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선교방

2026-06-20연중 제11주간 토요일<내일을 걱정하지 마라.>

작성자박현주agnes|작성시간26.06.20|조회수43 목록 댓글 0

<내일을 걱정하지 마라.>
✠ 하느님의 어린양 주 예수 그리스도 우리의 구원의 하느님

그때에 예수님께서 제자들에게 말씀하셨다.
24 “아무도 두 주인을 섬길 수 없다.
한쪽은 미워하고 다른 쪽은 사랑하며,
한쪽은 떠받들고 다른 쪽은 업신여기게 된다.
너희는 하느님과 재물을 함께 섬길 수 없다.
25 그러므로 내가 너희에게 말한다.
목숨을 부지하려고 무엇을 먹을까, 무엇을 마실까,
또 몸을 보호하려고 무엇을 입을까 걱정하지 마라.
목숨이 음식보다 소중하고 몸이 옷보다 소중하지 않으냐?
26 하늘의 새들을 눈여겨보아라.
그것들은 씨를 뿌리지도 않고 거두지도 않을 뿐만 아니라
곳간에 모아들이지도 않는다.
그러나 하늘의 너희 아버지께서는 그것들을 먹여 주신다.
너희는 그것들보다 더 귀하지 않으냐?
27 너희 가운데 누가 걱정한다고 해서
자기 수명을 조금이라도 늘릴 수 있느냐?
28 그리고 너희는 왜 옷 걱정을 하느냐?
들에 핀 나리꽃들이 어떻게 자라는지 지켜보아라.
그것들은 애쓰지도 않고 길쌈도 하지 않는다.
29 그러나 내가 너희에게 말한다.
솔로몬도 그 온갖 영화 속에서 이 꽃 하나만큼 차려입지 못하였다.
30 오늘 서 있다가도 내일이면 아궁이에 던져질 들풀까지
하느님께서 이처럼 입히시거든,
너희야 훨씬 더 잘 입히시지 않겠느냐?
이 믿음이 약한 자들아!
31 그러므로 너희는 ‘무엇을 먹을까?’, ‘무엇을 마실까?’,
‘무엇을 차려입을까?’ 하며 걱정하지 마라.
32 이런 것들은 모두 다른 민족들이 애써 찾는 것이다.
하늘의 너희 아버지께서는 이 모든 것이 너희에게 필요함을 아신다.
33 너희는 먼저 하느님의 나라와 그분의 의로움을 찾아라.
그러면 이 모든 것도 곁들여 받게 될 것이다.
34 그러므로 내일을 걱정하지 마라.
내일 걱정은 내일이 할 것이다.
그날 고생은 그날로 충분하다.”
마태오 6,24-34
연중 제11주간 토요일

‘걱정하지 마라.’ 모든 일이 잘 풀릴 테니까 괜찮다고 다독이거나 위로하려 하신 말씀이 아닙니다. 마땅히 제자로서 순종한다면 걱정이 끼어들 수 없다는 것이죠. 현실적으로 걱정 없는 사람은 없습니다. 우리 걱정의 대부분이 예수님 보시기에는 결국 생존의 문제라는 것이죠. 무엇을 먹고 마시고 입을지에 대한 걱정, 사는 문제에 대한 걱정입니다. 그런데도 걱정하지 말아야 할 이유는 쓸데없기 때문이라는 것이죠. 

생존의 문제에 대한 염려와 걱정은 우리 상황을 호전시킬 힘이 없습니다. 그렇게 쓸데없는 걱정이기에 ‘내일 걱정은 내일이 할 것’이라시며 걱정의 주체가 사람이 아니라 시간, 즉 내일이라는 시간이라고 하셨습니다. 하여 걱정하지 말라는 가르침에 순종하려면 믿음이 필요합니다. 우선 하느님께서 나를 귀하게 여기신다는 믿음입니다. 

하늘의 새들, 들의 나리꽃보다 더 귀하게 나를 여기신다는, 모든 것을 내어주신다는 믿음 말입니다. 나이기에 사랑하신다는 것이죠. 나를 굳이 증명하지 않아도 자녀이기에 책임지고 먹이고 살리신다는 믿음이 걱정을 묶습니다. 현실이 각박하고 잔인하더라도 그분을 바라보는 이들의 마음은 물러지지 않습니다. 그래서 정작 걱정하고 관심 가져야 할 것은 ‘하느님의 나라와 그분의 의로우심’이라고 하신 것입니다. 진짜 걱정해야 할 것은 그것뿐입니다. 

주님께서 나보다 더 나를 알고 계신다는 사실 앞에 무릎 꿇는 이에게는 걱정이 자리할 수 없습니다.
(남상근신부님 「걱정은 일종의 불신앙입니다」에서)
********
조명연신부님 글 드립니다~~~

「자신을 낮춘다는 것.」

작가에게 글은 자기 멋을 드러내는 자리가 아닙니다. 또한 자신이 얼마나 많은 것을 알고 있는 지를 자랑하는 장도 아닙니다. 독자와의 관계를 통해서만 작가의 글은 의미가 있게 됩니다. 마찬가지로 강론 역시 신자들과의 관계를 통해서만 의미가 있다고 생각합니다. 

그래서 신학교에서 설교학 강의를 하면서 학생들에게 강론은 쉽게 해야 한다는 말을 자주 합니다. 즉, 초등학생도 듣고 이해할 정도의 강론을 하라고 말하지요. 강론은 자신이 많은 것을 알고 있음을 알리는 자리가 아니지요. 또한 학술 발표 시간도 아닙니다. 주님의 말씀을 듣고 이해하고 그 안에서 희망을 발견할 수 있는 것이 바로 강론이 되어야 한다고 저는 생각합니다. 

