天宙・天地・天地人父母様と共に侍る「安侍日」
第七回「安侍日」 2004年6月22日 麗水・清海ガーデン
これからは、日本も天一国(天宙平和統一国)を中心として出発する時が来ます。「後天時代」には国がありません。ですから、このような訓読会も、インターネットを通して一緒にするようになるのです。それを急がなければなりません。そのようにする時が来たのです。日々の生活を、父母様と連結して暮らせる時代が来ました。自分が生まれてこの地上で生き、天上世界に行って別れることなく、一緒に暮らせる時代を「後天時代」と言うのです。それを忘れてはいけません。
それで今からは、アジア、アフリカ、オセアニア、ヨーロッパ、このような区別をすることなく、すべて一つの家庭のために、一つの氏族、一つの民族、一つの国家、一つの天宙として、一紙の父母、一人の師、一人の主人をお迎えした国を「後天世界」と言います。神様の三大主体思想の中心となるその方が、思いどおりに愛で主管できる世界を「後天世界」と言うのです。アーメン。
今からは、韓国語が分からない人たちは、このような公式の会合に参席できない時代が来ます。文化も一つであり、言葉も一つです。ですから、あらゆる精誠を尽くして母国語を話すようにしなければならない時が来たというのです。
天地人父母が安着侍義してこそ理想世界
日本の人たちは、玄界灘を越えなければなりません。それが今から始まるというのです。「安侍日」を中心として日本から来るのです。どうして「安侍日」に日本の人たちが訪ねてくるのでしょうか。そのように訪ねてくることに意味がある、と考えなければなりません。
これからは、家庭など、すべての根を日本に置いてはいけません。どのような困難があったとしても、韓国に接ぎ木しなければならないのです。新婦の立場なので、夫がいる所にいなければなりません。夫の囲いの外にいてはいけないのです。愛の本宮、愛のすみかに根を下ろさなければなりません。それが「安侍日時代」です。安着して侍る時代です。エバの国の日本が島国に根を下ろしている限り、侍ることはできません。壁の向こうで侍ることができますか。
きょうは、「天宙・天地・天地人父母様と共に侍る安侍日」が題目です。それで、日本がこのように参席しているのは驚くべきことです。啓示的です。ですから、ここで、先生の愛する清海ガーデンの周辺を一日見て回りながら、二日か三日滞在していくのがよいでしょう。
今から、毎週ここに参席する人を日本で選抜するのです。毎週選抜するのは、四百三十人にします。きょうは四百十人ですね。四百三十人という数を中心として、毎週祝福を受けた人、今教会に名前を挙げていなかったとしても、祝福を受けたことが事実ならば、彼らも加えて、その中で四百三十人の抽選に当選した人は、ここに来るのです。いくら日本で先輩だとしても、その人たちの行く道を祝福してあげなければならず、ここに来て一つになろうとするのを見習ってこそ、伝統的歴史、日本の習慣性を克服できるのです。
ですから、今回、先生は世界中の国家本部を否定しました。青の紙、ピンクの紙、黒の紙を中心として抽選しました。青の紙をもらった人は全員、故郷に行かなければなりません。海も青で、地も青で、空中も青です。それは、天一国を中心として見るとき、成約時代を意味するのです。
その次にはピンクの紙です。新婦を捜し出すための時代がイエス時代です。女性たちは花ですが、花が咲くときはどのような色かといえば、ピンクです。ピンクの色は、真っ赤ではなく中間色です。これが新婦の色です。これは新約時代を象徴します。
その次に、黒は旧約時代を象徴します。これをはっきりと説明します。はっきりと知らなければなりません。
青い色は堕落していなかった時を象徴します。天も青く、地も青く、空中も青いことを象徴するのです。そこにおいて花がなければなりません。青くても、花がなければなりません。花が咲かなければならないのです。
春の季節に咲く花は、ピンクの色を中心として咲きます。ピンクの色は新婦であり、新約時代を象徴し、キリスト教を象徴します。里一い色は何かというと、すべてのことを失ってしまった夜中を象徴します。
神様は日を失ってしまい、年も失ってしまいました。それで、十分の一を取られたのです。これが、帰一数なのです。「十」と言えば、次は十一、十二であり、「二十」でも、二十一、二十二です。「百」でも、百一、百二、「万」でも、一万一、一万二と進んでいきます。このように帰一数です。核となる帰一数の形態を神様が占領されたのです。サタン世界がいくら占領したとしても、十数は帰一数です。神様を否定することはできません。サタンもこれを知らなければなりません。
「それが何を象徴するのか」と、私に尋ねる人がいなかったのです。青い色は何時代ですか。成約時代です。またピンク色は新約時代です。その次に黒い色は旧約時代です。サタンが主管する夜中を象徴します。
それが分かれてしまったので、どこに行かなければなりませんか。大移動が起きるのです。皆さんには国がありません。国があるのは天宙・天地・天地人父母だけです。これは、驚くべき言葉です。無形の神様が実体をもつのです。実体をもって人の世界をつくらなければなりません。それから、天宙・天地・天地人です。
