お母様の御言
真のお母様をお迎えして
一九九二年十二月十日
日本・東京教会にて
神様の創造の世界
皆さんにお目にかかれて本当にうれしく思います。
ここにいる人の九〇パーセント以上が女性ですね。東京大会から始まった十か都市の大会を終えて、私は今回、何か月ぶりに戻って来たのでしょうか? 多分、二か月もたっていませんが、たびたび会えるようになりましたね。先ほど金補佐官から、二十二年間もご父母様に会うことをひたすら待ち続けていた青年がいたという話を皆さんは聞きましたね。韓国での四月十日の世界平和女性連合の大会に始まり、日本、アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、オセアニア、そして昨日、フィリッピンを経て、一一二か都市で講演をして帰ってまいりました。これは、全世界を一周をしたことに匹敵します。(拍手)ありがとう。しかし、父母様はまだアフリカ州には行っていないのです。そこには、新しい食口たちがたくさん成長しています。そして、父母様がこられる日は今か今かと首を長くして待っているのですが、そこには行くことができませんでした。
東西両陣営が冷戦で対立していたそのさなかに、私たちは早くから東欧共産圏において宣教を開始してまいりました。今日のような自由な世界を迎える前に、東欧共産圏の圧政の中で獄中において命を絶った食口がいたことを忘れることができません。世界を巡回しながら、特にそのような宣教の歴史を知っている私としては、東欧圏の兄弟姉妹たちと手を取り合って泣きたいような感慨深い時がありました。各国においては短い一日、二日の滞在期間でしたが、食口たちがどれほど喜んで、復活して、そして、聴衆が生き返っていくそのような姿を見た時、正に天の大いなる役事を感じることができたのです。
今日のように女性連合を中心として、女性たちが先頭に立って女性としての活動をしていくことは、二十年前には想像することすらもできませんでした。昨日、私は責任者たちに短い時間でしたが、私の経験の一端を話しました。
ここに集まった皆さんの九〇パーセント以上は女性なので、男性の持っていない女性の特性についていくつかの話をしてみたいと思います。まず、神様の創造を考えてみましょう。神様は一人でおられることには満足できず、創造を始められました。鉱物、低級な微生物から植物、動物、人間世界まで創造されていった過程を私たちはよく知っていますが、最後にアダムを創造された神様は何とおっしゃいましたか? 神様はアダムを創造されたあと、それを見て善しとされましたが、それで満足されたでしょうか? 皆さん、考えてみてください。
ある彫刻家、芸術家は、自分の構想を実体化させるために、自分の持てる全身のエネルギーを投入し、自分のすべてを投入するのです。そして自分が構想していたものができ上がるまで、何度も何度も創作を繰り返しながら構想を実体化させることによって、彼らは満足するのです。ですから彫刻家や芸術家たちにとっては、自分の全身全霊を込めてつくり上げた作品は、自分の命よりも貴いものなのです。
では、神様の創造はどうでしょうか? 神様はアダムを創造された後に、彼が一人でいるのは好ましくないと思われて、エバを創造され、それを見て良しとされました。
そのようなみ言によりますと、神様の最終的な傑作品は男性なのでしょうか、女性なのでしょうか? 答えてみてください? ここには女性が九〇パーセント以上もいるのに答えられないのですか? (女性です)。皆さん、プライドを持ってください。神様はそのように全身全霊を込めてつくられたアダム・エバを見ながら、満足され、喜ばれて、さらに彼らが日に日に成長していくことにどれほど希望を感じられたことでしょうか? 皆さんは、創造原理を通して神様が二性性相の主体であられ、男性格としておられるということをご存じだと思います。ですから神様は、エバが日に日に成長する姿を見て、どれほど夢を膨らませておられたことでしょうか? 皆さん、想像がつきますね。
皆さんも子供を身ごもり十か月の間、おなかの中で精誠を込めて育て、生まれる時には全身全霊を投入して、死ぬような思いをして子供を生みます。そしてその子供が本当に五体満足で健やかにすくすくと育っていく時の喜びを感じたことでしょう。
皆さんが、少し家を空けるような時に、子供が何か間違ったものを食べたり、あるいは病気や怪我でもするのではないだろうかと外出中、自分の全神経は子供に向かっているということを、皆さんは経験していらっしゃることでしょう。
