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선교방

2025-09-08복되신 동정 마리아 탄생 축일<그 몸에 잉태된 아기는 성령으로 말미암은 것이다.>

작성자박현주agnes|작성시간25.09.08|조회수49 목록 댓글 0

<그 몸에 잉태된 아기는 성령으로 말미암은 것이다.>
✠ 하느님의 아들 주 예수그리스도 우리의 임마누엘 하느님

1 다윗의 자손이시며 아브라함의 자손이신 예수 그리스도의 족보.
2 아브라함은 이사악을 낳고 이사악은 야곱을 낳았으며
야곱은 유다와 그 형제들을 낳았다.
3 유다는 타마르에게서 페레츠와 제라를 낳고
페레츠는 헤츠론을 낳았으며 헤츠론은 람을 낳았다.
4 람은 암미나답을 낳고
암미나답은 나흐손을 낳았으며 나흐손은 살몬을 낳았다.
5 살몬은 라합에게서 보아즈를 낳고 보아즈는 룻에게서 오벳을 낳았다.
오벳은 이사이를 낳고 6 이사이는 다윗 임금을 낳았다.
다윗은 우리야의 아내에게서 솔로몬을 낳고,
7 솔로몬은 르하브암을 낳았으며 르하브암은 아비야를 낳고
아비야는 아삽을 낳았다.
8 아삽은 여호사팟을 낳고 여호사팟은 여호람을 낳았으며
여호람은 우찌야를 낳았다.
9 우찌야는 요탐을 낳고 요탐은 아하즈를 낳았으며
아하즈는 히즈키야를 낳았다.
10 히즈키야는 므나쎄를 낳고 므나쎄는 아몬을 낳았으며
아몬은 요시야를 낳았다.
11 요시야는 바빌론 유배 때에 여호야킨과 그 동생들을 낳았다.
12 바빌론 유배 뒤에 여호야킨은 스알티엘을 낳고
스알티엘은 즈루빠벨을 낳았다.
13 즈루빠벨은 아비훗을 낳고 아비훗은 엘야킴을 낳았으며
엘야킴은 아조르를 낳았다.
14 아조르는 차독을 낳고 차독은 아킴을 낳았으며
아킴은 엘리웃을 낳았다.
15 엘리웃은 엘아자르를 낳고
엘아자르는 마탄을 낳았으며 마탄은 야곱을 낳았다.
16 야곱은 마리아의 남편 요셉을 낳았는데,
마리아에게서 그리스도라고 불리는 예수님께서 태어나셨다.
18 예수 그리스도께서는 이렇게 탄생하셨다.
그분의 어머니 마리아가 요셉과 약혼하였는데,
그들이 같이 살기 전에
마리아가 성령으로 말미암아 잉태한 사실이 드러났다.
19 마리아의 남편 요셉은 의로운 사람이었고
또 마리아의 일을 세상에 드러내고 싶지 않았으므로,
남모르게 마리아와 파혼하기로 작정하였다.
20 요셉이 그렇게 하기로 생각을 굳혔을 때,
꿈에 주님의 천사가 나타나 말하였다.
“다윗의 자손 요셉아, 두려워하지 말고 마리아를 아내로 맞아들여라.
그 몸에 잉태된 아기는 성령으로 말미암은 것이다.
21 마리아가 아들을 낳으리니 그 이름을 예수라고 하여라.
그분께서 당신 백성을 죄에서 구원하실 것이다.”
22 주님께서 예언자를 통하여 하신 말씀이 이루어지려고 이 모든 일이 일어났다.
곧 23 “보아라, 동정녀가 잉태하여 아들을 낳으리니
그 이름을 임마누엘이라고 하리라.” 하신 말씀이다.
임마누엘은 번역하면 ‘하느님께서 우리와 함께 계시다.’는 뜻이다.
마태오 1,1-16.18-23
복되신 동정 마리아 탄생 축일

