天聖経のみ言葉と真の愛・生命・血統の主人
2006年3月15日(水)、漢南国際研修院。
このみ言葉は朝の訓読会の時にされたものである。
(敬拝)「シンジュナ(信俊)、拍手、マンセー、ウインク!(オモニム)」(笑い、拍手)アイグ、挨拶すべてした。「今日は東部圏から来ました。江東、城東、江南、松波、瑞草、広津です。平和大使も4人来ました。」さ、次を継続しなさい。(『天聖経』 ‘罪と蕩減復帰’ 編 ‘第3章 蕩減と復帰の公式 5)復帰歴史の展開と摂理国家の使命 ①2次大戦以後キリスト教文化の流れ’から訓読)
女男が絶対結婚して自分の後代を残さなければ
『・・・・・・蕩減復帰は何故必要なのかと言えばサタンを分立させるためです。サタンを分立させなくては責任分担をできません。
サタンは責任分担をできなかった条件の上に侵犯しました。そのために責任分担が終わればサタンは追放されるのです。責任分担を完成すればサタンがありえません。』
責任分担の限界線が何かわかるか?アダムエバが堕落しなければ自然と神様の保護権内で育って結婚しなければならない。結婚を自分たちどうしできません。結婚して息子娘を産んでその息子娘を世の中に与えなければならない。神様が1代であれば2代3代権を越えれば種が生じる。いくら皆さんが結婚したとしても息子娘がいなければその結婚した家庭はなくなるのです。
そのために女は絶対結婚しなければならないし男も絶対結婚しなければならない。結婚して何をするのか?自分の後代を残さなければならない。神様以前であれば我々が今日であれば後代!前後関係だ。皆さんが生まれる前に誰が生まれたのか?父母が生まれ、父母が生まれる前に誰が生まれたのか?またその父母の父母、先祖の先祖の先祖!一番の先祖はどこで生まれたのかと言うのだ。父母のような根があって生まれたというのだ。
それでは神様まで上がって行く。神様は誰に似たのか?父母の息子娘は、皆さんが息子娘をすべて持ったのだ。息子娘が誰に似るのかと言うのだ。父母に似るのだ。それでは父母に似たとすれば父母に似て生きる目的が何か?善なる目的は善なる息子娘をもって自分が善なる家庭をなして善なる族属をなさなければならない。族属をなしたとすれば神様の国をなさなければならないと言うのだ。神様の国をなさなければならない。神様の国が二つになりえない。絶対的な主人ヤンバン(両班)の国は一つだ。何の国か?どのような国か?争う国ではありません。これがすべて嘘の国だ。愛によって和合した国にならなければならない。
そのために皆さんの地で生きたその模様たちが天国に行く時そのまま行くのだ。自分がどのような人なのかわかる。だから天国を知らないので事故だ。天国がどの様な天国なのか?堕落して天国に行ってみることができなかったのだ。天国に今行った人がいない。イエス様も楽園に行っているが。楽園が天国に入る待合室であることがわかるか?
天国は、結婚して息子娘を産んで神様が1代、アダムエバが2代、3代を中心に4代まで連結すれば家庭が生じる。家庭は二人で駄目です。
神様の愛を中心に和合して一つになって為に与えなければ
今日滅ぶこの世界は何の何契約結婚か?契約結婚して男女の肉体的な接触は好むがそれが必要ない?自分の肉体的満足を主張して享楽のために契約結婚をするのだ。
享楽が何か?女であれば女が自分の体が生じたのが何か?胸に何がある?宋榮錫(ソン・ヨンソク)!「はい。」胸に何がある?「女の胸に女の胸があります。」(笑い)何がある?乳房がある。(笑い)女の胸に、虎の胸も胸であるが胸には乳房がある。その乳房が何をするのか?男の乳と女の乳房と、男の乳は何をするのか?
それを考えてみなさい。夫婦が必要なものが何か?夫婦が必要なものが赤ん坊たちが必要なものと同様に乳房が必要だ。お母さんの乳房!お母さんの乳房であり、それではお父さんの乳はどこに行った?
皆さん、精子が何かと言えば、お父さんの乳です。生命の根源は天の男だ。その男を自分の体よりもっと愛さなければならない。愛というのは出来なかった場ではありません。良くなければ。これよりもよくあれば神様が愛の関係を結ぶのであって、存在世界の物が神様が管理している物よりも低いところでは関係を結べません。神様の愛というのは高いのだ。
それではこのような原則で質問するようになれば神様が人を何故創ったのか?何故創った?男が息子娘を見るために?息子娘を見ては何をする?良くては何をするのか?好めば好むことができる実を探すためなのだ。好む実が何か?一番目は男が好む実が、一番の実が女だ。女からは好む男が何かと言えば根だ。原因なのだ。
男を無視する存在は地獄で反対に差される。また女を無視する男は自分の目的によって正しく行けないのだ。皆さん男女たちが何を求めてもがくのか?夫妻を求める。その男の妻は誰に似たのか?お母さんお父さん、真のお母さんお父さん!真のお母さんお父さんは真の根本である神様に似た。真の神様に似たのか?それを知らない。堕落したために。真のお母さんお父さんを知らないじゃないか?そうじゃないか?
真のお母さんお父さんに似て何をしようと言うのかと言うのだ。この世の中、堕落した世の中、争う世の中ではない。愛を中心とした平和の世界だ。愛も偽の愛がどれほど多い?真の愛!絶対的な神様の愛を中心にして和合し一つになって、ー争うのではない。―互いに為に与えようとするのだ。天国に行けばそうだ。人が和合しなければならない。和合が必要だ。和合しなくては統一がだめだ。南北が統一される?
あんたと私が一つになろうとすれば和合しなければならない。目が合わなければならないし、鼻が合わなければならないし、口は口が合わなければならないし、耳は耳が合わなければならないし、手は手が合わなければならないし、足は足が合わなければならないし、全ての四肢百体が一つにならなければならない。和合すれば、一つになったとすればその次に一つになってそこから新しいものが始まる。一回り回るのだ。一回り回ればもっと大きなもの、もっと大きなもの、大きくなっていくのだ。1点を中心にして個人時代・家庭時代・氏族時代、このようになる。
全体を代表できる場に立とうとすればすべてのものを抱いて和合しなければ
また根は、皆さん全て自分を絶対視したい。そうだろう?生ずるには何であろうとも生じても。ここに黒人のヤンバン(両班)が来たのだ。黒人であれ黄人種であれ全部すべて自分を中心に個人時代・家庭時代・氏族時代、大きくなろうとそうだ。根がそうだ。根が大きくてこそ、ここから大きくなってこそ、このように大きければその次に根に従って垂直に、大きければ大きいだけ垂直になる。それでは個人的な根の世界、家庭的な根の世界、一つの鼻に通される。
種を中心にしてこのようになれば種が二つの時にはこのように回ってこのように回ってこのように回るのだ。必ず上下に回るのだ。重力があるために大きいのだ。そのために一点を中心に個人時代・家庭時代・氏族時代・民族時代だ。そのために自分を中心に連結されたい心があるのだ。そうか、そうでないか?
