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文鮮明先生御言選集 19840401 - 真の父母に侍ることの意味 1

작성자대태양/김현수|작성시간18.01.18|조회수81 목록 댓글 0

真の父母に侍ることの意味
1984年4月1日
(父母の日)


 皆さんは、このような手紙の内容を聞いて参考になると思いますが、霊界から示されたその内容がどれほど具体的なものであるかがわかったでしょう。皆さんは先生が今までなして来たことについて、先生の話を聞くことによって「そうなのだろう」と思ってきたでしょうが、霊界においては、すでにそれを知って、決定的なページをめくったその後を地上がついて行っているということを知らなければなりません。

 本来、堕落していなかったならば、地上で先になされてから、それが霊界に反映されるのが本然の公式なのです。しかし、これが逆になってしまっているのです。では、この場がどれほど重要な場であるか? 皆さんは、この世で生活していた習慣とか風俗とか、自分が知っている今までの伝統的知識とかそういった基準や、観念を持って今までみ旨に接して来たということ自体、どれほど申し訳ないことであったかということをこのような場において感じなければなりません。歴史始まって以来数千年間、神様のみ旨と、それに応える人間との間には距離があったのです。

 霊界に霊人となって行ったとしても、直接神様の前に出ることができないのであります。再び地上人を通して行かなければならないため、それがどれほど困難で、恨みであるかを皆さんは知らなければなりません。そのような霊人体が神の前に行くには、地上において真の父母に侍ることなくしては、神に侍ることができないということを霊人たちは知っています。そのような道を経なければならないことを考えるとき、この地上にその霊人たちが復活して、皆さんのような肉身を持った人となったなら、どれほど努力することでしょう。どれほど父母様と一つとなるために苦労するか、それを知らなければなりません。

 その霊人が復活するために、父母様と一つになることができる道があるとしたら、いかなることをしてでも、冒険、冒険、冒険を経てでも自ら進んでその道を行こうとするでしょう。その霊人たちは、地上世界で父母に侍っている統一教会の信者はそのようにならなければならないと見るのです。

 数千万回死んだとしても、自分という意識があってはならないのです。天のみ旨、自分が行かなければならないその目的のためには、自分の意志、自分の観念、自分の主観を持つことはできないのです。それが何の話かわかりますか? キリスト教は今日の再臨時代を迎えるまでにどれほど犠牲の代価を払ってきたことでしょう。

 み旨を中心として見る時、統一教会の信者たちには、自分を中心とした考えを持つ者と、み旨を中心とした考えを持つ者との二つのタイプがあります。それは本来ありえないことです。それで(今の手紙で)神は統一教会においてこのような二つの種類の人間がいることを警告しているのであります。

 これらを考えるとき、我々の立場がどれほど重大な立場であるかを皆さんは知らなければなりません。

  サタン世界と神の世界が交叉する時

 きょうは二十四周目の父母の日ですから、しばらくこのことについて話をしてみようと思います。回数としては二十五回、満二十四周期です。また今年の五月一日になれば、統一教会は創立三十周年を迎えることになります。

 東洋には十二カ月、二十四の節気(注)があります。一カ月に二つの節気があって、一年に二十四節気があるということを西洋は知らないでしょう。それをみると、霊界も十二支派を中心として二十四数が重要です。これは十二数、二代に該当するのです。三段階の二段階目に該当するのです。年を基準とするならば節気は二次的段階なのです。一年には十二カ月があり、二十四節気があり、三百六十日(韓国では三百六十日、陽暦では三百六十五日)があるとみるのです。このように見ると、三十六数は三段階の完成数です。このことを復帰原理を通してみると、アダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭の三十六数もこのような内容に該当するのです。これはサタン世界で言えば、サタン数が六数で、四をかけると二十四、サタン世界の数を清算する、全体を総合した全体の理想数にもなるのです。

 このような摂理史の観点から見るとき、現在はすべてのサタン世界と神の世界が最後に交叉する時期になっているといえるのです。このような峠を越えていく今、サタン世界を代表した共産世界、自由世界を代表した民主世界、統一教会に代表される神の世界が現在登場しているのです。民主世界はアベル世界。これは神側の天使長世界であり、共産世界は堕落した天使長世界であり、統一教会は父母の世界を表わすのです。何の話かわかりますか? カイン、アベルに分立されたこの基準を作らなければ、全世界を一つにすることのできる基盤、動機が設定されないために、自由世界、共産世界に分立されたのであり、そうしなければ結果が一つとなることはできないのです。