そのような心は誰に似た心でしょうか? その心は神様に似たのです。ですから私は、神様の摂理と真の父母様の路程を考える時、泣かずにはおられないのです。皆さん、そのようにあらゆる精誠を込めて創造した人間始祖のアダムとエバが堕落した時の神様の心情を想像してみてください。私たちの子供が、成長するにしたがって親の言葉を一つひとつ拒んでいった場合に、その時、親はどんなに痛みを感じることでしょうか? 人間の親であってもそのような痛さを感じるのに、神様の心情が人間に劣っているでしょうか? 全知全能なる神様が、全身全霊を込めてつくられた人間が堕落した時、その子供を生かすことも殺すこともできなかった神様の絶望感を皆さん想像してみてください。
人間の始祖が堕落したその後も、彼らをそのまま放っておくことができないので、神様は復帰の歴史を成してこられました。神様が一歩一歩人間に近づこうとすれば、人間たちは何十歩も神様から遠ざかっていったのです。そのたびごとの神様の心情を、皆さん想像してみてください。
キリスト教の基盤とお父様
聖書では、人類歴史は六〇〇〇年と記録されていますが、それは、たったの六〇〇〇年だったでしょうか? その歴史路程において、神様はサタンを分立するために、個人から家庭、氏族、民族を立て、どれほど多くの涙を流してこられたことでしょうか? イスラエル民族を探し立てる時もそうでした。旧約聖書を見てみますと、本当に理解し難い多くの天の摂理がそこに記されています。神様は、イスラエル民族を立て、最後にはご自分の独り子を立てて、一つになることを願われていたのです。ところが、その民族を抱こうとされていたにもかかわらず、そのような難しい環境の中において探し立てたイスラエルの民は、そのことを知らなかったのです。イエス様を救世主として迎え入れることができず、侍ることができずに、十字架に付けてしまったことによって、イスラエル民族は、神様の摂理から遠ざかる民となってしまったのです。
そして神様は、イエス様の復活を通して、第二イスラエルともいえるキリスト教圏をつくり上げるために、どれほどの血と汗と涙の祭壇を築き上げてこられたことでしょうか? これらの歴史を言葉で語ることは易しいことですが、歴史の背後に隠れている神様の人知れないその痛みは、神様にしか分からないのです。その後、第一イスラエル民族は責任を果たすことができなかったために放浪の民となってしまいました。
しかし、神様がそれほどの血と汗と涙の祭壇を築き上げて探し出したキリスト教の歴史はどうだったのでしょうか? イエス様は十字架にかかりながら、「私は再び来る」と言われました。キリスト教は新婦の宗教です。二〇〇〇年間、神様は預言者や先知、先烈たちを遣わしながら、キリスト教を育てるためにどれほど苦労してこられたことでしょう。
今回、世界的に世界平和女性連合の大会を行うために、ヨーロッパを回りながら、その歴史と文化の発展史を見ました時、キリスト教の基盤がなければこの文化はなかったということを目の当たりにした時、私の胸は張り裂けるばかりの思いがしました。皆さんの中で、ヨーロッパを訪ねた方がいれば分かると思いますが、ヨーロッパには九〇〇年前の勇壮で大規模な彫刻を飾った大聖堂がたくさんあります。今の時代は月にも行くことのできる宇宙時代を迎えていますが、九〇〇年前に建てたこれらの大聖堂を再び真似て建築することは難しいのです。
そこには、多くの聖堂が高く高くそびえていましたが、それは何を物語っているのでしょうか? それほどに神様を敬い慕う心があったというのです。大聖堂をどこまでも高く建てる、それほどまでに神様に出会いたいし、それほどまでに再臨主が来られることを待ち望んでいた、そのような人たちは今はどこに行ってしまったのでしょうか? 今はただ、空っぽの大聖堂だけが姿を残しているのを見た時、私は胸が痛くなりました。
一方、我が統一教会の食口は、神様の内的事情や神様の苦労の背後を誰よりもよく知っていると自負できる立場にありますが、本当に神様の痛みの千万分の一でも体恤することができるかどうかが今問題なのです。
神様がそのように苦労を重ねて育ててきたキリスト教は今はどこかに行ってしまって、神様は新教の国家のアメリカを中心として次の摂理をされてこられました。一九五〇年代から六〇年代にかけてのアメリカのキリスト教は、世界を抱くことができたのです。このように苦労に苦労を重ねてキリスト教を育ててこられた神様の目的は、彼らがやがて来られる父母様を迎えてくれることを願われていたからなのです。そして、真の父母様を通してすべてを収拾しようとされてきたにもかかわらず、キリスト教は自分たちの使命を理解できず、再び過ちを犯してしまったのです。
