성가해설 - 01장 - 승리자의 새노래
작사 / 문선명 선생
작곡 / 김덕진
이 성가는 문선명 선생이 최초로 지으신 노래로서, 새 복음에 의한 의지와 소망이 잘 표현되어 있다.
선생님께서는 1946년 6월6일 평양에 도착하셔서 시내 경창리(景昌里)에 집회소를 마련하시고 몇몇 식구들을 모아 예배를 보셨지만, 당국의 감시와 탄압이 가해져 왔다. 8월 11일, 경찰당국에 의해 구속된 후 모진 고문을 당해 빈사지경에 이르러 석방되셨는데, 꼭 100일 만인 11월 21일에였다. 풀려나시자 곧 집회소를 옮겨 '뜻' 전파에 진력하신 바 시내 각 교회는 물론 지도층에까지 알려졌다. 이러면서 공산당의 감시가 계속되어 보이게 안 보이게 괴롭힘을 당해 견디기 힘들었다.
바로 이러한 상황 아래서 지으신 이 노래는 '성려의 새 노래' 와 더불어 '새 뜻'을 강조하고 있는데, 가사 가운데는 '새' 라는 관형사가 열여섯 번이나 나오고 있다. 당시에도 이 노래는 많이 불리어졌으나 정식 작곡은 협회 창립 후였다. 이 당시 이 성가에 앞서 많이 불리어진 것들은 일찍부터 한국교회에 전해져 온 '동산의 봄노래'와 '찾아진 양떼'이다.
성가 01장 - 승리자의 새노래
勝利者の新歌
● 何ひとつ希望が見えない時代に、勝利を確信してうたわれました
文鮮明先生が作詞された歌のうち最も古いもので、一九四七年に作られました。そのころ、先生は平壤(ピョンヤン)で「聖書を深く心情的に語る青年」として知られ始めていました。多くの人が集まるにつれて中傷や追害も激しさを増し、その急先鋒となったのは、教会の教職にある人々でした。この迫害の最中にこの歌は作詞されています。先生は二十八歳でいらっしゃいました。
噂は噂を呼び、ねたみによる投書もあり、ついに「社会を騒がす者」の名で、共産党政権下の平壌警察が先生を拘束したのは、それから一年後の一九四八年のことです。これが筆舌に尽くしがたい「生きながらの死刑」と形容される興南収容所の苦役へとつながっていくのです。先生の原詞を、参考のため直訳してみましょう。
ホザナの新しい栄光を われらは奉り
栄光の新生命主に 喜び侍って
約束の大きい栄光を われらは捜し
幸福の自由の園 新しい歌をうたおう
この歌は題も「新歌」であり、韓国語の歌詞には四番までの間に「新……」という言葉が十回以上も使われています。
「信仰者は常に新しい心が生じてこそ発展する」「新しい心を持ちなさい。信仰はいつも楽しくなければならないし、感謝しなければならない」と、『御旨の道』にあります。古いものや既成の概念に縛られていては、信仰は炎となって燃え上がりません。
「あなたがたは、……古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、……神にかたどって造られた新しき人を着るべきである」というパウロの言葉のように、常に新しい人として、曇りのない本心で主に出会いたいものです。
故柳光烈先生(前文化部長、歴史編墓委員会委員長)が持っている資料には、1曲は韓国に古くからあるメロディー(それは非常に郷土的なリズム)を土台として、創作編曲したものである」と記されていますが、この歌の原曲は金元弼(キムウォンピル)先生がうたってくださったところによると、日本の「朧月夜(おぼろづきよ)」で、「春風そよ吹く」というところから始まるようです。もっともリズムは変化しているので随分違った感じですが、原曲が日本から入って、地方歌や愛郷歌のように、民謡的にうたい継がれていったものではないでしょうか。日本のメロディーがこの歌の土台になったとは、意外でもあり、一層身近に感じられます。