人の世界を指揮しようとすれば、人間が定着しなければなりません。神様だけでも駄目であり、聖人だけでも駄目です。神様と聖人が一つになった天地人父母が安着侍義してこそ、理想世界になるのです。それで安着侍義時代だというのです。そのような総論が結論になることを知らなければなりません。
国家と世界的摂理史観と摂理史
きょう訓読する文明社会に関するものは、起源から解き明かしていくものであり、漠然とした話ではありません。これを解かなければ、選民史に対する等差的な変化を解く道理がありません。右側が左側に行き、左側が右側に回っていかなければならない復帰の概念を知らなければ、歴史を転換させる方向を見いだす摂理観、その摂理観を見る摂理史がありません。
個人的な摂理史、家庭的な摂理史、国家的な摂理史、世界的な摂理史です。個人を代表する家庭があり、家庭を代表する氏族があり、民族を代表する国家、国家的摂理史がありません。また、世界的摂理史がありません。
きょう語ったことは、個人的国家基準を中心として、国家と世界の摂理史観と摂理史を明らかにしたものです。これを、ちり紙の切れ端に書いた過ぎ去っていく記録だ、と思っているのですか。これを整理するために、先生は、激しい内外の闘争に耐え、このような結論を下したのです。
ピューリタンを中心とする新教文化圏が完全に定着し、第二次大戦以降、アメリカが世界の主導国になったのですが、その使命を果たすことができませんでした。神の国を建国するという建国精神を中心としなければならなかったのに、自分勝手にしたというのです。
言論機関の役割
今回、イスラムが現れてアメリカを攻撃したのは、キリスト教の本体を抜き出すためです。イエス様を中心として、イスラエル民族が四百三十年間犠牲になって蕩減を払い、そして取り戻した地域が中東です。しかし、イエス様が死ぬことにより、イスラエル民族が中東地域を完全に奪われてしまいました。イスラエル民族が荒野四十年を越えていけなかったことにより、バアル神に再び引き込まれてしまいました。このような立場に立ったので、それを覆すために、ローマの支配を受け、ローマ文明の影響圏に再び入っていったのです。
ですから、その代表的国家が人本主義と神事主義に分かれ、人本主義に帰着し、人本主義の位置から神本主義に戻り、物本主義の共産世界に完全に支配される、ということを知らなければなりません。
神本主義から人本主義、人本主義から物本主義、物本主義から愛を中心とする世界において動物にも劣る位置、愛を中心として愛の土台が痕跡もない位置に落ちるのです。それがアメリカを中心とする個人主義であり、人本主義化した肉体派主義です。それを中心として、理想的基地となる愛の基盤を余地なく踏みつぶすのです。
それで、あとからホモ、レズビアンという群れが出てきて、愛を中心として天と地、地獄と天国がすべてふさがってしまったのです。人類がそこで捕虜になっています。そこからどのようにして抜け出すのでしょうか。闘って抜け出すことはできません。
誰が正しい話をするのでしょうか。それで、言論機関が真理をもって抜け出す道案内、矢じりにならなければならないのに、言論機関が個人主義を助ける矢じり、人本主義を助ける矢じりになっています。物本主義の覇権、肉体派を中心とする主義で、最後にはサタンが愛の本宮、生命の本宮、血統の本宮を完全に壊し、覆いかぶせてしまいました。生命も、永生も、宗教も、哲学も、思想も、すべて崩れました。ですから、愛の本体を中心として、このかぶさったものをすべてはぎ取ってしまおうとするのです。
それで、来られる主は、神様の代わりの実体として無形の神様と一つになり、天地人神様、天地人真の父母、天地人真の師、天地人真の王の立場で、これを再び建国しなければならないのです。それが先生の使命です。
ですから、アダム時代に失敗し、イエス時代に失敗しました。また、来られる主の前に、イエス様がアダムの失敗を霊的に蕩減し、活動できる基盤を残しておいたのです。しかし、その基盤までも失ってしまいました。イエス様がつくった基盤であるキリスト教までも、世界的ローマの位置で再び失ってしまったのです。
神様を再び取り戻さなければならない天宙・天地・天地人父母を、完全に埋めてしまったので、これを取り戻すために、神様の代身、真の父母の代身、天地人父母の代身である先生が、神様の御苦労に責任をもち、天地人父母を苦労する立場から解放しなければなりません。ですから、先生は一人で、人の世界を解放しなければならず、真の父母の世界を解放しなければならず、神様の世界を解放しなければなりません。
愛、生命、血統の王宮
そして、神様をお迎えして真の父母と一つになるようにし、真の父母と共に再臨主の実体の上で、初めて天地人父母の印を押し、定着するその時代が「後天時代」なのです。その「後天時代」は「安侍日時代」です。安らかに神様に侍る時代を「安侍日時代」と言うのです。またそれを「後天時代」と言うのです。アーメン。これを忘れてはいけません。
