CAFE

文鮮明先生御言選集 20060312 - 救いの完成と蕩減路程の勝利 1

작성자대태양/김현수|작성시간23.03.16|조회수35 목록 댓글 0

救いの完成と蕩減路程の勝利

2006年3月12日(日)、漢南国際研修院。
このみ言葉は朝の訓読会の時にされたものです。

(敬拝)「拍手してあげなさい。マンセー! ウインク!(オモニム)」(拍手)「今日は江北、城北、東大門、中浪、道峰、蘆原、北部圏から155人と、平和大使14方が来ました。」そう、訓読会!

真の父母を訪ねる人たち 

(『天聖経』 ‘罪と蕩減復帰’ 編 ‘第3章 蕩減と復帰の公式 2)真のお父様の歴史的蕩減路程 ①蕩減路程を行く人の心姿勢’から訓読)

『・・・・・・八定式は縦的な蕩減歴史的路程、横的な個人・家庭・民族・国家・世界の蕩減路程、8段階縦横の路程を経て定着することによって長子権復帰が繰り広げられ、この地の世界の人間の前には蕩減の路程が解消されるのです。八定式をすることによってそうなのです。

長子権が復帰されて父母様が抱いてあげることによって父母の愛圏内で長子圏復帰のための歴史時代の戦争史、闘争史がなくなって愛によって和合できる蕩減が必要のない時に入って来たのです。そのようなことをするためには八定式をしなければなりません。』

皆さん、50年前だけしても人間は七十が古来稀なり(人生七十古来稀)という言葉があったたことと同様に(寿命が短かかったが)生命が延長されてきた。世の中に50年前だけしても七十、八十を超えることが難しかったが、これからは九十を超えて百歳にもなるのは何故そうなのか?摂理のみ旨がそのようになるようにするのだ。解放になるその言葉だ。

今日よく来たのだ。14人が来たと?「はい。」何をする人たちか?答えを何だとするのか?‘何しに通う人か?答えが何か?’救世主を訪ねてメシアを訪ねてその次には再臨主を訪ねて真の父母を訪ねる人たちだ。そう、信ずれば救いを得る?信仰が何の信仰か?定義がない、信仰が何なのか?

神様が人間を救うが、救いの完成がどの様な姿かというのだ。パウロの信仰がぼんくらの信仰だ。信じるとすれば人が神様の息子娘になると言ったが息子娘になった?息子娘になった場で神様を信じる?堕落をして雑種犬たちになって信じれば救いを得る?盗人たち、強盗のような心棒なのだ。一度に何の功もなくて世の中すべてを私のものにつくるのか?そう、キリスト教がすべて滅ぶのだ。その愛とその信仰をもって天国に行く?天国に行っても反対に立てる。死んでみなさい。それが問題ではないのか?

何をしに通う人か?昔長官になったとすれば長官以上になって食べることができる道があって来たのか?統一教会にない。反対になればよい、僕の僕として。そのような心がない?それはすべて抜いてしまわなければならない。どこで占めたのか?神様のみ旨の中で占めたのではない。サタンの足場の中で探したのだ。サタンの足場が何か?争って殺してする。愛の概念がないのだ。

パウロも漠然とキリストと神様の国で救いを受けると言葉はしたが、その人を具体的に説明できることを知らない。儒教思想もそうじゃないか?元亨利貞は天道之常であり、仁義禮智は人生之綱なり!元亨利貞、この宇宙は天理の法の通り動く。四時長節変わりがありません。それは変わりがない。元亨利貞は、天が行くのは変わりがない。天道之常、いつも天の日常的な姿として行く道であり、仁義禮智は人性之綱なり!仁義礼智が天道之常のように変わらない?変わる、変わるのだ。

父子の関係は愛の血統に連結されている

見なさい。復帰時代は僕から養子から庶子(連れ子)からして出るが、庶子まで否定するようになれば息子娘を探すことができる道がない。堕落してすべて失った子供たちが何どこに所有権を持つことができる根本がない。追い出された。アダムエバは追い出されたのだ。堕落したということを認定できない。キリスト教が堕落したことを認定する?‘堕落が何か?’‘堕落が堕落だ。’‘どのように堕落した?’‘善悪果を食べて!’‘善悪果は何か?’無知には完成がありません。