もし一九五〇年代において、キリスト教がお父様を迎え入れていたならば、七年で世界を収拾することができました。そして、お父様が四十歳の時には、世界を一つの主権下で天のみ旨どおりに収拾できる基盤が立てられていたはずでした。しかし、韓国とアメリカのキリスト教が反対して、お父様を迎え入れなかったゆえに、神様が摂理上において与えて下さった機会を再度失ってしまい、お父様は仕方なく荒野路程を出発せざるを得なくなったのです。皆様がよくご存じのように、お父様は僕の僕、一番底から出発しなければなりませんでした。
神様の復帰歴史の中において、神様が手を下されたその人が失敗したならば、神様は再び用いることができないのです。しかし、何の基盤もない中においてもお父様が、神様の息子の立場において選び立てたその国は、神様が認めざるを得なかったのです。これがアメリカや日本なのです。ですからアメリカや日本の食口は、本当にご父母様の前に命懸けでみ旨を果たさなければならない立場にあるということを、今一度思い起こしてください。
皆さんが今、どれほど難しい立場におられるかということを、私は誰よりもよく知っています。私が歩んできた道も、死ぬしかないと思えるようなことが何度もありました。皆さん、お父様の路程を理解することはとうていできないことです。それと同じようにお母様の路程を理解することもたやすいことではありません。
お母様の七年路程
今回の女性連合の大会を通して、お父様が私を紹介する時に、十三人の子女を生んだことなど、いろいろと紹介をしてくださいました。女性ならば子供を生むということはみんながすることです。しかし、私の場合は少し異なります。霊的に熾烈な戦いがあったということを誰も知りません。サタンは自分が神様のみ旨を裏切ってからは、人間が神様に近づくことにあらゆる方法でもって妨害してきました。サタンは、このようにお父様によって真の家庭が復活して神様の前に出ていくことを、ただじっと見ていることに耐えられなくて妨害に妨害を加えてきたのです。
一つの生命を出産する度ごとに、熾烈な霊的サタンとの戦いをしなければなりませんでした。その度ごとに、死の峠を越えなければなりませんでした。一九六〇年代以降、お父様は私に母親としての七年路程を宣布されました。誰の手助けもなく自ら越えなければならない十字架の道でした。その時、私は誉進様と孝進様を生んだ後でした。サタンは、神様のみ旨である四位基台をどんなことがあったとしてもつくらせまいとして、ありとあらゆる発悪をしてきた、あまりにも難しい時でした。
その時、私は夢の中で、自分の姿を見ることができました。一人の子供の手を引いて、一人の子供を背負って、大きな荷物を持った私の姿でした。周りは真っ暗な世界で、私が行くべき道は全く分かりませんでした。ようやく一歩一歩、歩く子供を連れて、一人を背負って、大きな荷物を持って、一方は絶壁で、前方は薮で道が塞がる、そのような道なきところを一歩一歩かき分けていかなければならない私でした。ただ、心の中で、「行かなければならない、行かなければならない」と思いつつ歩き続けました。
苦労に苦労を重ねて歩んで、ある所まで行くと、向こうに光が見えてきました。それを見て希望を感じ、足を速めました。そして、あらん限りの力を尽くして、その光を放つ所にたどり着いてみると、そこは別世界でした。その土地は既に誰かが耕しておいたような肥沃な土地で、今種を播けばすぐ芽が出て実を結ぶと思えるような肥沃な土地でした。私が頭を上げて四方を見回すと、向こう側にお父様が立って笑っておられました。そしてさらに、はるか彼方には、食口の顔が一人、二人と見え始めたのです。
皆さんには、それが何を象徴しているのか理解できると思います。真の父母に一人ではなることができません。父と母がいなくては、子供は生まれてくることができないのと同じです。私が七年路程を成功裏に終えることを、神様がどれほど待ち望んでおられるかということを考えました。
一九六〇年代は、統一教会が復興されていた時であり、多くの食口たちが入教してきました。しかし、完全なる母親が立たなければ、そこに子女が立つことはできないということを見せてくださったのです。今でもその時の夢の場面を生々しく思い起こします。
皆さん、なぜ私がこのような話をするのかというと、それは皆さんが歩まなければ道が開かれないからです。正にこの夢と同じなのです。エバ国家としての使命を果たさなければならない運命にある皆さんなのです。エバは生みの苦痛を味わうしかありません。喜びは苦痛を通してのみ来るのです。皆さんが今どれほど困難な状況にあるか、その難しさの度合いによって喜びの大きさが決まるのです。
