作品名: 高瀬舟
作品名読み: たかせぶね
著者名: 森 鴎外
作品データ
初出: 「中央公論」1916(大正5)年1月
作品について: この作品が書かれた際の経緯は、「高瀬舟縁起」に示されています。
仮名遣い種別: 旧字旧仮名
作家データ
分類: 著者
作家名: 森 鴎外
作家名読み: もり おうがい
ローマ字表記: Mori, Ogai
生年: 1862-02-17
没年: 1922-07-09
人物について: 本名林太郎。石見国鹿足郡津和野町(現・島根県鹿足郡津和野町)生まれ。代々津和野藩亀井家の典医の家柄で、鴎外もその影響から第一大学区医学校(現・東大医学部)予科に入学。そして、両親の意に従い陸軍軍医となる。1884(明治17)年から5年間ドイツに留学し衛生学などを学ぶ。「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」「大発見」「ヰタ・セクスアリス」などに、そのドイツ時代の鴎外を見て取ることができる。その後、陸軍軍医総監へと地位を上り詰めるが、創作への意欲は衰えず、「高瀬舟」「阿部一族」などの代表作を発表する。
高瀬舟
森鴎外
高瀬舟(たかせぶね)は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島(ゑんたう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごひ)をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた、黙許であつた。
当時遠島を申し渡された罪人は、勿論重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盗をするために、人を殺し火を放つたと云ふやうな、獰悪(だうあく)な人物が多数を占めてゐたわけではない。高瀬舟に乗る罪人の過半は、所謂心得違のために、想はぬ科(とが)を犯した人であつた。有り触れた例を挙げて見れば、当時相対死と云つた情死を謀つて、相手の女を殺して、自分だけ活き残つた男と云ふやうな類である。
さう云ふ罪人を載せて、入相(いりあひ)の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。此舟の中で、罪人と其親類の者とは夜どほし身の上を語り合ふ。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言である。護送の役をする同心は、傍でそれを聞いて、罪人を出した親戚眷族(けんぞく)の悲惨な境遇を細かに知ることが出来た。所詮町奉行所の白洲(しらす)で、表向の口供を聞いたり、役所の机の上で、口書(くちがき)を読んだりする役人の夢にも窺ふことの出来ぬ境遇である。
同心を勤める人にも、種々の性質があるから、此時只うるさいと思つて、耳を掩ひたく思ふ冷淡な同心があるかと思へば、又しみじみと人の哀を身に引き受けて、役柄ゆゑ気色には見せぬながら、無言の中に私かに胸を痛める同心もあつた。場合によつて非常に悲惨な境遇に陥つた罪人と其親類とを、特に心弱い、涙脆い同心が宰領して行くことになると、其同心は不覚の涙を禁じ得ぬのであつた。
そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌はれてゐた。
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いつの頃であつたか。多分江戸で白河楽翁侯が政柄(せいへい)を執つてゐた寛政の頃ででもあつただらう。智恩院(ちおんゐん)の桜が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。
それは名を喜助と云つて、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。固より牢屋敷に呼び出されるやうな親類はないので、舟にも只一人で乗つた。
護送を命ぜられて、一しよに舟に乗り込んだ同心羽田庄兵衛は、只喜助が弟殺しの罪人だと云ふことだけを聞いてゐた。さて牢屋敷から桟橋まで連れて来る間、この痩肉(やせじし)の、色の蒼白い喜助の様子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬つて、何事につけても逆はぬやうにしてゐる。しかもそれが、罪人の間に往々見受けるやうな、温順を装つて権勢に媚びる態度ではない。
庄兵衛は不思議に思つた。そして舟に乗つてからも、単に役目の表で見張つてゐるばかりでなく、絶えず喜助の挙動に、細かい注意をしてゐた。
其日は暮方から風が歇(や)んで、空一面を蔽つた薄い雲が、月の輪廓をかすませ、やうやう近寄つて来る夏の温さが、両岸の土からも、川床の土からも、靄になつて立ち昇るかと思はれる夜であつた。下京の町を離れて、加茂川を横ぎつた頃からは、あたりがひつそりとして、只舳(へさき)に割かれる水のささやきを聞くのみである。
夜舟で寝ることは、罪人にも許されてゐるのに、喜助は横にならうともせず、雲の濃淡に従つて、光の増したり減じたりする月を仰いで、黙つてゐる。其額は晴やかで目には微かなかがやきがある。
庄兵衛はまともには見てゐぬが、始終喜助の顔から目を離さずにゐる。そして不思議だ、不思議だと、心の内で繰り返してゐる。それは喜助の顔が縦から見ても、横から見ても、いかにも楽しさうで、若し役人に対する気兼がなかつたなら、口笛を吹きはじめるとか、鼻歌を歌ひ出すとかしさうに思はれたからである。
庄兵衛は心の内に思つた。これまで此高瀬舟の宰領をしたことは幾度だか知れない。しかし載せて行く罪人は、いつも殆ど同じやうに、目も当てられぬ気の毒な様子をしてゐた。それに此男はどうしたのだらう。遊山船にでも乗つたやうな顔をしてゐる。罪は弟を殺したのださうだが、よしや其弟が悪い奴で、それをどんな行掛りになつて殺したにせよ、人の情として好い心持はせぬ筈である。この色の蒼い痩男が、その人の情と云ふものが全く欠けてゐる程の、世にも稀な悪人であらうか。どうもさうは思はれない。ひよつと気でも狂つてゐるのではあるまいか。いやいや。それにしては何一つ辻褄の合はぬ言語や挙動がない。此男はどうしたのだらう。庄兵衛がためには喜助の態度が考へれば考へる程わからなくなるのである。
