CAFE

文鮮明先生御言選集 19791004 - 天勝日のみことば 2

작성자대태양/김현수|작성시간17.11.17|조회수71 목록 댓글 0

 選民と天宙主義

 ある日、先生がニューヨークの店に洋服を買いに行った時、その店はたまたまユダヤ人によって経営されていました。彼はとても秀でたユダヤ商人で、先生に「あなたは文鮮明師ではないですか」と聞きました。「はい、そうですが」と答えたら、「お会いできて光栄です。一つ質問があるのですが」と言うのです。「どうぞ」「私たちユダヤ人は神の選民であり、神は私たちを最も愛されているはずなのです。そして、天国に入る第一の市民であるはずですが、なぜ神は私たちに多くの苦しみを与えられたのでしょうか。私たちの数えきれないほどの同胞が歴史を通して苦しみをうけ、はてはドイツにより六百万人もの同胞が大量虐殺されました。なぜ私たちは神の子女なのに、そう苦しまなければならないのでしょうか。答えていただけませんか」それで先生は言いました。「答えはとても簡単ですが、その簡単な答えを理解していただくのに一時間かかります。一時間、営業をストップして講義を聴けますか」「いや、結構です。私は商売をしなければなりませんから」「よろしい。じゃまたの機会に」ということがありました。

 全宗教を一つにしようとする神の御意があったことを、皆さんに知ってほしいのです。また、神の歴史は蕩減の法則で動いているのを知っていますね。神の目的は全人類と全宗教を復帰することにあります。イエス様のように、何人かは世界のために犠牲になる立場にあります。六百万人のユダヤ人犠牲者は世界中の何十億の人々を復帰しようとする、神の目的を果たす立場にありました。この犠牲を無に帰してはなりません。彼らは神の歴史において、全人類を救うための重要な目的にかなっていたのです。

 世界の全宗教の中で、ユダヤ教はその中心で、一つにまとまっていて、最も苦しみを受けた宗教です。神は最も愛するものを犠牲の立場に立たせるのです。ユダヤ教は最も苦しみをうけました。また、神はユダヤ教が最も力強く、最も神に通じ、最も一体化した宗教たることを期待されました。全宗教を統一するのに、どの宗教が中心的役割を果たすべきだったのでしょうか。ユダヤ教です。神はユダヤ教をえりすぐれられ、鍛えられ、鞭打って強くされて、その中心的な役割を果たさせようとされたのです。これが先生の摂理的観点からの説明です。苦しみや犠牲は神の罰ではなく、栄光ある役割です。ちょうど、イエス様が歩まれたような犠牲の道で、それを通して全人類救済の摂理が成就されるのです。

 第二次大戦後、神はユダヤ民族にチャンスを与えられました。誰が大戦中、最も苦しんだでしょうか。ユダヤ人です。彼らがキリスト教も含めて「神の旗印のもとに一つになりましょう」と言いながら、神の旗手、神の代理使命者となるべきなのです。そうなれば、残りの宗教は時間の問題です。

 ユダヤ人の問題は何かというと、彼らは心の小さい民族主義者なのです。神は宇宙的な方なので、選民もまた宇宙的な考え方をもっていて、彼らは世界中の人々を抱かなくてはならないのです。そうして、全人類を救うために、喜んで生命を捧げる、そういう者でなければならないのです。ユダヤ人がそのようであるならば、神に大いなる勝利をもたらすことでしょう。彼らが狭い考えをもち続けるならば、世界にはもっともっと問題が起こることでしょう。しかし、彼らが解放的になり、すべてを神の観点から見るならば、本当に神の選民としての栄光に浴することができることでしょう。彼らの心が狭くなり、自己中心的になればなるほど、神は遠ざかり、別のチャンピオンを捜し出されるのです。