個性真理体になっているがその個性自体は自分を中心に全部連結したいのだ。だから一点で大きくなってこのようになればこれは原因であり結果だ。二人になって分けておけばこれは男でありこれは女であるが二人が一つになってお母さんお父さんの種から一回り回るようになれば1代になり、その次に2代になる時はこれが2代であるがこれよりも小さいのか?もっと大きくならなければならないためにこのようにすれば大きいのだ。天がこのようになればこれが同じでない。1点から大きくなっていくのだ。
すべてのものが自分を中心に大きさを願うのです。大きさを願うが上弦・下弦、右弦・左弦、その次に前弦・後弦が連結されて球形をなさなければならないのだ。すべての運動するもの円満だと言う言葉、運動するために円満であって、そのまま円満か?円満な夫婦、円満な人、円満な家庭!天国と言える所は円満の中で最高のすべての全部がそこに入って住みたいのだ。そのような個性真理体になっている夫婦が全体を代表できる場に立とうとすればすべてのものを抱いて関係を結べる場において和合してこそ円満にだけなるのだが、これは自分たちが個体を中心にてっぺんの中心になるとするのであって和合は知らない。‘あんたたちが私を中心に和合しなさい。私を中心に動かしなさい。’世の中に、和合と言う言葉が一人おいてする言葉ではない。そうだろう?
‘ファ(화:和)’の字が‘ビョ(벼) ファ(화:禾)’偏に?입) ‘イプ(입) ㇰ(구:口)’だ。シック(식구:食口)と言うのがご飯を食べる人を言う。一緒にご飯を食べるのだ。食口は一つのご飯を食べるのだ、食口、ご飯を食べる口!お父さんお母さんがご飯を炊いて食べる全部すべて食べるが和合しようとすれば同じご飯を食べなければならないのだ。そうじゃないか?
ご飯を食べるのも他のものを食べるがあんたは何故そのようなものを食べ、あんたは何故そのようなものを食べるのか?そこに問題になるのが何か?愛が偉大なのだ。愛を中心に見ればおばあさんおじいさんは根と同様でありその下は芽と同様だ。それが一つだ。根と結果を探す。根と目的を探して大きくなるのだ。
大きくなるのが一つの点を中心に垂直の中で大きくて連結されるのだ。ここから見れば点を中心にこれがあるがこのようになっているのだ。これが大きくなって全部が、全体の中で数多くこれと同じ自体が、上下・前後・左右のようなものが数百個が入るのだ。
そのために一つの家庭だけもっては国をなすことができない。数多い家庭が入った数多くの国も数多くの家庭が大きいのだ。数多くの国の中で世界がなったとすれば家庭の中で数多くの人がいるのと同様に、また国の中で数多くの家庭が入り、世界の中では数多くの国が入り、またその次にこの宇宙の中では数多くの世界が入る。
宇宙もそうだ。太陽系であれば太陽系を中心に宇宙がどれほど大きい?太陽系のようなものが1千億個になる。どれほど大きな宇宙か?その世界の中で私が存在して何をしたいのか?光の速度が1秒の間に3億メートル、地球を7回り回ることができる光が行く1年の距離が天文学では1単位だ。1光年と言うのだ。
太陽系に1千億個が入るのがどれほど大きい?今もそうだ。あの宇宙から出発した光が47億年になったにもかかわらず今でも地球星に連結されえず来ているのだ。うわ!そのような大宇宙の中で私が何をするための輩たちか?宇宙を私のものとつくってどのようにしようと言うのか?問題が大きいです。
球形になろうとすれば一つのセンターの前に上下・左右・前後があらねば
金持ちたちがお金を集めて抱えて踊る?千年万年生きられるのか?お金を持ち出して行くようになればそれを管理して撒いておくことができずになれば国を亡ぼすのだ。全部すべて連結されなければならないのだ。水であれば水が水に連結されるのか?水と言うようになればしょっぱく淡水があるだけであって、本質は同様だ。しょっぱくて甘いだけだ。
それと同様に連結されていなければならない。頭が貴いとすれば守ってあげる何かがあらねばならない。これを引っ張れば痛いのか、よいのか?痛いと言うのが何か?あ、破壊してしまう。(笑い)そのような意味があります。何故そうか?全部すべて連関関係から言うのだ。
そのためにこの大宇宙の中で神様がどこにいるのかと言うのだ。神様がどこにいる?地球上にいる?太陽系は9個の星が合わさって動いているが、どこにいるのか?太陽系のようなものが千個でもない。1千億個だ。1千億個になるがどこにあるのか?
それでは膨大な世界が何のために連結されたのか?皆さんの体に40兆個の細胞がくっついている。ぴたりと同様だ。くっついていながら細胞細胞どうし全部すべて相対がいて良いと額を突き合わせて毎日のように笑って生き、争って生き、どの様に生きたいのか?細胞たちが争う細胞になって生きたいのか、細胞たちが互いに好みながら生きたいのか?言葉では‘良くて行きたい。’と言う。好むことを感じる?
髪の毛も息を吸います。見るようになれば木のようにすべてなった。木のようになったのだ。息を吸っているのだ。我が全体を今感じられずにいるが息を吸っていて生きているのだ。そう、何のために生きているのか?生命のために生きているのか、愛のために生きているのか?「愛です。」生命ではありません?
そのために一番重要なことがそうです。上下・左右・前後が何か?上下は父子の関係であり、左右は夫婦関係を言う。その次に球形になろうとすれば兄弟関係だ。高等学校に通ったとすればわかる。球形になって点としてずっとするのだ。こうであれば球形になるのだ。
そのために一つのセンターの前に球形になるためには上下関係・左右関係・前後関係があらねばならない。本来はそのような時には上・中・下、左・中・右、前・中・後だ。中をいつも考えることができずにいる。上下・左右・前後なのだ。それが何か?上下・左右・前後が一つの中心を中心に連結されなければならない。上下の運命、左右の運命だ。こうして球形をなした家庭には必ず父母がいなければならないし、夫婦がいなければならないし、子女がいなければならない。
それでは子女になり、夫婦になり、父母になる所は一人だ。一人の女が一人の男、二人が合わさってなるのです。そうじゃないか?本来がアダムエバ、アダムと言うもの、エバと言うもの、知らないことは知らないが怪物団地たちだ。何故怪物団地かと言うのだ。堕落したと言うのだ。堕落したために勇気があれば、器があれば器に入るのにあまりにも大きいとか合わないとか小さくても問題であり大きくても問題だ。ぴたりと合わなければならないのだ。
それではこの3つが分かれたがぴたりと合わなければならないのだ。上下が大きくとも大変だろう?長さが異なる。左右が大きく小さくても長さが異なる。前後も長さが異なれば千態万象として私の上下関係それを願わないと言うようになれば球形が生じるだろう?すべてのものが太陽を見るとか星国もあのように大きいとしても全部すべて円形に似ている。
人は欲望をもって大きくなりうる基準を中心に努力する
そのように考える時、皆さんが自分の心がどれほど大きいものを与えたいのかどれほど小さいものを与えたいのか?大きいものだけ私は願い小さいものは嫌いか?人の、皆さんの精子や卵子がどれほど小さいかわかるか?二つが合わさるようになれば大きくなるのだ。それが大きくなるのにおいて子供たちの時には両親がいるのかすべてわかりません。赤ん坊たちは知らない?何事も知らない。食べることしかわからない。食べることしかわからないが食べて大きくなれば大きくなるほど内的な面に種と母体に似て行くのだ。
お母さんお父さんの精子卵子が二つが合わさる所は男の生命女の生命が別動分子ではない。完全に一つにならなければならない。完全に一つにならなければならないし、その次に男の愛と女の愛が同じか、異なるか?普通同じだと言うが、異なるのだ。上下を連結させて、左右を連結させて、前後を連結させる愛が異なる。3つの種類が入って一つの核を中心にして距離もそうだし角度もあってこそ球形が生じる。丸くなると言うのだ。
そのために上下は父子の関係であり左右は夫婦の関係であり前後は兄弟関係だ。その3つが核を中心に上下とすべて同じでなければなりません。角度も同じでなければならないしこれが全部すべて同じでなければならない。距離も同じでなければならない。統一になっているのだ。
一つだけ少し異なればこれは壊れる。一つだけ異なればそこに持って行って補って完全に球形をつくると言うのだ。一つが小さくなれば小さい所において球形をつくらなければならない。人はその為に希望を持って欲望をもって大きくなりうるこのような基準を中心に努力しようとするのだ。どれほど大きいかと言うのだ。無限に!無限に大きくて何をするのかと言うのだ。
宇宙の神様がどれほど大きいのかと言うのだ。神様が宇宙よりももっと大きい。何故?それはコンセプト(concept:概念)がそうだ。主管できるヤンバン(両班)が小さくなりえない。大きくならなければ、そうじゃないか?