それで今、日本という国がどこにあり、アメリカという国がどこにありますか。宗教もなくなり、国もなくなりました。サタン世界もすべてなくなりました。サタンが貴いと思うものも、完全になくなりました。サタンが貴いと思ってエデンで汚したものとは、生殖器です。肉体派であり、これが資本主義です。個人主義は、資本主義の終着点に到達するためにあらゆる略奪をしました。世界はアメリカのものですか。サタンが略奪の王ならば、アメリカは略奪の弟子と同じです。略奪したものを「すべて自分のものだ」と言って世界を主導するのですか。とんでもないことです。本然の本宮を取り戻さなければなりません。
本宮とは何ですか。愛の本宮、生命の本宮、血統の本宮を取り戻さなければならないというのです。それを知らないのです。完成した真なるアダムとエバが結婚した理想的夫婦の生殖器は、愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮でした。
それを失ってしまったので、いかなる困難があっても、これを取り戻して世界化させなければなりません。世界の男性と女性が数千億になったとしても、アダムとエバの二人の愛がサタンの血筋をつくり、サタンがとどまり得る影の世界をつくったのです。これを清算しなければなりません。それで、解放・釈放世界を宣言せざるを得ないのです。
釈放というのは、一個人や皆さん自身ではありません。皆さん個人から家庭、氏族、民族、天宙まで、サタンが汚した血筋の痕跡を完全に否定しなければなりません。ですから、前科一犯だとすれば、戸籍に赤線が引かれるのですが、そのようなものを完全に解体してしまうのです。
それで、サタンが汚した血筋の痕跡がなくなったというのです。ですから、人という種は、もうサタンと関係がなく、神様と関係があり、真の父母と関係があるのです。神様も、真の父母と関係がなかったのですが、神様と真の父母が関係を結び、神様ではなく、真の父母ではなく、天地人父母なのです。拍手! 「アーメン」と言ってください。(アーメン)。(拍手)そのような話は総結論です。
このようにしてこそ、歴史が、「釈放されたので、『先天時代』は過ぎていき、『後天時代』が来た」ということが分かるのです。「後天時代」とは何かといえば、天宙父母、天地父母、天地人父母に侍る時代です。ですから、「後天時代」は、霊界にいる聖人や聖子よりも、もっと神様に侍らなければなりません。今日の統一教会の教会員たちが霊界に行ってメシヤを証し、天地人父母を証する、それ以上の立場で侍らなければなりません。それが何かといえば、家庭です。
真の父母家庭絶対主義
ですから、家庭盟誓の完成をしなければなりません。それで、そこに入れたのです。第二節は何ですか? 「聖子の家庭の道理」を完成しなければならないというのです。イエス様も、孔子も、釈迦も、マホメットも、自分が聖人の位置に立ったのであって、神様が立てられたのではありません。宗教の代表として一つにまとめていくと、聖人の位置に上がっていったというのです。宗教の位置を通さなければ、解放圏がないことを知らなければなりません。
なぜ歴史的聖人たちが、宗教の名を用いてきたのでしょうか。そのようにしなければ、神様と一つになる道がないからです。ですから、嫌でも自分の正道を立て、「神様のみ旨だ」と言ってきたのです。キリスト教もそうであり、ユダヤ教もそうであり、仏教もそうであり、イスラム教もそうです。
儒教は神様を知らなかったのですが、「天」があることを知っていました。「天」は根本を意味するのです。しかし、「天地人」を知りませんでした。私たち統一教会の教会員たちは、「天」を知っています。無形の二性性相としていらっしゃり、アダムを創造する時までの天宙の中心は神様であることを知りました。その次には、天地人父母です。神様は、無形の二性性相としていらっしゃり、格としては男性格主体としていらっしゃるということは、驚くべき話です。天地人父母の位置にいらっしゃらなければなりません。
神様がどのようにいらっしゃるのかというと、二性性相の中和的存在としていらっしゃり、格としては男性格主体としていらっしゃるのです。格を備え、一つのモデル形態を備えるためには、男性格実体をもたなければなりません。実体をもって何をするのでしょうか。実体の息子、娘を生まなければなりません。息子、娘を生んで家庭になるためには、無形の神様と実体の神様、霊的神様と肉的神様が一つとなった愛の種を残さなければなりません。それが、神様と真の父母、天地父母が安着できる基盤です。その基盤は絶対的に家庭でなければならない、という結論が出てくるのです。家庭絶対主義です。真の父母家庭絶対主義です。
これは真の天地父母です。完成したアダムの位置を自分のものにし、その次には、天宙父母の位置を自分のものにするのです。それで、天地人が安着した家庭には三大主体です。天宙、天地、天地人です。
天宙が父母の位置であり、天地は師の位置であり、天地人は王権を代表した位置です。そこに人間世界の王権の伝統が立てられるのです。天宙は何ですか。父母を象徴し、天地は師を象徴します。アダムに従っていってこそ、家庭理想が成し遂げられます。神様とアダム、心と体が一つになっています。皆さんの心と体が一つになるためには、そのような思想を中心として定着しなければなりません。すべてきちんと説明しました。