성경에 동정 마리아의 탄생에 관한 내용은 없다. 그러나 성모 신심이 초대 교회 때부터 계속 이어지면서 동방 교회에서 먼저 이 축일을 지내기 시작하였다. 로마 교회는 예루살렘에 세워진 ‘마리아 성당’의 봉헌일(9월 8일)을 동정 마리아의 탄생 축일로 정하고, 7세기부터 기념해 오고 있다(오늘의 전례에서)
*********
글을 쓰는 작가가 되고 싶다는 분이 있었습니다. 그렇다면 이 분은 무엇을 해야 할까요? 글 쓰는 방법을 배운다, 책을 열심히 읽는다, 일상의 삶을 잘 관찰한다 등등의 할 일이 있을 것 같습니다. 그런데 가장 중요한 것은 글을 직접 쓰는 것입니다. 처음부터 완벽한 글이 어떻게 나올 수가 있겠습니까? 그러나 완벽하게 하겠다고, 책만 읽고 글 쓰는 방법만 배우고, 일상 삶을 관찰만 하다 보면 그냥 그 모습에 멈출 뿐입니다. 알면 알수록 부족하다는 것을 깨닫게 되지요. 그래서 준비가 덜 되었다고 생각하지만, 이런 생각의 틀에서 벗어나지 못하면 아무것도 쓸 수 없습니다.

글을 정말로 잘 쓰는 신부님이 계십니다. 강론을 위해 쓰는 원고를 보면 깜짝 놀랄 정도입니다. 평소에 많은 책을 읽고, 매일 일기를 쓰면서 일상의 삶을 잘 관찰하십니다. 여기에 깊은 묵상도 하니 깊이 있는 글이 나올 수밖에 없을 것입니다. 그래서 “이렇게 좋은 글을 혼자만 간직하지 마시고, 출판해서 신자들에게 나눠주세요.”라고 말씀드렸습니다. 그러자 “아직 준비가 안 되어 있어.”라고 말씀하십니다.

중요한 일에 앞서 잘 준비하는 것은 당연합니다. 그러나 사실 ‘준비’라는 이름으로 ‘두려움’을 표시하는 것이 아닐까 싶습니다. 좋아하는 사람에게 사랑한다고 고백하려고 합니다. 그런데 아직 준비되지 않았다면서 계속 미루면 어떻게 될까요? 사랑을 얻지 못합니다. 이는 준비가 아니라 두려워서 고백하지 못한 것입니다.​

두려움을 극복해야 새로운 삶으로 나아갈 수 있습니다. 그래서 예수님께서도 종종 두려워하지 말라고, 또 걱정하지 말라고 말씀하신 것이 아닐까요?​

오늘 우리는 복되신 동정 마리아 탄생 축일을 맞이합니다. 성경에 성모님의 탄생에 관한 내용은 없습니다. 그러나 임마누엘, 즉 하느님께서 우리와 함께 계신다는 사실을 굳게 믿으면서, 하느님의 뜻을 따르셨던 성모님의 탄생 축일을 공경하는 것은 너무나 당연할 것입니다.

하느님의 뜻이 역사 안에서 계속해서 이루어지고 있음을 마태오 복음은 예수님의 출생 내력이라고 할 수 있는 족보를 제시합니다. 그 역사가 영광과 기쁨만 있는 것이 아니었습니다. 고통과 시련이 함께 공존하는 역사이지요. 그 모든 시간이 지나야 메시아가 온다는 사실을 이야기하는 것입니다.​

이를 위해 우리는 성모님께서 보여주신 신앙의 모범을 잘 따라야 합니다. 파혼의 위기까지 맞이하게 된 예수님 잉태 때의 많은 일들을 어떻게 극복하셨을까요? 두려워하지 않고, 또 걱정하지 않으면서, 하느님께서 우리와 함께 계심을 굳게 믿음으로 가능했습니다.

성모님 탄생 축일에 우리의 믿음을 점검해 보았으면 합니다.
(조명연 신부님 「오늘의 묵상」에서)
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조명연 신부님 글 하나 더 드립니다~~~

「사람들과 어떤 만남을 하고 있을까요?」

오늘 동정 마리아 탄생 축일을 맞이하면서 성모님을 묵상하다가 성모님과 엘라사벳의 만남을 떠올리게 되었습니다. 이 만남에서 성모님께서는 마리아의 노래를 부르면서 하느님을 찬미하지요. 이 노래와 두 분의 대화를 통해 이들의 만남은 하느님 역시 함께 하는 자리임을 알 수 있습니다. 그런데 우리는 과연 사람들과 어떤 만남을 하고 있습니까?