 皆さんに良くわかってほしいのですが、このことの故に大戦後、共産主義が日々頭をもたげているのです。やがて共産主義勢力が自由世界を制圧する時に、一番はじめに抹殺されるのはユダヤ人だけでなくキリスト教徒なのです。もし共産主義者たちが世界制覇をするならば、歴史上今までかつて見たことのない、想像を絶する最悪の悲劇と流血がおこります。世界中で人々が血を流し、事態は最悪になります。最大最悪の苦しみ、災難があり、ユダヤ人虐殺も爪の垢ぐらいにしか思えないほど、何千何億の人々が多くの流血の中で苦しみ死んでゆきます。

 そして、そのような中で最後に残されたただ一つの課題は一つになることです。最高に堅い団結が必要なのです。考えてごらんなさい。もし共産主義者たちが世界を支配していたら、ヨハネ・パウロ二世はニューヨークのブロードウェイでパレードすることができたでしょうか。いいえ、呉越同舟で全カトリック教徒、全キリスト教徒、全ユダヤ教徒は断頭台にさらされることでしょう。

 統一教会はどうでしょうか。まずまっ先に狙われるでしょう。それで先生が主張したいことは、私たちが一つになり、宗派の壁を乗り越えなければならないということです。それ故にこれは統一運動なのです。しかし、統一に反して共産主義者たちは何をしているかというと、キリスト教徒とユダヤ教徒を扇動して「共産主義者たちがあなたを嫌う限り、私たちもあなたが嫌いです」と色メガネをかけて、先生を見させているのです。まったく良くないことです。

 しかし、先生の側に立って反論する者がいるように思われます。それがあなたたちです。あなたたちは「いや、あなたたちは正しくない。私は文師のために戦おう。私は神の業を見たし、神の栄光をみた。私はそれに生命をかけよう。分裂や反対の側に立つのではなく、文師の側に立って、師の目的と意志のために戦おう」と言うでしょう。それがあなたたちです(大歓声と拍手)。ここまではユダヤ商人のためにちょっとずれてしまいましたので、本筋に戻りましょう。しかし、これは必要なことですので、あなたたちも常識として知っておくべきですね。

 マリア

 すべてのイスラエルの国家的基盤の上に、神は救いと解決の道を示し、復帰の意義を世界に教えてくれる核なるメシヤを送られます。それが神の御計画なのです。神はメシヤとして男性を送られるべきでしょうか。それとも女性でしょうか。ではメシヤは男性から生まれるでしょうか。それとも女性からでしょうか(女性からです)。では、神の摂理を果たすべき特別な位置に送られた、唯一の神のチャンピオンたる女性は誰だったでしょうか。二千年前のイエス様の時代には誰だったでしょうか。その名前はマリアです。神の目から見た最初の花嫁はマリアでした。マリアは神の第一の花嫁でした。マリアは四千年の歴史の結実体でした。神の四千年間のすべての業はマリア一人を捜し出すのに匹敵します。マリアは摂理的伝統のもとに生まれ、摂理の頂点に立っていました。マリアが召命された時、歴史のすべてをひもとき、乗り越えてゆかねばならない召命された女性としての責任分担が残っていて、それを自分でしなければなりませんでした。

 堕落の経路の中で三つの虚言がありました。エバは父なる神をだまし、次に夫のアダム、そして息子をだましたのです。それが堕落した立場でした。神がマリアをこの世で最も特別な使命を果たす者として召命された時、マリアにはすでに婚約者ヨセフがいました。なぜなら、エデンの園ではアダムとエバは婚約中に堕落したからです。ヨセフはマリアの相手も知らずにマリアと結婚し、子供を出産させました。そこはあるベールでおおわれていて、ヨセフは一体どうなっているのか、皆目見当がつきませんでした。

 天使がマリアのところにやってきて、こう言いました。「マリアよ、父なる神があなたに特別な使命を与えられました。あなたは神の御子をみごもるでしょう。その子の名前はインマヌエルと呼ばれるでしょう」と。このような信じがたい使命を授かったのです。マリアはそれに対してどのように反応したでしょうか。マリアは「いいえ、どうか他の誰かのところへいって下さい。私には婚約者がいます。そのうえ、もし私が子をはらめば、人々は私が婚約したばかりだということを知っていますから、ユダヤの律法のもとに私を石打ちの刑に処するでしょう。私は死にたくありません」ということもできました。そして「それに私の婚約者が黙っていません。彼がまず私を石打ちにするでしょう」と言うこともできました。

