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文鮮明先生御言選集 20060307 - 宇宙の核である家庭の基盤と本然の愛 2

작성자대태양/김현수|작성시간23.02.05|조회수25 목록 댓글 0

 家庭基盤が宇宙の核

 どこから来たと?「カープ(CARP)から来ました。」カープが何故このようにしょっちゅう来る?「戻って来ます。」カープが留まるところが何か所か?一か所にいる?「はい。本部は今(ソウルの)明倫洞、大学路という所にいます。」その家が昔崔ソンモ(최성모)が住んだ家だ。63層(のビル)を建てたのがその息子だ。崔スニョン(최순영)!

 崔スニョンそ奴の子供たちが私が清平に行く時ついて来たのだ。川の中で重要な所をすべてつかんでおいたが、山々が安いので買ったのだ。いくらもしなかった土地を、我々が清平を建てる時、一坪に、そのとき数千坪買える土地の値段でも売らなかったというのだ。しかしながら自分が売らないとすれば本部が滅んでしまう。すべて滅んだ。

 またどのようにして崔ソンモの家が統一教会に入って来た。63層を建てたが、我々が何層を建てなければならないか?43層33層、50を越えなければならないのだ。50は63層の尻尾にあたる。そこで麗水・順天、麗水というのは歳月が流れることを言う。麗水のように、そうじゃないか?水も流れ歳月も流れる。歳月が流れると水平に流れない。思い通りだ。環境に従って歳月が複雑な、歴史に描いて行くのが公式的な家庭を通したそのような道ではない。堕落したために上がったり下がったり上がったり下ったりするのだ。

 堕落しなかったとすればこれがいつも水平なのだ。ここ水平において中心は一つなので一つがいつでも90角度になっているのだ。それではひっくり返ってもいつも正常的な上に行く。今日が昇るようになったので水平線このようになって戻って来て3百何度か?3百度ほとんどになるのか?1時間2時間あれば今や超えるのだ。

 水平になっていて垂直だけなったとすればこれはいくらしても変わらない。それが何かと言えば愛だ。真の愛!神様の愛を通して水平と縦的な基準が一つになってそこに息子を産めば円形になる。これをする時は水平だ。息子を産めばこうして球形になるのだ。

 一番の問題が堕落した人間たちは世界を私のものとして作るのだ。世界に主人がいるということを知らない。平面的な主人縦的な主人が合わさって無形有形が一つの実体権を備えてお父さんになってお母さんになって、だからお父さんの血お母さんの血、お母さんの血は横的であり、お父さんの血は縦的でこうしてそれが息子娘の血!そこには見える実体、お母さんお父さんの実体の血が入って来た。

 その実体は見えない所から出たために縦的に連結されているのだ。水平になろうとすればこの線とこれが原型にあれば十字になればここから全部が水平にならなければならない。これが外れればだめなのだ。これが反対になっているのだ。下はサタンが上は神様がならなけっればならないが、サタンが上に上がった。蕩減復帰しなければならない。

 この線は宇宙を中心に見れば十字だ。ここから家庭が出て来る。上下・左右・前後、このようにして家庭になる。家庭が基盤であることを知らなかった。家庭の基盤が宇宙の核だ。家庭が宇宙の運動原則の核と同様に縦横を連結させる立体的な内容になる。

 
本然の愛でなければだめだ


 だから堕落したために復帰歴史は万物が先に出て来る。万物を求めて万物のために主人になった息子を探す、長子権。そのためにイエス様が長子権だ。イエス様が長男なのだ。長子権!

 イエス様を求めるようになる時は万物を犠牲にさせて、供え物になる?万物が血を流した?それが4千年の歴史をしてイエスが出てイエス1人・・・。イエスの中では30歳まで育ったので万物がすべて入っている。食べなかったか?体に鉱物質とかすべてのものがすべて入っているのだ。

 そのために歴史的に犠牲にして万物を探すのだ。ひっくり返った万物を正しくとらえてここに中心に出たために中心の中にはこれ以上全部が、イエスに属さなければならない。イエスのためにそうだったのだ。そうして国をつくらなければならない。国をつくったとすればイエスの国が一つの国だ。二つの国ではないのだ。長子の国が探されなかった。

 長子が上がるようになればその次にオモニを探さなければならない。聖神が来てイエスを育ててあげなければならない。育ててあげてオモニの場に上がってオモニアボジが目に見えない無形の神様の実体権を代身しようとするので結婚しなければならないのだ。

 反対に!無形で正分合にならなければならないのだ。共産主義の思想では正反合になるのだ。反対の場に行ったのでそれが全体の目的の基準に合わない。永遠に正反合が合にありえない。合はすでにひっくり返ったのだ。このようになった。これをどのように、人間の力をもってしてはだめだ。愛がこのようにつくっておいたので本然の愛でなくてはこのようになりえないのだ。人権、金力、知識をもってはだめなのだ。

 そのために長子圏復帰、その次に独生子という言葉が繰り広げられる。独生女はどのようになるのか?イエスが創造しなければならない。本来アダムを創ってエバを創ったことと同様に男が先に出なければならないのだ。独生女がいない。独生女がいて偽の愛ですべて別れてしまったので正反合になったので結婚を中心に正分合、絶対正反合でなく正分合にならなければならない。

 ギリシアの哲学思想は闘争概念がある。人の根本を見る時、人をじーっと見ると、人が根本であるが相対に万物も全部すべて雄雌として根本の頭がアダムエバであるが、体と心が争う。これが根本であることがわかった。いいや、堕落を知らなかった。

 永遠に体と心が争うことができること、人生歴史がそのように出て来たのだ。血を流さなければならない。カインがアベルを殺したことと同様に同族相殘という問題が繰り広げられた。血統が異なった。個人の血統、家庭の血統、このように全部異なったのだ。主人が異なったのだ。

 それをどのように復帰するのか?否定しなければならない。今までひっくり返ったもの、このようにならなければならないことがこのようになったとすれば反対にひっくり返らなければならない。堕落も知らずにしたので正しくとらえる所は教えてあげればだめなのだ。教えてあげるためには四方をすべて、こちらに行ってもこちらを眺めて、こちらに来てもこちらを眺めて。これが一つになっていないのだ。一つはこちらに行ったとすれば、下はこちらでこのように行けば出発になるのだ。出発が頭と尻尾が別々に遊ぶのだ。

 何が一番初めに事件か?愛、自分を中心とした愛がそのように連結させたのだ。人間が神様の無形の形態、サタン世界の実体の体を経るために見えない心の争いと見える体の混乱、二つの混乱が統一されえない、永遠に。

 混乱して争うが本性の心はそれでも神様の側にいて二つの幹の光が・・・。李相憲(イ・サンホン)氏もそうだった?戻って神様の前に挨拶に行くためには新郎新婦の服を着て尋ねて一つの体になるのだ。わかることのない二つの幹の力が出て来て神秘な境地に入るのだ。

 入る時は自分が入ったが出る時は出て来ようとして出て来れない。天が共にしたために人間が入ったが、入る所は結婚式をできる場だ。神様の前に行って結婚式をして神秘な境地で体心が寄って出て来るのだ。出て来る所は天下が全部すべてかかって出て来るのだ。再創造だ。そこで間違いなく再創造をするのだ。

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