韓国における内観の現状と課題
第17回 日本内観医学会奈良大会
韓国内観協会長 李大云(相談心理学博士)
2014年10月18日(土)
Ⅰ. 韓国内観の認知度
韓国内観学会は学問的·臨床的研究および普及を目的に、2002年6月1日に発足した。発
足にさいして中心的な役割を果たしたのは、朴蓮浩(前カトリック大学副総長)をはじめ、洪祐石教授(前テジン大学校碩座教授)、カトリックアールコール司牧センター長許根神父、現韓国内観協会長李大云博士、また少数の心理学者たちであった。
2003年5月23日、ソウルプレジデントホテルで行われた第1回シンポジウムでは‘組織内の人間の内面的葛藤と心理療法としての内観’というテーマで行われ、心理学者や精神医学者、相談専門家が参加した。第2回は、2006年10月20日‘心理治療法としての内観’をテーマで行われた。この時はソウルカトリック出版社が主催した。そして、第3回シンポジウムは、‘内観を通じた自殺予防と憂うつ病治療’をテーマにカトリック大学で行われた。
韓国はOECD諸国の中で自殺率1位という、情緒的∙精神的な危機的状況のなかで、内観の紹介は主催者である我々にとって励みになるような有意義なものであった。これまでシンポジウムには日本と中国から多くの心理学者や精神医学者が参加し、韓国での内観の発展のために多大なご協力・ご支援を頂いたことに感謝している。
韓国の内観は、12年間さまざまな努力をしてきたにもかかわらずまだ初歩的段階にとどまっていると言わざるを得ない。今まで実施した内観研修(5泊6日)は、16回で、内観者の人数は70人ほどである。また、内観治癒究所(研究所長:李大云)の‘情緒回復と家族治癒プログラム’のなかで短い時間ではあるが、内観を経験した会員数は、500人余りである。
最近はある団体が実施している、事業に失敗して自殺危機に陥った中小企業者のための立ち直るプログラム(合宿訓練、30日間)で彼らを対象に内観を行っている。このプログラムでの内観者は、3年間で300人余りである。
現在、韓国での内観普及のため内観講座の全国ツアーを計画している。また、内観専門家の養成に力を入れようと考えている。 内観専門家の養成こそ韓国内観を普及、拡大させることにつながると考えるからである。
Ⅱ.韓日両国間の政治的な問題が内観普及に与える影響
現在、韓日両国を緊張させている独島や歴史問題などは単なる政治的な問題に過ぎず、内観教育及び普及に大きな影響を与えるとは思わない。ただし、内観の発祥地が日本であることに、表面的に拒否感を表してはいものの、内心いくらか抵抗があるように感じる。
内観は東洋的要素を含んでおり、その‘東洋的である’ということが多くの心理学者や精神医学者、相談専門家たちに否定的に認識される可能性が高い。彼らのほとんどはいわゆる先進国であるアメリカやヨーロッパで開発、検証されている心理学理論と心理治療法を学んで慣れているので、東洋思想に基づく心理療法は劣っているという意識があるように思われる。韓国に紹介されている心理療法は約400種類と推定されているが、ほとんどのものが先進国から導入された合理主義と理性主義に基づく治療法である。
内観は 日本で始まった心理治療法として東洋思想に基づいた東洋最初の療法である。心理学者や精神医学者、相談専門家たちの‘東洋的なものは何かが欠けている’という先入観を払拭させ、内観に対する理解を求めるためには内観の治療効果を科学的に分析した臨床的検証と理論の体系化が必要となる。内観の明確な臨床的検証と理論的·学問的な体系化が韓国内観における課題となっている。
Ⅲ.内観の事例
韓国で内観が効果的であったことの事例は多くある。その実証を踏まえた臨床的分析や科学的測定はできなかったが、内観者が情緒的·精神的な回復による日常生活への復帰や、家族関係が改善された事例などは内観が十分効果があったといえる。
事例1:38歳、主婦、息子1名
妄想虚言症が原因で身近な人々からお金を1億ウオンほど(約1000万円)借金をした事例である。
彼女は事実ではない作り話を創り、その作り話を事実のように見せかけることを繰り返す。5泊6日間の内観を通じて本人の話が事実ではなくすべて作り話であり、自分がからくり人形だったことに気づく。