예수님께서 왜 그토록 일상 삶 안에서 쉽게 접할 수 있는 일들을 통해서 하느님 나라의 신비를 전해주었는지를 이해해야 할 것입니다. 바로 인간과의 관계가 중요했기 때문에 쉽게 말씀하셨습니다. 

사람들과의 관계도 그렇지 않을까요? 쉽게 다가갈 수 있도록 내 자신을 낮춰야 하는 것입니다. 주님이 보여주신 겸손의 삶, 이것이 바로 사랑이었음을 기억하면서 우리 역시 사랑으로 자신을 낮출 수 있어야 합니다.

*******<실천은 생각에서 나오는 것이 아니라, 책임질 준비를 하는데서 나온다(리트리히 본 회퍼).>

연중 제11주간 토요일

너희는 먼저 하느님의 나라와 
하느님께서 의롭게 여기시는 것을 구하여라.
그러면 이 모든 것도 곁들여 받게 될 것이다.
(마태오 6,24-34) 

何よりもまず、
神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
(マタイ6・24-34)

Seek first the Kingdom of God and his righteousness,
and all these things will be given you besides.
(Matthew 6:24-34)


年間第11土曜日 

너희는 먼저 하느님의 나라와 
ノヒヌン モンジョ ハヌニメ ナラワ
하느님께서 의롭게 여기시는 것을 구하여라.
ハヌニムケソ ウィロッケ ヨギシヌン コスル クハヨラ。
그러면 이 모든 것도 곁들여 받게 될 것이다.
クロミョン イ モドン コット キョッドリョ バッケ デル コシダ。
(마태오 6,24-34) 

何よりもまず、
나니요리모 마즈
神の国と神の義を求めなさい。
카미노 쿠니토 카미노 기오 모토메나사이
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
소오스레바 코레라노 모노와 미나 쿠와에테 아타에라레루
(マタイ6・24-34)

Seek first the Kingdom of God and his righteousness,
and all these things will be given you besides.
(Matthew 6:24-34)



Saturday of the Eleventh Week in Ordinary Time
Matthew 6:24-34
Jesus said to his disciples:
"No one can serve two masters.
He will either hate one and love the other,
or be devoted to one and despise the other.
You cannot serve God and mammon.
"Therefore I tell you, do not worry about your life,
what you will eat or drink,
or about your body, what you will wear.
Is not life more than food and the body more than clothing?
Look at the birds in the sky;
they do not sow or reap, they gather nothing into barns,
yet your heavenly Father feeds them.
Are not you more important than they?
Can any of you by worrying add a single moment to your life-span?
Why are you anxious about clothes?
Learn from the way the wild flowers grow.
They do not work or spin.
But I tell you that not even Solomon in all his splendor
was clothed like one of them.
If God so clothes the grass of the field,
which grows today and is thrown into the oven tomorrow,
will he not much more provide for you, O you of little faith?
So do not worry and say, 'What are we to eat?'
or 'What are we to drink?' or 'What are we to wear?'
All these things the pagans seek.
Your heavenly Father knows that you need them all.
But seek first the Kingdom of God and his righteousness,
and all these things will be given you besides.
Do not worry about tomorrow; tomorrow will take care of itself.
Sufficient for a day is its own evil."



2026-06-20「明日のことまで思い悩むな。」

+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第11土曜日です。
御心の主・イエス・キリストと御心の聖母マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
*********
マタイによる福音
<明日のことまで思い悩むな。>
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。6・24「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

25「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。26空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。27あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。28なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。29しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。30今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。31だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。32それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。33何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。34だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6・24-34)
*********
ナム・サングン神父様の「心配は一種の不信仰です」です。

「思い悩むな。」というイエス様のお言葉は、すべてがうまくいくから大丈夫だと慰めたり励ましたりするための言葉ではありません。むしろ、弟子として当然のように従うならば、思い悩みが入り込む余地はない、ということです。

現実には、まったく心配のない人はいません。しかし、私たちの心配の大部分は、イエス様から見れば結局のところ生きるための問題です。何を食べ、何を飲み、何を着るかという心配、すなわち生活に関する心配です。それでも思い悩んではならない理由は、それが何の役にも立たないからです。

生きることに関する不安や心配には、私たちの状況を良くする力はありません。そのような無益な心配だからこそ、イエス様は「明日のことまで思い悩むな」と言われました。つまり、心配の主体は人間ではなく、「明日」という時間そのものであると教えられたのです。

ですから、「思い悩むな」という教えに従うためには信仰が必要です。まず、神様が私を尊い存在として見ていてくださるという信仰です。

空の鳥や野の花よりも、はるかに尊いものとして私を見てくださり、必要なものをすべて与えてくださるという信仰です。神様は、私だからこそ愛してくださるのです。自分の価値を証明しなくても、神の子として受け入れられ、養われ、生かされているという信仰が、私たちの心配を縛ります。

たとえ現実が厳しく残酷であったとしても、神様を見つめる人の心はくじけません。だからこそイエス様は、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と言われたのです。私たちが本当に心を向けるべきことは、それだけなのです。

主が私自身よりも、私のことをよく知っておられるという事実の前にひざまずく人の心には、もはや思い悩みの居場所はありません。
*********
今日の福音を読み、まず神の国と神の義を求め、明日の思い悩みを神様にゆだねることができますように。
聖霊、来てください。

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