侍る生活で解放的地上天国が現れる
歴史において勝つためには、二つが一つにならなければなりませんが、それだけではいけません。神様と一つにならなければならないのです。国の文部大臣が、王権について教えることだけで一つになれるのではありません。天宙父母を知らなければ、すべて崩れていくのです。
摂理史観、摂理の内容、摂理の目的がどのようになるのかを知らなければなりません。サタン世界が破綻しても、もう一つの世界は、大創建が展開しなければならないのです。創建を成し遂げなければならないのが統一教会の信徒なのですが、先生を踏んで上がっていける基盤がすべてできましたか。個人を踏んで上がっていくことができるように、心と体が一つになりましたか。二つの目がちぐはぐだというのです。鼻もちぐはぐであり、口もちぐはぐであり、耳もちぐはぐです。ちぐはぐでは一つになることはできません。
みなここを出入りしているのですが、ここが本部です。ソウルが本部ではなく、ここが本部だと言ったでしょう? 何日か前に言ったでしょう? ここを本部として清算しなければなりません。「後天時代」を宣言した出発地で清算しなければならないので、ここを本部にしているのです。ソウルで誰を捜して歩くのですか。「安侍日」に先生に侍る伝統を立てましたか。全員立てることができませんでした。先生が立てたのです。
朝、昼、夜と食べることができなくても、船に乗って神様に侍ることができる人とは誰ですか。私が侍っています! 寝る所もそうです。そのようにしてこそ、「安侍日」を中心とする新天新地の世界になるのです。侍らなければなりません。日本で侍るようにはなっていません。
ですから、今からは、侍る生活において、一日を代表し、一週間を代表し、一ヵ月を代表し、春の季節を代表し、夏の季節を代表し、春夏秋冬の四季を代表することができるのです。天地を中心とする統一的な天の春の季節、天の夏の季節、天の秋の季節、天の冬の季節を共に過ごすことができ、天地と真の父母が共に過ごすことができ、侍る立場で接待し、接待されたという答えが出てくるまでは、天上天下に解放的地上・天上天国は現れません。
今から大革命をするのですが、皆さんにはできません。とてつもなく損害を受けます。そのために、先生が悩んでいるのです。
純潔、純血、純愛を守った者
ここの先生の宿所で、最近は、十時に皆さんを送るとき、先生がそこに残っているでしょう? もし出てこなければ、先に行ってください。一日の整理をしなければならないのです。天に侍ることにおいて、ひびができ、裂け目ができれば、水が漏れ、空気が入り、日の光が入ってくるので、私だけはそれを防がなければなりません。ですから、ここで七月二十一日まで、八十五日を守っていることを知らなければなりません。
罪人の中の罪人です。地獄を開門した者として責任を追及するようになるとき、その責任を誰がもつのでしょうか。地獄解放はよいのですが、解放されたその者たちが天に反対すれば、解放したその責任を誰がもつのですか。誰がもたなければなりませんか。考えを変えなければならない時が来たのです。ですから、先生が行く道は無慈悲でなければなりません。泣こうと死のうと、ごちゃごちゃしたものをきれいに整理しなければなりません。
汚れた二世たちは、私の前に現れることができないようにします。このような公式の日に参席することを許しません。純潔、純血、純愛を守った者以外は、神様に侍ることができない時代に入ってきたことを知らなければなりません。
アダムとエバは双子です。神様の二性性相、性相と形状は双子です。アダムの直系をつくっておき、格としては女性格と男性格に分けることにより、女性と男性が生まれることができるのです。ですから、天宙・天地・天地人アダム・エバ、天宙・天地・天地人父母です。無形の神様、地の神様、この二つが一つになった父母を、霊界でも地上世界でも、天国のモデルとして侍らなければならないのが天地人父母が安着する家庭です。ですから、総動員しなければなりません。
孫を抱くことができなかった神様です。皆さんが孫の位置に立っているのです。このようになることにより、神様が父母と息子、娘に定着し得るようになるのです。そのように、とてつもなく驚くべき時代であることを知らなければなりません。
それで、だんだんと時になって次元が高まるほど、荒涼としなければならないのです。頂上というものは、底も中間も、全体を抱いています。一点です。白頭山が問題ではありません。ヒマラヤ、エベレストの山頂に登っていき、座っているのと同じです。そこには、すべての山脈と山河と関係を結んだ水が流れ、その水の流れを中心とする平野、その平野を中心とする大洋世界に頭を押し出して浮かんでいるのと同じです。
心と体が一つになり、変化があってはならない
今までは、できる限り先生の名前では賞を与えませんでした。今からは、父母様の賞だと記さなければなりませんが、どうしてそのように記すことができますか。神様もそこに入らなければならないのではないですか。天宙の中にアダムとエバが入っていて、アダムとエバにも天が入っていなければなりません。ですから、そこには、神様も入っていなければならず、天宙も入っていなければならず、人も入っていなければなりません。