プラスマイナスが分けられえないために抱いて連結させなければ
このようにしては訓読会をできないのだ。分かるか?問題は簡単です。上下・左右・前後が完全球形にならなければならない。それでは神様は本来からどこから出て来たのかと言うのだ。宇宙の中で出てきた、宇宙が出る前に神様が出て来て宇宙を創ったのか?そのようなことを考えてみたか?
神様が先か、存在が先か?「神様が先です。」神様!それでは存在の起源が何をもってこのように移すようになったのか?何をもって大きくなったのか?剥がしておけば全部すべて別個になるがどのように上下を中心に、左右を中心に、一部分づつなったのか?これが家庭だ。3つが一つにならなくては家庭がだめだ。
父母がいなければならないし、父母がいる前に何が必要か?夫婦が必要で夫婦がいる前に何が必要か?子女が必要です。子女がいて夫婦から父母として出るがそれが別に個性が分立されて同じ姿をもって男の愛女の愛、男の生命女の生命、男の血統女の血統がどのようにもつれたのか?
女たち、愛があるのか?おばさんたち愛があるのか、ないのか?生命がある、ない?愛と生命は何を根とみなし結実するとそうか?生命・愛・血統!言ってみなさい、血統!「血統!」血統に何がかかる?血統に何がかかるのかと言うのだ。血統の根源、愛と生命の血統なので血統には自然と動機のような愛の実がかかって生命の実がかかるのだ。また生命愛の血統が大きくなっていくのだ。それが何かと言えば息子娘子女だ。そのように見る時子を持てない、子女を持てない人は無くなるのです。無くなる。
お母さんお父さんが二人が面白く住むのが種であるが、種を植えて人生生活が複雑な家庭で実を得なければならないが、お母さんお父さんたった二人で赤ん坊をたった二人だけ産めばどのようになるのか?人類がなくなるのか、残るのか?答えてみなさい。無くなるのか、あるのか?‘アイゴ、我が二人の夫婦は息子一人だ。’それはなくなるのか、いるようになるのか?
‘たったの二人だけ産もう。’それではアダムエバの家庭でただの二人を産めば二人以外にもっと残るのか?それを何を言う?問題です。そのようなことあのようなことすべて知って人間はこうでなければならないのです。そこで必要なことが何か?愛を探しに行くのか、生命を探しに行くのか?血統を探しに行くのか?
結婚をしない時には何をしたいのか?愛したい?その次に男女の個性が異なっても好みたい。会えばすべて好む、争いをするためのことか?愛を探しに行く時には必ずプラスの性品とマイナスの性品が、男女の生命体がある。その愛が生命体と合わさってその生命体が自分たちだけいるのではない。男の生命体と女の生命体がぴたりとくっついて生きたいと言うのだ。それが愛する夫婦だ。
そう、生きれば何をして生きるのか?愛して生きる。愛しながら生きるのが何か?ご飯を食べて生きるのが愛か?愛して生きることが何か?女はポルロク(볼록:凸)であり男もポルロクか?女もポルロクか?女が絶対ポルロクだと言う女がいるのか?男が絶対オモク(오목:凹)と言う男がいるのか?異なる。異なるのにおいておけないし死んでも一つになれなければだめなのだ。プラスマイナスが分けられることができない因縁があると言うのだ。それが分かれればだめだ。抱いて抱いて連結させて連結させなければならない。
お金を儲けて欲望の多い金持ちたち、それは久しく行けません。一つになれなければ争いが繰り広げられる。ここに現代とか大宇があるが二つは互い互いに殺すとそうだ。それの二人が死ねば国がなくなるのだ。国自体がそれを保護して千年万年もっと育てて行けるこのような国がだめであるために問題だ。そのような国たちはすべて歴史に流れて行くのです。
現代だとか他のもの、それは私の国ものであるが‘私のものだ。’と考える?自分をいつも、自分を先にうち立てるのだ。堕落のために。それが堕落だ。全体をうち立てて総合的な価値を貴く思わなければならないが、分別された自体たちを貴く思って天使長とかアダムエバとか堕落だ。そうだろう?
中心核を中心に骨と肉と脂が連結される
金持ちになりたいだろう、おばさんたちも?金持ちになりうる女になっている?財布がどれほど大きい?どれほど膨張できるのか?神様の場に行くようになれば、65億になる人類、数千億になるあの国の霊人たちも神様が抱いて生きるが、それは死にませんでした。生きている。その中で我が国の人自分の後孫の中で一番一等になりうる後孫、わが国民が出ればよいと考えているのだ。
オリンピック大会を世界的にする時、オリンピック大会でチャンピオンになればその国の選手を寝ずに応援しなければならない。国を考えながら応援しなければならないのだ。水を飲みたければ私が水を飲まなくても代表に飲ましてあげなければならない。力がなければ注射でもしてあげなければならない。そのような考えをしなければならない。
それでは愛と生命と血統がくねくねとすればどうか?このようにしても問題でありこのようにしても問題でしょっちゅうこのように運動をしても、これが動いても全部すべて破綻が繰り広げられるのだ。真っ直ぐであればこれが上がったり下りたりしてもよいし、このように動いてもよいのだ。またこのように動いてもそれがすべすべするので何の運動も真っ直ぐになる。角があってはだめなのだ。
そこでこの宇宙は角を嫌い真っ直ぐなものを好むために全部すべて球形だ。皆さんの細胞たちもそのようになりました。愛は男の愛女の愛であるが、女の愛と男の愛が何が異なる?男の愛は上に来るのである、上弦。上弦の愛をして女は下弦の愛をするがこれが真っすぐに連結されなければならないのだ。
体と心を分けておけば何個か?上弦・下弦まで4つなので二人を合わすようになれば8個になります。そうじゃないか?東西南北の四方に分けられた8個がどのように一つになる?何が一つになる?生命力を持って一つになりえない。男だけ持ってもだめだ。女だけ持ってもだめだ。お父さんだけ持ってもだめだ。お母さんがいなければならないし、その次に夫がいて、妻がいなければならないし、兄がいて弟がいて息子娘がいなければならないのだ。そうすれば球形が生じる。
それはどのようなものでも与えても通じゴムボールのようなものは蹴るようになればいくら加えてもそれがかからない。大きかった小さかった、増えた減ったと言うのだ。和合できる幅を広めることができるのがゴムだ。ゴム、生ゴム!生ゴムはいくら増えても戻るのに問題ない。切られる前には伸びておいてもそのまま戻るのだ。生きたゴムはそうだと言うのだ。何故?増えたので本来に戻らなければならないのだ。
息もフウ、一度息をしてみなさい。ストップせずもっと息をする。このようになればフウ~、フウプ!息を吸って吐く時倒れながら息をする人がいるのか?空気が入るのでこうでなければならないのだ。それが自然運動だ。それを永遠に合わせることができれば永生するのだ。
人の上下・左右・前後がどこであれ永遠に、不死の関係を永遠に合わせて、その次に夫婦として永遠に合わせ、兄弟として永遠に合わせるのだ。それは一人がするのか?家庭に入る時には何人か?7人だ。中心まで7であればそれを一人がすべて経るのです。一人の生命、一人の愛、一人の血統が絡まれて7つのものが合わさって永遠になる。個人主義がそこにあるのか?共通概念があって中心核を中心に骨があって肉と脂が連結されるのだ。核だ。核、言ってみなさい。「核!」
