CAFE

文鮮明先生御言選集 19710109 - 御旨の行くべき道 4

작성자대태양/김현수|작성시간16.08.17|조회수592 목록 댓글 0

   日本統一教会の活動

 皆さんはよく知っておりますが、我々統一教会の基盤は固いのです。子供舞踊団が日本の佐藤首相に会ったことを、新聞を通して見たでしょう? それは、何もしなくてそのようになったのではありません。
 皆さん、日本で岸首相と言えば、日本では第一人者です。彼等兄弟同士、首相を四選もし、十年以上は任期を務めました。
 これから、韓国の運命の為に、この兄弟とどのように交渉するかということで、私が七年前から手を打ってきたのです。その過程は血みどろの闘争の連続でした。日本のお嬢さんに、「日本の政治家の幹部のところに行って、下女のような役割をしなさい。それができなければ痛哭しなさい」と指示しました。そういう命令を受けた統一教会の食口は彼等の秘書達によって門前払いをされたり、追い出され、あるいは「韓国の文某の犬め! 誰を滅ぼそうとして、門前に来て立っているのか」と言われたりして、あらゆる悪口を受けたのです。文某の弟子が犬の子扱いにされたのです。
 そういう批判を受けながら、今まで維持してきました。そうしながら今は、岸首相が今度の合同結婚式に祝辞までしましたね。今回韓国に来た時、私の家を訪問しようとしましたが、事情があって、できませんでした。
 今はそれ程、近付いて来ているのです。彼が活動している背後には、私が影響を及ぼしていることを世間は知らないでしょう。今回、日本と中国の経済人協会の会議の際、「周四原則」に反対して立ちましたが、それも私のコーチで成されたのです。
 ワクル大会も、私が全部コーチしました。日本全域にいる共産党に反対しようとして、挙国的世界大会を開きました。この大会の時二億七千万円の予算が編成されましたが、経費を節約して一億七千万円の大会費を払いながら、私達が闘争したのです。金は一銭も無かったのですが、私が方法を教えてあげて、このことを成したのです。
 これを見て、世界の数多くの国家の人達が、「ああ、大韓民国のあの人か」と言って感嘆したのです。それで、三か月間、日本の国際勝共連合の会長を、一躍世界的な人物に作り上げました。そういうことがただでできることでしょうか。
 統一教会の文先生の命を受けた我々要員は、例えば、蒋介石の部屋に入って彼と相談することができる程にならなければなりません。昨日は、日本の皇太子と岸首相をはじめとした官僚達三百名が、子供舞踊団の公演を見ました。そういうことがただで起こりますか。そういうことをするのは、唯、国を生かそうとする一念からしていることなのですが、韓国は未だに真夜中です。それでは話にもなりません。
 初めて来た方は、ここに来る時、[統一教会の文先生という人が来たが、怪獣が来たのか]と思ったのかもしれません。しかし、それは誤った判断です。
 一月の末頃には、將介石の息子が先生を訪問することでしょう。日本で開催されたワクル大会に、政界の有名な方達が多く出席したのですが、それは誰によってでしょうか。それは、極東の一角で流れて行く韓国の風潮の唯中で、姓名も知らない彗星のように現れた一人の男の手によって、そのことが成されたのです。

