世界平和統一家庭連合(世界基督教統一神霊協会「統一教会」)に関する年表
1990年
2月18日 - 第39回衆議院議員総選挙執行。大阪3区から立候補した阿部令子(6000双)は選挙戦中盤で自民党の公認を受けたが、2度目の落選。
3月5日 - 台湾で約15年振りに、統一教会の伝道活動が公認される。
4月10日〜13日 - モスクワで第11回世界言論人会議が開催。文鮮明はゴルバチョフソ連大統領と会談し、支援を表明する。文鮮明はゴルバチョフに「特別な贈り物」だとして、「霊感商法」で売られていたのと同様な龍の彫り物のある大理石の壷を手渡す。
6月25日 - フランスの最高裁判所で統一教会フランス支部会長を脱税で有罪とした高裁判決(1998年1月26日)が確定。宗教を隠れ蓑に新聞販売などで上げた利益を帳簿操作で隠していた。
7月22日 - 文鮮明の長男、文孝進が日本で、「統一教会全国学生一万人大会」を行う。
10月 - 熊本県の波野村(現「阿蘇市」)への進出に関し、オウム真理教が国土利用計画法違反事件で強制捜査された件を、機関誌『中和新聞』は、国家権力による宗教弾圧であるとして、オウム真理教を全面擁護した。
教団の教えに反したことを理由にジンバブエの宣教師、神吉秀明とクンディオナを除名処分にする。
1991年
5月 - 教団本部の土地、建物に韓国の第一銀行(現SC第一銀行)の13億4千万円の根抵当権が新に設定される。(以前にも同じ不動産に52億4千万円の根抵当権が設定された。)
7月1日 - 文鮮明は韓国漢南国際研修院において「七・一節」を宣布。「神様祝福永遠宣布式」とも言う。
8月 - 文鮮明はソ連内の3千名の青年・学生にソ連反改革派のクーデターに対するデモを指示。
8月15日 - 『世界経典』を出版。
8月27日 - 文鮮明が「世界平和宗教連合」を創設。
8月28日 - 文鮮明が「世界平和連合」を創設。
9月16日〜25日 - 韓鶴子が日本で巡回講演。
9月26日 - 神山威が日本統一教会の会長に就任。神山は長年アメリカの責任者であった。
9月 - 「還故郷」の摂理。文鮮明は信者に献身生活を辞め、それぞれの故郷に帰って活動するように指示。
11月30日 - 文鮮明が、韓国政府の許可を得ないで中華人民共和国政府が手配 した北京首都国際空港から電撃的に平壌を訪問。
12月6日 - 文鮮明が金日成と会談。35億ドル(約4,400億円)もの莫大な経済支援を約束する反面、自分の故郷を聖地とした公園や教会の建設や国営の普通江(ポトンガン)ホテルの経営を引き受けることなどを取り付けた。中国で「パンダ・モータース」計画を進めていた際に朴普煕が広東省長の伝手 で知り合ったマダム・パクこと朴敬允(パク・キョンユン)の仲介があったことを教団も認めている。
12月7日 - 訪朝後に経由地の北京で「私の勝共思想は共産主義を殺す思想ではなく、彼らを生かす思想、すなわち人類救済の思想」 とする声明文「北朝鮮から帰って」を発表する。韓国政府は一時、この無許可訪朝を国家保安法違反として逮捕の動きを見せたが、当時の盧泰愚韓国大統領は宥和的な北方外交を進めていたため、方針を転換し、処罰しなかった。
12月9日、ホテルニューオータニで「柳寛順精神をたたえる東京大会」が開催。文鮮明は柳寛順の伝統的な思想を日本人の女性たちに植え付けるため、と大会の趣旨を語った。この大会の後、全国各地で「柳寛順烈士精神宣揚会」が設立され、教団信者によって運営された。
1992年
3月26日 - 文鮮明が特例措置で14年ぶりに日本に入国。アメリカで脱税により1年以上の実刑判決を受けているため出入国管理及び難民認定法第5条の規定では原則として終生日本に入国できないが、「北東アジアの平和を考える会」という国会議員の会合に出席する名目で法務大臣 田原隆から同法第12条の上陸特別許可が下りた(自民党の金丸信副総裁の法務省に対する政治的圧力により入国させたと言われる)。しかし、その会合は30日の1,2時間だけで、滞在期間の大半、文鮮明は日本の教団幹部との会合や信者への講話に駆け回った。