そう、夫婦が核になっている?夫婦どうし。ここおばさんたち、‘愛は私の愛だ。’私の愛だと言えるのか?自分のものがどこにある?生命も私の生命か?連結されているのだ。血統も私の血統か?連結されている。血統がなければ国が連結されないのだ。血統がなければ家庭が生じない。そうじゃないか?それは私のものではない。全歴史を通して、全体を通して共通的な核だ。共通的な永遠な核と言うのは永遠な分母だ。そのような論理が決定されるのだ。
(孫娘が可愛いらしく声を出す)ハラボジに信号をするのだ。フイーック!(口笛を吹かれる)(笑い)‘ハラボジ、私が王であるのに何故私を見ないのですか?イヤや!’信号なのだ。
実体条件物よりも先有条件が先
そのように尋ねて答える時私がどのようにならなければならないのか?王になりたいのか?すべて王になりたいのか?皇后になりたいのか?女王になりたいし男の王になりたいのか?そのような結論が出てきます。男の王が一人でなりうるのかと言うのだ。王と言う言葉!男の王がいる前に、男の王を決定するためには女の王がいなくては男の王は生じないのだ。
これを我々統一教会では原理の中で先有条件と言うのだ。上と言うことを言うようになる時下を認めておいて上と言う言葉が出て来るのであって、認定しなければ上と言うのはありえない。大きなものを認定する前に小さなものを認定して出るために数倍数千倍加えて大きなものになるのだ。先有条件が何かと言えば、極めて大きなものを認定しようとすれば極めて小さなものを決定すれば極めて大きなものが出て来る、極めて小さいものだけを必要として極めて大きなものだけを必要とすれば二つとも出て来ないのだ。
それでは神様が男を先に創造した、女を先に創造した?男たちは‘男を先に創造した。’と言うが、男と言う動物がどの様な動物か?ポルロク(볼록:凸)の動物だ。男の中でオモク(오목:凹)の動物がいるのか?(笑い)笑うな。いる、いない?「いません。」おじいさんの中にもいないし、お父さんの中にもいないし、叔父さんの中にもいないし、遠縁の親類が多いが男の中では絶対オモクだけであって、絶対ポルロクだけだ。どうなのか?「ポルロクです。」オモクがおればどのようになる。どのようになるのかと言うのだ。オモクがおれば男たちがオモクがあるのを賛美だけして助けてあげるのか、全部すべて自分のものにしようとそうなのか?大きな事件だ。
ポルロクがあれば相対になるオモクがなければ。すべすべすれば大まかなものがあらねば。すべすべしたのは大まかでそのようなものを定めてする言葉だ。これを知らない。男と言う言葉は女を先有条件として決定して言う言葉だ。こうであれば男が先に現れたと言う時には結果的であり、先有条件ではない。女をもととして女が絶対必要たりうるように生まれたのが女だ。女をもとにして女が絶対必要たりうるように生まれたのが男だ。それではどこで合わせて男が生じたのか?女に合うようにして男が生じたのだ。
それでは先有条件が先か、実体条件物が先か?先有条件が先であるために神様が男を創造する前に女のすべての図面をすべて描いておいてそこに合うように男をつくったと言う時には誰から先につくっておいて誰から生じたことを中心に男が生じたのか?男自体は絶対そうではありません。
女に合うように生じたのが何か?一つ異なる。何か?ポルロク!またポルロクを中心につくったのは、同様だ。女をもとに作ったので女は何に似なければならないか?‘男に絶対必要な姿で似なければならない。あんたは絶対私を必要とし私は絶対あんたを必要とする。’こうすれば二つが永遠に一つになりうるのであって、別々になって永遠な愛、永遠な生命、永遠な血統が出て来ないのだ。これが理論的です。
骨を作るために探すのが結婚のたった一人の相対
おばさんたちすべて今まで生きる時、若くて思春期の頃において恋愛もし男たちを中心に数多くの女たち、目で見て生きれば数多くの男を描いてみた。描いて見なかった?男たちはどうか?行きながら数多くの女を描いて見た、描いて見なかった?許文道(ホ・ムンド)?「はい。」(笑い)答えれば私が話をする。尋ねるのに答えをしないので話が止まるじゃないか。
そのように尋ねるようになれば一人の男に、理想的な男に宇宙的な理想を描く女がいると言う時には一人の男だけ描いて見るのか、億千万の男を描いて見るのか?億千万の男を描いて見て何をする?混乱であり争いの場であり一度に爆弾をして勃発してしまいたいのだ。それが何故?それが何故そのようになったのか?あんたがその男たちを中心に関係を結ぼうとしなかったのかと言うのだ。
女が数多くの男を描いて見るのは数多くの男の特性をすべて持ってその男をつくることを知らなければならない。産まなければならないし、その男を産んで育てて夫もつくり、育てておじいさんもつくり、王もつくるためのそのような伝統が隠れていると言うことを知らなければならないのだ
それが自分に結託したのではない。数千代数万代女男たちが理想だと言うこと、男たちが生きる所はその国の女王がいなければならないし、その次に数多くの女の先祖たちがいて出て来たし、その次に家庭に入ってはおばあさんがおりお母さんがおり自分の婦人がいて上の娘下の娘がいる。その個々人の女たちが何をするためのものか?全部の男の中で抱いて骨、また女の中で骨のような女、女を探して男を探すのだ。
それの二人の骨のようなものが数多くの男たち、この男も私が好んだとしてもただの一人しかいないその男とカップルになったのが愛をもって合わさり生命をもって合わさりその次に血統を合わすための永遠な愛、永遠な生命、永遠な血統を残すためのものだ。これが結婚なのだ。その結婚の中で男として世の中に一番になる歴史的な女王を代表しその次に先祖のお母さんたちを代表し、自分の家庭に入って来てはおばあさんの代身、その次にお母さんの代身、婦人の代身、娘の代身これを愛してから私が骨を作るために尋ねるのが結婚のたった一つの相対だ。それを考えなければならないのだ。
私が過ごしてきた歴史的なすべてのもの、そうしようとすれば過ごしてきたすべての先祖たち、お母さんたちと女たちを考えたその先祖たち以上そのような人を展示しておいてそこに一番行く女の骨のようなたった一つの男の骨になってこれがぴたりと合うようになる時には女たちが拍手するのだ。我々の骨の王が生じたと言うのです。
そのような因縁があって関係があらねばならない。因縁があって関係があらねばならない。目が半分の目があって因縁があれば関係になって二つが合わせなければならない。顔もここで4つを全部すべて合わせなければならない。合わせて和合されているのだ。それでは顔の中で目、鼻、耳、口があれば姿がすべて異なります。ここに100人近く、100人になりえないが、今日は。丸90人になったのだ。1,2,3,4,5,6,7、8,9,100人はなる。
どのような価値の実を二人の夫婦が結ばれて置くようになるのかが問題
宋榮錫(ソン・ヨンソク)看板に付けたその目が誰の目か?誰の鼻か?誰の口か?それはどこから来たのか?自分から来た?数多くの先祖を通して数多くの人、数多くの生命、数多くの血統を経てかかって私に打ち込まれているのだ。
私が動機になるとか結実になったのだ。`あは、私の目の歴史の中で宇宙史の目たちの歴史が入ったのだ。’その動機と結果を中心に私の目が関係したのだ。鼻もすべて関係があるじゃないか?目たちが生きること、目がパチパチするのか、しないのか?鼻は?息を吸う?耳は?そして口は?
