神の選民である選ばれたイスラエルになれ(3)
末世におかれたキリスト教徒の立場
それでは今、世界に広がっている第二イスラエルよ! おまえの行くところがどこか?世界に広がっているキリスト教徒は、天のまえに訴えなければならない時がきました。イスラエル民族が塗炭の苦しみの中でエジプトのパロ宮中を憎み、我々の約束の地カナンの福地へと誰が導いてくれるのかと、指導者を捜し求めてさまよったように、今日のキリスト教徒も自分が処すべき班列と種族がどこであるかを、捜し求めなければなりません。
ですから既成教会はこわれます。そのようになってこそ、十二班列に分けることができるからです。どうにでもしてみなさい。班列を構成して世界的な復帰の運命を経なければならない立場にあるのですから、国家の運勢を動かすキリスト教であっても、社会と家庭そして個人において、威信を失ってしまう時がくるのです。
イスラエル民族がエジプトにいる時、班列編成をしなかったのですが、荒野に出発しなければならない時には班列編成をしたように、世界的なキリスト教も、世界的なカナン復帰のための再臨理想が近づいてきたので、班列編成を開始しなければならない時が来ました。
過ぎし日イエスが地において、ペテロ・ヨハネ・ヤコブを中心に十二弟子を通して班列を編成して、信仰者は誰でもこの支派に属するようにして逝かれたなら、今日世界のキリスト教は混乱を起こさなかったのです。これを再び収拾しなければならない時が来ているのです。ところで最もどん底で排斥されている一つの集まりを立て、証しする時が来ているかも知れないのです。統一教会が正に、こんな教会であるかも知れませんよ。
それで今日、韓国のキリスト教において神霊役事をする人間、ナ長老やパク長老という新しい教派が現れました。このような派が今、教会を壊しています。班列を組織しなければならないのに、こんな役事が起こっているのです。ここに今、問題点として残ることが何でしょうか? 既成主義的な観念です。これは神のまえに怨讐です。既成主義的な観念即ち自分はエサウのように長男であるから、神の祝福を受けなければならないという、こんな下らない思想を、捨てなければなりません。ひょっとして誤ってエサウの観念に立って、イエスを殺したユダヤの民になりやすいのです。
これを越えなければならない歴史の終局に至っているので、今この関門をどのように越えるのか。この時におきまして、誰が怨讐なのか。エデンの園でアダムに最も近かった天使長が怨讐になったように、アダムを復帰するための、第二アダムとして来られたイエスのまえに、霊界の天使長型に該当していた当時のユダヤ教の祭司長が、最も怨讐であったのです。彼らは天使長型を第二次として受け継いで、イエスを攻撃したので地獄に行かなければなりません。
今日終わりの日にもやはり、世界に広がっている教職者たちが再臨される主のまえに天使長になって、天の名において天を打つ、こんな型が起こるのです。しかしこんな立場に立っても環境に影響されることなく、歴史的な運勢は越えてゆくのです。こんな道を誰が歩むのか。このような祭壇の前に新しい御言と、新しい終末を告げる一つの先知者的な使命者たちが出なければなりません。しかし彼らは既成教団のまえに排斥されなければならないのであり、それで新しい段階に越えて行くのです。
それでは同時に、どんな時代が来るのか? 霊的な世界の攻撃時代が来るのです。天使長がヤボク川の岸でヤコブを苦しめ、またモ-セを攻撃したように、世界的な終末時代におきましても、この地上のすべての人々が反対すると同時に、天までも攻撃する時代が来るのです。
サタンの讒訴を逃れることができる信仰
イエス様が亡くなるその時「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ二七:四六)と言われたことは、満宇宙復帰の主人公を代身して現れたイエスであるので、宇宙を代表したアダムが天に背反したことを、蕩減しなければならなかったからです。このようなイエス様はご自分を知らないというときも「知らない」という神を「知った」されたので、その「知った」という条件が霊的復活を起こさせたのです。皆さん自体にもこのような、歴史的な峠が残っていることを知らねばなりません。
世界的な終末の運勢が、今日皆さんの生活圏内に染みいっていることを、皆さんが感じたならこれが皆さんに、モ-セと民族が結束しなければならなかったその時を預告しているのであり、モ-セがパロと闘ったその時代を預告していることを知らねばなりません。 それでは神の悲しみは、どこからもたらされたのか? その指導者たちが誤ったために神が悲しむのではなく、後に従う人々が駄目なために神を悲しませているということを、皆さんが知らねばなりません。
今日皆さんは人が知らなこ、人が行かなこを歩んでいる目的が、何でしょうか?