3月27日 - 日本共産党の橋本敦議員が参議院の法務委員会で、文鮮明の入国問題に関し質問。
3月31日 - 文鮮明が金丸信、中曽根康弘と会談。
4月8日 - 日本社会党の佐藤三吾が文鮮明の入国問題に関し質問。
春 「アジア婦人連合」の大会で桜田淳子が講演する。
4月10日 - 韓国で、韓鶴子が総裁を務めるNGO「世界平和女性連合」の創設大会が行われる。
4月10日〜13日 - ロシアの新聞社、イズベスチヤが統一教会の教えや活動を載せた『神と私たち 文鮮明師の教え』を10万部発行し、ロシア各地に配布する。
4月11日 - 大阪国際交流センターで、抗日運動の英雄とされる柳寛順を称える「柳寛順烈士精神宣揚大会」が開催。1500人以上の日本人女性信者が太極旗を掲げながらチマチョゴリを着て参加した。広島、名古屋など日本各地で開催され延べ1万400人が参加。同大会を通して「柳寛順烈士が16歳の少女として見せてくれた祖国観と犠牲的な愛国心、不撓不屈の精神」を褒め称えた。
4月15日 - 北朝鮮で金日成主席生誕80年を記念するマスゲームで、日本植民地時代の独立運動家など8人の愛国者の一人として「文鮮明」を称える。
5月11日〜 - 韓鶴子が世界巡回講演。韓国、日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、ロシア、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、中国などを回る。
統一グループの「セイロ・マシナリー・ジャパン」社が51 %を出資する「メコン社」がベトナム初の国産自動車工場を完成。
6月 - 『週刊文春』7月2日号に「山﨑浩子が統一教会に入信、ソウルで集団結婚!」と題したスクープ記事が出る。
6月25日 - 山崎浩子が千代田区麹町の食糧会館で記者会見。合同結婚式に参加することを表明。3年ほど前から知人から紹介されてビデオで学ぶようになったことなどを語る。
6月30日 - 桜田淳子がTBSで記者会見。合同結婚式に参加することを表明。教団に入信している姉夫婦の影響で入信するようになったこと、仕事より、家庭を優先して行きたいことなどを語る。
7月6日 - 文鮮明は、自らが再臨主であり、メシヤであり、真の父であり、救世主であり、一族を動員し、歴史を動員して研究しなければならないときが来たと語る。
7月12日 - 徳田敦子 (教団関連のワコム社員)と一般人男性(この年にワコムに入社。ワコムは後に教団との関係を断つ)が飯田橋のホテル・エドモントで婚約発表記者会見を開く。
7月19日 - 山崎浩子と大和証券社員の勅使河原秀行が新宿のワシントンホテルで婚約発表記者会見を開く。
7月28日 - 桜田淳子と一般人男性が日航ホテル大阪で婚約発表記者会見を開く。
7月30日 - 文鮮明の亡くなった次男、文興進が再臨したと言われていたクンディオナと神吉秀明が東京第二弁護士会で記者会見、8月2日の千葉県の幕張メッセでの反統一教会の特別集会でも講演し、文鮮明の性的スキャンダルを告発。
8月24日 - 合同結婚式の前夜、ソウルのリトルエンジェルス芸術会館で行われた合同晩餐会で、文鮮明は、16歳の時にイエス・キリストによって召命を受けたことを述べ、自らを真の父母・救世主・再臨主であると初めて公にメシア宣言をした。
8月25日 - 韓国ソウルのオリンピックスタジアムでの第一回「世界文化体育大典」において、3万組国際合同結婚式が行われる。桜田淳子、山崎浩子、徳田敦子の有名人が参加することで世間の注目を浴びる。式典の模様が初めてマスコミに公開される。
9月24日 - 世界平和女性連合の日本支部が設立。創設大会で文鮮明の妻、韓鶴子が東京ドームで講演。その後、日本全国10大都市で講演