彼女が抱えていた問題は、無意識の中で自分は両親から愛されていなかった、周りの人からも自分に対する関心や配慮がまったくなかったと思い込んでいた。いつも一人で寂しさと悲しさを堪えていた。そのうちに重いうつ病になった。内観を通じて両親やご主人、子ども、また同僚や友たち、隣人の人々から愛されており、多くの関心や配慮を受けていることに気づきそれまでの心の悩みから免れることができた。
事例2:50歳 主婦、結婚20年、子ども2名、オーストラリアに移駐
ご主人とは20年間結婚生活をしているが、これ以上結婚生活を続けられないと思い、離婚を決心して一時帰国した。 友たちの勧めによって内観をすることになった。ご主人とは結婚当初から性格や考え方などが合わず、20年間の結婚生活がまるで地獄のようであったという。
内観は最初にご主人に対する内観を勧めたが、そえに対する抵抗感が強く、ご主人の顔すら思い出したくないと言う。ご主人に対する怒りで息が詰まりそうだというので、実家の両親や親しい友達から内観するように勧めた。内観が終わる頃、ようやくご主人に対する内観を始めた。すると、今まで感じていなかったご主人へのありがたさ、感謝の気持ちが湧いてきた。彼女はご主人からもらった優しさや関心と配慮に気づき泣き始めた。自分はご主人の愛情に気づかなかった、受け入れようとしなかった、自分自ら心を閉じていたことに気づいた。
結婚する前に付き合っていた男性との恋が結ばれず、それが原因でご主人との結婚生活が上手く行かなかったことに気付いた。叶わなかった恋を心に秘め続けていたため、その人への恋しい気持ちと裏きられた気持ちがご主人に対する恨みや怒りの気持ちへと変わっていった。そのことに気付いた彼女は自分の過ちとご主人に対するすまない気持ちで一杯だった。深く懺悔し、ご主人に許しを請うようになった。自分を許してくれたご主人と仲直りして幸せな気持ちでオーストラリアに戻った。それから2年経つが、幸せな家庭を作っているらしい。
事例3:事業に失敗して自殺に追い込まれている企業家たち
ある企業家(会長:田圓太)は朝鮮半島の南端ジュクド(竹島)に「立ち直る研修院」を作った。ジュクドはその企業家が事業に何度も失敗し、そのたびに自殺しようと訪ねた島である。これまで5回も自殺を考えた。失敗を乗り越えた彼は、その島で事業に失敗して挫折している人たちのための「立ち直るプログラム」を30日間実施する。参加費は無料ですべての経費は田会長の私費で賄っている。その仕事を手伝う人たちは、「才能寄付者」(個人や企業、団体が自分たちの持っている技術や才能を無給で提供し社会に貢献するというもの)や ボランティアである。
私も「才能寄付者」として、プログラムを進行する講師役を行っている。3年前から始まったそのプログラムの修了者は、250人余りである。その中で、150人は事業の再開や再就職に成功している。事業に失敗するとまず自分の周りの人々が離れていく。そして借金で家が競売になり家庭が崩壊する。離婚されたり、子どもたちは離れ離れになったり放置される。
そのプログラムのなかで私が担当したのは初期段階の2泊3日間である。失敗からもたらした傷は心の底に深い傷となっているため、それを(トラウマ)表に出させて心が軽くなるようにしなければならない。そのため、短時間ではあるが、内観を実施する。もっぱら事業の成功のために走り続けてきた社長さんたちである。お金を稼げば人生がうまくいくと信じて強く生きてきた。しかし、今やっと人生においてお金は一部分に当たることに気付いた。失敗の原因はどこにあるか、その原因を探って誰のせいでもなく問題のすべてが自分にあることに気づく。一緒に働いた人々を恨み、裏切られた気持ちが許す気持ちと感謝の気持ちへと変わっていく。奥さんと家族に対するありがたさと愛情の気持ちが改めて心の底から出てきて、自信と勇気、希望を持つようになる。
私はこのプログラムを担当してからさらに忙しくなったが、その理由は彼らが家庭に戻ってからそれまで気付かなかった家族の心の傷が見えるようになり、家族を連れて私の相談室を訪れてくるからである。その人たちのために「才能寄付」をしている。
Ⅳ.韓国内観の魅力