전에 성당의 카페에서 자매님들이 모여서 이야기하는 것을 우연히 옆자리에서 듣게 되었습니다. 처음에는 드라마 이야기, 그러다가 아파트 당첨 이야기를 비롯한 돈 이야기가 주였습니다. 성당에서의 모임이지만, 주로 세상살이에 대한 이야기였습니다. 물론 삶의 현실을 이야기하는 것이 잘못은 아니지만, 마음 안에 세상일에 대한 것들을 떠나지 않기 때문에 같은 신앙을 가지고 있는 분들과의 대화 역시 세상의 이야기에서 벗어나지 못하는 것은 아니었을까요?

세상 문제들을 떠나, 하느님 구원에 대한 참 희망을 가질 수 있는 만남을 과연 갖기 힘든 것일까요? 여러분은 과연 누구와 생명의 노래, 구원의 노래를 부릅니까?

****<모든 것을 사랑하라. 그대 앞에 떨어지는 한 가닥 빗줄기조차도 그대가 모든 것을 사랑하면 그 속에 담긴 신비도 보리라(표도르 도스토옙스키).>


복되신 동정 마리아 탄생 축일

“보아라, 동정녀가 잉태하여 아들을 낳으리니
그 이름을 임마누엘이라 하리라.” 
… 임마누엘은
‘하느님께서 우리와 함께 계시다’는 뜻이다. 
(마태오 1,1-16.18-23)

 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
(マタイ1・1-16、18-23)

 "Behold, 
the virgin shall be with child and bear a son,
and they shall name him Emmanuel,
which means “God is with us.”
(Matthew 1:1-16, 18-23)

聖マリアの誕生の記念日

“보아라, 동정녀가 잉태하여 아들을 낳으리니
"ボアラ、トンジョンニョガ インテハヨ アドル ナウルニ
그 이름을 임마누엘이라 하리라.” 
ク イルムル インマヌネリラ ハリラ。"
… 임마누엘은
‘하느님께서 우리와 함께 계시다’는 뜻이다. 
(마태오 1,1-16.18-23)

 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
미요 오토메가 미고못테 오토코노코오 우무
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
소노 나와 인마누에루토 요바레루 
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
코노 나와 카미와 와레와레토 토모니 오라레루 토 유우 이미데 아루
(マタイ1・1-16、18-23)

 "Behold, 
the virgin shall be with child and bear a son,
and they shall name him Emmanuel,
which means “God is with us.”
(Matthew 1:1-16, 18-23)

Feast of the Nativity of the Blessed Virgin Mary
Matthew 1:1-16, 18-23
The Book of the genealogy of Jesus Christ,
the son of David, the son of Abraham.

Abraham became the father of Isaac,
Isaac the father of Jacob,
Jacob the father of Judah and his brothers.
Judah became the father of Perez and Zerah,
whose mother was Tamar.
Perez became the father of Hezron,
Hezron the father of Ram,
Ram the father of Amminadab.
Amminadab became the father of Nahshon,
Nahshon the father of Salmon,
Salmon the father of Boaz,
whose mother was Rahab.
Boaz became the father of Obed,
whose mother was Ruth.
Obed became the father of Jesse,
Jesse the father of David the king.

David became the father of Solomon,
whose mother had been the wife of Uriah.
Solomon became the father of Rehoboam,
Rehoboam the father of Abijah,
Abijah the father of Asaph.
Asaph became the father of Jehoshaphat,
Jehoshaphat the father of Joram,
Joram the father of Uzziah.
Uzziah became the father of Jotham,
Jotham the father of Ahaz,
Ahaz the father of Hezekiah.
Hezekiah became the father of Manasseh,
Manasseh the father of Amos,
Amos the father of Josiah.
Josiah became the father of Jechoniah and his brothers
at the time of the Babylonian exile.

After the Babylonian exile,
Jechoniah became the father of Shealtiel,
Shealtiel the father of Zerubbabel,
Zerubbabel the father of Abiud.
Abiud became the father of Eliakim,
Eliakim the father of Azor,
Azor the father of Zadok.
Zadok became the father of Achim,
Achim the father of Eliud,
Eliud the father of Eleazar.
Eleazar became the father of Matthan,
Matthan the father of Jacob,
Jacob the father of Joseph, the husband of Mary.
Of her was born Jesus who is called the Christ.

Now this is how the birth of Jesus Christ came about.
When his mother Mary was betrothed to Joseph,
but before they lived together,
she was found with child through the Holy Spirit.
Joseph her husband, since he was a righteous man,
yet unwilling to expose her to shame,
decided to divorce her quietly.
Such was his intention when, behold,
the angel of the Lord appeared to him in a dream and said,
"Joseph, son of David,
do not be afraid to take Mary your wife into your home.
For it is through the Holy Spirit
that this child has been conceived in her.
She will bear a son and you are to name him Jesus,
because he will save his people from their sins."
All this took place to fulfill
what the Lord had said through the prophet:


Behold, the virgin shall be with child and bear a son,
and they shall name him Emmanuel,

which means "God is with us."