文鮮明は世界日報社長の朴普煕に、伊藤博文暗殺犯の安重根を称える「安重根義士旅順殉国遺跡聖域化事業」を命令、旅順における、本格的な資料発掘および聖域化を推進した。文は安重根を「韓民族の偉大な将軍」「アジアの平和を主張した愛国者」とした上で、「彼の愛国心をアジアの青少年の精神教育における象徴とする」と事業の意義を語った。
1993年
1月7日 - 藤井羑雄(ふじいみちお)が日本統一教会の会長に就任。
2月14日 - 霊感商法の裁判に関わる弁護士達に、藤井羑雄(みちお)会長名で、統一教会の4,000億円(内、800億円は「天地正教」分)の負債を解決するという旨の封書が内容証明郵便で届けられる。教団は会長に連絡がとれないとして、その文書の真偽を確認させなかった。
○月○日 - 世界日報社が経営難のため、JR渋谷駅前ビルの電光看板を撤去する。
山崎浩子の失踪事件についてインタビューされていた神山威会長が、霊感商法について質問された際に、「日本は法治国家だから、裁判で決着をつけましょう」という旨の発言をする。
3月10日 - 山崎浩子の失踪騒動に関して、婚約者の勅使河原秀行が東京都内の病院で記者会見。強制改宗グループによる拉致・監禁の手口に酷似していると語る。山崎と最後に別れた三重県鳥羽警察署に捜索願いを出したことも明かした。
4月21日 - 山崎浩子は午前7時過ぎに港区赤坂のTBSホールで記者会見を開催。46日ぶりに報道陣に姿を見せ、入信している統一教会を脱会する意向を表明した。
同日 - 元信者のスティーヴン・ハッサンの『マインド・コントロールの恐怖』が出版される。
5月13日〜24日 - 文鮮明が全米12カ国都市講演で、「真の父母と成約時代」のテーマで講演。人類最初の真の家庭の完成を宣布できたことを無上の光栄と思うと語る。
5月20日〜8月 - 韓鶴子が米国44ヶ都市で「真の父母と成約時代」のテーマで講演。9月10日〜30日には日本の27か所で、10月4日〜31日には韓国の主要大学40校で、10月31日には韓国国会議事堂議員会館会議室で、11月2日から12月22日には世界39か国43か都市で、同様の講演。
5月31日 - 教団がテレビで文鮮明が「血分け」をしてきたなどと語った俳優の中村敦夫を名誉毀損に当たるとして刑事告訴。
7月18日 - 第40回衆議院議員総選挙執行。阿部令子(6000双)は3度目の立候補。前回の8万票から半減近い4万4千票にとどまり、落選。勝共推進議員100人立候補中19人が落選(菅原喜重郎・大塚雄司・小林興起・牧野隆守・東力など)
7月28日 - 韓鶴子が米国議会ダークセン上院議員会館で、「神様、女性と真の家庭」のテーマで講演。
8月9日〜29日 - 日本の女性信者のアラスカでの修練会。
9月4日〜8日 - 日本の男性信者のアラスカでの修練会。7日には韓鶴子の国連講演に参加。
9月7日 - 韓鶴子がニューヨーク市の国際連合の第2会議場で、「神、女性、そして世界平和」のテーマで講演。国連議長ストヤン・ガネフが韓鶴子を紹介。
9月 - 北海道の岩見沢教会の裏帳簿の流出により統一教会が経済活動をしていたことが明らかになる([11])。その後、岩見沢教会は別の場所に移転した。
9月 - 教団の信者ら4人で運営されている商社、「東園商事」(Toen Trading Company、東京都杉並区)が北朝鮮へロシアの潜水艦(廃船)の販売を仲介する。防衛関係の専門誌『Jane's Defence Weekly』、『東京新聞』(1月12日号)などで報じられる。宮内取締役は『週刊文春』の取材に、完全なスクラップなので使用できないため外為法やココム規制という武器仲介にひっからないと答える。
代表取締役の柴田在慶(6,000双)は平壌を訪問して“よど号グループ”が事務所を設けている普通江(ポトンガン)ホテルで田宮高麿と会ったという疑惑について完全否定した。同社は数年前にもロシアの軍用トラックを北朝鮮に輸出する仲介をしていたという。
