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文鮮明先生御言選集 20060305 - 蕩減復帰の完成と絶対価値の完成 1

작성자대태양/김현수|작성시간23.01.18|조회수30 목록 댓글 0

蕩減復帰の完成と絶対価値の完成

2006年3月5日(日)、漢南国際研修院。
このみ言葉は朝の訓読会の時にされたものである。

 (敬拝)(シンジュン信俊二ムに)拍手、マンセー、ウインク!(笑い、拍手)さ!「今日は南部圏の永登浦、冠岳、九老、銅雀、江西から15人来ましたし、安城教会から34人が来ました。そこで169人です。」(『天聖経』 ‘礼節と儀式’ 編 ‘第4章 祝福家庭の伝統と生活礼節 11)聖別意識の生活化’から訓読)

 神様が愛を中心に完成しようとすれば相対が必要だ

 『・・・・・・神様の完全な愛が顕現するようになる時サタンは現れることができないのです。それが責任分担の完成です。責任分担を完成したとすれば間接主管圏と直接主管圏において愛の因縁が結ばれるのです。そこで縦的愛と横的愛が連結されるのです。そのようになればその縦横の愛を通して神様の血統的因縁が、血縁が生じるのです。血統が生じます。その血統は、神様の愛を中心に一つになった縦横の愛と因縁して生まれた血統はサタンが干渉できないのです。サタンと因縁がないのです。だから心情を受け継ぐためには純粋な神様の愛を中心とした本然の伝統的血統を受け継がなければならないのです。それが問題です。』

 蕩減復帰、言って見なさい。「蕩減復帰!」神様の創造理想の根本と通じるのが何かと言えば、神様が愛を中心に完成しようとすれば相対が必要なのだ。神様一人で完成は出来ないのだ。人間の価値が神様の愛を完成させることができる相対なのだ。

 女を完成させることを女自体は出来ない。女を誰よりも為にする男が完成させてあげるのだ。より為にできる者たちによって自分が完成されるのだ。男を完成させるのは男自体の愛によって完成させることができない。女が!父母が父母になりうる愛の主人になるためにはその父母自体が永遠にいくら一つになって生きても子がいないようになる時には父母の愛の主人の場を体験できないのだ。それを知らなければならない。

 そのために絶対価値の基準が自分によってなされるものがないというのだ。絶対価値の完成というのは相対が自分をより為にできる愛の道でのみなされるのであって、そうでなければ絶対価値の完成がないのだ。皆さんが原理主管圏内で蕩減するのは何かと言えば、自分が蕩減できない。

 結婚を誤ったために、自分がうち立てるその場でエバが堕落したし、天使長が自分がうち立てる場で堕落したし、アダムエバ自体たちも神様を否定し自分自体を中心に家庭を成しておいたのだ。神様が抜けたのだ。

 そこで蕩減復帰!わかるか?蕩減というのはより為にする場において、妻として夫をより為にする場に立てば男の愛の主人を、女を愛することができる主人を自分が作ってその主人と一つになって永遠に生きることが永遠な幸福だ。分かれることができないのだ。蕩減復帰だ。蕩減復帰しなければだめだ。

 一切を相対のために生きれば解放圏が繰り広げられる

 この問題が解決されなければ神様のみ旨を正しくとらえることができない。個人の蕩減基準、家庭の蕩減基準、氏族の蕩減基準、8大蕩減基準だ。個人・家庭・氏族・民族、民族は何かと言えば金氏であれば金氏一人ではだめだ。民族というのはすでに12以上の姓氏が合わされば民族になるのだ。そうであれば国家が出る。

 皆さんが国家の主人の場に出るためには大韓民国であれば大韓民国に286姓氏があれば12姓氏以上を合わせて自分が中心になれば286の国を持って来て一つになるのだ。これを接ぎ木しなければならない。何が接ぎ木されるのかと言えば結婚を間違って別れたために真の結婚によって国を愛することによって接ぎ木されるのだ。

 個人の愛よりも夫婦の愛が重要であり、夫婦の愛よりも一族の愛、一族の愛よりも民族の愛、民族の愛よりももっと愛することができれば国が出る。

 そこで個人時代家庭時代氏族時代民族時代国家時代、5段階だ。サタンが神様の場、アダムエバの場、その次に息子娘の場を占領したのだ。だからサタンが左側の完成基準を占領したために右側はここで渡って来ることができない。警戒線だ。地獄と天国の分界線になっているのだ。左手が主管するようになっていない。右手がする。

 何故必要かと言えば、東洋人は右手を使えない人は病身の扱いをする。左利き!左利きはご飯を食べても反対ではないのか?右手で左側に入るが、これは左手で右側に入る。スプーンがそうじゃないか?

 そのために右手を使うのは心臓と右手が遠い。左手は心臓に打撃を与えるのだ。西洋人はそれを知らない。そのために東洋思想は右手の思想であれば西洋思想は左手の思想だ。自分第一主義だ。個人主義がそこで発達したのだ。心臓がどうであれ自分がよければよいというのだ。しかし東洋思想はそうでない。心臓に打撃を与えないために、本部に打撃を与えないために右手を使うのだ。そのような意味で全ての宗教は東洋から出たのだ。

 女たちが行く道は父母を探しに行く道だ、父母から生まれたので。そのつぎに父母が産んでくれたのは父母まで合わさって男を探して自分が育った父母の愛圏をよりよくできるようにつくることを願うのだ。それが父母の願いだ。嫁によく行かなければならないし嫁をよく娶らなければならないのだ。そうじゃないか?

 女が嫁に行かないというが、嫁に行かずして何をするのか?胸が何故出たのか?嫁に行くなと出たのか?お尻が何故大きい?赤ん坊を産むなとして大きいのか?それは絶体絶命だ。それを避けるようになれば、独身生活した人は憐れだ。地獄の底に行く。

 一番悲惨なのが自殺した人だ。二番目が何か?女としてお母さんの道を否定したとすればお父さんの道が出ない。そうじゃないか?女がお母さんになろうとすればお父さんを探さなければ。情夫を中心にして東西南北四方の真っ暗な中で反対に立っているのが情夫だ。そのような女は光明な天地に隠れて生きなければならない。

 その峠を超えるのが責任分担だ。一切を相対のために生きれば天が主体なので天全体をのために生きる。ために生きる所は国を代表して為に生きれば愛国者になるのであり、家庭を代表して為に生きる人は孝子になるのであり、世界を代表して生きるのは聖人であり、天地を代表して生きるのは聖者だ。それが連結されれば解放圏が繰り広げられる。

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