   統一教会の信仰と思想

 皆さんが大学を出て出世しようとして、御旨を捨てて飛んでみなさいというのです。十年後に見てみなさいというのです。そのように行ったとすれば、高等学校を出てきた統一教会の信者の僕にしかなりません。我々が動くのは、統一教会のために動くのではありません。皆さんは、統一教会のために進む人ではありません。統一教会は滅んでもいいのです。しかし、世界が滅びてはいけません。私が願って、神が願っている世界が滅びてはなりません。統一教会の文先生だけを愛する人を、私は願いません。私を愛する以上に神を愛し、世界人類を愛さなければなりません。そして、私を愛せよと言うのです。これが、統一教会の先生が教える精神であり、思想です。それ故に、統一教会の信者達は一般の人とは違うのです。
 大韓民国が世界を感化することのできる民族となり、国家となるためには、世界の為に最も貴重なものを世界に与えなければなりません。そうしなくては、世界が大韓民国の為にしません。そうでしょう? (「はい。」)与えずしては、ならないのです。
 与えても、与えた後において、誇ってはなりません。神は父母の立場で与えます。父母は子供のために与えますが、与えた後、「私が与えました」と宣伝しません。与える時も、ただ与えるのではなく、もっと良いものを与えなければならないのに、そうでないことに対しても、切ない心を持って与えるのです。
 それ故に、統一教会の信者は、誰に会ったとしても、一度行って排斥されれば、二度行って泣き、それでも排斥されれば僕となり、僕となって追い出されたら、その息子・娘を捉えて切に願えというのです。誰のためですか? 「自分の為にしなさい」というのではありません。「民族を愛する為に、そうしなさい」というのです。その一人に会う時は、三千万人を代表して愛し、その一人を三十億人類を代表して愛さなければなりません。
 そうしようとすれば、手段と方法を心配してはなりません。進まなければなりません。こういう姿勢で進む時、必ず神が共にしてくださるのです。それ故に、我々統一教会の信者達がそういう道を行こうとすれば、既に誰かが夢示を通して見て、道端で待っていて、侍ってくる人もいます。そのようにしてでも彼に侍るようにしてくれます。それで、先生はただでご飯を沢山貰って食べたことがありました。ある時は、私がとてもおなかが空いて、ある家を訪ねて行きましたが、その家のおばさんが言うのに、「夜、先祖が現れて、『貴いお客さんが訪ねて来るから、餅と御飯を作って晩餐を作って迎えなければならない』と教えたそうです」。そういうことが今も起こっているのです。そのようにして、私は生きております。
 皆さん、統一教会の歴史はどれほど素晴らしいか、知っていますか。統一教会の御旨が行く道がどんな道であるかといえば、個人を犠牲にしても家庭を救おうとするのであり、家庭を犠牲にしても氏族を救おうとするのであり、氏族を犠牲にしても民族を救おうとするのであり、民族を犠牲にしても国家を救おうとするのであり、国家を犠牲にしても世界を救おうとするのです。これが、正に統一教会が成そうとする御旨なのです。
 それ故に、神は今まで自分に最も近い人を犠牲にして、怨讐を獲得してくるようなことをされたのです。それで、神は愛の神であります。愛する息子を犠牲にして、怨讐の子供を救おうとされました。愛する家庭を犠牲にして、怨讐の家庭を救おうとしました。そして、自分の愛する氏族を犠牲にして、怨讐の氏族を救おうとし、自分が愛する民族を犠牲にして、怨讐の民族を救おうとされました。
 自分が最も愛するイスラエルの国を犠牲にしながら、数多くの異邦国家を救おうと努力されたのです。イスラエルの国家とユダヤ教の主人となられるイエス様、即ち、愛するひとり子であるイエス様までも犠牲にして、怨讐世界の息子・娘を救おうとされたのです。それ故にこそ、この貴く崇高な思想が、今日、救援摂理途上にある神の御旨が行く道に潜んでいることを、私達ははっきり知らなければなりません。
 我々は、このような歴史的な伝統の前に、神を代身する代身者の一人として、一つの時代的な先駆者の責任を厳粛に断行しなければなりません。これを決心していけば、誰が見ても見ていなくても、誰が褒めても褒めなくても、根を下ろすことができる時まで、あらゆる精誠を込めて、涙と血と汗がにじんだ精誠を込めておこうとするのです。これこそ、統一教会の信条であり、統一教会の信仰であり、統一教会の思想であることを、皆さんは知らなければなりません。