2025-09-08「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」

+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は聖マリアの誕生の記念日です。
御心の主・イエス・キリストと神の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。

***********聖書には聖母マリアの誕生について直接の記述はありません。
しかし、聖母への信心は初代教会の時代から絶えず続いており、東方教会で最初にこの祝日を祝うようになりました。
ローマ教会では、エルサレムに建てられた「マリア聖堂」の奉献日(9月8日)を聖マリアの誕生の祝日として定め、7世紀から記念してきました。
(今日の典礼より)
**********
マタイによる福音
<マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。>
1・1アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。

2アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、3ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、4アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、5サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、6エッサイはダビデ王をもうけた。

ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、7ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、8アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、9ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、10ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、11ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。

12バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、13ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、14アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、15エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、16ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

18イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。19夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。20このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。21マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」22このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

23「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ1・1-16、18-23)
************
チョ・ミョンヨン神父様の「今日の黙想」です。

ある時、「作家になりたい」と願う方がいらっしゃいました。
では、この方は何をすればよいのでしょうか。
「文章の書き方を学ぶ」「本を一生懸命読む」「日常の生活をよく観察する」など、すべきことはいろいろとあるでしょう。
しかし最も大切なのは、実際に文章を書くことです。
初めから完全な文章が生まれるはずはありません。
それなのに、完全に書こうとして本を読むことや、書き方だけを学んだり、日常を観察するだけにとどまれば、結局はそこで立ち止まってしまいます。
知れば知るほど自分の足りなさを悟るものです。だから「まだ準備ができていない」と思ってしまい、その思いの枠から抜け出せなければ、何も書き出すことはできません。

本当に文章をよく書かれる神父様がいらっしゃいます。
説教のために書かれる原稿を見ると、驚くほど素晴らしいのです。
普段から多くの本を読み、毎日の日記を書きながら、日常の生活をよく観察しておられます。
そこに深い黙想が加わるので、必然的に深みのある文章が生まれるのです。
そこで私は「このように素晴らしい文章をお一人でしまっておかず、出版して信者たちに分かち合ってください」と申し上げました。
すると「まだ準備ができていないんだ」とお答えになりました。

大切なことの前に十分に準備するのは当然です。
しかし、実際には「準備」という名のもとに「恐れ」を表しているのではないでしょうか。
好きな人に「愛している」と告白しようとする時、「まだ準備ができていない」と言ってずっと先延ばしにしたらどうなるでしょうか。
愛を得ることはできません。
それは準備不足ではなく、恐れのために告白できなかっただけなのです。

恐れを克服してこそ、新しい人生へと進むことができます。
だからこそ、イエス様もたびたび「恐れるな、心配するな」とおっしゃったのではないでしょうか。

今日、私たちは恵まれた童貞マリアの誕生の記念日を迎えます。
聖書には聖母マリアの誕生についての記録はありません。
しかし、「インマヌエル」、すなわち神様がわたしたちと共におられるという事実をしっかりと信じ、神様の御旨に従われた聖母マリアの誕生を敬うことは、実に当然のことでしょう。

マタイによる福音は、イエス・キリストの出自を示す系図を提示しながら、神様の御旨が歴史の中で途切れることなく実現されていることを示しています。
その歴史は栄光と喜びだけではなく、苦しみや試練も共に存在する歴史でした。
そのすべての時を経てこそ、メシアがおいでになることが語られているのです。

そのために、私たちは聖母マリアが示された信仰の模範によく従わなければなりません。
イエス様を身ごもられた時、聖母は婚約破棄の危機にまで直面されました。
その多くの出来事をどのように乗り越えられたのでしょうか。
恐れることなく、また心配することなく、神様がわたしたちと共におられることを固く信じたからこそ可能だったのです。

聖母マリアの誕生の記念日に、私たちの信仰を改めて省みたいと思います。
********
わたしたちは毎日の福音を読み、マリア様の信仰の模範を見倣うようになります。マリア様の信仰と勇気を学びわたしたちも恐れず、主を信じ、真のキリスト者の生活ができますように聖霊、きてください。

 

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