口が入る穴が異なり、鼻も入る穴が異なり、耳も入る穴が異なり、目も入る穴が異なり、全部すべて異なるがよくも拍子を合わせる。和合になっている、なっていない。「なっています。」
顔を眺めても‘目の先生、目の王様、目の先祖、千年万年目の後孫。’それを見たのか?鼻を見る時‘鼻の王様!’5大聖人であり何の王であり世の中に一番有名だと言うすべてのものが自分の鼻に似た。そのような伝統は分かれなかったのだ。全部すべて連結されているのだ。
アダムエバ二人の女男から始まってすべて連結されたのか?他に落ちた、落ちなかった?落ちなかった?このように見れば走って来たと言うことを知らないが連結されているということは事実なのだ。だからその目は自分だけを見るのではない。上を眺め下を眺め四方を眺めそこに一番価値のある場に立たなければならない。1.2 1.2が永遠に同じでなければならないのだ。差異があればだめだ。
鼻も息を吸うが塞がればだめだ。耳も聞くが故障すればだめだ。口も食べるが水も飲んでご飯も食べて消化できなければならない。公式的な過程だ。その公式と言うのがどれほど今日まで私の顔に付けてそのように作動できるのだ。それが誰の功か?先祖たちの功であり、男性女性たちの功であり、女性たちの男性たちの愛の功であり、生命の功であり、血統の功だ。それが連結されて自分が生命体になっているのだ。
私はどのような存在か?宇宙の展示場に出てきたすべての全体の表象として今現れている。そこから何等を迎えたいか?それは自分が定めない。展示場に品評会のような会議をする時、同じカボチャが千個万個あれば1等2等3等4等を決めるのにどのように決めるのかと言うのだ。決める主人に従って、丸い奴だとか大きな奴だとか姿に従って性格に従って異なるのだ。選択の姿を決定するのは選択できる主人であるとか相対であるとかその人たちの合うどうしどうし訪ねて、一つの前に二つの相対が必要か?どうか?
一つの前に一つの相対が必要だ。それでは二人の相対が必要であろうとすれば、女の立場から二つの相対が必要であれば二つのポルロク(볼록:凸)を占めることができる二つを持っているのか?問題なのだ。
本当に完全に一つになりうる二人の中で立つようになれば混乱が繰り広げられる?高く低いこの二つから果てから果てだ。最高の場で会ってぶつかって爆発されなければならないが、二つの中でこのようになればどのようになるのか?互いが作動できない。作動すれば事故が生じるのだ。男の心にも事故が生じ、女の心にも事故が生じ、第3者として見る人も事故が生じる。絶対相対を中心に授受してそれは全体を代身したものとして尊重視してあげて愛して生命体を保護しそのような血統を、永遠な理想的の核の血統を残すとしなければならない。それが貴いのだ。
生きる時男がどのように生きるのかと言うのでなく実を結ばれて置くようになるのかと言うのだ。これが貴いのです。
人も永遠に行くのではない。愛が1代にかかっています。生命も1代にかかっている。しかしながら連結されるのは永遠な血統だ。これを知らずにいる。今回先生の講演内容が血統だ。堕落は何かと言えば血統を混乱させておいた。血統を知らない。血統が似ればすべて通じるようになっている。
血統が何かと言えば共通的な概念を、共通的なコンセプトを教えてあげるのだ。分別的なコンセプトを教えてあげることが問題だ。自分第一主義だ。自己第一主義よりも・・・。家庭第一主義がよい。夫婦第一主義がよい、個人主義の第一主義がよい?「家庭第一主義がよいです。」家庭でなく国家またどうか?国家第一主義がよい、世界第一主義がよい、天宙第一主義がよい、神様全体代表主義が一番良いのか?「神様全体代表主義です。」わかるにすべてわかるのだ。(笑い)そのように生きればそのようになるのだ。そのように生きないのでそのようにならないので問題だ。天国に行くことが何か?そのようにすれば天国に行くようになっている。天国に行く考えも必要ないのだ。
お袋親父がどれほど恐ろしい存在だと言うことを知らなければ
正常的に耳目口鼻が備えられれば息も吸い目もパチパチと耳も聞き口も食べて飲んですべてする?食べる時ごとに水を飲む時ごとに許可を受ける?空気の許可をあってするのか?太陽の光の許可があってする?
考えて見なさい。一番貴いのが太陽の光であり、空気であり、食べる栄養素であり、聞くことだ。一番貴い物を自動的に拍子を合わせながら苦痛がないようによくたりうるように和合されているその顔を眺めてみる時、ここ(耳)も見なさい。どのようになって3つの山が、破音になってはならないために一度殺してまた殺しぴたりと殺して和音になるようになっているのだ。
鼻にも男たちは鼻ひげがこのように中に入ったのか、外に出たのか?外に出て来たのだ。何故外に出て来たのか?それが歴史的な先祖です。埃が来てくっついて入れば大変なために、鼻にいつでも湿気が満ちるために、ここに来てくっつくようになれば中に行って固まるために産毛にすべてかかる。
和合して一つの円満な大宇宙の全体の生命の目的を完結させなければならないと動員されています。女であれば女一人で完成できるのか?これが謎だ。女一人で自分の思い通りして何になる?赤ん坊が生まれるのか?尋ねているじゃないか。女たち?無くなるのです。出て来なければなくならなければならない。胸も必要なく、お尻が何故大きい?赤ん坊たちのために。女は何故ひげがはえなくてきれいじゃないか。柔らかなのだ、男はおおらかだが。何故そうか?男のために。男がそれを好むので。
皆さんが化粧して若い女がすべて良いと言うのだ。‘アイグ、1歳でも削って食べればよい。’と言ってうるさいのではないのか?最近俳優たちは90になった年寄りが中高等学校の学生になるのが分かるか?染めて出るようになれば初等学校の学生にもなりうるのだ。それが穀物の野積み(厚かましい甘え)であり、正常か?変わったのだ。変わった。どれほど変わったのか?一度変わったとすれば永遠に戻ることができない。変わることもなく戻ることもないものではないのか?それはあろうがなかろうが無くなるのだ。
このようなことを考えるとき、世の男が多く女が多く父母が多くすべていても自分が持ったものは誰に不平を言えない。赤ん坊が男として生まれてまた男として生まれて兄弟になるのだ。二人がお母さんの品位を保護することを受けて育つ時殺そうとそうか?何故?お母さんお父さんを自分たちが共に似たがアイゴわがお父さんとお母さんと二人が愛するので互いが為にするのでその赤ん坊たちもお母さんお父さんから父母から学ぶのです。
新しい世界もそうだ。ハイタカとか鳥の子たちをつかんで食べさせてあげれば雌親雄親なしに訓練された存在は、人が育て始めて食べるものを分け与えれば人が持ってきてあげなければ捕って食べることを知らない。
黄善祚(ファン・ソンジョ)の義理の父の話を聞いたのか?ハイタカの子を捕って育てたが、後で1羽しか残らず育てておくので雌親よりももっと大きかったがと言うことであり、これはカエルを捕って与え魚も捕って与えるので受けていつでも梨の木に座って主人が来ることを願って朝にも声を出して食べ物をもって来て与えることを信号するのだ。人が捕って与えたカエルを食べ魚を与えて食べて、自分一人食べるもの、持って来て与えること以外に知らない。
人が飛んで通う鳥をハイタカの前に投げるようになれば飛んで行くのもサッと捕って食べるが、持って来て置いて与えても捕って食べることを知らないと言うのだ。そうしてこれがすべて大きくて持って来て置いておけば食べず夕方の時に探して戻って来るのだ。人をお袋親父と考えてそうなのかそれを願って食べずに戻ってくる。戻って来て座って何を欲しいと声を立てて与えないので1週間後に死んでしまった。
雌親雄親がどれほど恐ろしい存在と言うことを知らなければならない。息子娘の前に教えた通りする。朝毎に怒るようになれば、義母の逆上に犬の腹を蹴るのだ。(笑われる)夫が少しだけ不平をしても‘エーン’と何の顔になる?お化けの顔にもなり、盗人の顔にもなり、殺人者の顔にもなって色とりどりにありとあらゆる遊びをすべてするのでそれを眺める息子娘がお袋親父に似て行くのだ。責任が大きい。
良いようにする為に生まれたのであって被害を与えるために生まれたのではない
スズメたちもオンマが食べさせなければ取って食べることができない。何を食べるかわかるか?先祖たちが食べたものを学んだ通り取って食べて子を産むのだ。今後未来にどのように生きること、熱心に息子娘のために努力しなければならないが、楽に生きればどのようになる?
