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2026-06-12지극히 거룩하신 예수 성심 대축일(사제 성화의 날)<나는 마음이 온유하고 겸손하다.>

작성자박현주agnes|작성시간26.06.12|조회수51 목록 댓글 0

<나는 마음이 온유하고 겸손하다.>
✠ 하느님의 어린양 주 예수 그리스도 우리의 참 안식

25 그때에 예수님께서 이렇게 말씀하셨다.
“아버지, 하늘과 땅의 주님,
지혜롭다는 자들과 슬기롭다는 자들에게는 이것을 감추시고
철부지들에게는 드러내 보이시니, 아버지께 감사드립니다.
26 그렇습니다, 아버지! 아버지의 선하신 뜻이 이렇게 이루어졌습니다.”
27 “나의 아버지께서는 모든 것을 나에게 넘겨주셨다.
그래서 아버지 외에는 아무도 아들을 알지 못한다.
또 아들 외에는, 그리고 그가 아버지를 드러내 보여 주려는 사람 외에는
아무도 아버지를 알지 못한다.
28 고생하며 무거운 짐을 진 너희는 모두 나에게 오너라.
내가 너희에게 안식을 주겠다.
29 나는 마음이 온유하고 겸손하니 내 멍에를 메고 나에게 배워라.
그러면 너희가 안식을 얻을 것이다.
30 정녕 내 멍에는 편하고 내 짐은 가볍다.”
마태오 11,25-30
지극히 거룩하신 예수 성심 대축일(사제 성화의 날)

지극히 거룩하신 예수 성심 대축일은 예수님의 거룩한 마음을 공경하며 그 마음을 본받고자 하는 날이다. 이 대축일은 지극히 거룩하신 그리스도의 성체 성혈 대축일 다음 금요일에 지내는데, 예수 성심이 성체성사와 아주 밀접하게 관련되기 때문이다. 예수 성심에 대한 공경은 중세 때 시작하여 점차 보편화되었다. 1856년 비오 9세 교황 때 교회의 전례력에 도입되었으며, 제2차 바티칸 공의회 이후 대축일로 지내고 있다.
한국 천주교회는 성 요한 바오로 2세 교황의 권고에 따라, 1995년부터 해마다 지극히 거룩하신 예수 성심 대축일에 ‘사제 성화의 날’을 지내고 있다. 이날은 사제들이 그리스도를 본받아 복음 선포의 직무를 더욱 훌륭히 수행하는 가운데 완전한 성덕으로 나아가고자 다짐하는 날이다. 또한 교회의 모든 사람이 사제직의 존귀함을 깨닫고 사제들의 성화를 위하여 기도와 희생을 바치는 날이기도 하다.(오늘의 전례)
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멍에는 소나 말의 목덜미에 얹는 구부러진 막대기입니다. 그곳에 줄을 달아 수레나 쟁기를 끌게 합니다. 소의 입장에서는 귀찮은 것이지요. 그러나 멍에가 있어야 소를 제대로 부릴 수 있습니다. 사람에게도 그 멍에가 있습니다. 살면서 만나는 ‘귀찮은 그 무엇’입니다. 그것을 완전히 버릴 수 없는 게 인생살이입니다. 일생 지고 가야 하는 짐들이지요. 하지만 그것 때문에 주님께서 이끌어 주심을 깨닫게 됩니다.

가벼운 멍에가 있을는지요? 멍에는 본질적으로 귀찮은 것입니다. 그럼에도 주님께서는 오늘 복음에서 “정녕 내 멍에는 편하고, 내 짐은 가볍다.”고 하십니다. 그렇게 되기까지에는 시간이 필요합니다. 고통이 은총임을 아는 데에는 숱한 좌절과 일어섬이 요구됩니다. 끝없는 시행착오 끝에 깨닫게 되는 것이지요.

신앙 안에 머물면 결국은 고통을 은총으로 받아들이게 됩니다. 아픈 만큼 성숙해지기 때문입니다. 그런 뒤에야 “내 멍에는 편하고, 내 짐은 가볍다.”는 주님의 말씀이 가슴에 깊이 와 닿습니다. 그때가 언제쯤 될는지요? 기다려야 합니다.
“고생하며 무거운 짐을 진 너희는 모두 나에게 오너라.” 주님의 이 말씀은 어리광 부리고 투정 부리라는 뜻이 아닙니다. 오히려 삶의 아픔을 ‘자신의 몫으로 받아들이라.’는 말씀으로 해석해 봅니다.

우리는 가끔 잘못 생각합니다. 이 사고 때문에, 이 일 때문에 힘들고 불행한 미래를 살게 되지 않을까 하고 말입니다. 하지만 아닙니다. 미래는 주님께서 이끌어 주십니다.
(매일미사 「오늘의 묵상」에서)
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조명연 신부님 글 드립니다~~~

「성실과 열정」

한 소년이 일찍이 아버지를 여의고 청각장애를 앓고 있는 어머니와 할머니, 형 그리고 두 명의 외삼촌들과 함께 살고 있었습니다. 가난한 가정환경으로 극심한 영양실조와 폐결핵을 앓고 있었고 정상적인 생활조차 불가능했습니다. 그러나 소년에게는 언제나 ‘성실’과 ‘열정’이 있었습니다.

