み言葉が体化されてみ言葉を浸透させなければ
あれが聖書よりも貴い本か、聖書よりも貴くない本か?「貴い本です。」あの本を持って覚えるだけでなく従う前に行うと言って千回読む前に千回行うようになれば先に従って体化されうるのだ。訓読会は参席するが訓読会生活を出来ないじゃないか?
先生が今昨年の9月12日から天宙平和連合大会を始めて今まで、今も継続だ。一日に5回以上づつ読む。それをして今年の末まで行ってもだめかもしれない。だから深く深く広く広く読んで読んで考えて考えるので一つの条件を左右前後にするようになれば1ページ読むようになればそのみ言葉の内容を比較しても及ぶことができない。
み言葉を浸透させなければならない。み言葉はどこであれフルフル国境を越えなければならない。良いみ言葉は一日にも10カ国の国境もフルフル越えることができる。そうじゃないか?真のみ言葉を求めている人が多いために。統一教会の文総裁が一番悪いと言ったがよいと言うみ言葉はすでに世界にすべて行ったのだ。80代なのだ。先生が40代になれば王の王になろうと考えたが。その時に英・米・仏が私の言葉だけ聞いたとすればカチャカチャッとすべてしてしまった。今もそうだ。世の中を持って行って任せて置いてみなさい。
女は赤ん坊を産んで女の赤ん坊男の赤ん坊を乳を飲まさなければなりません。男を愛したとすれば‘あんたは教育しなければならない。女を教育する時は‘あんたのお母さんに似なさい。’と言わなければならない。そうして教育しなければならない。
統一教会の教主と言う人が話す前にすべて実践した後にと言うことだ。先生自体がその峠を越えた後に教えた言葉たちだ。先生がすべて知る話ではないのか?そうか?説明をしようとすればそれを中心にいくらでもできる。これが500巻以上の先生のみ言葉の中で、500巻の本、今600巻になる?おそらく先生が死ぬ前までは千巻になるかもしれない。そのようなみ言葉の中で骨子を抜き出すのだ。
そのようなことを知らずして互いに争ってこうだああだと言うこと、私が滑稽になる。私が皆さんについて行かなければならないのか、皆さんが先生について行かなければならないのか?皆さんについて行けば天に問い合わせるのだ。‘これをどのようにすればよいですか?’と言うのだ。神様もいたずらを好むために反対に‘こうであればよい。’すでにそれではそれを知って処理しなければならない。質問を再びするのだ。‘こうなので?’と言えば、アッ!神様も答えが困難な時がある。
さ、今日は問題がそうだ。何を残して行くのか?み言葉を残して行くこと、このみ言葉を天が『天聖経』と言った。天の国の聖書だ。あの国の聖人たちまでもこの訓読会をする。統一されている、霊界は。
数多くの宗教徒たちが、数多くの人たちが文総裁滅べと祈祷したが、今滅ぶようになっている、興るようになっている?「興るようになっています。」興るようになっているが私は出たくはない。私が生きたことがよい、味が。農業をする人は自然環境において穀食も自分がつくり、飲食もおかずも自分がつくるのだ。すべて自然の中にあるのだ。
息子娘を産めなくなったとすれば自分の近所にいる息子娘を育てなければならない。自分の一族たち、査頓(サドン:姻戚関係)の八等親の一族たちがいるじゃないか?一族たちの息子を自分の息子以上に為にしなければならない。統一教会の先生が今までアベルはカインのために、カインを復活させてあげて天国に連れて入らなければならない。サタンまでも天国に連れて入らなければならないと言うのだ。そのような言葉をすることがどれほど複雑か?どれほど恐ろしい言葉か?それではあんたがそのように生きたのかと言うのだ。そのように生きた。人が嫌だと言うことを全部すべてしたのだ。
我が性格が一度すれば抜いてしまわなければならない。止めることを好まない。明日が何の日か?「安侍日と平和大使1千6百人大会をする日です。」誰が講演会をするのか?「アボニムがされます。私が?あんたたちを一度させればよいのだが。私は今や嫌だ。少し休まなければならない時が来た。統一教会の教徒たちが訪ねて来ても会ってあげないかもしれない。来ようとすれば夫婦どうし息子娘たちを連れて来いと言うのだ。
先生は人をこの多く対した対したために訓練されているためにすでにパッと見ればわかる、よく生きるのか生きられないのか。二人が友人か?その横にいるおばさんと友人か?知らない人たちか?「先輩です。」性格が全く異なるが、そのように合えばよいのだ。
1,2,3、あの後ろのおばさんはどこから来た?そう私がわかるがまん丸なおばさん来なかった?まん丸なおばさんがいるじゃないか?名前をすべて忘れてしまった。出て来なさい。出て来て話を少ししてみなさい。一人で住んだおばさんが祝福されて面白く住むと言うこと、私の所に来て話して息苦しい言ったが最近どのように、丸10分ほど過ぎたが一度話してみなさい。(元老食口と対話、証し)
オモニ少し出てきてそうだ。「行かれました。」どこに行った?「清平です。」今日124家庭全て来たのか?「はい。」歌でも一つして。(趙萬雄チョ・マヌン教区長の歌)(拍手)
124家庭!「はい。」何人来た?「10人です。」さ!(ノリゲを賜れる)
初めてきたヤンバン(両班)たちは何なのか知らないのだ。今後6月の月に清平に王宮を建てて入宮式をする時功労のある女たちが記念できるノリゲだ。その時この物をつけた人たちは参席できるのだ。記念日を記念できるし記念されうる物だ。後代後孫たちの前に永遠に誇ることができる貴いものになるためにそれを残してあげるのだ。さ、それでは祈祷一度しよう。(黄善祚会長祈祷)(敬拝)(拍手)