わが統一教会の家庭たちに対してそのために手本になれと言うのだ。何に?愛の手本になって愛の核が必要だし、生命の核が必要だし、血統の核が必要なのです。残さなければならないもの、愛を残せないで行きます。女の生命を残せずに行きます。息子娘に代わりにに血統を通して連結させて行かなければならない。産んで置かずして行けば男女が来てこの宇宙のすべての被害を負わせた憎らしい物だ。
愛の実が必要だし、生命の実が必要だし、血統の実が必要だ。それがすべて良くなければならない。良いようであれば誰によくならなければならないのか?おじいさんおばあさんが好まなければならないし、先祖が好まなければならないし、先祖の先祖である神様がよくなければならないし、その次にその時代において文氏であれば文氏の姓氏が、韓国人が286姓氏であれば全体がすべて好み後方まですべて好み、よくするために生まれたのであって、被害を与えるために生まれたのではない。そのような概念がない。
わが統一教会は全体の核の場を尊重視する。その核が自分自体になりえない。神様のように自分が有名になりたければ、‘神様がこれこれの方だ。’と言う先有条件を定めなければならない。その世界はこれこれのものなので私はそのような世界に行くために訓練すると言うのだ。それが立っていない。神様を知らない。天国を知らない。知らない天国に行って何をするのか?知らない嫁に行って嫁に行った乙女が女の役割をできるのか?嫁の役割をできるのか?丸みを帯びたのは使えないのです。知らなければならない。
男は男として知らなければならないし、女は女として知るのにおいて夫婦が何か?二人が一つになるのだ。本当に一つになるのが夫婦です。息子娘を育てて訪ねてあげるのはお母さんお父さんが訪ねてあげるのだ。嫁に行き嫁を娶らなければならない?何故?お母さんの愛よりもお母さんの生命よりもお母さんの血統よりもよく、お父さんの愛よりもお父さんの生命よりもお父さんの血統よりもよいことを願うのだ。父母になった人たちは自分よりも夜や昼や良いことを願う。
今この時代に生きているがいくら善なる世界でももっとよくなることを願う。悪い世界でもそのようなことを願う。それを願ってなるのか?誰が実践しなければならない?国で停止すれば政治をするのに実践して手本にならなければならないが、なっていないので偽、盗人、詐欺師たちだ。それはすべて流れて行かなければならないのだ。流れて行かなければ人々が合わさって流れるようにしなければならない。
神様がどの様な方なのか知らなければ愛・生命・血統に対して漠然だ
今日も蕩減復帰というもの、復帰蕩減か、蕩減復帰か?「蕩減復帰です。」何故?罪を犯したために蕩減、無くしてしまわなければならない。傷が生じたとすればかさぶたを剥がしてその場がなくならなければならない。場がなくなって触って見れば副作用になっているのだ。解かなければならないのだ。
結論は簡単だ。男がいる前に女が先におればよいのか、女がいる前に男が先にいればよいのか?戻って行くのか?そこで先有条件として男よりもよく女よりもよく二人が合わさったものより良い存在が一つしかない神様だ、言ってみなさい。「一つしかない神様です。」一つしかなくてハナニム(하나님:一人の方、神様)だ。
その神様の前に息子娘は何をする存在たちか?神様を学ぶ存在たちではないのか?二人の息子娘がおれば誰がもっと神様を好むのか?神様を誰がもっと愛するのか?誰がもっと神様の生命が強いのか?またその次に誰がもっと血統を前にきれいで美しく育ててあげるのか?このような考えをしたのか、しなかったのか?それが主流思想だ。
家庭のない飛ぶ輩は流れ者の輩になる。妻になったので夫の懐を訪ねて行くがそこに不安だ。希望か?最近でも私が多くの赤ん坊の種を結婚させたとすれば、30になって40に近ければ嫁に行かないと言うが、‘嫁に行ってみなさい。あんた嫁に行かなかったとすればよいのか、嫁に行ったのがよいのか?’尋ねれば嫁に行かなかったことがよいのでなく嫁に行ってみるとそれこそ革命的なのだ。愛がそのように偉大だし、男女の生命体が偉大であり、女を通して希望する後代に対する希望がどれほど広壮なのだ。そこで宇宙と比較できる価値が現れるのだ。これが中心だ。
女として生まれて‘世界の何を与えても変えることができない貴いのが夫だ。’そのような夫が必要であり、最近その日暮らしのフリーセックスがどこにある?女たちがフリーセックスしたとすれば夫なしに赤ん坊を産んだとすれば、情欲に満足しなければ一日に一人ではない。朝昼と力があれば全て変えてなくして体験するのだ。それでは赤ん坊を持たないのか?
毎日のように毎時間異なって赤ん坊の種を受けて後孫を産むようになれば誰がお父さんであることを知らない。真の父母の愛の主人になりうる道がない。種々雑多な愛のお母さんお父さん主人になりうるので主人でない。夜に光になった蛍の光の光にはなりえるが、太陽の光のように永遠に軌道に従って照らしてあげることができる永遠な光の母体はなりえないのではないのか?それを好むのか?お袋親父が社会がそのようになったのでそれについて行けばそのようになるのだ。しかし原則が現在と異ならなければならないと言うことは常識的に知る所なのでそれを抱いて乗って行くのだ。そこで宗教が出て来るのだ。
より価値のある哲学が出て宗教の中で神様とともに一緒に住もうと言うのだ。このような問題が繰り広げられる。そう、神様がどの様な方なのか?神様がどの様な方か知らない。神様が愛の主体であるが愛がどうであり、生命の主体であるが生命がどうであり、血統の主体であるが血統がどの様なのか漠然じゃないか?隣近所のものなのか世界のものなのか数千年後にそのような本当なものが現れるかも知らずにいるのか?これが本当だとして生命財産を投入してそれを輝かすように結実して生きると言う夫婦がいるのか?
無知には永遠に完成がない
そのように生きられない人は骨が無く死ぬ。皆さん鷄を見るようになれば、女たちは鶏をつかまなくて知らないが男たちはわかるのだ。雌鶏をつかめば雌鶏の中に卵たちがニリリドンドン走ったのを見るのか?「はい。」雌一羽だけいてもその卵を産みます。その産んだ卵を何だとそうか?「無精卵です。」無精卵であり、無精卵か?「無精卵です。」無精卵は堕落しない時であり堕落するようになれば不精卵だ。
だから種になるためには雄が必要か、どうか?種!「絶対必要です。」絶対と言うようになれば二人の中で一人は僕にならなければならないのだ。ついて行かなければならないのだ。それを知らずにいるじゃないか?
