カインアベルの伝統と天運の動き
2006年3月3日(金)漢南国際研修院。
このみ言葉は朝の訓読会の時にされたものである。
(敬拝)「シンジュナ、拍手しよう。拍手!マンセー!(オモニム)」(拍手)マンセー!ウインク!(笑い)よくしたのだ、よくした!さ、我が訓読会!「今日は東部から来ました。江東、江南、城東、松波、光津、このような所から来ました。」今日は東側なのだ。東側。「120人来ました。」120人!
先に入ってきた人たちが後に来た人たちを育ててあげなければ
(『天聖経』‘礼節と儀式’ 編 ‘第3章 礼拝と教会の生活礼節 ②食口間にカインアベル関係がある’から訓読)
『・・・・・・カインとアベルはどのような場から決定されるのか?カインとアベルは楽に良い場で決定されるのではありません。カインとアベルは何のために必要なのですか?それは蕩減復帰するために必要なのです。』
そうだ。反対にすれば蕩減にならないのだ。父母の場にいる人、先に来た人が弟たちを育ててあげなければならない。知らないので教えてあげなければならない。そう、教育と蕩減、復帰することによって兄弟の因縁が連結されるのだ。父母に侍ることができるのだ。兄弟が一つにならなければ父母に侍ることができない。
それは誰が作らなければならないのかと言えば、先に入って来た祝福された人たちが祝福を受けなかった人を育ててあげて、育てられて祝福されては家庭的な兄弟になってこそ家庭の上で神様を解放させることができるのだ。個人をもってではだめだ。天国の開門のためにはカインアベル家庭が入って行かなければならないのだ。
蕩減!昨日それをすべて直したか?「はい。」だからじーっとしておれない。お腹がすく前にご飯を食べる準備をしなければならないし、お腹がすけばご飯を食べなければならないし、ご飯を食べたとすれば仕事をしなければならない。働く新春が来るようになれば新春を準備できる、先祖がそのようにまいたので後孫も入って来て祝福された父母の場でまた根に戻れば蕩減が繰り広げられる。なくてはならないのだ。
統一教会自体も先生が打ち出して先生がすべてしてあげるのか?それをただでしない。個人的時代から家庭の時代の蕩減を払わなければならないのだ。さ!
『神様はアベルをどのような場で決定するのか?サタンの讒訴を受けない場で決定するのです。』
これから、今年3月の月から兄弟たちが祝福を受けられなければ一つの部屋でありえない。自分の世の中の世俗的な父母を中心に兄弟たちの中で祝福された家庭たちは兄弟を弟だとかどのようにしてでも一つ作らなければならない。祝福されたので立ててあげなければならない。
祝福されたとすれば誰が家長の兄になって、誰がカインか?より父母のために犠牲にする人、孝道する人がアベルになるのだ。いくら先に入って来たとしても、遅く入って来ても教会に被害を着せる者たちはアベルの場でなくカインの場だ。そう、伝道をしなければだめだ。どれほど祝福家庭を多く作るのかというのだ。その上に自分の氏族を12氏族以上連合すれば民族が繰り広げられる。12民族が合わされば国が繰り広げられる。
小さなものは大きなもののために犠牲にならなければ
そう、公式が、必ず大きなもののために小さなものが犠牲にならなければならないのだ。犠牲にして知ってから持つのは父母の場でいくら先に入って来たとしても新たに入って来た人を育てることを知らなければ無関心にしてはだめだ。
統一教会が個人主義化されて蕩減を否定し、日本教会や韓国がそのように出て来たのだ。今回手本を見せなければならない。先生がやたらに一生涯苦労する?苦労して蕩減の条件を立てずカインを、カイン世界をアベルにつくれる道がない。さ!
『・・・・・・万一夫が自分よりも恩恵の基準が高く信仰生活も模範になればその夫によって恩恵を受けるようになるのです。そのように恩恵を受けるようになれば夫が世の中にない美男に見えるのです。また夫が妻を通して恩恵を受けるようになればその妻がそのように美人でありえないのです。世の中の女の中に一番だというのです。元来夫婦はそうでなければなりません。
そこで目だけ開ければ眺めたいし、夜を明かしながらこそこそと話したいようになるのです。』
こそこそとか?おじいさんおばあさんはひそひそと、若い人たちはこそこそだ。さ!
『・・・・・・父母が生活が難しくて思い通り物質的な恵沢を持てないとすれば、お腹の中で染まって出てくる愛の心をもって子のためになる時彼らの父母に負債を負うのです。そこで孝子は貧しい人の家庭で多く出て来るのです。父母がそのような伝統を残しておいたのでその子が負債を負わないと努力し、そのようになる時父母もやりがいを感じます、』
さ、やめよう!日本で教育した話少ししなさい。「アンニョンハシミカ?李哲承(イ・チョルスン)先生が来られましたか?来られたが何故後ろに座っておかれるのか?(尹晶老ユン・ジョンノ)」背が大きかったので見えないが。「先生、今後すこし来なさい。」拍手を一度してあげなさい。(拍手)私もおじいさんだろう?こちらに来て座りなさい。久しぶりに来た。さ、報告を少ししなさい。九州と東京の教育がどの様な差異があって・・・。そのようなことも必要なのである、今後。(尹晶老会長が‘平和統一韓国指導者国際セミナー’に対して報告)