   統一教会員が行くべき道

 今日世界に広がっている統一教会員は、今や国を挙げて団結する時です。団結しよう。内外が一致団結しよう。一つの心で一つになろう。一つが黒ければ、全部黒くなければならないし、一つが赤ければ全部赤くならなければならないし、一つが白ければ、全部白くならなければなりません。そのようになってこそ、世界を愛することができるのです。
 では、我々が愛さなければならない標準は何ですか。アメリカにおいては、白黒の人種差別の論議が政策的に問題視されています。この問題は世界的にも重要な問題となります。この問題をどのように解決するかといえば、白人が黒人の家に行って、僕の生活をしなければなりません。白人の学者出身が、あるいは博士・学位を持った人が、黒人の労働者の家に行って僕の仕事をしなければなりません。そういう運動が可能になる時には、アメリカの黒人問題が一時に消えてしまうのです。
 そして、白人の名門の家の子女と、黒人のみずぼらしい家の子女と結婚しなければなりません。そういう問題を誰が解決するのかといえば、統一教会の文先生でなくてはできません。我々の統一思想でなければならないというのです。
 今度、合同結婚式がありました。この結婚式に同参した各国の人達は、御旨が行くべき道がどのような道であるかを知っていました。彼等は、自分の国を代表して怨讐の国を愛することのできる条件を立てる道を先に行こうとします。それが自分達が行くべき道であることを知っているために、それを自分達の義務として思っているのです。
 イギリスとドイツはお互いに怨讐でしょう? それ故に、イギリスの男性はドイツの女性を新婦として迎えなければなりません。ところが、ここにおいて、お互いに対話が通ずれば問題となりませんが、お互いが言葉も知らないながらも、「先生が結んでくだされば、一生を共に生活する伴侶としましょう」と言うのです。そこに従うことは、苦痛がどれほど大きいでしょうか。他の人達は、意志が通じ、全ての感情が通ずる立場においても、うまく生きることができず、破綻して行く状況にあって、彼等はどれほど誇らしく思っていることでしょうか。
 彼等は意志疎通の障壁が千里、万里、横たわっていたとしても、愛が通ずることのできる方法があれば、お互いが努力しながら生きて行こうとするのです。天倫の法度に従って行こうと、彼等は志願して、「結婚させてください」と言って先生の前にお願いするのを見る時、私は本当に有り難く思いました。統一思想がこのように恐ろしいものであることを、私自身も驚きました。皆さんがどのように行くのかということを、先生は続けて見守ることでしょう。
 日本の女性達は韓国語を知らないながらも、皆、「韓国の男性と結婚したい」と言い、日本の青年達も皆、「韓国のお嫁さんをもらいたい」と言うのです。これが成ることでしょうか、できないことですか。また、韓国において最も貧しい家庭の女性と、日本において最も豊かな家庭の男性と組み合わせてあげれば、その組が滅びるでしょうか、栄えるでしょうか? (「栄えます。」)それで、韓国の最も貧しい男性、あるいは女性と、日本において最も立派な男性あるいは女性とマッチングしてあげながらも、「うまくやっていけますか」と尋ねてみる必要もないというのです。だからと言って、統一家庭が最も良く生きるということでもありません。