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暫くして、庄兵衛はこらへ切れなくなつて呼び掛けた。「喜助。お前何を思つてゐるのか。」
「はい」と云つてあたりを見廻した喜助は、何事をかお役人に見咎められたのではないかと気遣ふらしく、居ずまひを直して庄兵衛の気色を伺つた。
庄兵衛は自分が突然問を発した動機を明して、役目を離れた応対を求める分疏(いひわけ)をしなくてはならぬやうに感じた。そこでかう云つた。「いや。別にわけがあつて聞いたのではない。実はな、己は先刻からお前の島へ往く心持が聞いて見たかつたのだ。己はこれまで此舟で大勢の人を島へ送つた。それは随分いろいろな身の上の人だつたが、どれもどれも島へ往くのを悲しがつて、見送りに来て、一しよに舟に乗る親類のものと、夜どほし泣くに極まつてゐた。それにお前の様子を見れば、どうも島へ往くのを苦にしてはゐないやうだ。一体お前はどう思つてゐるのだい。」
喜助はにつこり笑つた。「御親切に仰やつて下すつて、難有うございます。なる程島へ往くといふことは、外の人には悲しい事でございませう。其心持はわたくしにも思ひ遣つて見ることが出来ます。しかしそれは世間で楽をしてゐた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしのいたして参つたやうな苦みは、どこへ参つてもなからうと存じます。お上のお慈悲で、命を助けて島へ遣つて下さいます。島はよしやつらい所でも、鬼の栖(す)む所ではございますまい。わたくしはこれまで、どこと云つて自分のゐて好い所と云ふものがございませんでした。こん度お上で島にゐろと仰やつて下さいます。そのゐろと仰やる所に落ち著いてゐることが出来ますのが、先づ何よりも難有い事でございます。それにわたくしはこんなにかよわい体ではございますが、つひぞ病気をいたしたことがございませんから、島へ往つてから、どんなつらい為事をしたつて、体を痛めるやうなことはあるまいと存じます。それからこん度島へお遣下さるに付きまして、二百文の鳥目(てうもく)を戴きました。それをここに持つてをります。」かう云ひ掛けて、喜助は胸に手を当てた。遠島を仰せ附けられるものには、鳥目二百銅を遣すと云ふのは、当時の掟であつた。
喜助は語を続いだ。「お恥かしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文と云ふお足を、かうして懐に入れて持つてゐたことはございませぬ。どこかで為事(しごと)に取り附きたいと思つて、為事を尋ねて歩きまして、それが見附かり次第、骨を惜まずに働きました。そして貰つた銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買つて食べられる時は、わたくしの工面の好い時で、大抵は借りたものを返して、又跡を借りたのでございます。それがお牢に這入つてからは、為事をせずに食べさせて戴きます。わたくしはそればかりでも、お上に対して済まない事をいたしてゐるやうでなりませぬ。それにお牢を出る時に、此二百文を戴きましたのでございます。かうして相変らずお上の物を食べてゐて見ますれば、此二百文はわたくしが使はずに持つてゐることが出来ます。お足を自分の物にして持つてゐると云ふことは、わたくしに取つては、これが始でございます。島へ往つて見ますまでは、どんな為事が出来るかわかりませんが、わたくしは此二百文を島でする為事の本手にしようと楽しんでをります。」かう云つて、喜助は口を噤んだ。
庄兵衛は「うん、さうかい」とは云つたが、聞く事毎に余り意表に出たので、これも暫く何も云ふことが出来ずに、考へ込んで黙つてゐた。
庄兵衛は彼此初老に手の届く年になつてゐて、もう女房に子供を四人生ませてゐる。それに老母が生きてゐるので、家は七人暮しである。平生人には吝嗇と云はれる程の、倹約な生活をしてゐて、衣類は自分が役目のために著るものの外、寝巻しか拵へぬ位にしてゐる。しかし不幸な事には、妻を好い身代の商人の家から迎へた。そこで女房は夫の貰ふ扶持米で暮しを立てて行かうとする善意はあるが、裕な家に可哀がられて育つた癖があるので、夫が満足する程手元を引き締めて暮して行くことが出来ない。動もすれば月末になつて勘定が足りなくなる。すると女房が内証で里から金を持つて来て帳尻を合はせる。それは夫が借財と云ふものを毛虫のやうに嫌ふからである。さう云ふ事は所詮夫に知れずにはゐない。庄兵衛は五節句だと云つては、里方から物を貰ひ、子供の七五三の祝だと云つては、里方から子供に衣類を貰ふのでさへ、心苦しく思つてゐるのだから、暮しの穴を填(う)めて貰つたのに気が附いては、好い顔はしない。格別平和を破るやうな事のない羽田の家に、折々波風の起るのは、是が原因である。
庄兵衛は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べて見た。喜助は為事をして給料を取つても、右から左へ人手に渡して亡くしてしまふと云つた。いかにも哀な、気の毒な境界である。しかし一転して我身の上を顧みれば、彼と我との間に、果してどれ程の差があるか。自分も上から貰ふ扶持米(ふちまい)を、右から左へ人手に渡して暮してゐるに過ぎぬではないか。彼と我との相違は、謂はば十露盤(そろばん)の桁が違つてゐるだけで、喜助の難有がる二百文に相当する貯蓄だに、こつちはないのである。
さて桁を違へて考へて見れば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでゐるのに無理はない。其心持はこつちから察して遣ることが出来る。しかしいかに桁を違へて考へて見ても、不思議なのは喜助の慾のないこと、足ることを知つてゐることである。
喜助は世間で為事を見附けるのに苦んだ。それを見附けさへすれば、骨を惜まずに働いて、やうやう口を糊することの出来るだけで満足した。そこで牢に入つてからは、今まで得難かつた食が、殆ど天から授けられるやうに、働かずに得られるのに驚いて、生れてから知らぬ満足を覚えたのである。