 それは非常に危険であり、冒険でした。婚約者がいて、人々が見ているし、家族も義父母も見ている中で、マリアは「あなたは一人の子をみごもるであろう」という使命が与えられたのです。それも誰にも、みごもる子が誰によるものなのかをうち明けずにです。それはちょうど父なし子をみごもるようです。それで、マリアは石打ちの刑に処せられる運命を辿ることになるのです。ではマリアは何と言ったでしょうか。「私はその結果が恐ろしいので、私にはできません」と言ったでしょうか(いいえ)。マリアは「あなたの御意がなりますように。私に何がおころうとかまいません。人々が何を言おうがかまいません。私の主なる神よ、御意がなりますように」と言いました。またマリアはこうも思ったことでしょう。「神の子を生むのが私の使命です。私は人々が私を石打ちにして殺そうとすることも、あるいは十字架につけようとすることも知っています。私は喜んで死にましょう。しかし、子供の生まれる十月十日の間はいやです。それまでは岩の陰や木の後ろに隠れてでも、何としても神の子を生みます。それから死にましょう。十字架にもかかりましょう」これがマリアの決意でした。

 しかし、最も重要なことは、マリアは自分が賢い女だと思っていたことです。マリアは自分を守って、十ヵ月後に子供を生むのに最良の方法は、ヨセフを自分の味方に引き入れることであると考えたのです。「もし、私が何とかしてヨセフに話をつけ、彼が私の立場を理解してくれれば、私は安全でしょう」とヨセフを説得するために彼のところに行って「私のお腹にはメシヤが宿っています。ですから、私をソッとしておいて下さい」と宣言するようなことをマリアは言えたでしょうか。いいえ、そうではありませんでした。そこには多くの困難があり、逆境がありました。マリアはそういう過程を通過しなければなりませんでした。先生はこのことを全部知っていました。しかし、それを全部話す時間はありません。では先生はどのようにして、それを知ったのでしょうか。それを知っていたからこそ、今日の私があるのであって、そうでなければ今日の文鮮明はありません。

 では誰がマリアに協力したのでしょうか。マリアは神の使命のために、生命を捨てる決意をしていました。誰が協力したのでしょうか。神御自身です。神はヨセフの夢の中に現われて「わが子よ、良く聞きなさい。恐れてはならない。マリアを妻として迎えなさい。恐れず、マリアを疑わず、ただあるがままを受け入れなさい」と言われたのです。ヨセフも本当に神の人でした。このような啓示はただ天使がやってきて告げるだけのものではなく、夢の中でも告げられるのです。夢と言っても「私は変な夢をみましたが、信じません」と言うこともできました。しかし、ヨセフはそれを真面目に受けとめたのです。「夢は神のみ言葉です。現実を乗り越えて、その夢に従おう」とヨセフは決心したのです。ヨセフはお腹の子供を考慮せず、マリアを妻として迎えました。「お前は私の妻だ。お前のお腹の赤ちゃんは私のでないことを知っている。しかし、それは神の御子である。私はそれを受け入れよう」と。

 少年時代のイエス様

 ヨセフはマリアに「マリアよ、私はお前の生命を救ったんだよ。もし私が『お前は不倫な女だ』と言ったら、お前は石打ちにされるだろう。しかし、私はお前を救って妻として迎えたんだから、全部白状しなさい。お腹の子供は誰の子だね」と言うと思いますか。そしてマリアは「私はこの子を聖霊によってみごもりました」と言ったら、ヨセフはそれを受け入れる準備ができていたでしょうか(いいえ)。ヨセフはその言葉を受け入れると思いますか(いいえ)。もし二人の間にそのような会話が往き交うならば、大口論が生じるでしょう。そしてヨセフは「お前は気違いか。それとも、まだ私に嘘をついているのか。私はお前の生命を救ったのに、まだ嘘をつくのか。お前は私に正直じゃない。一体どうしたというのだ」と言うでしょう。たとえ、このような会話がそのままの形ではなかったとしても、多くの困難な状況があったと考えられます。