「人」と言えば、心と体が一つになっていなければなりません。天宙・天地・天地人父母の前では、心と体が一つになっていなければ、孝子になり得る道が永遠にないという話なのです。異議がありますか。
家庭が問題になったということは、天の問題です。家庭が心配になったというのは、根が心配になったということです。それを解決するために、今からは、豊かに暮らしている家庭も、追い出す時が来ます。霊的に見れば、昔、情夫を隠している者たちがいました。追い出すべき人たちがいるのです。今まで先生は知っていながらも、口を開きませんでした。今からは、霊界で追い出してしまいます。そのような意味で、先生の生活は徹底しています。いい加減に暮らしません。
最近、女性解放時代で、お母様が思いのままに「来なさい、行きなさい」と言いますが、私は、最近食べ物の味が分からなくなってしまったので、気ままにどこかの食堂に行き、公金を使ったりはしていません。どうして使うのですか。私は使うことができません。どこかに行って三時に昼食を食べれば、夕食を食べるために食堂に寄ったりはしない人です。一時間行けば家なのに、なぜ途中で食堂に寄るのですか。寄れば公金を使わなければなりません。私はそのように生きてきました。
ここにいるお母様は、外出することも知らない母でした。映画館にも行かず、食堂にも行かず、御飯を食べることができず、昼食を食べることができずに飢え、食堂を見つめて泣きながら伝道する食□たちが目の前に見えます。それを踏み越えていくことができますか。それがどうして父母ですか。それがどうして師ですか。どうして主人ですか。
日本の人たちに、同じ下着を十二年間も着せるほど苦労させた父母の位置に立ったので、体まで火で燃やしてでも、神様の前に祭祀を捧げたいと思う心があることを知らなければなりません。自分が何をしたのか父母様に知らせ、知るようになってくれればよいと思ってはいけません。それを知らせようとするのは、孝と忠になりません。
その国の憲法がある限り、主人の位置に立つことはできません。責任者は、会社なら会社の法を中心として、その法に従わなければなりません。主人を批評して、責任者が「私にはできない」と言ってはいけないのです。そのような責任者は、近い将来に追い出されます。そのようなことを心配する前に天が追い出すのです。天使長に対してまでも、神様の代わりに侍り得る心の位置をもたなければ、越えていくべき峠が残るのです。本部がどうで、父母様がどうで、何がどうだと言ってはいけません。天は絶対に損をするようにはさせません。
昔コディアックで、日本が責任を果たせなかったことを私が責任をもつために、百二十人がニューヨークに行くとき、責任を遂行するように言いました。その時、先生を怨讐のように思ったのです。「日本が、四十年間韓国を圧制した政治的な恨を解くためにこのような話をする」と、あらゆるうわさが立ちました。献金を自分のために使ったことはありません。日本から外国に出た宣教師たちの基盤を築くために使ったのであって、韓国の基盤を築くために使ったのではありません。
ですから、皆さんが死の境地に行きながらも、「先生は罰を受けろ」と思う心は残らないのです。剣を突きつけて誓ったその剣を、先生の胸に刺すことはできません。自分の胸に刺さなければならないというのです。利用して逃げていく真の父母がどこにいて、真の師がどこにいて、真の王がどこにいますか。それを知らなければなりません。
「安侍日」ということで、先生に会うために、このように四百三十人が来たことは有り難いことです。しかし、心と体が一つになって来なければならないのです。ここは、「十年の勉強が南無阿弥陀仏」になる(注:十年の功績がわずかなしくじりで無駄になってしまうという意味)こともあります。八数基準を越えるために、八千年以上の歴史を天が苦労した事実を知るとき、ここに来るときの船に乗るその時間、あるいは飛行機に乗る時間が恐ろしいのです。
四百三十人ですが、その費用を本部で支払ってあげるのですか、自分が支払うのですか。各自が支払わなければなりません。それは、自分の家門を生かすために、真の父母の伝統を受け継ぎ、真の師と真の王権の代を受け継ぐためです。それを何パーセント受け継いだのかが、天上世界で王宮に行くか、楽園に行くかの基準になるのです。今から家庭的な楽園が生じます。家庭的地獄も生じるのです。差ができるということです。深刻な問題です。
ですから、密室に入っていって談判しなければならないこととは、自分の心と体が一つになったのかということです。神様の心と体は一つになっているので、心と体が一つになった人として、剣を突きつけて誓わなければなりません。「あなたが変わらない心と体の一体をもっているので、私も変わらない心と体の一体をもち、死んでも墓の中に一体の花が咲き、香りが漂い、その香りにまでも天使が訪ね、天の使者が訪ねてくるように死んでいこう」と思えば、どれほど深刻ですか。
この群れは、行事のあとに招待する芸人たちではありません。永生のために、共に準備し、共に喜びながら、共に過ごし、共に食べ、共に喜びにひたり、父の誕生日が自分の誕生日であり、息子たちが喜ぶ誕生祝いが自分の祝賀の日として一つに連結されてこそ、天地が動くのです。そうしてこそ、核が生じます。
