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オンライン訓読会

愛天愛国愛人 - 15. 共産圏の崩壊

작성자대태양/김현수|작성시간22.10.13|조회수55 목록 댓글 0

15. 共産圏の崩壊

レーガン大統領の登場

 一九八九年秋に起こった東欧共産圏の崩壊は、劇的でした。これが引き金となって、東西両ドイツの統合、さらにはソビエト連邦の崩壊と歴史の流れががらりと変わってしまいました。長年、私たちは社会のムードに逆らって、「共産主義の間違い」を訴え続けてきました。それが正しかったことが証明されたのですから、実に感慨深いものがありました。

 この歴史的転換に大きく貢献した人物が、アメリカ第四十代大統領のレーガン氏です。文鮮明先生は、レーガン大統領を「神が選んだ大統領」であると言いました。宗教家である文先生がアメリカに渡った目的は、アメリカに神の意志を伝えることでした。

 一つは、自由主義の砦であるアメリカをして、共産主義の膨張を阻止させること。

 二つ目は、アメリカの関心をアジアに向けさせること。

 三つ目は、キリスト教に基づく建国精神を復興させ、家庭を再建すること。

 この三つが主な目的です。

 レーガン大統領は、そういう面から見れば、最適の大統領でした。彼は、大統領就任式後初の記者会見で、「現在の指導部をも含め、革命後のソ連指導部で、世界を一つの共産主義国家にするのが目標だとの決意を繰り返し表明しなかった者は一人もいない」と述べています。彼はソ連の本質、共産主義の戦略を正しく見抜いていました。

 それに比べカーター元大統領は、失格でした。彼は、ソ連を共産主義国家として見る見方を退ける傾向がありました。むしろロシア人としてとらえるべきだと言うのです。それゆえ、ソ連は防御的だと見ていたのです。レーガン大統領の対ソ認識は、それと全く異なるものです。ソ連の本質が共産主義であり、目標が世界共産化であると規定していました。彼はソ連の侵略性を見抜いていました。

 私たちは、大統領選挙ではアメリカの全勢力を挙げて、レーガン氏を応援しました。そのため、文先生は大統領就任式に来賓として招待を受け、就任演説をする大統領の後ろの席で座っていました。その姿を見て、私は聖書の中の一節を思い出しました。預言者サムエルがダビデの頭に油を注ぎ、神が認める王として認定する箇所です。

 レーガン大統領はソ連を「悪の帝国」と呼び、毎年千三百億ドル以上の赤字を出しながら、軍備拡張を行いました。決定的だったのが、スターウォーズといわれたSDI(戦略防衛構想)でした。レーザーを用いて、ソ連の大陸間弾道ミサイルが米本土に到達する前に大気圏外ですべて破壊してしまおうという戦略です。そのことにより、ソ連は完全に追い詰められ崩壊したのです。

 また、彼は歴代のどの大統領よりも、アジアに目を向けていました。西海岸のカリフォルニア州知事であったことも影響していたのかもしれません。就任後、ホワイトハウスを訪問した最初の国家元首が韓国の大統領だったことも象徴的なことでした。さらに彼の任期中に、アメリカの対アジア貿易量が対ヨーロッパ貿易量を上回りました。大西洋の時代から太平洋の時代が到来したのです。また、彼は学校教育に宗教的伝統を持ち込むことに積極的でした。こうした観点は、文先生がアメリカに伝えたいメッセージそのものでした。

 このレーガン政権を後押しするために、一九八二年、文先生はワシントン・タイムズという新聞を発刊しました。以前、ワシントンには、ワシントン・ポストとワシントン・スターの二紙しかありませんでした。前者が親ソ的だったのに対して、後者は反共的でした。ところが、スター紙は八一年に経営難で、廃刊に追い込まれてしまいました。そういう中で、文先生は、赤字を覚悟の上でレーガン政権を支える、いやアメリカを支える新聞を発行することにしたのです。この新聞はレーガン大統領が朝起きてから最初に目を通す新聞として、ワシントンでは高く評価されるようになりました。