皆さんは力を合わせて団結して、神の運行される一つの班列となり、食べても飢えても個体を失っても、天倫のみ旨に対して身悶えたモ-セの足跡を死守する後継者になり、イエスが行った足跡に従う後継者として、使命を完遂しなければなりません。これが終わりの日の聖徒たちが、選ばれたイスラエル圏に入ることができる条件です。
天を代身したイエスはこんな原則を知っていたので、生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる、といわれたのです。即ちサタンを屈伏させるには、神を中心とする死の場であっても越えなければなりません。天が人間を排斥されてもこれに動揺しないで、引き続いて天を信じていってこそ、サタンが離れ、サタンのすべての讒訴条件を逃れるのです。
それでは今、天は失われた第一イスラエル型を霊的に立て、世界に広がる世界の教徒を第二イスラエルとして立てて、彼らを合わせて一つにした場において、第三イスラエルの建設をされるということを、知らねばなりません。
それゆえ皆さんは、アブラハムのような第三イスラエルの祖先、ヤコブの代身第三イスラエルの祖先、民族の代表者であるモ-セのような第三イスラエルの代表者、世界の代表者であるイエスのような、第三イスラエルの代表者にならなければなりません。また皆さん自身は神の復帰摂理歴史過程を振り返って見て、過ぎし日に父なる神に対して讒訴したサタンを踏み越えて、神を慰めることができる個人、民族、国家、世界になるということを、知らねばなりません。
それでは、サタンとは何か? 神に背反した逆族です。ところでサタンも、神が悪くないというのです。それで神がサタンに対し、与えざるを得ないのです。サタンも神を好きなのです。こんな条件があるので、六〇〇〇年間の長い歳月を経なければならなかったのです。ではサタンも神を好きだという立場で「アダムを通して満宇宙を主管すべきこのようなみ旨を、わたしを立てて主管するようにしてください。であれば神のまえに絶対服従いたします」このようにいうのです。
サタンは神に対抗していって、神のまえに肯定せしめるための役事をしているのです。摂理のみ旨に最後まで反対して、肯定させるための立場に立つのです。
忠臣のふりをする奸臣たちも、王を嫌う法はありません。ところが忠臣を取り除いて、自分の言うことを聞けというのです。
このような立場に立つサタンの圏内に全世界が入っているので、これ一つだけ認定すれば、世界が神に帰ってくることができるのです。ところが、なぜしないのか? 天理法度を破ることができないからです。神は法度の神であれば、秩序を壊すことができないのです。ですからあらゆる苦労をされても、世界を主管するサタンを肯定することなく、世界を主管するサタンのまえに人間を立てて、讒訴するサタンを阻むのです。これが神の切ない心情であるのです。
もしもサタンの讒訴を阻む人間が現れたなら、神に対してとやかく言わせないのです。天理原則が回復されるので、エデンの園で天使長がアダムとエバの主管を受けなければならない原則を持ちだす主人がいれば、サタンが根本的に屈伏しなければならないのです。それもイエス様のように霊界で、神の玉座に行くことではなく、地上においてこのような一日を立てなければなりません。こんな一日を立てる時が、再臨時代なのです。
皆さんは今、反対するサタンの立場に立ってはならず、六〇〇〇年苦労された神の足跡に従って行かねばなりません。今日終わりの日の皆さんは、神の無限の世界の初めての出発であるアダムとエバから今日に至るまでの、復帰過程において苦労された神の心情を体恤して、神の後に付いて行かなければなりません。このような運命におかれているにもかかわらず、夢にも見ないでいるのですから大変です。
サタンの試験に勝利する道