庄兵衛はいかに桁を違へて考へて見ても、ここに彼と我との間に、大いなる懸隔のあることを知つた。自分の扶持米で立てて行く暮しは、折々足らぬことがあるにしても、大抵出納が合つてゐる。手一ぱいの生活である。然るにそこに満足を覚えたことは殆ど無い。常は幸とも不幸とも感ぜずに過してゐる。しかし心の奥には、かうして暮してゐて、ふいとお役が御免になつたらどうしよう、大病にでもなつたらどうしようと云ふ疑懼(ぎく)が潜んでゐて、折々妻が里方から金を取り出して来て穴填をしたことなどがわかると、此疑懼が意識の閾の上に頭を擡げて来るのである。
一体此懸隔はどうして生じて来るだらう。只上邊だけを見て、それは喜助には身に係累がないのに、こつちにはあるからだと云つてしまへばそれまでである。しかしそれはである。よしや自分が一人者であつたとしても、どうも喜助のやうな心持にはなられさうにない。この根柢はもつと深い処にあるやうだと、庄兵衛は思つた。
庄兵衛は只漠然と、人の一生といふやうな事を思つて見た。人は身に病があると、此病がなかつたらと思ふ。其日其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。万一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出来るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まつて見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衛は気が附いた。
庄兵衛は今さらのやうに驚異の目を(みは)つて喜助を見た。此時庄兵衛は空を仰いでゐる喜助の頭から毫光(がうくわう)がさすやうに思つた。
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庄兵衛は喜助の顔をまもりつつ又、「喜助さん」と呼び掛けた。今度は「さん」と云つたが、これは十分の意識を以て称呼を改めたわけではない。其声が我口から出て我耳に入るや否や、庄兵衛は此称呼の不穏当なのに気が附いたが、今さら既に出た詞を取り返すことも出来なかつた。
「はい」と答へた喜助も、「さん」と呼ばれたのを不審に思ふらしく、おそる/\庄兵衛の気色を覗つた。
庄兵衛は少し間の悪いのをこらへて云つた。「色々の事を聞くやうだが、お前が今度島へ遣られるのは、人をあやめたからだと云ふ事だ。己に序にそのわけを話して聞せてくれぬか。」
喜助はひどく恐れ入つた様子で、「かしこまりました」と云つて、小声で話し出した。「どうも飛んだ心得違(こゝろえちがひ)で、恐ろしい事をいたしまして、なんとも申し上げやうがございませぬ。跡で思つて見ますと、どうしてあんな事が出来たかと、自分ながら不思議でなりませぬ。全く夢中でいたしましたのでございます。わたくしは小さい時に二親が時疫(じえき)で亡くなりまして、弟と二人跡に残りました。初は丁度軒下に生れた狗(いぬ)の子にふびんを掛けるやうに町内の人達がお恵下さいますので、近所中の走使などをいたして、飢ゑ凍えもせずに、育ちました。次第に大きくなりまして職を捜しますにも、なるたけ二人が離れないやうにいたして、一しよにゐて、助け合つて働きました。去年の秋の事でございます。わたくしは弟と一しよに、西陣の織場に這入りまして、空引(そらびき)と云ふことをいたすことになりました。そのうち弟が病気で働けなくなつたのでございます。其頃わたくし共は北山の掘立小屋同様の所に寝起をいたして、紙屋川の橋を渡つて織場へ通つてをりましたが、わたくしが暮れてから、食物などを買つて帰ると、弟は待ち受けてゐて、わたくしを一人で稼がせては済まない/\と申してをりました。或る日いつものやうに何心なく帰つて見ますと、弟は布団の上に突つ伏してゐまして、周囲は血だらけなのでございます。わたくしはびつくりいたして、手に持つてゐた竹の皮包や何かを、そこへおつぽり出して、傍へ往つて『どうした/\』と申しました。すると弟は真蒼な顔の、両方の頬から腮へ掛けて血に染つたのを挙げて、わたくしを見ましたが、物を言ふことが出来ませぬ。息をいたす度に、創口でひゆう/\と云ふ音がいたすだけでございます。わたくしにはどうも様子がわかりませんので、『どうしたのだい、血を吐いたのかい』と云つて、傍へ寄らうといたすと、弟は右の手を床に衝いて、少し体を起しました。左の手はしつかり腮の下の所を押へてゐますが、其指の間から黒血の固まりがはみ出してゐます。弟は目でわたくしの傍へ寄るのを留めるやうにして口を利きました。やう/\物が言へるやうになつたのでございます。『済まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせなほりさうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄きに楽がさせたいと思つたのだ。笛を切つたら、すぐ死ねるだらうと思つたが息がそこから漏れるだけで死ねない。深く/\と思つて、力一ぱい押し込むと、横へすべつてしまつた。刃は飜(こぼ)れはしなかつたやうだ。これを旨く抜いてくれたら己は死ねるだらうと思つてゐる。物を言ふのがせつなくつて可けない。どうぞ手を借して抜いてくれ』と云ふのでございます。弟が左の手を弛めるとそこから又息が漏ります。わたくしはなんと云はうにも、声が出ませんので、黙つて弟の咽の創を覗いて見ますと、なんでも右の手に剃刀を持つて、横に笛を切つたが、それでは死に切れなかつたので、其侭剃刀を、刳るやうに深く突つ込んだものと見えます。柄がやつと二寸ばかり創口から出てゐます。わたくしはそれだけの事を見て、どうしようと云ふ思案も附かずに、弟の顔を見ました。弟はぢつとわたくしを見詰めてゐます。わたくしはやつとの事で、『待つてゐてくれ、お医者を呼んで来るから』と申しました。弟は怨めしさうな目附をいたしましたが、又左の手で喉をしつかり押へて、『医者がなんになる、あゝ苦しい、早く抜いてくれ、頼む』と云ふのでございます。わたくしは途方に暮れたやうな心持になつて、只弟の顔ばかり見てをります。こんな時は、不思議なもので、目が物を言ひます。弟の目は『早くしろ、早くしろ』と云つて、さも怨めしさうにわたくしを見てゐます。