 では、これまでの宗教の歴史において、宗教史を代表するユダヤ教からキリスト教、さらに統一教会までの歴史が何をなして来たかといえば、アベル世界の完成のためになして来たということを皆さんは知らなければなりません。そのアベルの世界とは、堕落していない天使長の世界のことです。そして外的世界、共産世界とは何か。今までのサタンの歴史・世界、宗教を代表した世界に反対したそのようなサタン世界、これがカインの世界であると同時に、堕落した天使世界が結実して共産世界にまで至ったのです。これが反対の立場となっているのです。

  復帰路程の最終責任は“私”にある

 では、いかにして一つになるか? 頂上で一つとなることはできません。これが一つとなることのできる歴史性を持たなければならないのです。カイン側の個人から家庭、氏族、民族、国家、世界。この世界に対処するためにアベルが出て来て闘わなければなりません。アベルが出て、カイン世界に勝利して、長子権を復帰しなければ、前進する道がないのです。長子権を復帰しなければなりません。そうしなくては神の国の個人、家庭、氏族、民族、国家となることはできないのです。堕落したために、これを捜し求めて来なければならないのです。

 では、いかにして捜し戻して来るかといえば、これはアダムが堕落する前の、神様が立てた原理原則を中心として捜し戻して来なければなりません。それには絶対的信仰と絶対的愛、絶対的責任を持たなければなりません。堕落が何であるかといえば、絶対的信仰がなかった、信ずることができなかったことです。責任分担を成せなかった、絶対的責任を果たせなかったのです。絶対的愛を持てなかったそれが堕落であります。堕落という結果になったのです。

 それゆえ、復帰路程においては神が責任を持つのではありません。絶対に自分が責任を持たなければならないのです。そのような観点からは、祈りをもすることができないということを皆さんは知らなければなりません。祈りをするのは天使の協助を受けるためであって、神の協助を受けるための祈りはできないのです。今までの祈りのすべては、天使たちの協助を受けるための祈りをして来たという事実を知らなければなりません。

  二重責任をもつイエス

 それで、イエスが霊界に行かれてどのようなことが起きたかといえば、神の息子の立場において天使長の仕事をしているということを知らなければなりません。イエスは神の息子の立場で来られたが、霊界に行って最高の天使長の仕事をしているので、地上のキリスト教徒たちは、イエスを中心として祈れば、祈りを通して、天使長格におられるイエスの協助を受けて、本然の息子の立場に出ることができるのです。そのような二重責任を持っている方がイエスであります。イエスは霊的基準において霊的救援をすることができますが、本来は息子の責任を持っていたため、天使長の立場にあっても息子の内容を持っているので、イエスと一つになることによって、祈ることによって、神に内的に通ずる道が開かれたのです。それ以前は、祈りは天使世界、各々善なる霊を中心としたもので、直接的に神と関係を結ぶことができなかったという事実を知らなければなりません。

 それではキリスト教や宗教は何をなすべきでしょうか? 堕落した天使長であるサタンと、サタン世界の息子を消化して収拾するための運動が、宗教のなさなければならない責任であり、アベルが行くべき道であり、イエスがなさなければならない使命であるということを知らなければなりません。

 それはどういうことかといえば、人間的観点から見るとき、蘇生的アダム時代、長成的アダム時代、完成的アダム時代に分けられるのです。蘇生的アダム時代とは何か? それは天使長(僕)であり、長成的アダム時代は養子であり、完成的アダム時代は実子であります。それでキリスト教の最後の日に誰が来るかといえば息子が来るのです。実子(メシヤ)が来るのです。神の息子が来ることによって何がなされるのでしょうか? 本然のアダム、エバを中心として、エデンの園でなさなければならない創造理想の実現がなされるのです。

 では再臨主が来るとき、終末の世界はいかなる世界なのでしょうか? キリスト教を中心として再臨主が来るとしたら、キリスト教文化圏は世界を支配しなければなりません。サタン圏を完全に除去した立場に立つことのできる、特権的な時代にならなければならないということを、皆さんは原理観から知ることができます。

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