韓国では欧米の心理療法が中心になっているが、内観にはそのような治療法と異なる要素がある。それは内観が東洋的で東洋人の情緒にふさわしい心理療法であるからだと思われる。内観は理論的で論理的に展開されるものでもない。理性的な判断によって治療が行われるものでもない。内観は実際的で実践的かつ自主的に行われるものである。自ら自分の内面を探っていくなかで、自分の過ちに気づき、すまない気持ち、許す気持ち、そして感謝の気持ちに変わっていく。その結果、自分変革が起き自らを律することができる。欧米の理性的なものより、心の底から起こる情緒的な感動が自分の考えや態度、習慣などを変えていく。そのプロセスが自然に行われる。
その原動力は感謝の気持ちから始まる。感謝の気持ちは自分の悪い感情を溶かして許す気持ちに変えてくれる。ここに治療のカギが秘められている。許す気持ちは人間の持つ能力以上のものである。許す気持ちは必ず心の底から出てくる感謝の心から生じてくるものである。
内観の3つの項目は、自分が相手にしてあげたものより相手からしてもらったものが圧倒的に多く、相手を悲しませて心を痛ませたものが多いことに気付く。そして自分がどれほど他人に助けてもらって生きてきたかを知りそれを受け止める。ありがたさと感謝の気持ちが自分を感動させて、雪が溶けるように心に刻まれている恨みと敵愾心も溶ける。それが内観治療の過程である。 欧米の認知療法より情緒の動きを大事にする東洋的療法が東洋人にとってもっとよい効果が期待できると思われる。
しかし、はじめて内観に出会う人のなかに、自分に対して、あるいは相手に対して傷や怒り、恨み、を持っているなかで内観をするのが難しいと訴える人がいる。それで前に述べた‘立ち直るプログラム’では、まず‘心の恨み’を表に出す(吐き出す)作業を内観に入る前に行う。それは次のように行われる。
①内観者に何枚かの紙を渡す。②30分から1時間ほど十分に時間を与える。③白紙に話したいことをすべて書かせる(時には悪口や毒口、呪いの言葉などもある)。④ 外で海に向かって(研修院の場所が島なので可能)紙に書いたものを見ながら大声で言う。 声がかれるほど心の中の怒りを吐き出させる。⑤その間にあらかじめ焚き火を用意しておく。恨みなどが書いてある紙を焚き火に投げ出してその紙がすべて燃え終わるのをみながら、その紙が燃え消えるのと同じように心の中にある恨みや怒りなどすべてが消して行き心の中が空っぽにする。⑥すべての内観者が輪を作って座りそれぞれの気持ちを分かち合う。⑦ 許す気持ちになったことを互いに励む意味で抱き合う。
このように怒りを表に出してから内観を実施すると、内観に対する集中力が高まるのでより効果的であった。
Ⅴ.韓国での内観の課題
韓国での内観には課題は2つがある。ひとつは、内観に関する学問の体系化である。すなわち、心理学的
及び精神医学的観点からの内観療法に関するメカニズムと臨床的事例を中心にした理論的な体系化が求められる。そのためには内観の発祥地である日本内観の理論的基礎と事例を研究する必要がある。それに基づいて韓国人のあめの内観モデルを開発するべきである。
その第一歩として真栄城輝明先生の‘心理療法としての内観’を韓国語訳して内観学習者に参考書として使う予定である。その他、学術図書としての内観の本を翻訳出版したいと思っている。それが内観の普及と拡大の土台になることを期待している。
何よりも大事なのは韓国人の内観に関する臨床的データから内観の効果を検証できる材料が多く集まることを期待している
2つ目は、内観専門家(例えば、内観心理士)の養成である。内観の学問的研究も重要であるが、内観者の同行者として心の痛みを抱えている人々に対する奉仕と献身的な精神の持ち主が求められる。そのためには情緒的·人格的に修養されている人がふさわしいと思われる。
最後に韓国で内観の普及のために注意すべきことについてである。
今後韓国での内観の普及が一貫したものとしてではなく、内観指導者となる人が各自営業目的で行われることを警戒したい。それによって心理相談業界に与えるダメージは大きい。
日本で1、2回の内観を受けただけで、韓国で内観研修所を開き、倫理的な不祥事が生じた場合、内観全体に大きな悪影響を及ぼすことになる。これは前に述べた内観専門家の姿勢につながるものであり、それは内観指導者養成において重要な事柄である。
韓国で内観研修所の運営に関心のある方は、必ず韓国内観協会に問い合わせしてほしい。韓国内観協会:02-784-0193 協会長 李大云(010-5381-0093)