女男全ては為に生まれた存在
統一教会でまた学んだことが授受作用だ。ギブ アンド テイク(give and take)、英語にもすべてそのようになっているのだ。それが原則的な言葉だ。何故これをつかんで使うのか?それを話すようになれば自然らしい。制裁がない。為に!女も為に生まれたのか?男も為に生まれた。為に!妨害がない。
女は自分のために生まれたのか?誰のために?男のために生まれた、男。動機が‘為に’だ。また為に!生きるために、生きるために必要なのは自分でなく男だ。男が何故必要か?男が何故必要か?女たち!嫁に行く前には何四方に目を何毒蛇の目、鷲の目をしてありとあらゆる男をすべて再び見てすべてそうだろう?‘あのような男は私に合うのか?’すべて合わせてみるのだ、いくらバカな女でも。
そう、統一教会はということであり、写真を見て私が結婚をすべてしてあげた。ここ、写真を見て結婚した人手を挙げてみなさい。さっと挙げてみなさい。これは久しい人でないのだ。数千万をする時は写真をもって全部すべて・・・。
一枚の写真を挙げて女がいるのにピーっと投げれば、霊的に天使たちが合うものを合わせてどこに‘フイーック―’と投げる時行かなければ風がひゆーッと吹くのだ。このように投げるが風が吹く。紙を飛ばしてみればということであり、風が吹く時は自分の思い通り行くのか?それはすべて相対を探していくのだ。そこに行けば腐っても肥やしになって所用があるのだ。そのように考えるのだ。
そのために統一教会の人たちが写真を見て結婚したが貧しく暮らさない。ここ男の中で写真を見て結婚した人・・・。何36家庭、72家庭、120家庭、430家庭、この数は全部すべて私が相手を結んであげた。それは相手を結んであげることがどれほどつらいかわかるか?
人は上がって下りて運動をするじゃないか?水平によって東西に行ってその次には上下に行って左右に行き、その次にこれが回るようになれば、このように回ればこれはすべて反対に回る。お父さんお母さんがということであり、お父さんはこのように回るが息子がここでしきりにこのように回る。必ず前時代後時代は一つになっていない。一つになるためには大きなギアがあって小さなギアがあれば、大きなギアの代わりにここに小さなギア百個があってもギアの足が合えば百個全体が運動をして生きて動く。同じく補助して生きるのだ。そう、大きなギア、小さなギアの考えが異なるのだ。
神様もそうだ。宇宙の65億人類を中心に一度に大きなギアがくっついて運動するが、これは小さなものなので65億がくっついて回るが、ギアがここをこの様に回るが共にこのように回るがこれは反対に回るのだ。
そこでそのようなものを考える時右手をもって自然に運動するのが何か?ここからこのように行くのがつらい、このように運動するのがつらいのか?下から上がるのがつらい、上から下りるのがつらい?下から上がるこれは嫌いだ。嫌いなのだ。下りることを好むのだ。そのために上から下りるのでこうで回らなければならないのだ。
そしてまたやさしいことは、座るのに反対にこのように座ることよりもやさしいのは上から下りて座らなければならない、足が。左側右側の足が座るようになる時はこのようにして上がろうとしなければならないというのだ。こうして女男たちが背丈が異なるほどにどこに行って合わせるのか?この胸であり、胸。女たちを見るようになればいくら大きな女でも男と立つようになれば・・・。
和合はご飯を食べながら好むように一つになること
わがオモニもここにいるが、ここにぴたりとこのようにしておけば、首をこのようにぴたりとしておけば、最近電話機も首にしておけばぶら下がっているじゃないか?女たちは首が長いのを面白さを見て首が長い女はぴたりとしてこのように置いてお尻だけこうしておけば支えて上げればここにくっついて通うことができる。くっついて通えばよいので、女がそのままじーっといるのが嫌なのでこのように首にかけて水平を描かなければならない。足をこのようにしてするようになれば首にかけて女がぴたりと一つになって足が90角度になって水平でも合い、垂直でも合う。その時は男もよく、女もよいのだ。自然の理致がそのようになっているのだ。和合しなさい言ってみなさい、和合!「和合!」