私はみ旨を理解し、お父様の前に従うようになった時、神様の前に誓いました。「私は神様の痛みを神様ほどにはよく分かりませんが、神様がアダムとエバを創造されて喜ばれていたその状態に人間たちを取り戻してみせます。そして、過去のエバの過ちを私一代においてすべて清算して、私の後代においては、神様は栄光の神様として喜びの神様としてのみおられますように」と、私は誓ったのです。そのように誓った基準が、私の困難な生涯の歩みの中で大きな力となりました。
エバの使命を果たしましょう
皆さん、お父様や私が成すすべてのことは、神様の協助の中でたやすく成せるのではありません。父母様も肉体を持っていることにおいては、皆さんと同じであり、父母様といえど、堪え難い時がたくさんあるのです。疲れもするし、おなかも空きます。しかし責任は皆さんよりも遥かに大きいのです。
お父様は、「私は責任をすべて果たした。これからいつでも私は霊界に行きたい」と度々おっしゃいます。しかし皆さん、お父様がおられないこの世界を考えてみてください。今、お父様は私たちと同時代に生きておられますが、お父様を理解できない多くの人たちがいます。お父様を知っている統一の群れにしても、お父様がこの地上におられて成されることは本当にご苦労が多いのですがその心は、お父様に一日でも一分でも長くいてほしいと願うのです。
皆さん、エバの使命を果たさなければなりません。今の皆さんに苦痛があるとして、それは生みの苦しみに匹敵するほどのものでしょうか? 皆さんは今、難しい中にありますが、もう少し頑張って、その成果を神様とお父様の前に返したその時の神様とお父様の喜びを考えてみてください。そしてお父様の口から、「このみ旨を広げるために、あなたたちともっと一分でも長くいたい」というみ言を聞ける環境をつくりたいものです。
ヨーロッパの文化や歴史を見る時、お父様が生きておられるこの時代に、私たちが成さなければならないことがあまりにも多くあるにもかかわらず、私たちの力がそこまで及ばないことに対して、本当に切ない思いがします。九〇〇年前に建て始めた大聖堂がまだ完成されず、今だに建築中だということを聞きました。
お父様の年齢は七十三歳ですが、これから何年間私たちと共にいてくださるかは分かりません。しかしお父様が生きておられる間に、私たちは未来の後孫たちに何かを残しておかなければなりません。霊界に行って後孫たちに讒訴されないそのような何かを残さなければならないにもかかわらず、今、何もできていない私たちの姿を見る時、あまりにも日のたつのが早いという焦りの思いしかないのです。先ほど私は、喜びとは責任を果たすということ、また苦痛を通してくるものであると言いました。
お父様の心情と神様の心情は、皆さんの今までの苦労をすべて知って、その苦労をねぎらって、今までの苦労がすべてないような立場において、皆さんを霊界に連れていきたい心情なのです。
歴史時代において、一度でも女性が男性をリードしてみ旨を推進してきたことがあったでしょうか? 今、皆さんが立っておられる立場は、今日までの神様の恨み、父母様の恨み、人類の恨み、女性たちの恨み、そのすべての恨みを晴らして、永遠に天の前に記憶される誇らしい立場なのです。それを考えてみる時、皆さんは今の立場が恐ろしくはないでしょうか?
皆さんは寝ても覚めても、食べている時でも、いついかなる所にいたとしても、常に神様のみ旨を成就する娘になるということを心の中に決意してくださいますことをお願いします。そして私たちが霊界に行った時も、父母様に侍って本当に和動することのできる席に同参できるような、今の私たちの生活となることを願います。
毎日、毎日の皆さんの生活は、み旨のために何度も、何度も死ぬと考えて覚悟してください。そして、神様の娘として、皆さんの態度は堂々と大胆でなければなりません。統一教会の信徒であるということを隠さないでください。真の父母様を証してください。全人類が真の父母様の懐に抱かれなければならないことを、皆さんが証してくださることをお願いいたします。
この道のみが全人類が生きることができる道であることを知らせなければなりません。昨夜、日本の報告を聞きましたが、苦痛を通して喜びが来るように、困難を通して勝利が来るのです。神様の摂理歴史がそうであるし、真の父母様が歩んでこられた路程がそれを物語っているのです。私の行く道だけが例外になることはできません。一瞬たりとも、皆さんは楽をしようとは思わないでください。このようなことを言わなければならない私の心中を察してくださることをお願いします。
残り少ないこの九二年を皆さんが最善を尽くして越えてくださることを願い、また希望に満ちた九三年を皆さんが、希望を持って迎えてくださることを願いながら、私の話を終わりたいと思います。
神様の前に、真の父母様の前に、皆さんの決意が定まったならば、立って宣誓していただきたいと思います。