ここの年寄りたちが来たが、来てはここに来て先生が何をする人か・・・。言葉は聞いた、救世主とかメシアとか何の何再臨主とか真の父母だと。知ることと私と相関関係にならない。因縁がなっていないのだ。何の関係を結ぶことができない。因縁があれば関係を結ぶ。この世の中は関係の世の中というのだ。兄弟関係、父子の関係、外交関係、政治関係、学術関係!関係は誰のための関係か?神様から因縁された関係ではない。堕落した因縁を知らずにいるのだ。

皆さんが今その自信を持って統一教会をこのように経て行ったとして神様の前に、天の国の12真珠門を思い通り通じることができません。それを脱ぐことができる教育を受けなければならない。門を開けようとすれば門がどのように生じたことを知らなければならない。東側なのか西側なのか、360度にどのような門が正道なのか知らないだろう?東西南北であれば東側がどこであり西側がどこであって南側がどこか?世の中でもそうじゃないか?方向を知らせようとすればコンピューターがあって、羅針盤があってその度数を見てわかる、いくら何大洋を思い通り渡る頭(かしら)だとしてもその標準がなければ大洋で乞食の子ほどにもできないのだ。

そのような言葉を聞いたか?船が海洋を行って破損されうる船である時にはネズミたちがわかる。そこに入ったイタチの子、何の狸の子、そこに入ったのが紐に乗ってすべて出て来るのだ。そのような言葉を聞いてみたのか?そうなのだ、事実。人がそれがわかる?だから天下を中心に知って生き、知って越えなければならないにもかかわらず知らず天下の王になると?それはテロ団だ。

マフィア、日本で言えばやくざというのは義理がある。神様と我が人間間に義理がある。追い出されました。カンペ(ごろつき)世界から追い出されてまた入る?同様だ。もっと恐ろしい法だ。根本を知らなければならない。無知には完成がない。

信じるという人が聖書で堕落したとすれば堕落が何なのか知らずして、病が出たとすれば何の病か知らないことと同様に、それを教えてあげて指導するすべての牧師たちが医師が何の病が出たので注射薬を調剤して、何の薬に薬をして調剤して注射を入れなければならないようにしてあげなければならない。真っ暗な文盲だ、文盲。

このような言葉を聞くことが・・・。この本にあるのは全部すべて初めて聞くのだ。そう、文総裁と皆さんと何の関係か?何の因縁があって何の関係を結んだのかというのだ。因縁があらねばならない。父子の関係は父親と息子が血統で因縁になっている。夫婦というのは夫と何が因縁になっているのかというのだ。それも血統です。何の血統?愛の血統!息子娘もそうだ。

神様に追い出された人間たちが神様と血統をもって父子の関係になっているのか?その父子が大きくなって夫婦になる。夫婦が大きくなって父母になる。父母が大きくなっておばあさんおじいさんになって、おばあさんおじいさんは王になるのだ。アダムエバが何か?兄弟です。根本では生まれる時にアダムが先に生まれたので双子と同様だ、双子。

二性性相というその言葉が双子、それが霊的なものの中で、神様の心の中で育ってきたのだ。それを知らない。生まれたといって
それが兄ではない。このような全ての根本からその橋を設定して置かなければならない。‘私はこのような人だ。’と、摂理の中で摂理観があって。

‘クアン(관:文見)’の字というのは‘クルウオル(글월) ムン(문:文)’偏に‘ポル(볼) キョン(견:見)’をする?それは略してそうだ。理論的にわかるということであり、‘クアン(관)’の字が。個人がどうだということを知って、家庭がどうだということを知って、氏族、民族がどうだということを知って、世界がどうだということを知って、天地がどうだということを知って、神様がどうだということを知らなければならないが一つも知らない。

神様が私の神様だと?そのような狂った奴らがどこにいる?我々のような人はそれが根本的に嫌いだ。神様がいるのかいないのかという問題をもってそれを決断づけなければならないのだ。

このような背後で今やレバレント・ムーンが行かなければならない世界があるが、私が霊界に行くようになれば・・・。堕落して追い出されず神様の息子として少年時代、青年時代、その次に結婚時代からその次に父母時代、このように繁栄して行くのではないのか?おじいさん時代、王の時代、それがあるのではないのか?そのままその通り大まかな計算で王になるとして王になるのか?

다음검색
현재 게시글 추가 기능 열기
  • 북마크
  • 공유하기
  • 신고하기

댓글

댓글 리스트
맨위로

카페 검색

카페 검색어 입력폼