは毎日のように会って争いでもして殺そうとするのだ。そうなのだ。一度生きてみなさい。

 史吉子!史吉子が何かと言えば ‘ジュグル(죽을) サ(사:史)’の字に吉に行く、私は死ぬ道に行く人だ。史吉子、奴だ。(笑い)そこで一人で生きる。アイと言う時よく生きたがお金も嫌だ、判事検事も嫌だ、出世も嫌だ。何が良いのか?それを結論付けなければならない。何が良いのか?何が良いのかと言う時には自分が約束をしてよいとすれば一人で生きてもよいのだ。約束もしておかず‘私は男が嫌いだ。一人で生きる。’と言えばそれはなくなるのだ。本当に史吉子になる。

 それでも女なので劉孝元(ユ・ヒョウォン)が慕わしい時がある?あ、尋ねているじゃないか?慕わしい時があったのかと言うことだ。「はい。」劉孝元が完全な人か、病身か?病身なので可哀想で自分が為にしなければならない。病身であるが普通の人は嫌だと言うが普通の人でなく病身のお父さんお母さん、病身の神様が好むために私は最高の場で神様の娘、お父さんお母さんの一番の長女として世の中に王のもとに嫁に行くと言うそのような私が病身の男を訪ねてきたと言うのだ。そうでなければならない。そうであれば主流をつくる。‘あは、立派だ。’と言うのだ。立派だと言うことはなくならないのだ。立派だと言うのだ。

 このような話、皆さん若い人は私だけいることを願う。それは父母を否定し、国を否定し、国王を否定し、神様を否定し、天の国の天の民を否定するのだ。自分の国の王と民と兄弟の間の宗氏まで否定する。一人で生きてみなさい。一番憐れなのだ。天地もなく、国もなく、自分の因縁のある父母もなく、因縁のある兄弟もなく自分一人でよく食べてよく生きて一日中食べてだけするのか?(笑われる)

 夏になれば暑いのでスイカを食べてチャメ(참외:まくわうり)を食べる。先生が夏に巡回するようになれば同じ地方に行くようになればどこに行こうと先生が来るようになれば一番貴い物を与えるが、スイカ、チャメ、トマトだ。それを毎日食べれば下痢をする。(笑い)一番嫌なものがそれだ。

 先生が体が不便であれば八道江山にいる人が先生を考えて必要なことを考えるが痛いので全部すべて熱いものだ。こうしてみる物事に熱く味を見るのも熱いのだ。こうなのでどのように生きるのか?熱が多ければ涼しいもの、病になったとすれば冷たいものを買って行く人がいるのか?熱いものを買って行くのだ。10であれば10のような人のようなのだ。アイゴ!

 全羅道を巡回すればご飯を一食だけ食べれば3食ご飯を食べることがとてもどれほど・・・。全羅道が良いのは何が良いのか?3食の食膳を受ければ‘全羅道の人がいなければよい。慶尚道の人は全羅道の人の反対なので全羅道の人が住む所に慶尚道
の人が来てご飯をしてあげればよい。’と言うのだ。まさに反対だ。

다음검색
현재 게시글 추가 기능 열기
  • 북마크
  • 공유하기
  • 신고하기

댓글

댓글 리스트
맨위로

카페 검색

카페 검색어 입력폼