和合が何か?‘ビョ(벼) ファ(화:禾)’偏であるがこれはご飯を言うのだ。‘ファ(화:和)’はご飯を一緒に食べなければならないというのだ。ご飯を買って食べるようになれば、米粒が百個、千個があってもすべて同じく生じた、異なる? 稲は‘イプ(입) ク(구:口)'だ。口に入らなければならない。ご飯は口に入らなければならないのだ。ご飯を食べながら好むように一つになることが和することだ。和合!「和合!」‘ハプ(합:合)の字は何か?一人、人です。人が ‘ハン(한)イル(일:一)’の字、言葉をする。代表的な言葉が、二人が一つになることが‘ハプ(합)’だというのだ。二人が主張してはならない。
それでは男女の二人が、夫婦どうし和合になったのか?ご飯は一緒に食べる?合わさることは?尋ねているじゃないか?女の人男の人であるが、口も一つですべてそうだが、個別的な特性があるがそれが本当に和合になったのかというのだ。
夫に対して不平を言わない女たち手を挙げてみなさい、この身分の低い人たち!双というのが欲ではなく、夫婦どうし双が一つになれその言葉だ。欲ではない、それが。身分の低い女、身分の低い奴!それがそのようにすればみ旨解きになる。峠を超えて、峠を思い通り越えた越えて来ようとすれば身分の低い奴だ。
お父さんの息子娘がおり、お兄さんを中心に兄弟であり、その次には自分の夫を中心に夫婦であり、父子の関係は父母であるが、それを無視して思い通りアイゴ、娘がおじいさんのような人の所に行って住むとすればよいのか?自分の年齢にその比重が合うようにしなければならない。
またわがオモニは何歳か?何歳か?「64歳です。」私は?「86歳です。」80を超えたおじいさんが40歳になる時に17歳の乙女をオモニにするというのはそれは盗人だ。(笑い)世の中に誰が結婚をよくしたと言う人がどこにいる?先に女だと言う時、その女がとてもひどい長老教会の輩だ。倭政(訳注:日本帝国主義の韓国統治時代)の時から神社参拝を拒否して監獄生活までした。さ、今後未来になることを知って、霊界を通してすべてそこで私が会った人であるが、約束を7年間分けられることをすべて話してした。私はそのように生きるが、そのように生きるなというので約束が異なったのだ。
そうして夫が会社に行くとか忙しいことがあれば一日に5章以上聖書を見なければならないし、3時間以上祈祷しなければならない。そう、明け方に起きると寝る時間がどこにある?だからそこに合わせてほしいというのだ。ご飯も食べず自分と共に祈祷をし、聖書も一緒に読めば我々になるのではないのかというのだ。
そう、先生が知る聖書観と彼が知る聖書観は根本的に異なる。将来に自分が統一教会の教主になるとは私はいくら家族だとしても教主の行かなければならない道を行かなければならないというのだ。これを全部が反対だ。
またキンホリ(긴허리)、ソンチョン(선천)、定州の中で一番有名なキンホリに住む崔氏門中だ。そこの教会を建てるが,ソンジン(文聖進)の母(崔先吉)の実家の敷地、その家の敷地に付属のそこに教会を建てた。信仰の伝統で有名なのだ。
そう、キリスト教が私を何故そのように憎むのかわからない。私はキリスト教を救ってあげようと祈祷してそうだが私を殺そうとそうだ。怨讐のようだ。異なる。彼らは見れば自分の利益を重要視するが、先生は公的な神様の側で見るギア、大きなギアだ。(笑われる)小さなギアを合わせて回るこの運動をするが反対にして現われて天運に対して審判まですべてして、統一教会の何文教主は何伝統的なキリスト教の怨讐であり白白教の教主よりももっと悪いという看板をつけて宣伝したことが既成教徒たちだ、宗教人たちなのだ。
その白白教の教理を調べてみると外的内的にたわごとでなければならない。体と心が一つにならなければならないことを言う。出発はそのようにしたが自分の欲望だけを中心に人を殺してありとあらゆる罪をすべてしたのだ。