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2026-06-13티 없이 깨끗하신 성모 성심 기념일<마리아는 이 모든 일을 마음속에 간직하였다.>

작성자박현주agnes|작성시간26.06.14|조회수27 목록 댓글 0

<마리아는 이 모든 일을 마음속에 간직하였다.>

41 예수님의 부모는 해마다 파스카 축제 때면 예루살렘으로 가곤 하였다.
42 예수님이 열두 살 되던 해에도 이 축제 관습에 따라 그리로 올라갔다.
43 그런데 축제 기간이 끝나고 돌아갈 때에
소년 예수님은 예루살렘에 그대로 남았다.
그의 부모는 그것도 모르고,
44 일행 가운데에 있으려니 여기며 하룻길을 갔다.
그런 다음에야 친척들과 친지들 사이에서 찾아보았지만,
45 찾아내지 못하였다.
그래서 예루살렘으로 돌아가 그를 찾아다녔다.
46 사흘 뒤에야 성전에서 그를 찾아냈는데,
그는 율법 교사들 가운데에 앉아 그들의 말을 듣기도 하고
그들에게 묻기도 하고 있었다.
47 그의 말을 듣는 이들은 모두 그의 슬기로운 답변에 경탄하였다.
48 예수님의 부모는 그를 보고 무척 놀랐다.
예수님의 어머니가 “얘야, 우리에게 왜 이렇게 하였느냐?
네 아버지와 내가 너를 애타게 찾았단다.” 하자,
49 그가 부모에게 말하였다. “왜 저를 찾으셨습니까?
저는 제 아버지의 집에 있어야 하는 줄을 모르셨습니까?”
50 그러나 그들은 예수님이 한 말을 알아듣지 못하였다.
51 예수님은 부모와 함께 나자렛으로 내려가, 그들에게 순종하며 지냈다.
그의 어머니는 이 모든 일을 마음속에 간직하였다.
루카 2,41-51
티 없이 깨끗하신 성모 성심 기념일

예수 성심을 공경하면서 자연스럽게 생겨난 성모 신심에 대한 공경은 17세기 프랑스 노르망디 출신의 요한 외드 성인의 노력으로 점점 보편화되어, 예수 성심 미사에서 기억하는 형태로 전례 안에서 거행되기 시작하였다. 비오 12세 교황은 1942년 성모님의 파티마 발현 25주년을 맞아 ‘티 없이 깨끗하신 성모 성심’께 세상을 봉헌하고 이 기념일을 온 교회가 지내게 하였다. 처음에는 8월 22일에 선택 기념일로 지냈는데, 1996년 교황청 경신성사성 교령에 따라 ‘예수 성심 대축일 다음 토요일’에 의무 기념일로 지내게 되었다.(오늘의 전례에서)
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러시아아의 대문호 톨스토이는 “누군가를 미워하면 인생에 그 감정만큼 구멍이 난다.”고 했습니다. 사실 미움이라는 감정은 처음의 작은 상태가 그대로 유지되지 않습니다. 처음에는 ‘웃고 넘어갈 수 있을 정도의 미움’이었는데, 나중에는 본인이 절대로 감당하기 힘든 수준으로 커지게 됩니다. 

어떤 자매님으로부터 남편이 너무나 밉다는 이야기를 들었습니다. 남편이 자기 옆에 있는 것도 싫을 정도였습니다. 그 이유를 물으니, 남편은 자기밖에 모른다는 것이었습니다. 아내의 말을 전혀 들어주려고 하지 않고 자기 마음에 들지 않으면 화부터 버럭 낸답니다. 집안일도 전혀 도와주지 않으면서 자신을 식모 취급만 하는 것 같아서 도저히 견뎌낼 수가 없다고 합니다. 그러다보니 싸움의 횟수가 점점 늘었고 이제는 같은 공간 안에 있는 것조차 몸서리 칠 정도로 싫다는 것이었지요. 남편이 언제부터 이러했냐고 물으니 결혼 전부터 그랬다는 것입니다. 그래서 왜 결혼하셨냐고 물으니 그때는 이것이 큰 문제인줄을 몰랐다는 것입니다. 

왜 결혼 전에는 큰 문제인줄 몰랐을까요? 이 부분이 싫기는 했지만, 결혼 전 사랑을 나눌 때에는 ‘웃고 넘어갈 수 있을 정도의 미움’이었기 때문입니다. 그러나 미움의 감정이 점점 커질 대로 커져서 이제는 참기 힘든 미움이 된 것입니다. 

가정에서만 그럴까요? 아닙니다. 모든 인간관계 안에서 지속적으로 이루어지고 있는 모습입니다. 조그마한 미움의 감정이 기하급수적으로 커져서 견디기 힘든 상태까지 오는 경우가 가정은 물론이고, 직장이나 성당 안에서 그밖에 이웃과의 만남에서도 똑같이 계속됩니다. 