わたくしの頭の中では、なんだかかう車の輪のやうな物がぐる/\廻つてゐるやうでございましたが、弟の目は恐ろしい催促を罷(や)めません。それに其目の怨めしさうなのが段々険しくなつて来て、とう/\敵の顔をでも睨むやうな、憎々しい目になつてしまひます。それを見てゐて、わたくしはとう/\、これは弟の言つた通にして遣らなくてはならないと思ひました。わたくしは『しかたがない、抜いて遣るぞ』と申しました。すると弟の目の色がからりと変つて、晴やかに、さも嬉しさうになりました。わたくしはなんでも一と思にしなくてはと思つて膝を撞(つ)くやうにして体を前へ乗り出しました。弟は衝いてゐた右の手を放して、今まで喉を押へてゐた手の肘を床に衝いて、横になりました。わたくしは剃刀の柄をしつかり握つて、ずつと引きました。此時わたくしの内から締めて置いた表口の戸をあけて、近所の婆あさんが這入つて来ました。留守の間、弟に薬を飲ませたり何かしてくれるやうに、わたくしの頼んで置いた婆あさんなのでございます。もう大ぶ内のなかが暗くなつてゐましたから、わたくしには婆あさんがどれだけの事を見たのだかわかりませんでしたが、婆あさんはあつと云つた切、表口をあけ放しにして置いて駆け出してしまひました。わたくしは剃刀を抜く時、手早く抜かう、真直に抜かうと云ふだけの用心はいたしましたが、どうも抜いた時の手応(てごたへ)は、今まで切れてゐなかつた所を切つたやうに思はれました。刃が外の方へ向ひてゐましたから、外の方が切れたのでございませう。わたくしは剃刀を握つた侭、婆あさんの這入つて来て又駆け出して行つたのを、ぼんやりして見てをりました。婆あさんが行つてしまつてから、気が附いて弟を見ますと、弟はもう息が切れてをりました。創口からは大そうな血が出てをりました。それから年寄衆(としよりしゆう)がお出になつて、役場へ連れて行かれますまで、わたくしは剃刀を傍に置いて、目を半分あいた侭死んでゐる弟の顔を見詰めてゐたのでございます。」
少し俯向き加減になつて庄兵衛の顔を下から見上げて話してゐた喜助は、かう云つてしまつて視線を膝の上に落した。
喜助の話は好く条理が立つてゐる。殆ど条理が立ち過ぎてゐると云つても好い位である。これは半年程の間、当時の事を幾度も思ひ浮べて見たのと、役場で問はれ、町奉行所で調べられる其度毎に、注意に注意を加へて浚つて見させられたのとのためである。
庄兵衛は其場の様子を目のあたり見るやうな思ひをして聞いてゐたが、これが果して弟殺しと云ふものだらうか、人殺しと云ふものだらうかと云ふ疑が、話を半分聞いた時から起つて来て、聞いてしまつても、其疑を解くことが出来なかつた。弟は剃刀を抜いてくれたら死なれるだらうから、抜いてくれと云つた。それを抜いて遣つて死なせたのだ、殺したのだとは云はれる。しかし其侭にして置いても、どうせ死ななくてはならぬ弟であつたらしい。それが早く死にたいと云つたのは、苦しさに耐へなかつたからである。喜助は其苦を見てゐるに忍びなかつた。苦から救つて遣らうと思つて命を絶つた。それが罪であらうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救ふためであつたと思ふと、そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。
庄兵衛の心の中には、いろ/\に考へて見た末に、自分より上のものの判断に任す外ないと云ふ念、オオトリテエに従ふ外ないと云ふ念が生じた。庄兵衛はお奉行様の判断を、其侭自分の判断にしようと思つたのである。さうは思つても、庄兵衛はまだどこやらに腑に落ちぬものが残つてゐるので、なんだかお奉行様に聞いて見たくてならなかつた。
次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行つた。
(大正五年一月「中央公論」第三十一年第一号)
번역본
다카세부네(타카세배)는 교토의 타카세강을 오고 가는 작은 배이다. 도쿠가와시대 교토의 죄인이 먼 섬으로 유배 보내질 때, 죄인의 일가가 감옥으로 불러와 거기서 작별할 수 있게 허락되었다. 거기서부터 죄인을 그 배에 태워 오사카로 보내는 것이었다. 죄인을 호송하는 일은 교토의 마치부교의 하급 관리가 맡았으며 관리는 죄인의 가까운 일가 중 한 명을 오사카까지 동행하게 해주는 것이 일종의 관례였다. 상부에 보고된 것은 아니지만 너그럽게 묵인해주는 것이다.
당시 먼 섬으로 유배당하는 죄인들은 중죄를 지은 것으로 인정된 사람도 있었지만, 단지 물건을 훔치기 위해 살인을 하고 불을 지르는 등의 흉악한 살인자가 대다수였던 것은 아니다.
다카세부네에 타는 대부분의 사람들은 이를 테면, 도리에서 벗어난 생각 때문에 생각지도 못한 죄를 저지른 사람들이었다. 연인 관계의 남녀가 동반 자살을 했는데 여자는 죽고 남자만 홀로 살아남은 것이 그 흔한 예이다.
그런 죄인을 태우고 해질녘 사찰에서 종이 울릴 무렵, 노를 젓기 시작한 다카네부네는 어두워진 교토거리의 곳곳을 좌우로 하고 동쪽으로 노를 저어, 카모강을 가로질러 내려오는 것이다. 배 안에서는 죄인과 그 죄인의 가족이 밤새도록 이런 저런 얘기를 나눈다. 뉘우쳐봐도 되돌릴 수 없는 푸념이었다. 호송을 맡은 관리는 옆에서 그런 얘기들을 들으며 죄인의 친족일가의 비참한 처지를 상세히 알게 되는 것이다. 결국 마치부교의 재판에서 공적인 진술을 듣거나, 관청의 책상 앞에서 죄인들의 자술서를 읽거나 하는 관리들은 상상도 못할 얘기들이다. 죄인을 호송하는 관리들도 성격이 다 틀리므로 그 상황에서 단지 성가시다고 생각하고 귀를 막고 싶어 하는 냉담한 사람이 있는가 하면, 죄인의 가련한 사정을 본인의 일처럼 여기고 일의 성격 상, 표정으로 드러내지는 않지만 말없이 몰래 마음 아파하며 눈물을 감추는 관리도 있었다. 그래서 다카세부네로 죄인을 호송하는 일은 관내의 하급관리들마저도 꺼려하는 직무로 기피되고 있었다.