훗날 소년은 불행한 상황들에 굴하지 않고 문학을 향한 열정으로 ‘가난’과 ‘질병’을 극복했고 삶의 아픈 상처들을 작품으로 승화시켜 많은 명작을 남겼습니다. 

44세에 노벨문학상을 받은 이 사람의 이름은 프랑스 최고의 작가 '알베르 카뮈'입니다.

내 자신에게 불어 닥치는 불행한 상황들을 이겨내는 건 쉽지 않은 일입니다. 그럼에도 어려운 상황에 굴복하지 말고 이겨낸다면 어떨까요? 분명히 큰일을 이룰 수가 있습니다.

여러분은 어떠하십니까? 어려운 상황에 굴복하는 사람인가요? 아니면 이를 이겨내는 사람인가요? 성실과 열정만 있다면 충분히 이겨서 큰일을 이룰 수 있습니다.  

***<어떻게 말할까, 하고 괴로울 땐 진실을 말하라(마크트웨인).>


지극히 거룩하신 예수 성심 대축일(사제 성화의 날)

고생하며 무거운 짐을 진 너희는
모두 나에게 오너라.
내가 너희에게 안식을 주겠다.
나는 마음이 온유하고 겸손하니,
내 멍에를 메고 나에게 배워라.
그러면 너희가 안식을 얻을 것이다.
(마태오. 11,25-30)

 疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
(マタイ11・25-30)

Come to me,
all you who labor and are burdened,
 and I will give you rest.
Take my yoke upon you and learn from me,
for I am meek and humble of heart;
(Mt. 11,25-30)



イエスのみ心の祝祭日

고생하며 무거운 짐을 진 너희는
コセンハミョ ムゴウン ジムル チン ノヒヌン
모두 나에게 오너라.
モド ナエゲ オノラ。
나는 마음이 온유하고 겸손하니,
내 멍에를 메고 나에게 배워라.
그러면 너희가 안식을 얻을 것이다.
(마태오. 11,25-30)

 疲れた者、重荷を負う者は、
츠카레타 모노 오모니오 오우 모노와
だれでもわたしのもとに来なさい。
다레데모 와타시노 모토니 키나사이
休ませてあげよう。
야스마세테아게요오
わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
(マタイ11・25-30)

Come to me,
all you who labor and are burdened,
 and I will give you rest.
Take my yoke upon you and learn from me,
for I am meek and humble of heart;
(Mt. 11,25-30)


Solemnity of the Most Sacred Heart of Jesus
Matthew 11:25-30
At that time Jesus exclaimed:
"I give praise to you, Father, Lord of heaven and earth,
for although you have hidden these things
from the wise and the learned
you have revealed them to little ones.
Yes, Father, such has been your gracious will.
All things have been handed over to me by my Father. 
No one knows the Son except the Father,
and no one knows the Father except the Son
and anyone to whom the Son wishes to reveal him.
"Come to me, all you who labor and are burdened,
and I will give you rest.
Take my yoke upon you and learn from me,
for I am meek and humble of heart;
and you will find rest for yourselves. 
For my yoke is easy, and my burden light."


2026-06-12「わたしは柔和で謙遜な者だ」

+イエスのみ心の祝祭日に、神に賛美をささげよう。
おはようございます。
今日はイエスのみ心の祝祭日です。
御聖体の主・イエス・キリストと神の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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マタイによる福音
<わたしは柔和で謙遜な者だ。>
11・25そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。26そうです、父よ、これは御心に適うことでした。27すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11・25-30)
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毎日のミサ・「今日の黙想」です。

軛(くびき)とは、牛や馬の首にかける曲がった木のことです。そこに綱をつけて、荷車や鋤(すき)を引かせます。牛の立場からすれば、わずらわしいものです。しかし、軛があるからこそ、牛は正しく導かれます。

私たち人間にも軛があります。人生の中で出会う「わずらわしい何か」です。それを完全に捨て去ることはできません。一生背負っていかなければならない重荷です。しかし、その重荷があるからこそ、主が私たちを導いてくださっていることに気づくことができます。

軽い軛というものがあるのでしょうか。軛とは本来、わずらわしいものです。それにもかかわらず、今日の福音でイエス様は「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」と言われます。その言葉が分かるようになるまでには時間が必要です。苦しみが恵みであると知るためには、幾度もの挫折と立ち上がりを経験しなければなりません。数え切れない試行錯誤の末に、ようやく悟ることができるのです。

信仰のうちにとどまるなら、やがて苦しみを恵みとして受け入れられるようになります。苦しんだ分だけ、人は成熟するからです。その時になって初めて、「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」という主の御言葉が心の奥深くに響いてきます。その時はいつ訪れるのでしょうか。私たちは待たなければなりません。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。」

主のこの御言葉は、甘えたり不平を言ったりしなさいという意味ではありません。むしろ、人生の苦しみを「自分に与えられた務めとして受け入れなさい」という招きとして受け止めたいと思います。

私たちは時々、誤って考えてしまいます。この事故のせいで、この出来事のせいで、自分はつらく不幸な未来を生きることになるのではないか、と。しかし、そうではありません。未来は主が導いてくださるのです。
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今日の福音を読み、人生の重荷の中にも主の導きを見いだし、その軛を信頼して歩むことができますように。聖霊、来てください。

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