それで、毎日のように侍らなければなりません。聖日ごとに侍らなければなりません。それで「安侍日」に毎回侍らなければならないのです。「安侍日」ごとの八数が問題であり、八ヵ月が問題です。
どうして韓国が八月十五日に解放されたのでしょうか。イスラエルも、八月に解放されたのです。すべてそのようになりました。
先生は、今年の四月二十日に「父母の日」を過ごし、早朝にアメリカに出発したでしょう? 二十一日を越えてはいけません。二十日に出発したのです。それで韓国には、二十一日の昼に来ました。二十一日を越えてはいけないのです。それを誰が知っていますか。そして、大韓民国を中心として、一つのモデルの塔を築き始めるのです。
先生は深刻な生活をしている
この全羅南北道が先生にとっては本故郷です。南平文氏として、南平の先祖の所に来て、時祭(注:毎年四回、季節ごとに行う墓参り)も捧げることができなかった人だというのです。そのような意味において、先祖を代表した位置に立ったので、檀君が先祖を代表して白頭山に定着したようにするよりも、平原のこの湖南平野のような所に定着するのです。この場所がどれほど良いでしょうか。
そのような意味で「山水苑」です。野のことです。平野です。穀倉を造って暮らしていくことができる幸福の土台になるのです。ですから、「南平文氏」と言うとき、「平」です。そのようなことをたくさん考えました。南側の国です。韓国では南国のつばめを慕わしく思うでしょう? 故郷を離れたつばめが帰ってくるときには、新春の贈り物をもってくるのです。贈り物とは何かというと、ひなを産むことです。
つばめが巣を作ろうとするとき、追い出してしまってはいけません。この王宮に家を建てたいと思って飛んでくるのです。そうではないですか。誰が慕わしくてですか。自分の先祖が慕わしく、自分が生きる道を教えてくれる師が慕わしく、国が慕わしくて訪ねてくるのです。ですから、どこに家を建てなければならないでしょうか。
この間、誰かが雁か何かを贈り物としてもってきていました。最初に捕ったものが料理されていたのですが、食べませんでした。その雁がひなを産むためには、北極かどこかにまで航海しなければならないのに、それを途中で捕まえて食べるのですか。食べられません。
ですから、最初に釣った魚は食べません。きのう朱東文氏がふぐを釣ったでしょう? 初めて釣りました。先生のように、釣った船で祭物として捧げるのが良いのです。それで、「それを祭物として捧げます」と言うので、「そうしなさい」と言いました。私の釣った魚がいるので、私が最初に釣った魚を祭物として捧げなければならなかったのですが、それをしなかったのです。その代わりに、きょう釣った魚の中から一匹逃げていけばよいと思っていると、本当にそのように逃げていったのです。あとから網で捕まえようとしましたが、捕まえられませんでした。ですから、蕩減法は恐ろしいのです。
一九六〇年以前は、私がイエス様を父の代わりに、師の代わりに、王の代わりに侍ってきました。お母様を迎えたので、その時代が過ぎていくのです。お母様を通して彼を祝福してあげたのが一九七二年の何日ですか。一九七二年は、今から何年前ですか。数字や日付まで合わせてきている事実を知らなければなりません。皆さんが、どれほど偽って生きてきたかを知らなければならないのです。膝の肉をはがしてしまい、骨が破壊されたら大変なことになるので、早く悔い改めるべき自分たちであることを悟らなければなりません。
それで、先生の生活は、深刻な生活です。あれこれとただ適当にふらふらする生活ですか。過ちがあれば、自分自身が自分を打つ人です。「きょうは報告することができません。お許しください」と言うのです。報告しなければならないでしょう? 寝る前に「あす、これこれこのようなことをします」と言って、翌日の朝に雨が降っていれば、「きょう、このようになったので、昨晩報告したことができないかもしれませんが、お許しください。しかし、きのう約束した以上の何かを、あすにはやります」と報告します。そのように暮らしているのです。
有終の美を収め得る者は誰か
皆さんが総生畜献納物をできなかったのに、自分の所有圏をもち、それを自分勝手に使うことはできません。報告生活をしなければならないのです。
先生もそうです。神様が決意文をお書きになり、四大聖人たちが決意文を書き、五大宗教が決意文を書き、それから共産党も決意文、アメリカ大統領も決意文、第二第二、第三イスラエルも決意文、すべて決意文を書いたのですが、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエル、第四イスラエル世界の決意文の前に、先生の生活が引っ掛かってはいけません。無責任ではいけません。ですから、第一イスラエルを救ってあげようと思うのです。