언제쯤이었을까…… 아마 에도시대에 시라카와라쿠오우코우(간세이의 개혁을 이룬 장군의 이름)가 정권을 잡았던 무렵이었을 것이다. 지온인(智温院)의 벚꽃이 저녁 무렵에 꽃잎을 휘날리는 봄날, 지금까지 없었던 특이한 죄인이 다카세부네에 올랐다. 키스케 라는 이름의 30살 가량의 주소도 변변히 없는 남자였다. 본래 감옥에 불려올 만한 일가가 없는 이유로 홀로 배에 태워진 것이다.
호송을 명령 받고 함께 배에 올라탄 하급관리 하네다 쇼베는 단지 키스케가 동생을 죽인 죄인이라는 것 외에는 아는 것이 없었다. 그런데 감옥에서 선착장까지 데리고 오는 동안, 키스케의 모습은 아무리 봐도 온순하고 얌전한데다가 쇼베 본인을 공무를 수행하는 관리로서 공경하여 어떤 일에도 거역하지 않을 것만 같다. 뿐만 아니라 그 모습이 죄인들에게서 흔히 볼 수 있는, 온순한 척하며 권력에 아첨하는 태도가 아니었다. 쇼베는 이상하게 생각했다.
그래서 단지 직업상의 책임으로 감시하는 것이 아니라 키스케의 거동에 끊임없이 주의를 기울이고 있었다. 그 날은 저녁 무렵부터 바람이 잠잠해지고 하늘 전체를 덮은 옅은 구름이 달의 윤곽을 흐렸다. 희미하게 다가오는 초여름의 훈기가 강기슭과 강바닥의 흙에서부터 올라와 옅은 안개가 되어 피어 오를 것 같은 밤이었다. 시모교(下京)의 시가지에서 벗어나 카모강을 가로지르고 있을 때 즈음에 주변이 쥐 죽은 듯이 고요해지고 단지 뱃머리에서 갈라지는 물소리만 잔잔히 들리는 것이었다. 밤이 되면 배 안에서 죄인들도 잠을 잘 수 있었지만 키스케는 자려는 기색도 없이 구름의 명암에 따라 변하는 달빛을 바라보며 침묵하고 있었다. 그 모습은 매우 평화로웠고 눈에는 아련한 광채가 있었다. 쇼베는 정면으로 바라볼 수는 없었지만 시종일관 키스케의 얼굴에서 눈을 떼지 않았다. 그리고는 이상하다, 정말 이상해 라고 마음속으로 되풀이하고 있었다. 혹시라도 쇼베를 어렵게 여기는 것만 아니라면 어떻게 보아도 키스케는 휘파람이나 콧노래라도 부를 것처럼 즐거워 보였기 때문이다. 쇼베는 마음속으로 생각했다. 지금까지 다카세부네를 탄 것이 몇 번인지 셀 수조차 없다. 하지만 그가 태워온 죄인들은 대부분 그와 눈도 마주치기 어려워했었다. 그런데 키스케는 어떤가? 놀이배에라도 타고 있는 듯 한 얼굴을 하고 있다. 비록 동생이 정말 형편없는 녀석으로 어떤 피치 못할 사정으로 죽였다고 해도, 사람의 인정으로써 좋은 기분일 수는 없을 것이다. 그렇다면 이 창백하고 야윈 남자는 그 인간의 정이라는 것을 전혀 갖고 있지 않은 정도의 보기 드문 악인일까? 그렇게는 보이지 않는다. 혹, 미치기라도 한 것은 아닐까? 아니, 그렇다 하기에는 조금이라도 이상한 말이나 거동을 하지 않는다. 이 남자는 도대체 어떻게 된걸까? 쇼베에게 있어서 키스케의 태도는 생각하면 생각할수록 점점 더 모를 일이었다.
잠시 후, 쇼베는 결국 참지 못하고 말을 걸었다. “키스케, 자네 무슨 생각을 하고 있나?” “예” 하고 주변을 둘러본 키스케는 무엇이 쇼베에게 미심쩍게 보였는지를 염려하는 듯, 자세를 고쳐 앉고는 쇼베의 눈치를 살폈다. 쇼베는 갑자기 자신이 질문을 하게 된 동기를 밝히고, 직무와는 상관없는 대답을 요구하게 된 이유에 대해 말하지 않으면 안되겠다는 생각이 들었다. 그래서 이렇게 말했다.
“아니, 특별히 이유가 있어서 물은 것은 아니네. 실은 말이지, 난 자네가 섬에 유배되는 기분에 대해 듣고 싶었네. 난 지금까지 수많은 사람들을 섬으로 호송했네. 물론 모두 다른 처지의 사람들이었지만 모두들 섬에 유배되는 것을 슬퍼하고 고별을 하기 위해 같이 배에 탄 가족과 함께 밤새도록 우는 것이 다반사였지. 그런데 보고 있자니 자네는 어찌 봐도 유배되는 것을 괴로워하지는 않는 것 같군. 자네는 어째서 그렇지?”