   神の御旨を中心とした国家と世界をつくろう

 今や、共産党の手先をしていた民団を、たじろぐことのないようにしなければなりません。この者達、その民団の手を束ねておかねばなりません。御旨が行く道が正にそれであります。
 では、そういうことをして、統一教会の文先生が何をしようとしているのでしょうか。ある人々は、「統一教会がどんどん大きくなれば、…」と言いながら、恐れを感じています。我々統一教会が宗教界に手を付けないところがありません。言論界においても、昔は我々を打っていた人達が、今は、皆自分達が先頭に立とうとして、宣伝をして出るほどです。このようになると、一般の人々は「統一教会があのように発展している。もし看板さえ取り替えれば、政党になるのであり、文先生が大統領になろうとして基盤を整えているのではないか」という話をしています。私が大統領をしますか? 私が大統領を立ててあげることがあっても、大統領にはなりません。ここにいる我々の弟子達に大統領をさせるかもしれません。しかし、私はしません。彼等が勝手に恐れを感じて、そのように言っております。
 今度の二月に、我々の水澤里修練所に一万名を修練させることでしょう。以前、洞の班長から、郷軍小隊長以上、そして部落の有志達、あるいは賢い青年達を連れて来て、修練をさせました。共和党幹部に我が国の勝共思想を講義すると、修練会が終わるや否や、自分達の権力を全部捨てて出そうとする現象が起こります。その人々は、「我々が何故共和党の話を聞きますか。国際勝共連合の話を聞かなければなりません」と言うのでした。「そうするな」と言っても、そうするのです。
 そのようになれば、共和党内部において問題となり、閣議においても問題となります。一体統一思想とは何か、ということで、大学界においても問題が起こってきます。その時、その人達に我々の冠をかぶせてあげるのです。ここにも大学がありますか。(「関東大学があります。」)これからは、我々の統一原理を知らなければ、大変な事になります。
 これから、先生は国会を中心とした作戦をすることでしょう。統一思想を大韓民国の主体思想とするために、国会議員を立てて、国会に通過するように作るのです。そうすれば、つまらない与党や野党がある国とはならないのです。そうでしょう? そうできる可能性は充分あるのです。
 大学の有名な教授達もこの思想を聞いていますが、彼等が作成した感想文を見れば、素晴らしいものです。これを全部出版して、約百巻ほど造ろうと思っています。そうすれば目が引っ繰り返って、お互いが買おうと言って喧嘩をするようになることでしょう。これを知っている人達が先に買おうと言って、争うでしょう。それでもできなければ、原理研究会を訪ねて来て、へつらいながら、会員に付いて回りながら交渉して、一冊貰おうとするのです。そのようにして何をしようとするのでしょうか。統一教会を発展させようとするのではありません。統一教会は、滅びてもいいと言うのです。先生の主義は、大韓民国がない、といっても落胆しません。国土がない民族となっても後悔するなというのです。二十世紀を越えて二十一世紀の時代においては、この民族が持っている思想でなければ、世界を救う道がありません。「その時のために行きなさい」と言うのです。その時には、世界が私達の手助けを受けることでしょう。心配するなと言うのです。
 私がアメリカに足を踏み出した時、「私はアメリカを誰よりも愛する」と言いました。アメリカを、アメリカの誰よりも愛したのです。アングロ・サクソン民族によって約二百年の歴史を持っているアメリカを、誰よりも先生が最も愛したのです。
 何故そうするかと言えば、コロンブスがアメリカを発見する以前から、神がアメリカを愛したからです。アメリカの人がいる以前から、アメリカの主人は神様でありました。アメリカを誰よりも愛されたのは神ではないでしょうか。私は神の息子であります。堂々たる息子であります。神の息子であるが故に、誰よりもアメリカを愛します。このような伝統を受け継いだのです。
 今のアメリカになる前には、彼等の先祖達がインディアンを撃ち殺した歴史があったというのです。アメリカは、神が一つの使役者を立てるのに必要な道具として用いるために立てた所です。そういうアメリカは、これから統一教会の先生の話を聞かなければなりません。だからと言って、統一教会を中心としたアメリカを造ろうとしているのでは絶対ありません。また統一教会を中心とした大韓民国を造ろうとすることでも絶対ありません。
 神は、誰もが皆喜びますから、神の御旨を中心とする国として作ろうとするのです。文先生を嫌がっても、神を喜ぶのです。そうではないでしょうか? 文先生に対して批判する人はいるかもしれませんが、神に対して批判する人はいません。先生が行うことは、神の御旨を成就するための行いであります。即ち、神の御旨を中心とした国家と世界を作ろうとするものです。
 こういうことを全て成しておけば、神はどのようにされるでしょうか。神の全てのことを子女達に均等に分け与えてくださるのです。同じ事だというのです。これで、このようにしても大丈夫だし、あのようにしても良いと言うのです。それを、皆さんは知らなければなりません。