何故愛する時、女と男と住む時男が上に行く、女が上に行く?おばさんたちそのように生きても教主様が座って明け方からそのようなことを尋ねてみると‘あの人がそのような全ての充満な素質がある。’と言うが、でない。原理原則を選り分けてあげようとするので、男が上に行く、女が下に行く?男たち答えてみなさい。
花柳界にいる毎日のように敷かれて過ごす女たちが弱い男たちであれば上がりたいか、そうでないか?花柳界の女たちはそのようなことが映画を見るようになればよく出て来るのだ。それは合う言葉だ。いつも下で生きるので、そうしてぞんざいな扱いをされて生きるので、‘エイ、一度上がってお腹を広げて置くとか縮小するようにつくろう。’と言うのだ。そのようなことが繰り広げられる。
何故下に行かなければならないのか?器だ。また女はお尻にクッションがあるが男が横たわってみなさい。肛門の骨が出てするが中間に合わせる前に二人が起きなければならないことも生じるのだ。一度してみなさい。
自然らしいと言うことが自然らしいが自然らしい希望があるのだ。無理強いの強制ではない。わが統一教会の女の中でそのような女がいる。自分が好む男だが歳が今丸10歳になったが相対がしてくれないのでピストル(pistol)を持って行って‘あんた私の言葉を聞くのか、聞かないのか?’と言ったのだ。それを聞かなければならないのか、聞いてはならないのか?女の中でそのような女もいるのだ。人は同様だ。そうだろう?
最近男たちが考える時、自分が好む女をつけると言うのだ。つけると言う言葉を、決定すると言う言葉を女たち多くする、男たちが多くする?「女たちが多くします。」女たちが多くする。自分が煮詰めてそのままその通り自分について行く男がどれほどいるのかと言うのだ。自然に和合されなければならない。
そこで問題は皆さん男女が住む目的は、おばあさんお父さんが住むがそこによい種子を残さなかったとすればおばあさんお父さんが願ったことを残せない恨があるので先祖になって霊界に行って我々よりも立派な種子を入れてあげることを願うのだ、千年万年!
皆さんが統一教会に入って来て原理のみ言葉をなせなかったとすれば行って数十代になっても私が願ったことを成してあげなさいと言うのだ。なしてあげたとして代数を経ながらもっと懇切たりうるこのような人がいてこそ次元が高い後孫が出るのだが、一番初めに統一教会に入って来る時反対して世界の国が反対して・・・。
どこに行く?日本?「違います。朝の約束があって。(郭錠煥)」約束をどのように朝の7時に・・・。
そのために皆さんが歴史的な主人になると言う時、主人になりうる道がすべて開かれています。すべてなっている。許した。自分ができないでいる。このようにこのようにして泳いで太平洋も渡ることができるが、それを出来ないので行けないのだ。すべてなったがこれが堕落のために混乱が繰り広げられた。
そこで天国を知らない。知らない世界をどのように行く?敷居ではあの世の死者、サタンが守っているがパスできる証明書があらねばならないし、どこに行くと言うこと。知らなければだめだ。無知には完成がない。永遠に完成がない。統一教会を軽く知ってはならない。既成教会は望めもしない。
公式を解かなければならない。天国に行ける公式があらねばならない。有名な学校であれば学校を中心に同じ教科書を書いても説明できる師に従って千態万象だ。先生のそこに対する考えとコンセプトがどれほど差異があるのかに従ってその差異のある基準が学校別に現れるのだ。同様だ。宗教の中で一番良い宗教がどのようなものか?一番良い学校はつらいのだ。政治世界で一等することが一番つらいのだ。政治する人を人の取り扱いをする人がいる?
真の愛と生命と血統の主人になろう
さ、結婚がそうだ。真の愛の主人になろう。言ってみなさい。「真の愛の主人になろう!」真の生命の主人になろう。「真の生命の主人になろう!」真の血統の主人になろう。「真の血統の主人になろう!」神様はひと方以外にいません。神様はひと方以外にいないがそのひと方が所願成就を一度もしてみることができなかった。
神様が男性格に似たのか、女性格に似たのか?堕落したので人間に対して息子娘として愛してみたのか、愛してみれなかったのか?神様が結婚させてあげたとすれば愛するのを見て憎んだ、好んだ。息子娘が嫁に行って嫁を娶って二人が面白く生きれば‘私よりもあんたたちが幸福です。私よりもよい。私が住足らなかったものものを補って私のクラス(class:等級)を越えて残ることができるので良い。’こうでなければならないのだ。
モデル型がない。神様が願った男の生命、男の愛、男の血統!モデルがあるとしても、神様がいる。いるとしてもこれを植えて見ることができなかった。モデルの女がいないので。何故?堕落して全て壊れてしまった。男性格を備えた神様がモデルの男性に対して今後愛の相対とみなし、生命の結託者、血統の頭の基盤を残すと考えるのか?男性は男性を遠くするのだ。ここに女が入らなければならないのだ。
男たちの中で絶対必要なのが男だけであり、女も入らなければならない?男だけ二人いるようになる時そこに一人の男をなくして女と変えることができれば変えなければならない。自分のある財産を全部すべて売っても変えて男二人が争った場に女を買って置かなければならないのだ。こうであれば愛には屈伏しなければならない。真の生命の前には頭を下げなければならない。真の血統の前には頭を下げなければならない。為にしない所は真が連結されない。為にしなければならない。そのようになっていない?
私が妻として妻の歴史に記録を出して神様が尋ねて来て私をつかまえて自分が生きる所に連れて行けるそのような女になる、神様が好むことができる愛の代表者、生命の代表者、血統の代表者の女になる、考えてみたか?
根本を貴く感じられない人たちが環境で結果が価値のあるものではない。自分の思い通りになる。それを知らなければならない。真のお父さんがどこにおり、真の夫がどこにおり、真の息子娘がどこにいる?全部すべて真のものではありません。すべて別れた。深刻なのだ。
統一教会でそのためにこのすべてのものを否定させることができる、否定の中で堕落したが堕落した否定権を完全に一掃してしまって新しい肯定的な世界を私が追い出したので私がつくらなければならない。主人になれなかった人たちが、何も作れず備えることができなかったものたちが主人の場に出るとすれば神様が首を切ってしまう。首を切って超えられないようにするのだ。そのようになっている、わかるか?「はい。」
祝福されてよく生き良い息子娘を産んで育てたのか
皆さんの中で先生から祝福された女たち手を挙げてみなさい。全部すべてそうなのだ。高く挙げてみなさい。先生が祝福してあげる時よく生きなさいと言ったが、‘私はよく生きた。’と言う人は手を下ろさずそのまま持ちこたえてみなさい。(笑い)すべてよく生きた?「はい。」何故笑う?先生が見るようになればこうで誇らなければならないが、当然こうしている。良心は騙せません。よく生きるのがどこにいる?