키스케는 빙긋 웃었다. “친절히 말씀해주심에 진심으로 감사드립니다. 과연 섬으로 유배되는 것은 모든 사람들에게 너무나 괴로운 일이겠죠. 그 기분은 저로서도 공감이 갑니다. 그러나 그 것은 그들이 속세에서 행복을 누렸기 때문입니다. 교토는 훌륭한 도시이지만 이 좋은 곳에서 지금까지 제가 겪어온 고통은 이 세상 그 어디에 가더라도 다시없을 것이라는 생각이 듭니다. 지체 높으신 나리의 자비로 목숨을 연명하고 섬으로 가게 되었습니다. 설령, 섬이 아무리 무서운 곳일지라도 귀신이 사는 곳은 아니겠지요. 저는 지금까지 편안하게 살아본 적이 없습니다. 이번에 나리께서 섬에 가라고 하셨습니다. 그 말씀에 저는 안심하고 감사드릴 따름입니다. 저는 이렇게 볼품없는 몸이지만 여태껏 병이 걸린 일이 없습니다. 섬에 가서 어떤 고된 일을 한다 해도 병에 걸리지는 않을 것입니다. 그리고 섬에 가게 되면서 200문의 돈도 받았습니다. 그 돈을 여기에 잘 지니고 있습니다.” 라며 키스케는 가슴에 손을 얹었다.
유배되는 자에게는 200문의 돈을 주는 것이 당시의 규정이었다. 키스케는 계속 말을 이었다.
“부끄러운 이야기입니다만, 저는 지금까지 200문이라는 돈을 이렇게 품속에 지녀 본 적이 없습니다. 저는 열심히 일을 찾아다니며, 몸을 아끼지 않고 열심히 일했습니다. 그렇게 번 돈은 언제나 바로 남에 손으로 넘어가는 돈이었습니다. 그것도 뭔가 먹을 수 있을 때는 주머니 사정이 좋을 때로 대부분은 빌린 돈을 갚기에 바빴습니다. 그런데 감옥에 들어가서는 일을 하지 않아도 먹여주시니 저는 그 것 만으로도 지체 높으신 나리께 송구스럽기 짝이 없습니다. 게다가 감옥에서 나올 때 200문이라는 돈까지 받았습니다. 어르신의 보살핌으로 저는 이 돈을 쓰지 않고 가지고 있을 수 있게 되었습니다. 제 소유의 돈을 갖게 된 것은 저로서는 처음 있는 일입니다. 섬에 가서 살아보지 않고서는 어떤 일이 일어날지 알 수 없는 노릇이지만 저는 이 200문의 돈을 섬에 가지고 가서 밑천으로 삼을 수 있다는 희망도 가지게 되었습니다.” 라는 말로 키스케는 이야기를 마쳤다.
쇼베는 “음, 그렇군.” 라고 말은 했지만 예상치 못한 대답에 더 이상 말을 잇지 못하고 깊은 생각에 빠졌다. 쇼베는 40대의 나이가 되어 부인과 4명의 자식을 두고 있다. 그리고 노모까지 7명의 가족이 함께 살고 있다. 평소 사람들에게 구두쇠라고 불릴 정도로 검소한 생활을 하고 있고, 옷은 작업복 외에는 잠옷 정도 밖에 갖추고 있지 않았다. 그러나 불행히도 쇼베의 부인은 경제적으로 여유로운 상인 집안 출신이라 남편의 보수만으로 생계를 유지하고자 하는 마음은 있었지만 유복한 가정에서 곱게 자란 탓에 남편이 만족할 만큼 알뜰한 살림을 하기란 어려웠다.
그래서 아내는 월말에 수입과 지출이 맞지 않아 돈이 모자라면 친정에서 몰래 돈을 가져와 출납을 맞추는 일이 잦았다. 쇼베가 빚지는 것을 벌레 보듯 싫어하기 때문이다. 그런 일은 결국 쇼베가 알아차리기 마련인데 명절에 친정에서 선물을 받거나 시치고산(七五三 일본 전통의 어린이의 성장잔치)에 아이들의 옷을 선물 받는 것조차 불편해 하고, 무엇인가 외가에 신세를 진다고 여겨지면 쇼베는 좋게 넘어갈 수가 없었다. 특별히 평온을 깰만한 일이 없는 하네다의 집에 풍랑이 이는 것은 대부분 이것이 원인이었다.
쇼베는 지금 키스케의 얘기를 듣고 키스케의 신세를 스스로와 비교해 보았다. 키스케는 일을 해서 돈을 벌면 바로 남에 손에 넘기기 바빴다. 너무나도 불쌍하고 가엾은 처지였다. 입장을 바꾸어 생각해보면, 그와 나 사이에는 어떤 차이가 있을까? 일해서 벌은 급료를 바로 써버리고 마는 나의 생활과 다를 바 없지 않은가? 그와 나 사이의 다른 점은, 말하자면 돈의 단위가 틀릴 뿐이고 키스케의 소중한 200문에 상당하는 저축조차 이쪽에는 없기 때문이다. 규모를 바꾸어 생각해보면 단돈 200문이라 해도 키스케가 그것을 큰돈으로 여기고 기뻐하는 것은 무리가 아니다. 그러나 아무리 다시 생각해봐도 이해가 가지 않는 것은 그가 너무나 만족해하고 그 이상 욕심을 부리지 않는 것이다. 키스케는 속세에서 할 일을 찾기 위해 갖은 고생을 하고, 할 수 있는 일이라도 있으면 몸을 아끼지 않고 열심히 일했다. 겨우겨우 입에 풀칠이라도 하는 정도에 만족했다. 그러다가 감옥에 가게 되고, 지금까지는 어렵게 일해서 구해왔던 음식을 일하지 않아도 먹을 수 있다는 것에 마치 하늘이 음식을 내려준 듯, 태어나 처음으로 만족을 느끼는 것이다. 쇼베는 계속 생각하다가 키스케와 자신의 현격한 차이를 알아챘다.
자신의 급료로 꾸려가는 생활은 그때그때 부족하기는 해도 대체로 출납이 맞아 떨어진다. 여유가 없는 빡빡한 생활이다. 만족을 느낀 적도 거의 없다. 언제나 행복도 불행도 느끼지 못하고 살고 있다.