 レーガン大統領は、二期八年間徹底的な対ソ強硬路線を貫きました。まさに軍拡路線です。核戦争の脅威もずいぶん叫ばれました。しかし、結果はソ連の崩壊です。レーガン大統領が対ソ強硬路線を続けなければ、核優位に立ったソ連が、核の力で西側を恐喝し、脆弱な経済力を補おうとしたはずですし、最悪の場合は、核攻撃すらしかける可能性がありました。

 双子の赤字は、今日アメリカを大変苦しめていますが、これはレーガン政権時代の負の遺産であることは、間違いありません。しかし、それは彼の偉大なる功績の影の部分です。影を作ることを恐れたら、彼は光をもたらすこともできなかったでしょう。

ゴルバチョフの登場とソ連崩壊

 一九九〇年四月十一日、文鮮明先生はソ連のゴルバチョフ大統領とクレムリンで会談しました。アメリカの新聞にある著名な評論家は、「最高の反共・勝共のチャンピオンと、共産主義世界の最高執権者が出会うということは、これはまるで太陽が西から昇る奇跡のようなものである」と書きました。さらにその評論家は、「文鮮明総裁は何を目標にソ連に入ったのだろうか。それは無神論の牙城であるクレムリンの箱の中で、神を証しするためである」と付け加えたのでした。

 文先生がソ連に入るようになったのは、世界言論人会議の開催にあたって、創設者として基調演説をするためです。この会議はモスクワでの大会で十一回目を数えました。「言論のないところには言論の自由を、言論の自由のあるところには責任ある正しい言論を」をスローガンにして一九七七年に設立されました。共産主義世界のグラスノスチ(情報公開)を進めることと西側の無責任な言論を正すことが目的です。

 実は、この会議が開かれる十四年前、文先生は一九七六年にアメリカでこのモスクワでの大会を宣言しています。七六年と言えば、アメリカの建国二百年祭の年で、ワシントンで五十万人を集めた大会が文先生によって開催されました。その直後先生は、次はモスクワであると宣言したのです。本当に驚きました。そのころのソ連はまだ巨大な帝国を堅持しており、先生の宣言をまともに信じる人はほとんどいませんでした。ベトナムのサイゴン政府が陥落したのが、前年の七五年ですから、共産革命の脅威が身近に迫っていた時期でした。ですから、「勝共の巨人」と言われ、KGB(ソ連国家保安委員会)からも命を狙われた経験のある文先生がモスクワで大会を開催するということは、悪い冗談のようなものだったのです。荒唐無稽なホラだと思った人も多かったと思います。

 私はこれまで文先生に身近に接してきて、先生が語られたことは必ず実現してきたという事実をたくさん見てきました。個人の人生に関する事柄から、歴史を左右する大事件に至るまで、数え上げたらきりがありません。共産主義の崩壊などその最たるものです。レーガン政権の登場も文先生の確信でありました。

 面白い話があります。アメリカのシカゴ大学の名誉教授で、国際政治学者として著名なモートン・カプラン博士がいます。彼の著書は日本の大学で教科書として使われるほど影響力の大きい学者です。彼は文先生の依頼を受けて、世界の学者組織である世界平和教授アカデミーの会長を務めていました。

 一九八五年、そのアカデミーがジュネーブで国際会議を開催する時、カプラン教授が責任者でした。その会議の企画を練っている時は、ゴルバチョフ大統領はまだソ連に登場していません。文先生は、会議のテーマを「ソビエト帝国の崩壊」とするように提案しました。しかし、カプラン教授は国際政治学者として、そんなことはとてもできないと抵抗したそうです。そして、もめた末、「ソビエト帝国の崩壊――ソビエト後の世界への移行の展望」とすることで妥協しました。その後、ゴルバチョフ大統領が登場し、ソ連の消滅が九一年に起こりました。カプラン教授は後にこう言いました。「あの時私が考えていたのは『ソビエト帝国は崩壊するかもしれない』というようなテーマで、もしそうしていたら、今ごろは笑い者になっていただろう」と。