미움의 감정은 상대방이 변해야 사라지는 것이 아닙니다. 바로 내 자신이 변해야 합니다. 부정적인 생각보다는 긍정적인 생각을 가지면서, 상대방의 장점을 바라보려고 하고 또 칭찬도 많이 해줘야 합니다. 이렇게 하지 못하는 내 자신은 생각하지 못하고 상대방에게만 문제가 있다고 생각하니 미움이 사라지지 않는 것입니다. 

오늘은 티 없이 깨끗하신 성모 성심 기념일입니다. 모든 것을 마음속에 소중히 간직하신 성모님의 거룩한 마음을 기억하는 날입니다. 사실 부모에게 이야기하지 않고 혼자 성전에 남아 있는 어린 아들 때문에 화가 나지 않으셨을까요? 당신을 애타게 찾은 부모에게, “저는 제 아버지의 집에 있어야 하는 줄을 모르셨습니까?”라고 말할 때는 더욱 더 화가 났을 것 같습니다. 그러나 성경은 이렇게 전해줍니다. 

“그의 어머니는 이 모든 일을 마음속에 간직하였다.”(루카 2,51)

부정적인 마음이 들 때에도 성모님께서는 먼저 마음속에 간직하셨습니다. 그 결과 하느님의 뜻을 찾을 수가 있었고, 하느님의 뜻에 맞게 생활하실 수 있었던 것입니다. 

우리 역시 미움 등의 부정적인 마음이 들 때, 성모님의 모습을 기억해야 합니다. 주님 안에서 조용히 기도하면서 마음속으로 거룩함을 키워야 합니다. 그래야 주님 뜻에 따라 움직이는 삶을 살아갈 수 있습니다.
(조명연 신부님 「오늘의 묵상」에서)
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조명연 신부님 글 하나 더 드립니다~~~

「사랑을 바라보세요.」

셰익스피어는 이런 말을 했습니다. 

“프러포즈할 때 남자의 마음은 5월이지만, 결혼하고 난 뒤에는 12월이 된다.”

5월의 날씨처럼 마음이 화창하고 맑지만 결혼하고 나면 곧바로 겨울처럼 시리고 추워진다는 것이지요. 이것이 남자만 해당하는 말이 아닐 것입니다. 여자 역시 다르지 않습니다. 사실 혼자 살 때에는 자유로움이 많습니다. 쉬고 싶을 때에는 맘껏 쉴 수도 있고, 하고 싶은 것만 할 수도 있습니다. 그러나 결혼을 하게 되면 쉬고 싶다고 해도 쉴 수 없고, 하고 싶은 것도 어쩔 수 없이 하지 않아야 할 때도 있게 됩니다. 그런데도 불구하고 결혼을 하는 이유는 무엇일까요? 함께 있는 것이 너무나도 좋고 행복하기 때문입니다. 바로 사랑하기 때문입니다. 이 사랑은 다른 부족한 부분을 가리기에 충분합니다. 

미국의 한 남자가 너무나 싫어했던 아내와 이혼한 후 결혼상담소에 가서 자기 이상형을 찾아달라고 했습니다. 결혼상담소에서는 그 이상형에 맞춰서 컴퓨터에 입력된 3만 명의 여성 중 한 여성을 골라주었는데 깜짝 놀랄 수밖에 없었습니다. 사진을 보니까 얼마 전에 헤어진 자기 부인인 것입니다.

어떤 사람은 배우자를 바꾸면 지금보다 더 행복할 것이라고 생각하지만 행복하게 살려면 배우자를 바꾸기 전에 자기를 먼저 바꿔야 합니다. 사랑을 먼저 보고 사랑 안에서 모든 것을 바라볼 수 있는 자신이 되어야 하는 것입니다. 

우리는 계속해서 완벽한 상대를 찾아 헤매지만, 안타깝게도 그런 사람은 세상에 존재하지 않습니다. 그러나 내 마음을 바꾸면 그 부족한 상대가 사랑을 통해 완벽한 상대가 됩니다.

***<우리가 기분 좋아질 수 있는 가장 쉬운 방법은 타인의 기분이 좋아지도록 돕는 것(캐머린 블룸)>



티 없이 깨끗하신 성모 성심 기념일

“왜 저를 찾으셨습니까?
저는 제 아버지의 집에 있어야 하는 줄을 모르셨습니까?”
그러나 그들은 예수님이 한 말을 알아듣지 못하였다.
예수님은 부모와 함께 나자렛으로 내려가,
그들에게 순종하며 지냈다.
그의 어머니는 이 모든 일을 마음속에 간직하였다.
(루카 2,41-51)

「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、
両親に仕えてお暮らしになった。
母はこれらのことをすべて心に納めていた。
(ルカ2・41-51)

“Why were you looking for me?
Did you not know that I must be in my Father’s house?”
But they did not understand what he said to them.
He went down with them and came to Nazareth,
and was obedient to them;
and his mother kept all these things in her heart.
(Lk 2,41-51)