그러나 마음 깊은 곳에서는 이렇게 생활하다가 갑자기 직장을 잃게 되면 어쩌나, 큰 병이라도 걸리면 어쩌나 하는 의구심이 잠재되어 때때로 아내가 친정에서 돈을 가져와 가계를 메운 것을 알게 되면, 그 의구심이 의식의 문턱을 넘어 고개를 쳐드는 것이다. 도대체 이런 의구심은 어째서 생기는 것일까? 단지 표면적으로 키스케에게는 식솔들이 없지만 나에게는 있다 라고 하자면 거기까지 인지도 모른다. 하지만 그것은 진실이 아니다.
설령 자신이 외톨이라 해도 키스케의 마음가짐을 갖게 되지는 못할 것만 같다. 그 밑바탕에는 다른 무언가가 있을 것 같다고 쇼베는 생각했다. 쇼베는 그저 막연하게 사람의 인생에 대해 생각해 보았다.
사람들은 몸에 병이 생기면 이 병이 없었으면... 라고 생각한다. 그날그날 먹을 것이 없으면 먹을 음식만 있다면... 라고 생각한다. 만일 그 때 모아둔 것이 없다면 저축이 있었으면 하고 생각하고 또한 저축이 많기를 바란다. 이처럼 생각에 생각을 거듭하다 보면, 사람의 욕심은 어디까지 가서 멈추는 것인지 모르겠다. 그 욕심의 끝을 지금 바로 눈앞에서 보여준 것이 키스케라고 쇼베는 생각했다. 쇼베는 경이로움에 눈이 휘둥그래져 키스케를 바라보았다.
그 때 쇼베는 하늘을 바라보고 있는 키스케의 얼굴에서 후광이 비추는 듯이 느껴졌다.
쇼베는 키스케의 얼굴을 바라보면서 “키스케씨!” 하고 입을 열었다. 이번엔 높임말을 했으나, 충분히 의식을 하고 호칭을 새롭게 한 것은 아니었다. 자신의 목소리가 귀에 들리자마자 쇼베는 그 호칭에 어색함을 느꼈지만 이제 와서 내뱉은 말을 고치는 것도 우스웠다. “네...!” 라고 답하는 키스케 또한 ‘씨’라고 불린 것을 어색하게 여긴 듯, 쭈뼛쭈뼛하며 쇼베의 눈치를 살폈다. 쇼베는 잠시 뜸을 들이고 말했다.
“여러 가지를 묻고 있네만, 자네가 이번에 유배되는 것은 죄를 지었기 때문이지. 이 참에 나에게 그 얘기를 들려주지 않을 텐가?”
키스케는 몹시 당황한 모습으로 “잘 알겠습니다.” 라며 작은 목소리로 이야기를 시작했다.
“아무리 생각해봐도 도리에 어긋나는, 엄청난 짓을 저지르고 말았습니다. 다시 돌이켜 생각해봐도 어쩌다가 그런 일을 저질렀을까, 저 스스로도 납득이 가질 않습니다. 참으로 제정신이 아니었습니다. 저는 어렸을 때 부모를 전염병으로 잃고 남동생과 단 둘이 남았습니다. 처음에는 마을 사람들이 처마 밑에 버려진 강아지를 돌보듯 은혜를 베풀어 주셔서 주변 분들의 잔심부름을 하며 굶주림도 추위도 모르고 자랐습니다. 차츰 자라면서 일을 하게 되었고, 되도록이면 둘이 헤어지지 않도록 서로 도와가며 일을 했었습니다. 그러던 작년 가을 어느 날, 저는 동생과 함께 니시진의 실짜는 공장에 들어가서 모양을 도드라지게 하여 천을 짜는 일을 하게 되었습니다. 그러던 와중에 동생이 병에 걸려 일을 할 수 없게 되었습니다. 그 무렵, 우리들은 기타야마(北 山)의 아무렇게나 지어놓은 허술한 가건물에서 잠을 자고 카미야강의 다리를 건너 공장에 다니고 있었는데 제가 날이 저물어 음식을 사서 집에 돌아가면 기다리던 동생은 저 혼자 고생을 시켜서 미안하다는 말을 되풀이하곤 했었습니다.
어느 날, 언제나 그랬듯이 집에 돌아가보니 주변이 피투성이가 된 채, 동생이 이불 위에 엎드려 있었습니다. 저는 그만 깜짝 놀라서 손에 들고 있던 대나무 껍질(보잘것없는 음식)이었는지 무엇인지를 내팽개치고는 동생 옆으로 가서 왜 이러냐고 소리쳤습니다. 동생은 양 볼에서 턱까지 피로 물든 창백한 얼굴로 저를 쳐다보았지만 아무 말도 하지 못했습니다. 숨을 쉴 때마다 찔린 상처에서 휴우휴우하는 소리가 새어나올 뿐이었습니다. 제가 어찌할 줄 모르고 왜이러니? 피를 토한 거야? 라고 물으며 옆에 가려고 하니 동생은 오른손으로 이부자리를 짚고 몸을 조금 일으켰습니다. 왼손으로 턱의 밑 부분을 꾹 누르고 있었습니다만, 손가락 사이로 검은 핏덩어리가 비어져 나오고 있었습니다.
동생은 눈빛으로 제가 옆에 오지 못하게 하려는 듯, 입을 열었습니다. 겨우겨우 말을 할만 했던가 봅니다. “미안해, 용서해줘... 도저히 나을 것 같지 않은 병이라서 빨리 죽는 편이 형을 도와주는 길이라고 생각했어. 숨통을 끊으면 바로 죽을 거라고 생각했는데 숨이 새어나올 뿐 죽지는 않았어. 더 깊이, 더 깊이 힘을 주어 들어가다 보니 칼이 옆으로 미끄러져 버리고 말았어. 칼날이 망가지지는 않았으니 이 걸 잘 뽑아내면 난 죽을 수 있을 거야... 말하기가 힘들어서 못 견디겠어, 제발 손을 빌려서 나를 죽여줘...” 라고 말하는 것이었습니다. 동생의 왼손에 힘이 빠지면 거기서 또 숨이 새어나옵니다.
