本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」と仰せられた
イエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
マタ24章7-14節の預言を見たところ、「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです(韓聖:災難の始まりです。)。そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」と言われた。
この預言も、啓示録(黙示録、以下啓示録と表記)の預言も信じるか?啓22章18-19節には、啓示録を加減すれば天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われた。この御言葉を覚えているか?また、啓21章には、天国と神様が、新しい天、新しい地に来られると言われた。またイエス様も来られると言われた。迎える準備はできたのか?
啓示録を見ると、以前の天、以前の地がなくなり、新しい天、新しい地があるようになり、収穫して、印を押し、12枝派144,000が創設されると言われた。そして、この144,000が、ここ新しい天、新しい地(新天地)、すなわち、シオン山で新しい歌を歌うと言われた。また、ここには神様の御座があると言われた。ここがわかるのか?わかるなら、なぜ信じないのか?
新約の約束の牧者がわかるのか?わかるなら、なぜ信じないのか?そして、自分自身は新約の啓示録の設計通り創造されたのか?新約の啓示録が言う自分自身は誰なのか?啓示録の成就の時にも、背教者、滅亡者、救い主がいると言った。自分自身は、背教者、滅亡者、救い主のうち、どれに属するのか?これを、何によって証明するのか?マタ24章と啓示録全章の事件の実体をすべて見たのか?マタ24章と啓示録に精通しているのか?加減しなかったのか?偽りの信仰、偽りの言葉、迫害はやめて、御言葉の中に入ってみなさい。
新天地は新約の啓示録通り創設された。この時、御国の子ら(伝統教会)は救われず、東西から収穫されて来た者たち(新天地の聖徒たち)は、天国の食卓に着くと言われた(マタ8:11-12)。新天地は新約の啓示録に精通している。確認してみなさい。
神様が記録した本、啓示録は、いつすべて成し遂げられるのか?啓17章までは、すべて成し遂げられ、今、残ったのは、啓18章の審判と、この後にあるようになる啓19章の霊肉の婚姻の宴と啓20章の第一の復活である。啓18章でバビロンに捕虜となった選民を、ロトの時のように脱出させた後、神様がバビロンを審判される。もう、ほとんど出て来たので、もうすぐ審判が始まるだろう。
啓18章のバビロンを審判されて、竜を捕らえることで、神様の統治と神様の所属の霊肉の結婚があるようになり、第一の復活があるようになり、神様と霊界の天国が、新しい天、新しい地、新天地に臨んで来られることで、死と苦しみがなくなり、永遠のいのちがあるようになる。これが、約束した啓示録が成し遂げられることで、悪魔と戦い勝利された神様の新しい国、新しい民族、新天地12枝派の新しい時代があるようになるのである。