10月6日〜12月22日 - 韓国の済州島で日本の女性信者の修練会。文鮮明が直々に「日本女性幹部特別修練会」を行う。延べ人数16万人の女性信者を参加させ、教育できるかどうかに、日本の救いがかかっているとされた。翌年の水澤里での修練会と合わせても16万人の参加は困難だったので、数を埋め合わせる為に、同じ人が数回参加したことで、象徴的には勝利したとされた。参加した者には「救国献金」という1万ドル(約110万円)の献金が要請される。(複数回参加した信者はその回数分の献金が要請された。)
10月8日 - 『週刊ポスト』に文鮮明の最初の妻、崔先吉が離婚の真相を語った記事が出る。(大林高士「血分け」論争でさらなる重要証言に遭遇、25歳文鮮明教祖との見合い、「離婚を決意した真相」)[12]
11月4日 - 草創期からの文鮮明の弟子、朴正華(パク・チョンファ)が恒友出版より『六マリアの悲劇―真のサタンは、文鮮明だ!!』を刊行。文鮮明が自らの教えを利用して、多くの女性信者と性的関係を持ったことを告発する内容。
1994年
1月 - 韓国の済州島の修練所に1,600名の日本の女性信者が集められる。到着したその晩に、文鮮明は突然、1,600名の女性信者を160か国に派遣する命令を下す。後に派遣国はくじ引きで決められた。
1月21日 - 文鮮明が統一教会の反対運動をしていた卓明煥(タン・ミョンファン)と文鮮明の指示を無視して政党をつくろうとした人物が同年2月18日という同じ日に死んだ(卓は新興宗教団体の信者に殺害された)ことに言及し、教団に反対する者はみな、霊界に連れて行かれるという旨の発言をする。
1月末 - 朴普煕と古田元男と金剛山国際グループのマダム・パクこと朴敬允(パク・キョンユン)会長らが北朝鮮の姜成山(カン・ソンサン)首相と会談。
警察は脱税問題と赤報隊事件(朝日新聞阪神支局記者殺害事件)に関して統一教会の調査を始める。
3月10日〜11月20日 - 韓国の水澤里中央修練院で、日本の女性信者の修練会。
5月1日 - 教団創立40周年記念日。個人としての『私の誓い』が家庭としての誓いの『家庭盟誓』に代わる。
5月27日 - 福岡地方裁判所において、霊感商法をめぐる裁判で統一教会に、信者達の不法行為に対する使用者責任 があるとして、損害賠償を命じた初めての判決が出る。1996年2月19日、福岡高等裁判所への統一教会の控訴が棄却。1997年9月18日最高裁判所も統一教会の上告を棄却し、慰謝料も含めて3,760万円の支払いを命じた高裁判決が確定。
6月20日 - 教団ナンバー2の朴普煕が漢南洞公館で報告された「カーター元大統領の訪朝の背景」の中で,北朝鮮は、ソウルの1,200万人を一晩で殺すことの可能な2千トンの化学兵器を所有しているので、絶対戦争をしてはいけないと北の脅威を語る。
7月12日 - 金日成が死去した直後、北朝鮮政府から葬儀出席の招待状をもらった文鮮明は北京の北朝鮮大使館に弔花を届ける。
7月13日 - 文鮮明は側近の朴普煕を北朝鮮へ派遣。(朴は米市民権を持っているので、韓国政府の渡航許可が不要であった。)朴は金正日と会談。
8月17日 - 勝共連合の幹部の誘いで朴普煕と中曽根康弘元首相が会談。金丸信が失脚したので、北朝鮮と日本を結ぶパイプ役をお願いしたという。
『世界日報』(「文春『オウム真理教攻撃』のウソ」9月25日付、10月30日付)と『宗教新聞』が、宮崎資産家拉致・監禁事件がオウム真理教による犯行であるとする『週刊文春』(9月8日号)の記事をウソと批判し、オウム真理教を全面擁護する記事を書く。
10月29日 - 教団に名義を貸した壮年・壮婦の組織、「[全壮協]」が借金問題の解決を求め、集団交渉をするが教団側が誠意ある回答をしないので、江利川会長に詰め寄った緊急集会のビデオが外部に流出する。
1977年2月に240万ドル(約5億7000万円)で買収していた「松楓殿」(しょうふうでん、1904年のセントルイス万博の時の日本館の一部)の保存運動でお金を集める。
内閣筋が有田芳生に、統一教会と北朝鮮との関係を聞きたいと依頼する。