저는 아무 말도 못하고 동생의 목에 난 상처를 살펴보았더니, 오른손으로 칼을 들고 가로로 숨통을 끊었지만 그렇게 죽음에는 이르지는 못하고 그대로 더 깊이 상처만 후벼 판 것으로 보입니다. 칼 손잡이가 상처 밖으로 조금 나와 있었습니다. 저는 그 것을 보고는 아무런 생각도 떠오르지 않아 그저 동생의 얼굴을 바라보고만 있었습니다. 동생도 꼼짝 않고 저를 응시하고 있었습니다.
저는 “가만히 있어봐, 의사를 불러올께!” 라고 겨우 말했습니다.
동생은 왼손으로 목을 누르면서 원망하는 듯한 눈빛으로 “의사가 무슨 소용이야! 아아... 더는 못 견디겠어, 빨리 칼을 뽑아줘, 제발...” 라고 말합니다. 저는 어떻게 해야 좋을지 몰라 쩔쩔매며 단지 동생의 얼굴을 바라보고 있었습니다. 이런 때는 참 이상하게도 눈이 모든 것을 말해줍니다.
동생은 “빨리 해...빨리...” 라며 원망스러운 눈초리로 저를 바라보고 있었습니다. 제 머리 속에는 갑자기 수레바퀴 같은 것이 빙글빙글 돌아가는 듯 하고, 동생의 눈은 무섭게 재촉하기를 멈추지 않습니다. 게다가 그 원망이 점점 거세져 원수의 얼굴을 노려보는 듯, 증오스러운 눈으로 변해있었습니다. 그걸 바라보면서 저는 점점 동생의 말대로 해주지 않으면 안 되겠다는 생각이 들었습니다.
저는 “어쩔 수 없구나...칼을 빼줄께...” 라고 말했습니다. 이내 동생의 눈빛이 환하게, 안심한 듯한 눈빛으로 바뀌었습니다. 저는 단숨에 뽑아야 한다는 마음으로 무릎을 꿇고 몸을 앞으로 내밀었습니다. 동생은 잡고 있던 오른손을 떨구고 지금까지 목의 상처를 지탱하고 있던 팔꿈치를 움직여 몸을 뉘었습니다. 저는 칼 손잡이를 단단히 부여잡고 끌어당겼습니다.
그 때, 방문을 열고 이웃의 할머니가 들어왔습니다. 제가 집을 비운 동안, 동생에게 약을 먹이고 보살펴 주시도록 부탁 드린 분이셨습니다. 집 안이 꽤 어두워서 저는 할머니께서 언제부터 보고 계셨는지 알 수 없었지만 할머니는 악! 외마디 소리를 지르시고는 문을 열어두신 채, 뛰쳐나가셨습니다. 저는 칼을 뽑을 때 재빨리, 곧장 뽑을 생각뿐이었습니다만, 뽑아냈을 때 손의 느낌은 지금껏 한 번도 베어보지 못한 것을 자른 듯한 느낌이었습니다. 칼이 바깥쪽을 향해 있어서 바깥 부분만 잘린 것 같았습니다.
저는 칼을 손에 꽉 쥔 채, 할머니가 들어왔다가 뛰쳐나가는 것을 멍하니 바라보고 있었습니다. 할머니가 나가버린 뒤, 정신을 차리고 동생을 바라보니 동생은 이미 숨이 끊어져 있었습니다. 상처에서는 몹시 피가 흐르고 있었습니다.
마을의 어르신(年寄衆"@토시요리슈)께서 오셔서 저를 관아로 데려갈 때까지 저는 칼을 옆에 두고 눈도 채 감지 못하고 죽어간 동생을 그저 바라볼 뿐이었습니다.”
웅크린 자세로 쇼베의 얼굴을 올려다보며 이야기하던 키스케는 이렇게 말을 마치고 무릎 위로 시선을 떨구었다. 키스케의 이야기는 이치에 잘 들어맞아 있었다. 너무 심하게 조리가 서있다는 표현이 맞을 것이다. 그 이유는 반년 정도의 시간 동안, 몇 번이고 당시의 상황을 되새기며, 관아에 끌려가 그 우두머리에게 취조를 당할 때마다 주의에 주의를 기울인 때문일 것이다.
쇼베는 당시의 상황을 바로 앞에서 보는 듯이 듣고 있었으나 이야기를 반 정도 듣고 난 뒤부터 이 사건이 동생을 죽인 살인, 사람을 죽인 살인사건이라고 해야 하는지에 대한 의문이 생겼다. 그 의문은 이야기가 끝난 후에도 풀리지 않았다. 동생은 칼을 뽑아내면 죽을 테니 뽑아달라고 부탁했다. 키스케가 그 칼을 뽑아주어 동생을 죽게 한 것이다.
그러나 그대로 두었다 한들, 동생이 살아날 수 있었을까? 동생이 빨리 죽고 싶어 한 것은 그 괴로움을 참을 수 없어서였다. 키스케는 동생의 괴로워하는 모습을 차마 볼 수 없었다. 고통에서 구해주고자 동생의 목숨을 끊었다.
그것이 죄일까? 죽인 것 자체로는 죄임에 틀림없다. 그러나 고통에서 구해주기 위해 한 일이라면 정말 그 것이 죄인지 의문이 생겨 도저히 풀어낼 수가 없다.
쇼베는 마음속으로 여러 가지를 고민하던 끝에, 어르신의 판단에 맡기고 그 권위에 따르는 수밖에 없다고 여겼다. 쇼베는 어르신의 판단을 그대로 자신의 판단으로 해야겠다고 생각하는 것이다. 그러면서도 쇼베는 왠지 납득이 가질 않아 자꾸만 어르신에게 묻고 싶어져 견딜 수가 없었다. 점점 깊어져 가는 흐린 달밤에, 침묵하는 두 사람을 태운 다카세부네는 그렇게 검은 수면 위를 미끄러져 갔다.