6月6日は韓国の「顕忠日(ヒョンチュンイル)」という祝日です。
国を守るために命を捧げた将兵や戦没者の方々の霊を慰め、
追悼する日です。
私は56年前に兵役義務で陸軍砲兵将校として勤務していた部隊で、
朝鮮戦争(以下、6.25戦争)に参戦した年配の下士官たちから聞いた
「歩兵第2連隊」の歴史、
特に勤務地「龍門山戦闘」で奇跡的な戦功を挙げた
国軍第6師団第2連隊の活躍に感動し、
ちょうど私が住んでいる大田がその部隊の創設地で、
追悼碑があることを知り 6月7日、 訪れたのです
朝鮮戦争により南北合わせて兵士は約80万人前後
、民間人は約150万人前後が命を失いました。
負傷者や行方不明者、戦争孤児や離散家族まで含めると、
朝鮮半島全体が癒しがたい巨大な傷跡を
負った激動の歴史でした。
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'南朝鮮国防警備隊 ' 大韓民国陸軍第2歩兵連隊(鷲部隊)'
大韓民国陸軍の歴史の中で最も古い連隊の一つであり、
6・25戦争の勃発初期から数多くの激戦を繰り広げた
象徴的な部隊である第2歩兵連隊
現第2歩兵旅団、部隊名:鷲部隊に関する重要な記録。
1. 部隊の創設と初期の歴史
設立日:1946年2月28日
創設地:忠清南道大田市
(当時、南朝鮮国防警備隊第2連隊として創設)
大韓民国の国軍が正式に発足する前に、
母体となった防衛警備隊時代に大田地域を
拠点として創設された、
歴史の深い部隊である
2. 6・25戦争当時の主要な活躍
第2連隊は6·25戦争の初期から終戦まで、
朝鮮半島全域を駆け巡り、
国軍の中核戦力として活躍した。
特に第6師団の防衛・進撃作戦において、
中心的な役割を担っていた。
1.春川-洪川の戦闘(1950年6月): 戦争勃発直後、北朝鮮軍第2軍団の
南下を3日以上遅延させながら、
国軍が漢江防衛線を構築し再編成できる
決定的な時間を確保した。
6·25初期の国軍にとって最も成功した防衛戦と評価されている。
2. 華嶺場の戦闘(1950年7月):慶北の上州華嶺場地域で
北朝鮮軍15師団を奇襲し、壊滅的な打撃を与えた戦闘。
この功績により、連隊の全兵士が1階級特進する栄誉を得た。
3. 北進作戦と鴨緑江進撃 (1950年10月): 国軍の北進過程で第6師団の
下部部隊と共に最初に鴨緑江沿い(平安北道初山)に到達し、
鴨緑江の水を水筒に詰めた第7連隊第1大隊第2中隊のイ・デウ軍曹
(第2連隊の支援を受けて共に初山に先鋒進撃)
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3. 龍門山の戦闘 (1951年5月): 京畿道の楊平、龍門山周辺で
中国軍3個師団の強力な攻勢をわずか1個連隊の兵力で耐え、
その後、反撃で敵を殲滅した戦史に残る大勝利だった。
(私が龍門山の麓、'大神で'砲兵FDOの射撃指揮官として勤務していた時、
この戦闘の話を聞いて感銘を受けたことがあり、
大田の葛麻公園に建てられた歩兵第2大隊の追悼碑を
顕忠日の翌日に訪れました。)
上記の国家保健福祉部指定の慰霊施設案内板は
私に疑問を抱かせた。
案内板の公式管理者の席に
'肉弾勇士護国精神宣揚会'が?
一体第2連隊と何の関係があるのか?
調べてみたら
「肉弾勇士護国精神宣揚会」が
スプーンを乗せて、主人の役割を果たしていた。
その実態を掘り下げると、軍の予備役官僚たちが席を占め、
国家補助金を受け取る典型的な官僚の権力団体の居座りである。
1993年に本物の第2連隊出身の仲間たちが
涙を流して建てた創設記念碑の隣に、
2009年6月4日、これらの巨大団体が区役所の権力を
背にして入り込み、公的碑を別に建てて管理者権力を握った。
ほろ苦い。
壮絶に戦死!
「国と民族のために
この一つの命を捧げる 」
どの国でも変わらず一貫した軍歌の
幻覚(ヘルシネーション)
追悼碑や慰霊碑を建てても意味がない!
死んだ者だけが哀れなだけだ
地球上のどこにも正義の戦争は存在しない!
重い心を抱えて、電車の「炭房」駅へ向かう、、、、
< ご覧いただきありがとうございます。>