 文先生には、未来を見る特別なアンテナがあるように思えてなりません。ソ連が消滅する現象を生々しく、見ていたのでしょう。私たちの目には、荒唐無稽に見えることでも、先生の目には確かな事実となっているのです。私は何度もそういうことを見聞きしてきましたから、ワシントン大会直後の宣言も天の声として厳粛に受け止めました。

 しかし、それがいつ実現するのか、どんな形でなされるのか、皆目見当がつきませんでした。そして、年月がたち、私たちがモスクワ大会のことを忘れかけ始めたころ、共産主義世界は東欧諸国から崩壊し始めました。八九年のことです。この時、先生はすかさず言論人会議のモスクワ開催を宣言しました。先生がモスクワ大会を諦めもせず、忘れてもいなかった証拠です。十四年間にわたって、チャンスをうかがっていたのでしょう。そして、チャンスと見るや間髪を入れずに一気に攻勢を開始したのです。

 東欧諸国の解放は、文先生にとって、おそらく紅海でモーセが直面した神の奇跡のように見えたのではないでしょうか。紅海の水が割れ、対岸への道がモーセに示されたように、モスクワへの道を天が示したのだと。

 言論人会議における文先生の演説は、純粋に宗教的で格調の高いものでした。それは、ロシア人が本来持っている宗教的感性に訴えかける内容でした。共産主義のメッカであるクレムリンはもともとロシア正教の本山です。ここで、神に帰るしかロシアの再興はありえないことを宣言したのです。

 私は先生の話をモスクワで直接聞きながら、勝共の意義を改めて確認しました。勝共は単なる反共ではありません。いわゆる「救共」なのです。共産主義というイデオロギーに対しては「滅共」です。しかし、そのイデオロギーに毒された人々に対しては、「救共」の精神で臨むのです。先生の演説には、共産主義者に対する愛情、あるいはロシア人に対する愛情がにじみ出ていました。

 「私はソ連の人々が私の家族の一員であると、心の底から感じていると申し上げたいのです」

 「私は、真の恒久的な平和の世界を築く神の計画において、ソ連が重要な役割を果たすと信じております。この膨大な連邦は、極東は私の祖国と国境を接し、西洋文明の発祥の地である欧州中心部に至るまで広がっており、欧州とアジアの橋の役割を果たす運命を担っております」

 ゴルバチョフ大統領との会談において、先生はソ連国民の信仰心の復興がこれからのソ連あるいはロシアの発展の原動力になることを述べられました。これに対して大統領も宗教に対する認識は、文先生と同じだと語りました。

 共産主義世界の崩壊は、ゴルバチョフ氏が登場しなかったならば、この時期に起こらなかったでしょう。そして、ゴルバチョフ氏のような人物はおそらく、ソ連が経済的に破綻状態になっていなければ台頭してこなかったでしょう。とすれば、ゴルバチョフ氏登場の背景には、アメリカの対ソ強硬政策があったことは間違いありません。それを積極果敢に推し進めた人物がレーガン大統領です。私はモスクワで語る文先生の話を聞きながら、レーガン大統領誕生の背景に文先生の応援があり、その後レーガン大統領が対ソ強硬路線を堅持できたのは、ワシントン・タイムズによる後押しがあったことなどに思いをはせていました。

 歴史の要所要所で、文先生は要としての役割を果たしてこられました。勝共連合を設立したのも、アメリカに渡られたのも、神の使者としての役割を果たすためです。ソ連と対抗できる唯一の大国がアメリカでした。そのアメリカを神の願いに向かわせるため、常にレーガン大統領にワシントン・タイムズを通して神のメッセージを伝えてきたのです。すべてはモスクワに向けられていました。私はクレムリンに立ちながら、ゴルバチョフ大統領、レーガン大統領、そして文先生の背後にある神の意志をまざまざと感じ、戦慄を覚えたのを忘れることができません。

 文先生の残された課題は、韓半島に絞られてきました。

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