そう、よく生きるようになればよい息子娘を産んだ?よく育てた?統一教会の息子娘は異ならなければならない。学校に行くようになれば勉強をよくする。何故?お母さんお父さんがみ旨の道で明け方からある精誠を尽くすので勉強も精誠を込めてするのだ。いたずらにしない。頭が良くてそのようなことよりも習慣がそのようになったのだ。勉強もよくし学校に入れば学校の校則もよく守って争わないのだ。
我が一和のサッカーチームは体の争いもしなければならない。私が若かった時争いもよくしすべてそうだった。一発やられて鼻が裂ければ近所に火を置いてすべてそうだったのだ。(笑い)何故笑う?‘あんたの家に火を入れる。’と言えば火を入れて‘あんたの家に牛が明日の朝に死ぬ。’と言えば殺すのだ。恐ろしい人である、本来は。私が恐ろしい人になっただろう。マフィアの頭になっただろう。二人の中の一人だ。
我が5親等の父の従弟がいたが本家にあの人は日帝時代に死ななければ王にならなければならないが、王になる道がないので死ななければならないと言った。文(昇均)社長のお父さんがそうだった。そうだ。一度決心すれば恐ろしい。お母さんお父さんがいくら反対しても、お父さんお母さんが反対しても反対するという自体が間違ったのだ。私が何を間違うのかと言うのだ。
‘おじいさん、このようなことを好むだろう?’‘そうです。’‘それではべべたになればよいのか?どこに行って殴られて毎日のように鼻血が出ても入って来なければならない?’と尋ねるのだ。‘おじいさんがあんたを教育できず、お父さんもできず、この近所の書堂(寺子屋のようなもの)のお年寄りもできず、王もできない。いや、それは心配だ。’答えがそのように出て来る。心配するなと言うのだ。
書堂に通う時、先生が漢文の勉強をする時の朝に、自分が勉強したければ深刻になれば何頁でもするが、時間だけなれば30分であれば覚えることをすべて覚えるのだ。朝になれば講を捧げなければならないのだ。1頁のようなもの先生が3回だけ読めばすべて頭に入るのだ。一日中座って孔子曰く、孟子曰く、アイク、どうしてそうか?何故そのようにするのかと言うことです。
勉強を出来ない分量をして少しづつ教えてあげてするので若い奴らがどのように座って、一日中こうしているのだ。訓長のお年寄りも・・・。私はいつも歳が多い人たちがいる所に入るのだ。『論語』『孟子』のようなこのような勉強する人たち、歳が多い人たちに挟まって勉強する、若い人たちに行くのが嫌だ。
何故?歳が多い人たちも自分の講を捧げようとすれば多くするが私は歳が幼いので30分だけ、その時間に15分中心にぴたりと精神を引き締めてするようになれば訓長のお年寄りの前に行ってぞろぞろぞろぞろぞろぞろと丸10分間、10分もならない。5,6分しておけば‘アイゴ、よく覚えた。’称賛されるのだ。その次にそれを一日中どのようにする?それでは山に野原に村にどこであれ通いながら調査する。わがシンジュニ(信俊)がそうだ。一つを見るようになれば合わなければ泣く。こうしてくっついて・・・。物凄い。
神様が頭が良いのか手段がよいのか我々のような人をよくつかんで一生涯よくこき使った。こき使った、何をした?こき使ったとすればすべて無くなるのではないのか?こき使ってなくなることが分かったのでしなさいと言う通りしてみると次第に大きくなる。
み言葉が体化されてみ言葉を浸透させなければ
あれが聖書よりも貴い本か、聖書よりも貴くない本か?「貴い本です。」あの本を持って覚えるだけでなく従う前に行うと言って千回読む前に千回行うようになれば先に従って体化されうるのだ。訓読会は参席するが訓読会生活を出来ないじゃないか?
先生が今昨年の9月12日から天宙平和連合大会を始めて今まで、今も継続だ。一日に5回以上づつ読む。それをして今年の末まで行ってもだめかもしれない。だから深く深く広く広く読んで読んで考えて考えるので一つの条件を左右前後にするようになれば1ページ読むようになればそのみ言葉の内容を比較しても及ぶことができない。
み言葉を浸透させなければならない。み言葉はどこであれフルフル国境を越えなければならない。良いみ言葉は一日にも10カ国の国境もフルフル越えることができる。そうじゃないか?真のみ言葉を求めている人が多いために。統一教会の文総裁が一番悪いと言ったがよいと言うみ言葉はすでに世界にすべて行ったのだ。80代なのだ。先生が40代になれば王の王になろうと考えたが。その時に英・米・仏が私の言葉だけ聞いたとすればカチャカチャッとすべてしてしまった。今もそうだ。世の中を持って行って任せて置いてみなさい。
女は赤ん坊を産んで女の赤ん坊男の赤ん坊を乳を飲まさなければなりません。男を愛したとすれば‘あんたは教育しなければならない。女を教育する時は‘あんたのお母さんに似なさい。’と言わなければならない。そうして教育しなければならない。
統一教会の教主と言う人が話す前にすべて実践した後にと言うことだ。先生自体がその峠を越えた後に教えた言葉たちだ。先生がすべて知る話ではないのか?そうか?説明をしようとすればそれを中心にいくらでもできる。これが500巻以上の先生のみ言葉の中で、500巻の本、今600巻になる?おそらく先生が死ぬ前までは千巻になるかもしれない。そのようなみ言葉の中で骨子を抜き出すのだ。
そのようなことを知らずして互いに争ってこうだああだと言うこと、私が滑稽になる。私が皆さんについて行かなければならないのか、皆さんが先生について行かなければならないのか?皆さんについて行けば天に問い合わせるのだ。‘これをどのようにすればよいですか?’と言うのだ。神様もいたずらを好むために反対に‘こうであればよい。’すでにそれではそれを知って処理しなければならない。質問を再びするのだ。‘こうなので?’と言えば、アッ!神様も答えが困難な時がある。
さ、今日は問題がそうだ。何を残して行くのか?み言葉を残して行くこと、このみ言葉を天が『天聖経』と言った。天の国の聖書だ。あの国の聖人たちまでもこの訓読会をする。統一されている、霊界は。
数多くの宗教徒たちが、数多くの人たちが文総裁滅べと祈祷したが、今滅ぶようになっている、興るようになっている?「興るようになっています。」興るようになっているが私は出たくはない。私が生きたことがよい、味が。農業をする人は自然環境において穀食も自分がつくり、飲食もおかずも自分がつくるのだ。すべて自然の中にあるのだ。
息子娘を産めなくなったとすれば自分の近所にいる息子娘を育てなければならない。自分の一族たち、査頓(サドン:姻戚関係)の八等親の一族たちがいるじゃないか?一族たちの息子を自分の息子以上に為にしなければならない。統一教会の先生が今までアベルはカインのために、カインを復活させてあげて天国に連れて入らなければならない。サタンまでも天国に連れて入らなければならないと言うのだ。そのような言葉をすることがどれほど複雑か?どれほど恐ろしい言葉か?それではあんたがそのように生きたのかと言うのだ。そのように生きた。人が嫌だと言うことを全部すべてしたのだ。
我が性格が一度すれば抜いてしまわなければならない。止めることを好まない。明日が何の日か?「安侍日と平和大使1千6百人大会をする日です。」誰が講演会をするのか?「アボニムがされます。私が?あんたたちを一度させればよいのだが。私は今や嫌だ。少し休まなければならない時が来た。統一教会の教徒たちが訪ねて来ても会ってあげないかもしれない。来ようとすれば夫婦どうし息子娘たちを連れて来いと言うのだ。
先生は人をこの多く対した対したために訓練されているためにすでにパッと見ればわかる、よく生きるのか生きられないのか。二人が友人か?その横にいるおばさんと友人か?知らない人たちか?「先輩です。」性格が全く異なるが、そのように合えばよいのだ。
1,2,3、あの後ろのおばさんはどこから来た?そう私がわかるがまん丸なおばさん来なかった?まん丸なおばさんがいるじゃないか?名前をすべて忘れてしまった。出て来なさい。出て来て話を少ししてみなさい。一人で住んだおばさんが祝福されて面白く住むと言うこと、私の所に来て話して息苦しい言ったが最近どのように、丸10分ほど過ぎたが一度話してみなさい。(元老食口と対話、証し)
オモニ少し出てきてそうだ。「行かれました。」どこに行った?「清平です。」今日124家庭全て来たのか?「はい。」歌でも一つして。(趙萬雄チョ・マヌン教区長の歌)(拍手)
124家庭!「はい。」何人来た?「10人です。」さ!(ノリゲを賜れる)
初めてきたヤンバン(両班)たちは何なのか知らないのだ。今後6月の月に清平に王宮を建てて入宮式をする時功労のある女たちが記念できるノリゲだ。その時この物をつけた人たちは参席できるのだ。記念日を記念できるし記念されうる物だ。後代後孫たちの前に永遠に誇ることができる貴いものになるためにそれを残してあげるのだ。さ、それでは祈祷一度しよう。(黄善祚会長祈祷)(敬拝)(拍手)