聖母マリアの汚れない心の記念日

“왜 저를 찾으셨습니까?
저는 제 아버지의 집에 있어야 하는 줄을 모르셨습니까?”
그러나 그들은 예수님이 한 말을 알아듣지 못하였다.
예수님은 부모와 함께 나자렛으로 내려가,
그들에게 순종하며 지냈다.
그의 어머니는 이 모든 일을 마음속에 간직하였다.
クエ オモニヌン イ モドン イル マウムソゲ カンジック ハヨッタ。
(루카 2,41-51)

「どうしてわたしを捜したのですか。
わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、
知らなかったのですか。」
しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、
両親に仕えてお暮らしになった。
母はこれらのことをすべて心に納めていた。
하하와 코레라노 코토오 스베테 코코로니 오사메테이타
(ルカ2・41-51)

“Why were you looking for me?
Did you not know that I must be in my Father’s house?”
But they did not understand what he said to them.
He went down with them and came to Nazareth,
and was obedient to them;
and his mother kept all these things in her heart.
(Lk 2,41-51)


2026-06-13「母はこれらのことをすべて心に納めていた。」

+聖母マリアの汚れない心の記念日に、神に賛美をささげよう。
おはようございます。
今日は聖母マリアの汚れない心の記念日です。
御心の主・イエス・キリストと汚れない心聖母マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ルカによる福音
<母はこれらのことをすべて心に納めていた。>
イエスの2・41両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。42イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。43祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。44イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、45見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。46三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。47聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。48両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」49すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」50しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。51それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。52イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。(ルカ2・41-51)

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チョンサンヨン神父様の「今日の黙想」です。

ロシアの文豪 レフ・トルストイ は、「誰かを憎むなら、その憎しみの分だけ人生に穴があく」と語ったと言われます。実際、憎しみという感情は、最初の小さな状態のまま留まるものではありません。初めは「笑って済ませられる程度の嫌な気持ち」であっても、やがて自分では抱えきれないほど大きくなってしまいます。

ある姉妹が、「夫がとても憎いのです」と打ち明けてくれました。夫が隣にいるだけでも嫌になるほどでした。理由を尋ねると、夫は自分のことしか考えず、妻の話を聞こうとせず、気に入らないことがあるとすぐ怒り出すというのです。家事も全く手伝わず、自分をまるで召使いのように扱うので、耐えられなくなったとのことでした。夫婦げんかは次第に増え、今では同じ空間にいることさえ苦痛になってしまったと言います。

そこで、「ご主人はいつからそうだったのですか」と尋ねると、「結婚する前からです」と答えました。それならなぜ結婚したのかと聞くと、「その頃はそれほど大きな問題だとは思わなかった」と言うのです。

なぜ結婚前には大きな問題に思えなかったのでしょうか。それは、その欠点が嫌ではあったものの、愛があった時には「笑って受け流せる程度の嫌な気持ち」だったからです。しかし、その小さな嫌悪感が少しずつ大きくなり、ついには耐え難い憎しみへと変わってしまったのです。

これは家庭だけの話ではありません。職場でも、教会共同体でも、隣人との関係でも同じことが起こります。小さな不満や嫌悪感が積み重なり、やがて自分自身を苦しめるほど大きくなってしまうのです。

憎しみは、相手が変わることで消えるのではありません。まず自分自身が変わらなければなりません。否定的な考えよりも肯定的な考えを持ち、相手の長所に目を向け、感謝や励ましの言葉を惜しまないことが大切です。ところが私たちは、自分の姿を見つめず、相手にだけ問題があると思い込むため、憎しみから抜け出せなくなるのです。

今日は聖母マリアの汚れない御心の記念日です。すべての出来事を心に大切に納められた聖母の御心を記念する日です。

考えてみれば、両親に何も告げず神殿に残っていた十二歳のイエス様に対して、聖母マリアも不安や戸惑い、あるいは人間的な怒りを感じられたかもしれません。三日間も捜し続けた末に見つけたイエス様から、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか」と言われた時、そのお気持ちはどれほど複雑だったことでしょう。

しかし福音はこう伝えています。

「母はこれらのことをすべて心に納めていた。」(ルカ2・51)

聖母マリアは、理解できない出来事や否定的な感情に出会った時、すぐに判断したり感情に流されたりするのではなく、まず心に納められました。その結果、神様のみ旨を見いだし、そのみ旨に従って歩むことができたのです。

私たちも、憎しみや怒り、不満などの否定的な感情が湧き上がる時こそ、聖母マリアの姿を思い起こしたいものです。主の前で静かに祈り、その思いを心に納めながら、聖なる心を育てていきましょう。そうする時、私たちもまた、自分の思いではなく、神様のみ旨に従って生きることができるでしょう。

今日の福音を読み、聖母マリアのように人生の出来事を心に納めながら、神様のみ旨を静かに求め続けることができますように。聖母の汚れない御心が、いつも私たちをイエス様へ導いてくださいますように。聖霊、来てください。

 

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