第一イスラエルが怨讐の中の怨讐でしょう? 第二イスラエルのキリスト教が怨讐の中の怨讐です。アメリカのCIAやFBIが、私をどれほど苦しめましたか。それが怨讐の中の怨讐です。すべて忘れてしまって天の救援摂理の有終の美を収めようと思うのですが、有終の美を収め得るふろしきもなく盾もないので、私がふろしきになり盾にならなければならないのです。そのようにしなければ、完全を願ってこられた神様のみ旨に対して、完全なふろしきもなくなるのです。神様の摂理は、再び繰り返されて滅びなければなりません。そのような立場の先生に対して、千年、万年の恨を抱かれた神様が倒れることなく、何とかここまで来てくださったその有り難い心を、私は知っています。
考えてみてください。聖人と殺人鬼を同じ場所で祝福してあげるのですか。いったいそれは誰が考案したのですか。神様がそのような命令をすることはできません。死んでもできないのです。今まで苦労したことだけでも、蕩減法で必ず蕩減復帰しなければなりません。ところが、これは蕩減復帰の原則にありません。しかし、そのようにしなければ、神様を解放できないのです。神様が、本然のアダムとエバの家庭で、カインとアベルを祝福できなかった恨を残し、アダムとエバも恨を抱き、イエス様もその恨を解くことができずにいます。
宗教で精誠を尽くす本主人は母
そのことを代わりにするために来たので、アダム家庭を心配して、善悪の実を取って食べるなとおっしゃった神様の心からまず先にすべてを解き、神様の前に恥ずかしくない立場に立たなければならないのです。それ以上の峠を越えなければなりません。ですから、仕方なく神様が後ろを向かれたあとにせざるを得ません。なぜですか。前ですれば、神様が命令したという立場になるのです。そのような命令を、神様はすることができません。それはアダムの特権です。偽りの血筋を受けたのがアダムだからです。
今の先生のみ言を流してしまってはいけないというのです。公文を出してください。このような時代が来ました。日本の婦人たちが来たので、お母様の代身として「安侍日」に侍った日として、私が代わりにこのようなみ言を話しました。ですから、母親たちが、女性たちが精誠を尽くさなければなりません。精誠を尽くし、蕩減復帰をするのは女性以外にはいません。男性では駄目です。男性は精誠を尽くすのを嫌うでしょう? 女性がしなければなりません。宗教で精誠を尽くす本主人は母です。母ですが、日本の女性は、世界に対して継母の立場です。そのようなことを理解して、精誠、精誠、精誠を尽くさなければならない、ということを知らなければなりません。
さあ、よく聞いてください。私が日本に行って訓読をしても、皆さんが来て訓読をしても同じだというのです。私が日本に行って毎日訓読会をしなければならないでしょうか、日本の人たちがここに毎日のように来て訓読会をしなければならないでしょうか。日本の人たちが来てしなければなりません。国がしなければならないのです。何が何でも皆さんが国を復帰しなければ、「安侍日」の真の祝賀になりません。国を代表してしなければならないというのです。いつもそれを考えなければなりません。国が宣布して、天の国だと署名しなければならないのです。
行ってみて分かると思いますが、エジプトからイスラエルへは何日かで行けます。それが四十年かかりました。あぜんとします。どれほど神様がかわいそうですか。神様の心の世界を、剣で切り刻んでスープにするのと同じだというのです。行ってみると、何日かかると思いますか。一日で行くことができるのです。一週間もかかりません。それが三掛ける七で二十二二十一日まで許されて行ったのです。それが四十年ですか。どれほど間違ったでしょうか。個人、家庭、氏族、民族、国家全体が解放されるはずだったのに、すべて引っ掛かりました。ですから、四十年間さまよいながら暮らしたことを知らなければなりません。
日本と韓国が一つになる近道は海底トンネル
私も、このキリスト教文化圏を中心として四十年間巡り巡っても、争いの中から抜け出た世界が登場しなかったのです。争っている二つの群れを和合させれば、一つの天国になります。できなければ、そのまま離れて落ちていくのです。そのようになればどうなりますか。宗教と国家の闘いが残っているのですが、その闘争時代を誰が解消できるのですか。それを私が和合できるようにしているのです。それを破綻させようとするので、先生が条件を立てて越えていこうとしていることを知らなければなりません。
ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情をもてば、それを満たすことができるのです。ところが、それをすべき責任をもった地上の当事者たちで、その心の姿勢が立っている人が何人いますか。もしいなければ、先生が代わりに後押ししなければならないのです。
台風が吹いてくれば、塀や壁で防がなければならず、その国ができないときは先生がしなければならず、天ができなければ先生がやらなければならないのです。洪水で堤防が崩れるのを防げなければ、その責任が延長して、先生がその堤防を守らなければならなくなるのです。失敗すれば大変なことです。「後天時代」を発表したのに、その位置を私がつかむことができなければ、どのようになりますか。「後天時代」なのに、千年、万年の延長が展開するのです。一つの世界になっていないでしょう? 一つの心の位置になっていないでしょう?