   栄える方法

 御旨が行く道は犠牲になる道です。我々統一教会の人達は皆犠牲になりなさいと言うのです。夜であっても昼であっても、眠らずに御旨を行かなければなりません。今は私は少しは眠りますが、以前は平均睡眠時間が一日三時間にもなりませんでした。
 それを知って、皆さんは今や、一九七一年度に、地区長を中心として一つに団結しなければなりません。分かりましたか。(「はい。」)団結して何をしようとするのでしょうか。江陵地方の為に、無条件で奉仕しなければなりません。そうするのに、涙と血と汗を流す覚悟をして立たなければなりません。
 明日の国の為に、愛国、愛族することのできる思想に染まって、村々、谷々を訪ねて奉仕せよと言うのです。人が見るには、穴を掘るみすぼらしい農夫の姿ですが、その胸の底には、諸々の国の為に生きることのできる中心の種子が植えられているのです。このように、ありったけの力を尽くしたにもかかわらず、滅びるようになったとすれば、先生の首を切れと言うのです。
 そのように苦労するようになれば、その場所の中心人物になるようになるのです。そうでしょう? そのようになれば、滅びるのではなく、栄えるのです。そのようにして強制的に彼等を屈伏させるのではなく、彼等自身が屈伏するのです。こういう事実を皆さんは知らなければなりません。
 このような神の作戦は何かと言えば、打たれて奪って来る作戦です。忘れて、数十倍を再び取り戻してくる作戦です。世界の為に愛する息子・娘を殺し、怨讐の国家から何億千万倍の収穫を収めたという事実を、私達は知らなければなりません。忘れて、取り戻して来る作戦、打たれて奪ってくる作戦です。
 真は、打たれれば打たれるほど無くなるのではなく、かえって、広がって行くのです。真の為に失ったならば、それを完全に失うのではなく、かえって自身が引っ張られて、どんどん上がって行くようになります。同じように、私が相手の為になっていたならば、相手は結局、私を引っ張って行こうとします。言い換えれば、私の物が世界の物であれば、世界が私を引っ張って行こうとするのです。そういう世界の物が神の物であるとすれば、神が私を引っ張って行こうとするのです。結局は一つの条件をかけて、全体の中心と結託できるたった一つの勝利の秘訣が、これです。団結できる唯一の方法がこれしかないのです。そのように生活しないで、他の人が握っている拳銃で復帰しようとすれば、歴史上の誰も、この戦いに勝つことができません。
 人の為になすことは、天国を建設するための勝利の土台であり、勝利の土台を広めるための善の土台であり、善の原則であることを、皆さんははっきりと知らなければなりません。皆さんが常にこれを念頭に置き、これを中心として生きるならば、間違いなく勝利することでしょう。人の為にやることは栄えることであり、自分だけの為にやることは滅びることです。
 結論を言えば、人の為にやることは、公的なことであり、自分だけの為にやることは、私的であると言うことができます。それ故、公的なものの為に生きる人は栄える人です。栄えざるを得なくなって行くのです。私的なものを中心として生きる人は、滅びるのです。滅びまいとしても、滅びざるを得ないようになっていくのです。そういう人は悪なる人です。
 何かを分ける時、多く持ったら、それは決して誇りではありません。そこで恥ずかしさを感じなければなりません。多く持てば誇りを感じるはずなのに、恥ずかしさを感じるというのは何故でしょうか。私的であるからです。私的である時には、自ら縮こまってくるのです。しかし、泥棒は私的な立場を絶対的に立てようとします。他人の物も、自分の物だと主張するのです。泥棒は何かを盗もうとする時、堂々と騒ぎながら行きません。這って行きます。それは、地に下りて行く姿です。天命のために、直行しなければなりません。
 しかし、良心的なことをする時には、堂々たるものでしょう? それで大きくなるのであり、やりがいと楽しみが出てくるのです。そのようになれば、全てが平安です。皆さんは、これをはっきりと知らなければなりません。それ故に、公的な路程を通してのみ、天倫と人倫とが接触することができるのであり、私的な路程を通せば天倫と人倫とが破綻するようになるのです。

