本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」と仰せられた
イエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
世の終わり、終末と信仰
本文:マタ13:36-43(マタ13:24-30、ルカ8:11)
神様の御名と光として来られたイエス様は、約束された天国の秘密、すなわち、神様の種(ルカ8:11)を畑(教会)に蒔かれた。この畑に悪魔が来て、毒麦の種をさらに蒔いて、二種類の種が一つの畑で収穫の時まで育った(マタ13:24-30)。
収穫の時、良い種でできた神様の子どもは、収穫されて天国に行き、毒麦の種で生まれた悪魔の子どもは、収穫されず、畑に残って火で焼き尽くされる。だからこそ、この時(収穫の時)を世の終わり、終末と言う(マタ13:36-43)。終末には、この時(収穫の時)の、この約束を信じる事が、まことの信仰である。この時、収穫された者と収穫されなかった者がいる。すなわち、この御言葉が応じた実体たちである。マタイの福音書13章39節と啓示録14章14-16節で見たように、収穫の刈り手は、御使いたちであり、御使いたちの手に持ったかまは、御言葉を信じる聖徒である。
約2600年前、神様が旧約のエレミヤを通して二種類の種を蒔く事を約束され(エレ31:27)、約2000年前にイエス様を遣わして、約束した種を蒔かれ、収穫しに再び来られる事を約束されて行かれた。約2000年が過ぎた今日、約束通り(啓14:14-20)、イエス様が霊で御使いたちと共に来られて収穫され、新しい国、新しい民族を、約束通り創造されている。
私は、私が見て聞いた事と、私がした事を万民に知らせた。すなわち、収穫と平和と新しい国、新しい民族の創造に関する事である。
神様は、平和の働きを預言されて(イザ52:7)、イエス様は、約束された平和の働きをされて(ルカ19:38-42)、「わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。」と言われた(ヨハ14:12)。だからこそ、私も平和の働きをしたのである。マタイの福音書7章21節に、「主よ、主よという者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」と言われた。だからこそ、私は神様とイエス様の御心通りしたのである。
天国に同じ望みを置いた信仰人たちよ!終末に神様の約束の御言葉を信じるのか、そうでなければ、牧師の言葉を信じるのか?記録されたように、終末には不品行のぶどう酒によって万国がみんな倒れた状態なので(啓18章)、新約の約束の牧者に行ってこそ、生きる道がある。御言葉の中に入って、約束の牧者に出会ってこそ、希望に至ることができる。聖書の約束は、成し遂げられる時、見て信じなさいと言われた(ヨハ14:29)。
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