ですから、ここできょうの総論として、日本の国が日本にあると考えてはいけません。イギリスが太平洋を越えなければならず、アメリカが太平洋を越えなければならず、日本は玄界灘を越えなければなりません。それを無視してはいけません。ですから、韓日(日韓)海底トンネルを掘らなければなりません。トンネルを掘れば、そのトンネルをふさぐことはできません。それは、世界的な公道になるのです。
中共に力があっていくら争ったとしても、この道を開いておかなければならないのです。そのようにすれば、日本が陸地(大陸)と一つになることができるのです。韓日(日韓)海底トンネルを開門することが、韓国と日本が一つになる最も近い道です。
この韓半島に共産党がいてはいけません。韓半島が生殖器だとすれば、赤い生殖器と白い生殖器が一つになっているのです。日本がそれに責任をもちますか。天使長のアメリカが責任をもつことはできないのです。韓民族が自力で統一しなければなりません。自力で白にしなければなりません。白い子女を生むことが必須の義務であり、公的な責任であることを韓国の人たちは知らなければなりません。気楽に生きてはいけないのです。
生殖器が、本当に生き得る道を築いてあげるのです。それが一つにならなければ、南北を統一できません。今すべてに主人がいません。誰も解決できないのです。中共までも逆さまに立ち、ソ連、アメリカまで逆さまに立っているのに、どのようにして解決するのですか。私の力を借りなければなりません。これは必然的帰結だと考えるので、私は黙ってそのまま見ているのです。「これこれこのようになるはずだ」と思いながら見ているのです。
祝福家庭が先頭に立たなければ
世界の人たちも、思想が統一された一つの世界になるので、交叉結婚するのです。日本人は、好きならアメリカ人やイギリス人と結婚しましたが、それは国を代表し、自分の歴史全体を代表したものではありません。それは、それぞれの時代の一点を中心としての結婚であって、交叉結婚ではありません。家庭、氏族、民族、国家、アジアを代表し、世界を代表した立場で交叉結婚が成立しなければならないのです。そのようになれば、それが今後、エバ国家として、愛の道において境界線となったすべての壁を崩す位置になるのです。交叉的心情です。
日本の女性たちが韓国の人と結婚するのを嫌いますが、もう少したてば、韓国人がどれほど先に進むか、今から見ていなさい。それを拒否する日には、日本は地に下りていき、韓国は上がっていくのです。韓国の文化が発展したのは、最近の二十年です。十五、六年しかたっていません。天一国八年になれば、全世界に及ぼす影響が、日本よりも韓国が先に進むまいとしても進まざるを得ない時代が来るでしょう。
韓国は、あらゆるものをつくることができるのです。私は驚きました。世界技能オリンピック大会で、八回まで連続で一等を取ったのを知っていますか。何でもつくることができます。日本でいくら隠しても、三年もたたずにそれはすべて韓国人にもっていかれます。なぜですか。韓国人は、最後まで行って戻ってこようとしますが、日本の人たちは、最後まで行く前に、故郷を抱えたままで行こうとするのです。ですから、国を一つ、二つ、三つと続けていくことができずに、日本に戻っていくのです。ですから、国際結婚をしたとしても、日本の人は八〇パーセント以上離婚します。そのような民族に「交叉結婚!」と言っているのです。
それは何かというと、日本を越えて、アジアを越えて、東洋・西洋を越えて、天地を越えた、そのような代表の位置で私たちは交叉結婚をするという心をもたなければ、母の国の未来が行き詰まってしまうことを知らなければなりません。
祝福を受けた家庭にそのような伝統がなければ、中国の人やアフリカの人ともう一度結婚して、そのような思想をもつようにしなければなりません。深刻な話です。
皆さん、祝福家庭が先頭に立たなければならないでしょう? このような交叉結婚をさせなければならない伝統を後ろに置いたまま、「それは嫌だ」と言って日本人だけに固執してはいけないというのです。
日本の歴史に、日本の人たちは韓国の人とは絶対、死んでも結婚するなという政治的標語を立てました。なぜですか。韓国は優秀な民族です。文化民族です。霊的世界と交流するので、未来を知る民族だというのです。ですから、「一度結婚すれば滅びる」と言うのです。統一教会の教会員たちは、日本人との交叉結婚の価値を知ってしましたか、知らずにしましたか。知りませんでしたが、今ではもうすべて知ることができます。
ですから、交叉結婚をした息子、娘たちが、三代、四代、五代、七代と続いていけば、日本をリードするようになるでしょう。その時は、交叉結婚に反対する群れは一つもありません。今ではもう、交叉結婚を誇れる時代に入ってきました。交叉結婚をした天の国の子孫が世界をリードするのです。交叉結婚をしていない群れは、そのようにはなりません。それは、サタンも願わず、天も願いません。
皆さん同士で子女を結婚させようとしていますが、韓国人はやめて、ソ連人もやめて、台湾人もやめて、アメリカ人もやめて、日本人としようとしてはいけません。
さあ、最後の時間になったので、あいさつをしましょう。お別れしましょうというあいさつが残っています。そのようにきれいに、左様に並んで帰りなさい。分かりますか。さようなら。それで日本のあいさつは「さようなら」です。そのように帰れば、何の未練も残りません。万生OKになります。