 イエス様が生まれた時、人々はイエス様がヨセフの息子であると知っていました。しかし、イエス様が成長していく過程で何の口論も、困難もなかったのでしょうか。あるいは空気が張りつめたような、緊張した状況がなかったでしょうか。あったのです。ヨセフが結婚した当時、張りつめた空気が流れていました。「何があったのだろう。聖霊により子供が生まれるとは、どういうことなのだろう」と。とにかく、この世に隠せる秘密はなく、人々の会話を鳥が聞き、鼠が聞き、小さな昆虫が聞き、それらが知らせを広めるのです。きっと大きな噂が立ったはずです。「ねえ、あの子は父なし子だよ。不倫の子だよ」とそういう評判が出回っていたに違いありません。

 ヨセフとマリアが結婚して、イエス様の兄弟が生まれました。兄弟たちは何か変だということに気づくのです。彼らのお兄さんであるイエス様は、皆と顔が似ていなかったわけです。「私たちのお兄さんはどうしたんだろう」と。聖書を読むと、その間の描写はすべて神聖化されているのがわかります。しかし実際は、イエス様の少年時代は非常に緊張した時代で、ある時には母親のマリアさえイエス様を冷遇しました。誰が神の使命を受け入れたのでしょうか。マリアは現実生活の中で犠牲となりました。ヨセフとマリアにさらに子供が生まれ、ヨセフもそこにいて、村の人々もいて、そういう張りつめた状況下で、イエス様は寂しかったのです。イエス様はしばしば家を出ていました。

 ある時は、エルサレムから故郷に帰る時に、イエス様がいないことを知った両親は、捜しながらエルサレムに戻り、三日目にようやくイエス様が宮中にいるのを見つけたことが、聖書にのっています。実際、イエス様は両親につれられてエルサレムに上り、神殿を訪ねましたが、両親はまだ少年だったイエス様を残して去ってしまったのです。どうして親が我が子に対して、そんなことができるでしょうか。ヨセフとマリアは家庭で、それほど幸福な日々を送っていたわけではないのです。

 今日、あなたたちの中の多くは、継父や継母によって育てられた経験があるはずです。この二十世紀の開かれた社会でさえも、争いが絶えません。まして二千年前は、いかばかりそうであったことでしょう。そのような観点から見れば、今のアメリカの青年たちはイエス様に対して、同情的な境遇にあります。ですから、世界のどこの人々よりもあなたたちは、イエス様に似ていなければならなりません。なぜなら、より多くの家庭が破壊されていて、より多くの青年たちがイエス様が味わったと似た苦しみを受けているからです。サタンはエバをして父なる神、夫、息子をだまさせ、そしてエバを奪っていきました。しかし、マリアは逆の経路で神のみ旨を受け、それを果たすために偉大なWONDER・WOMANとなり、召命後、そのみ旨を果たしました。

 真の父母

 このようなマリアの歴史的背景と、当時の社会的状況の中でイエス様は生まれ、メシヤとならざるを得ませんでした。しかし、メシヤはこの世の人々に受け入れられず拒否されて、十字架にかけられたのです。神はこの独り子をこの世に生み出すのに、大変苦労されました。メシヤ以前の歴史がどれほど悲惨なものであったかを見てごらんなさい。そのような歴史路程を通して、メシヤは来臨されたのです。そのメシヤがただ単に、三十三歳で死ぬためにこられたと思いますか。それが神のみ旨なのでしょうか(違います)。メシヤは宇宙の長子として生まれました。メシヤは神中心の長子としてこられ、万物に対する主権をもつ主人としてこられたのです。イエス様は人格の神、愛の神、全宇宙を創造された神の実体対象として、この世に出現されたのです。イエス様は四千年の長い葛藤の末に生まれた神の完全表現なのです。