   繁栄する伝統的な思想を残すために戦って行こう

 皆さんは、こういうことをよく知らなければなりません。私の言葉が公的なものであるのか、私的な言葉であるのか。私が見るものが公的なものであるのか、私的なものであるのか。また、私のなす事が国の為のものであるか、世界の為のものであるか、天の為のものであるか。あるいは、聞くことも、行くことも、公的であるか、私的であるかを皆さん自らが分析しなければなりません。
 朝、一歩を踏み出す時でも、公的な歩みであるか、私的な歩みであるかを反省しなければなりません。そして一日の仕事を終えて床に横たわる時、公的な一日を過ごしたか、私的な一日を過ごしたか、反省しなければなりません。あるいは、一年を中心として公的な生活をしたか、私的な生活をしたか、一生を中心として、公的であったか、私的であったかを、反省しなければなりません。
 このようなことを中心として、皆さんの生死を分別することのできる秤が上がったり、下がったりすることを皆さんは、はっきりしなければなりません。このような原則を皆さんが知ってさえいれば、公的な路程から御旨が行くべき道が決定されるのです。
 公的な土台に立ってこそ、横的な恵沢圏を広めて行くことができます。即ち、私は縦的に立っているのですが、私によって横的に拡散され、全体が私と同じような恵沢圏内に入って行くということを、皆さんは知らなければなりません。このように動くようになれば、影で生きたとしても、その影で生きれば生きる程、間違いなく、根が無限に広がって行くというのです。そこから再び芽が出て広まるようになる時には、根に比べることのできないほどの無限なる発展がなされていくという話です。統一教会がそのようになるというのです。統一教会はそのように発展しています。
 そして、私が皆さんを指導していますが、この一つのことだけは知らなければなりません。皆さんには絶対に負債を負いません。私は皆さんの血を吸い、皆さんを利用する人では、絶対にありません。今まで、皆さんが私の世話になったでしょう? (「そうです。」)この世話は、死んだとしても返すことのできないものです。皆さんに世話にはならないということが、先生の鉄則です。絶対に、皆さんの世話にはなりません。それ故に、皆さんは公的な立場に立たなければなりません。
 西洋の食口達も、先生に会いたがっていますし、懐かしがっているのです。何故そうするかと言えば、彼等も先生に負債を負っていますし、その負債を返さなければならないためです。それで、アメリカの食口も自分の家を売ろうとすれば、先生のサインを受けなければなりません。
 先生が韓国におりますが、この地において命令だけすれば、あの地の果てまでもそういうことが起こるのです。何故そうしなければなりませんか。そうしなければ、霊界から黙っていないのです。そういうことが起きていますよ。私がそれを願う以前に、霊界で黙っていないのです。そういうことが統一教会で起こっているのです。私がお金がなくてあえぐ時、霊界を通して立体的にアメリカにも命令が行き、日本にも命令が行くのです。分かりましたか。そのようにして、今まで生きているのです。
 それ故に、統一教会の食口達は[神がいない]とは、誰もいえません。今日、統一教会の文先生は、今まで自分自身だけの為に生きてきたのではありません。先生は五十星霜を全部、人の為に捧げました。そういう私の末路が、どのようになるのでしょうか。私が何もなく、あるいは客死したとしても、墓だけ残ったとしても、その墓には花が咲くことでしょう。何故ですか? こうして生きてきたために、そうなのです。先生はそういうことを知っております。
 皆さんが今行く道、この道は滅びる道ではなく、栄える道であることを知って、皆さんの後孫に恵みを伝え、彼等が皆さんを永遠に追慕することのできるようにしなければなりません。そのような伝統的な思想を守って行くことによって、万民の前に、目覚ましい恵みを受けることができることを願いながら、お話を申し上げました。