「神よ! 私を通して栄光を受けてお休みください」とすることのできる天の国の選ばれたイスラエルがなければなりません。このような使命を代身したヤコブであり、モ-セであり、イエスであったのです。神がサタンと闘う闘いを代身して受け継ぎ、サタンに対抗して闘うことができる一つの姿になってこそ、ここから決定的なイスラエルの主権が天のまえに立てられるのです。こうして今まで神を讒訴していても、戦争の目的を終結させておかなければならないのです。いかなる抗議もできないので、戦争は終わるのです。こんな人々を中心にしていって、第三イスラエル建設のために出発すべき時が来なければならないのです。
モ-セ時代のエジプトの地のイスラエル民族は、自分たちの故郷であるカナンの福地を攻撃する戦いが残っていたのであり、イエス時代にはイスラエル民族を中心に、世界的なカナンの福地を建設する戦いが残っていたのであり、今日第三イスラエルを建設しなければならない我々においては、団結して第三イスラエルを成就するための激戦が残ったのです。
それでは今日皆さんは、どんな人間にならねばならないのか? イスラエル民族を再編成してゆくとき、天に対して神のまえに立てられたイスラエルの選民として自ら進んで、三人組の一員になり、小隊長になり、中隊、大隊、連隊、師団長にならねばなりません。こんな天の精兵の指揮官に、誰がなるかということが問題です。これをやらねばならない時が必ず来ます。歴史的な終末にはすべてのものが、一つの世界に統一されるのです。多くの人々が思想統一を要求しており、地上世界が統一理念を要求しているので、必ず天の理念を通す、統一の時が来るのです。
今までの歴史過程ではどのようになったかといえば、二つが戦えばその中で少しは善なるものが勝ったのです。これが原則です。地上世界が一つの理念圏内に入ってくれば、どのようになるでしょうか? 地上よりも少し善なるものが勝つのです。これが霊界の地上攻撃時代です。ですから今日、名を神経症などという神経系統の病気が、多く発生するのです。薬では駄目です。これは天地サンファ湯(疲労回復の煎じ薬)を飲まなければなりません。
天を和動させ、地を和動させることができる、そんな理念のために霊界が地上を襲撃する時が来たのです。地上人が地において神のみ旨を代身する時ですから、一つになるためには必ず戦いがあるのです。二つが戦った後に一つになるその世界が、天を中心にして合わさる正に審判の時なのです。このように霊界が地上を襲撃するこんな場面で、地上を代表する総指揮官の使命を持ってくるお方が、再臨主であるのです。
第三イスラエル建設路程の出発に立つ皆さん! 皆さんはどうしなければならないか?霊界の法度を知ってこそ、逃れることができるのです。この命令系統がどのようになっているかを、知らなければなりません。その国の軍隊は、自分の側の軍隊が使っている暗号を知れば、戦争する時に自分の側から攻撃されることはありません。
この時は天の国の暗号が聞かれる時代です。今は暗号通信時代です。摂理的な暗号、歴史的な暗号、時代的な暗号、また人間的な暗号、使命的な暗号の通信時代なので、このような暗号を通して連絡でき、作戦計画を遂行をして、地上統一の理念を代身することができる時代なのです。
今日、既成教会で反対するパク長老やら、ナ長老やら、統一教会やら、あるいはいわゆる異端やらいうこと、よろしいです。現代は科学も天宙時代を論議するそんな時代です。このような時代に至ったのに、未だに古臭い宗教観念を持っていては駄目です。これを踏み越えて上がる、一つの包括的な統一主義が出てこそ成るのです。
今日暗号に通じることができる短波装置があるように、神の秘密に通じる短波装置の所有者があるなら、彼は勝利するのです。ですから霊界が地上を襲撃して来る時は、戦争方法が変わるのです。起きることは起きるのですが、限界を知りません。このような様相の戦いが地上に起こるのですが、この時に良心ある人々は、ここに動員されてくるのです。
第三イスラエルの先祖になる道