 今日、キリスト教はイエス様の十字架が神のみ旨でなかったことを知らないことに対して、悔い改めなければなりません。十字架は神の本来的み旨ではなかったのです。そんなふうに、神は独り子イエスに死んでほしくなかったのです。ですから、十字架は決して神を喜ばせる印ではありません。先生がこのことを言うので人々は「文師は異端だ」と言うのです。かまいません。彼らに言わせておきなさい。しかし、これは神のみが明かすことのできる隠された歴史なのです。このことは、地上の誰にも知られていなかったのです。このことを知らずに無知のまま歴史が続いていけば、人類は必ず滅びる運命を辿ることでしょう。人類を救い、神に復帰するために、歴史上のこの時代にその真理を解き明かす者として、神は文師を選ばれたのです。

 それで、もし文師が今までの歴史上明かされなかった真理と神の心情を明すために、神に遣わされたチャンピオンならば、それが文師の神からうけた、この世界に対する信任状なのです。ですから、この運動に反対するいかなる人も、いかなる宗教も、いかなる宗教的指導者も衰退するでしょう。その滅びる運命の日を避ける方法はありません。一つの事実を見てごらんなさい。キリスト教は二千年間繁栄し続けて、今や事実上全世界を呑み尽くし、世界の隅々にいたるまで宣教の手が延べられています。しかし、第二次大戦後わずか二十年の間に、全キリスト教界が急速に崩壊しています。なぜそうなのでしょうか。これは単なる偶然ではありません。

 それから、イエス様の十字架の後に何が起こったのでしょうか。イエス様の十字架後、神の摂理は分立してしまいました。一つは霊的摂理で、もう一方は肉的摂理です。イエス様は十字架にかけられた後、霊的親でとどまってしまいました。神を中心としたアダムとエバの霊的三位一体は、神を中心としたイエス様の霊と聖霊がとって代わりました。イエス様は人類の親としての立場を、霊的にのみ果たしました。というのは、イエス様の肉体は鞭打たれ、槍で突きさされたからです。イエス様は人類の霊的な花婿であり、夫なのです。では聖霊は何でしょうか。花嫁の立場です。イエス様はその肉体を十字架にかけられてしまいましたが、神の子として肉体をもって来臨されました。しかし、聖霊はこれまで外形をもたず、ただ霊としてとどまっていました。究極的には、無形の聖霊は女性の肉体としてその外形を現わし、肉体をもった人類の母となり、肉体をもった人類の父と一緒になって、霊肉ともの人類の真の父母となるのです。

 その真の父母を通して、人類は神に帰れるのです。霊肉の真の父母がその位置につかれることによってのみ、私たちは地上天国を実現することができ、それが天に引き上げられて天上天国となるのです。ですから聖書に示され、統一原理が教えているように、地上天国がまず最初にやってこなければなりません。それから、天上天国が開かれるのです。“あなたがたが地上でつなぐことは、天でもみなつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう”という聖句を知っているでしょう。

 神が人間を創造された時、男と女を創造されました。男性だけ、あるいは女性だけではありませんでした。男女が一緒だったのです。イエス様は人類の先祖であり、親です。しかし、イエス様お一人で同時に父親と母親になることができるでしょうか(はい)。それではイエス様は男性として花嫁を娶ったでしょうか(いいえ)。できませんね。それでは、もう一つ質問します。イエス様は花嫁を娶らなければならなかったのでしょうか(いいえ)。しそうしていたら、イエス様の子供、孫、曽孫と、直系が歴史を通して続いていったことと思います。そして、イエス様とその子孫を王とした、まさに地上の生きた天国ができていたことでしょう。イエス様からはじまり子々孫々まで、二千年間血統が続いていたら、すでに地上に統一世界ができていたことでしょう。しかし、そのような統一世界がいまだかつて成就されていません。

다음검색
현재 게시글 추가 기능 열기

댓글

댓글 리스트
맨위로

카페 검색

카페 검색어 입력폼