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文鮮明先生御言選集 20060316 - 神様の愛と相対の価値 3

작성자대태양/김현수|작성시간23.05.01|조회수50 목록 댓글 0

心は神様よりも先立っている

そう、心が永遠な主人だ。あの国でも心の苦痛をなくすために教育されなければならない。教育が何か?神様がいれば神様が父親であると同時に血統が一つになっている。

父母と言う言葉は血統が一つになっている。血統、言ってみなさい。「血統!」血統が貴いことがわかるか?西洋人は血統を知らない。ブラッドリニジ(blood lineage)を知らないのだ。血統だけが永遠なのであり、血統が絶対的であれば孝子になれと言う言葉、忠臣になれと言う言葉、聖人・聖者になれと言う言葉が必要ない。何故?家庭において孝子の主人が父母であり、国において中心の主人が王であり、その次にこの世界の主人が真の父母であり、天地の主人が真の父母と一つになった心の場の目に見えない神様となっているのだ。それが別々に分かれていない。

それでは心においてどのようになっているのか?このすべての全体が分けられたこれが分けられることができない。心を騙して、心を越えて何であれできない!心が先に知るのだ。

このような論理を立てるようになれば、‘心は神様よりも先立っている。’このような論理が出て来なければならない。神様の心が私に移されたために神様も同様だと言うのだ。神様も体があり、生活環境を管理、超越できるこのような基準がなっている中心が神様であるためにその息子として生まれたとすれば私の心は神様が持っていたように神様よりも先だ!根がそのようになっているのだ。わかりますか?

このようなことだけ知っても大統領をして長官をしても良いのだ。これが簡単な内容です。

そう、神様もそうじゃないか?アダムエバが堕落したことを知っている神様が‘ややや、この子よ!’そうでなかった。自分よりももっと貴いように・・・。天地の大中心である神様がアダムが堕落した後に恥ずかしくてイチジクの木の下に下を覆って隠れている時‘アダマ!アダマ!’と探したのか、探さなかったのか?

このようなことが今後完成した主人が出れば教育できる重要な材料たちだ。間違った奴が隠れるに何故隠れたのか?それは大変なことです。分かれるのだ。一つになりうる因縁があったと話すそれは精神が出た奴だ。
  
そのために体は落ちて出たとしても私は本来ひとつであるためにあんたが難しい中におれば私があんたを訪ねて称賛するとか、少なくとも間違えば是正する責任がある!主人が父親と言う、父母と言うのだ。師であり、王なのだ。

宇宙の根本を知らない堕落した人類


そう、法と言うのは憲法があり部処別の方がすべてある?大韓民国に何個の部処がある?「18個です。」18個であれば18個の部処法がある。その部処法の中で下りて行きながらすべての全部が法の中で治理される。法の上にない。

我が日常生活において軍人はどのように座って挨拶はどのようにすると言う法たちがある?軍隊で‘あ、私法が嫌い!’と法を守らないとい制裁を受けるのだ。営倉に入る。そうじゃないか?大統領だと法を作れない。法に従ってそれを越えて部処が全部すべて歓迎できる場に置いて報告されるその事実を総評をして、正しく過ちを隠してあげて、高く低いを隠して‘よく熟れて良く育ったので良い。’と言えなければならない。

この原則は簡単だ。初めて私が会って話すがと言うことであり、簡単な話です。これは人生史で根本から根けないのです。宇宙の根本がどのようになっているのかと言うことを誰も知らないのだ。

皆さんが統一教会に来る時、‘アイゴ、統一教会何・・・。’このように今までおかしく知った。文先生を文先生として知った人がいるのか?私が今日来たのは文先生の言葉を聞きに来たのでなくその顔を見て何自分が評してついて行くのかついて行かないのか考えるために、比較するための材料として来たと考えるのであって、統一教会の精髄分子として来たのか?そうでなかった?精髄分子になると来た?精髄分子になると来なかった。?まだ決定をしなかった。

永遠に決定しなければ、今文総裁が話す内容が神様の本来の根本的な考えの出発になったのであるが、その考えの出発の前に落後者になるのだ。関係がないのです。それではどのようになる?ゴミ箱に入らなければならない。地獄と言う所に入る。

それでは皆さんの生命と、体と心が一つになって四肢百体が一つになって私の体を根こそぎ投入すると言えるそのような所がどこか?それが天国です。わか
るか?天国がどうかと言う時、その概念が天国がどの様なものなんか?目も永遠にその天国に入って行きたいし、鼻もそうだし、耳もそうだし、口もそうだし、私の手、右腕、私の四肢、五臓六腑が全部、どの一つの部分が抜けずすべて天国に行って生きたいのだ!何故?好んで!

何のためによいのか?天地、天地の中では神様がおり、世界の中には世界の主人になっており、国の中で国の主人になっており、
家庭の中では家庭の主人、私の心の中では私の主人がいる。そうでなければならないのではないのか?

それが神様であり、堕落しない人類の先祖になっていると言うのだ。目に見えない世界の王は神様、見える世界の王、実体の王になりうる方が、神様と心と体が一体になりうるそのような場で共に永遠に生きられる堕落しない本然の我々人類の先祖の模型がなくなった。

だから、神様の心の前に相対になったのがなくなったので神様の心をどのようにわかる?そうじゃないか?相対になりうる存在たちも知らないように主体になりうることをどのようにわかる?真っ暗な天地だ。

こうしながら自分第一主義で生きて行ったことが堕落した人類の相であり、地獄に向けて滅亡の窪み、真っ暗な世界の陥穽に落ちて下りて行く群れが堕落した人類の相だ!その中で避難生活をしてすべて火を置いてしたその中で残りのものが何必要であり、息子娘が何必要か?息子娘が一度に
すべて死ぬ。すべて別れて、あんたの思い通り生きることができることを訪ねてみなさい!

そのように見る時訪ねて行く人を誰が信じられない。すべて別れてこれからは本然の理想的な父親、理想的な国の王、理想的な世界の救世主、理想的な神様の場まで全部すべて失ったので‘訪ねて行ってみなさい。’としても訪ねようとすれば誰か案内者がいない。皆さんの父母が皆さんの案内者ではありません。師が案内者ではない。どこに行くのか知らない。

そう、人間が何故生まれたのか、なぜ生きるのか知らない?今しも、思い通りになった奴らだ。神様が知るようになる時一度に破壊して目であろうと何であろうと全部すべて監獄暮らし手で打ち殺し、影の形態も考えの中でなくなって永遠に、再び犠牲にさせる考えまでなくしたい輩たちである、堕落したために。

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