今皆さんは終わりの日のこの一日に備え、良心的な善なる人々を犠牲にして、今日まで歴史が流れて来たことを知らねばなりません。今日、堕落の運命におかれている我々は、最後の帰一的な理念世界を捜し求め、すべてのものを失って犠牲にならねばなりません。そしてイエスの肩にのっかって「神様、私に任せてください」と自信をもって言うことのできる天の息子・娘にならねばなりません。神もこんな息子・娘が現れることを願っているのです。
皆さんは楽園世界のすべてのものを解怨して、天国生活を教えてあげるべき使命がイエス、あるいは神にあるのではなく、今日終わりの日の皆さんにあるということを、肝に銘じてください。イエス様の代身、すべての作戦計画を任され、神の代身、闘ってゆく代表者が出て、責任を完遂してこそ神を解放してあげられるということを、知らねばなりません。このような宇宙的な使命を前にして、皆さんは勝利的なイスラエルの路程を捜し求めて行かねばなりません。
そのためには皆さんが、自分が属している班列を捜し、自分の指導者を捜さなければなりません。また自分が留まっている位置が、天のまえにどんな位置かということを知り、変わらぬモ-セ、アブラハム、ヤコブ、イエスの代身存在にならねばなりません。それでサタンに対して号令してゆくときも「君、このときは宇宙の創造理念を代身して神のまえに栄光をお返しする資格者である神の息子・娘だなあ」という賞賛と共に、サタンから敬礼をされる一人の存在になってこそ、地上天国の園で世界的な聖殿理念を代身して、神のまえに立つことができるのです。
そのようになる前に、皆さんは一大激戦にぶつかるのです。皆さんを各教派が攻撃するのです。皆さんを霊的に試験もします。モ-セを神が打ったように、皆さん自身にもこのような路程があり、モ-セを民族が背反したように、皆さんのまえにもこのような路程があるのです。イエスが十字架上で天から捨てらたように、皆さんのまえにもそんな事があるのであり、イエスが民族から背反されたように、皆さんのまえにもこのような路程があるということを知り、皆さんはここで落胆してはなりません。
神のみ旨というものは優しいみ旨ではなく、極めて難しいものです。それで皆さんは世界的な艱難を背負い、極めて凄まじい反対を受けても闘いの路程で倒れてはなりません。世界と天地の、一つの帰一点を発見するときまで、皆さんは闘争し続けなければなりません。
この過程において皆さんは、イスラエル民族がエジプトを離れて荒野に出て、食べる物がない、飲む水がないと恨嘆したように、恨嘆しないでください。誰が知ってくれないと恨まないでください。自分を知ってくれるモ-セのような指導者が、一人だけいてくれたら最高と考えてください。自分を知ってくれる神だけを抱えてこれが最高と信じて、すべてが排斥したとしても、このお方だけを抱えて行けば、このお方がなさることを自分が受け継ぐことができる、という心を持たねばなりません。こうしてこそ皆さんは、第三イスラエルの選民たる資格を得て、神の栄光に参与することができるのです。
こうして神の栄光の姿となることができると同時に、歴史的な栄光の姿、全天宙の理念を代身する栄光の姿になるのです。即ち我々が栄光の息子・娘として世界を代表し、天のまえに現れてこそ、初めて神が休まれるのです。
ヤコブに天使が祝福したそんな祝福ではなく、神が直接イエスに手を差しのべて祝福された、その祝福を下さるのです。即ち、終わりの日に訪ねてきた皆さんに神は手をのべ、イエスを代身するわが息子・娘、永遠の第三イスラエルの主人公としての、わが息子・娘になれと祝福されるのであり、永遠に天が喜ぶことができる実体的な、喜びと栄光と美の存在になれと、初めて祝福されるのです。
このようにイエスの愛を通して、神の愛の圏内に入り、神の愛を成してこそ第三イスラエルの祖先になるということを、皆さんははっきりと知らねばなりません。