   祈 祷

 愛するお父様。きょう、大関峰を越えながら、今から十年前のことを考えました。過ぎ去った歴史の流れは、時には悲しく、時には喜びでありました。
 人が理解できない心の中に、神の悲しみが潜んでいることを考えるたびごとに、お父様に対して私は常に不足であることを悟るようになりました。
 お父様。きょうの夜には、江陵にいるあなたの子女達と共にあなたの御言を分かち合いました。我々が会うようになったこの因縁は、私達の能力によって会ったことではなく、お父様を中心として数千万代の先祖が橋を作って、その土台を広めた功績によってであります。きょう、このように会うことができる一時を持つことができるようにしてくださった全ての恵みを、私達は感謝して、感ずるようにしてくださるようにお祈り申し上げます。
 人間同士であれば出会って別れる立場においては、批判が加わるのであり、分裂が起こるのを見るのですが、天を中心として出会うところには、申し訳なさと、感謝と、涙だけが残ることを私達は知るようになりました。
 この度、このように集まったあなたの子女達は、深い心の中で神を更に同情し、我々のお父様であられる神を愛さなければならないということを、はっきり悟るようにしてください。気が狂うほどあなたを愛するために、自分の心と体のすべてを捧げて、全てを犠牲にしても感謝することができ、神様が見て喜ぶことのできる息子・娘となることができるようにしてください。
 喜ぶばかりでなく、一つしかないあなたの愛を全て分け与えながら、万民の前に誇りたい息子を、どれほど懐かしがりながら、捜されたことでしょうか。また、そういう娘を、あなたはどれほど懐かしく思われたことでしょうか。
 今や、私達の焦る姿があなたの性相に向かって一歩一歩前進しておりますから、あなたが「早く来なさい」と呼ばれる時を待つ、そのような私達の姿とならなければなりません。苦難が来ることを避けたり、また苦難が来ることを心配する、そういう息子・娘には、絶対ならないようにしてください。
 この江陵地域に統一教会の地区が設定された時から、受難の歴史があったとすれば、そこには、間違いなく人間同士の過ちがあったことを私達は知っております。お父様は背後に在ってよくなさりましたけれども、人間が過った時、神は悲しみ、寂しがらざるを得ない立場に立たれることを、我々ははっきりと悟らなければなりません。人間が互いに協助し、互いが誓ったにも拘らず、誤まったことによって、神が訪ねようとされる全体の恵みをくつがえすことがあっては、絶対になりません。このような事実を知って、自ら誓うことのできる息子・娘となるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。
 御旨行くべき道、御旨が願う道がどのような道であるかを知りました。私達は公的な生命を持って生まれ、公的な愛をもって生きています。そして公的な思いで公的な人生の航路を行っております。そのために、我々は神の為に、地の為に、人類の為に、何を残していくことができるのか。何が私達が行かなければならない使命であるかを、はっきりと悟らなければなりません。自分の為に狂い、自分の為に戦い、自分の為に犠牲になる人に、絶対になってはなりません。
 そのような人くらい、無価値な人間はいないということを、はっきりと悟るようにしてください。統一の子女の幼い心の中に、新しい望みと、公的な人格と、公的な国と、公的な世界と、天を愛することのできる公的な心が芽生えるようにしてください。
 あなたの心情と一体化できる子女になるようにしてください。そして、勝利の結果を自分を通して家庭に分け与え、その家庭を通して、氏族と民族と世界の前に受け継ぐことのできる自分達になれるように、許してください。そして、貴い善なる祖先となれるように祝福してくださることを、お父様、切にお願い申しあげます。
 きょうの出会いを感謝しながら、今残った時間をお父様が主管してくださいませ。明日も、忙しい歩みを催促しなければなりません。未来の行路においても、あなたの祝福圏内、あなたの広大な愛の圏内において保護してくださり、養育してくださることを、再三お願い申し上げます。
 そのような明日を願う子女達の上にも、自ら共にいてくださることを、切にお願い申しあげながら、今回の巡回のコースを通して、あなたが喜び得ることのできる御旨が、食口の生活圏内に現れることができるように、恵みを施してくださることを再三お願い申し上げながら、全体を真の父母の御名を通してお祈り申し上げます。アーメン。  

다음검색
현재 게시글 추가 기능 열기
  • 북마크
  • 공유하기
  • 신고하기

댓글

댓글 리스트
맨위로

카페 검색

카페 검색어 입력폼