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想定外の協定破棄、深刻化する日韓対立
韓国による日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA(ジーソミア))の破棄決定は、日韓それぞれが結ぶ米国との同盟関係にも影響を及ぼすおそれがある。核やミサイルの開発を続ける北朝鮮への抑止力の低下にもつながり、その「副作用」は日韓関係ばかりでなく、東アジア全体に及びそうだ。リスクの大きな判断に、韓国はなぜ踏み切ったのか。
韓国が日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA(ジーソミア))の破棄を発表したことで、元徴用工判決や輸出規制の応酬で泥沼化していた日韓関係は決定的な対立状態に陥った。日本政府は、北朝鮮問題などを抱えるなか、安全保障分野の協力関係の象徴ともいえる協定は維持されるとみていただけに、想定外の事態に衝撃が広がっている。
安倍晋三首相は、韓国の破棄発表直後の22日夕、受け止めを問う記者団の質問には答えず、首相官邸を後にした。
政府・与党内には怒りの声が広がる。石原伸晃前経済再生相は自身のツイッターで「目を疑わざるをえない。この判断は東アジアの平和に必ず禍根を残す」と投稿。佐藤正久外務副大臣は22日夜のBSフジの番組で「一言で言うと愚かだ。北朝鮮を含めた安全保障環境を見誤っている。(破棄は)あり得ない選択」と話した。
「やれるものならやってみろ」のはずが
日本政府は一連の関係悪化の原因は韓国側にあるとの立場だ。昨年10月の韓国大法院(最高裁)による元徴用工判決が端緒。韓国艦艇による海自機へのレーダー照射問題などが相次ぎ、「責任は100%韓国側にある」(外務省幹部)と譲らない姿勢を示してきた。
韓国国内でGSOMIAの破棄を求める声が高まっても、米国が協定維持を求めていたこともあり、「米国を敵に回してまでやれるものならやってみろ」(日本政府関係者)などと取り合う様子もなかった。15日の文在寅(ムンジェイン)大統領の演説で対日批判が抑制的だったことなどもあり、「GSOMIAが延長されれば、関係改善に向かうのではないか」(日本政府関係者)との見方さえあった。
21日には河野太郎外相が北京で韓国の康京和(カンギョンファ)外相と会談。河野氏は「GSOMIAの問題も(破棄を)止めよう。うまくやっていこう」と語りかけた。康氏も「帰国後は大統領にそう伝える」と前向きだった。外務省幹部は「康氏と韓国外交部はなんとかしようと思っている」と、協定延長に期待をにじませていた。
日本政府内の空気が変わったのは22日昼ごろからだ。河野氏に同行していた外務省幹部は、破棄の連絡の有無を問う記者に「仕方がないことだ」と漏らした。日韓関係筋も「日本政府に正式な連絡が入ったのは22日になってからではないか」との見方を示す。
同日夜、羽田空港に降り立った河野氏の携帯電話には「もう(破棄を)発表するそうだ」と、康氏から釈明のメッセージが届いていた。
根本的な対立の構図は変わっておらず、改善の機運は見いだせていない。政府高官の一人は、22日午前の段階でも延長されると思っていたといい、「残念だが仕方ない」と言葉少なだった。
韓国政府関係者は「双方に国内政治の事情、世論があって身動きがとれない状態だ。これ以上、状況を悪化させないよう、なんとか関係を『管理』していくしかないと思っていたが、協定終了は思ってもみなかった」と語った。
28日には、日本政府が輸出手続きを簡略化できる輸出優遇国(ホワイト国)から韓国を正式に除外する。規制強化の「第3弾」も取りざたされており、韓国側がさらに強く反発することが予想される。
一方で文政権は、協定終了を発表する前までは、10月に東京で開かれる天皇即位の祝賀行事に、李洛淵(イナギョン)首相を送ることを検討していた。「知日派」で知られる李氏の派遣で関係改善の糸口を探りたい考えだったが、不透明になってきた。(北京=鬼原民幸、ソウル=神谷毅)
「再び締結、難しい」
北朝鮮が核ミサイル能力を着々と向上させるなか、東アジアの安全保障体制を維持する上で、日米韓3カ国が軍事情報を緊密に共有する必要性は増している。GSOMIAはその象徴的な協定として、ミサイル発射を含む北朝鮮関連の機微な情報をやりとりすることで、相互の信頼関係醸成に寄与してきた側面もある。
菅義偉官房長官は、外交関係が厳しくても安全保障上の連携は維持すべきだと会見で繰り返し、韓国側にメッセージを送ってきた。岩屋毅防衛相は22日午前の会見でも「地域の平和と安定に貢献するもので、延長を期待している」と述べていた。防衛省関係者の間にも現状維持への期待感は根強かった。
それだけに中谷元・元防衛相は22日の決定を受け、朝日新聞の取材に「手をたたいて喜んでいるのは北朝鮮。韓国は国民の世論や国内のマスコミを気にして、安全保障の本質を見誤った」と指摘した。
米外交問題評議会のシーラ・スミス上級研究員は、「弾道ミサイル防衛にとって危険なことで、日韓双方に悪影響があるだろう」と懸念を示す。「GSOMIAが破棄されれば、日韓はもう一度最初から締結のプロセスをやり直さないといけないが、日韓は政治的な理由で再び締結することを望まないだろう」と、日韓の安全保障協力が破棄前に戻ることは難しいとみる。日本政府関係者も「言えなくなる情報もある。いったん破棄されたら、再び締結することは難しい」と語る。
日米韓の連携が崩れれば、北朝鮮だけでなく、ロシア、中国などに誤ったメッセージを与えかねない。7月23日には、ロシア軍機と、中国軍機が長崎県沖の対馬海峡上空で日本の防空識別圏に侵入。ロシア国防省は同日、中ロで東シナ海と日本海の上空で初めての共同警戒監視活動を行ったと明らかにした。同じ日にはロシア軍機が島根県の竹島周辺の領空を2回侵犯。防衛省によるとロシア軍機による竹島付近での過去の領空侵犯は「調べた限りではない」という。GSOMIA破棄によってこうした地域の緊張が高まりかねない。
韓国の民間シンクタンク峨山政策研究院の申範澈・安保統一センター長は、北朝鮮の核問題や中国の台頭など、東アジア情勢が緊張するなかでの協定破棄は「深刻な安保の懸念と外交的な孤立を招くおそれもある」と指摘する。(山下龍一、ワシントン=園田耕司)
「日本側に実質的影響ない」との見方も
「核、ミサイル開発を進める北朝鮮の脅威を考えれば、GSOMIAを更新するのが妥当だ」。今春まで自衛官トップの統合幕僚長を務めていた河野克俊氏はこう話す。
2016年11月に発効した日韓のGSOMIAは、日韓双方に、相手国から提供を受けた軍事に関する機密情報を第三国に漏らさないよう保全を義務づけた協定だ。それまで、北朝鮮の核やミサイルに関する情報について、日韓は米国を介して情報の交換、共有をしていたが、GSOMIAによって直接やりとりできるようになった。
協定の本質は相手国から提供された情報の保全だ。提供する情報の具体的な内容をあらかじめ定めたり、どんな情報を相手国に提供するかについて日韓それぞれに義務を課したりするものではない。
韓国国会に報告された資料などによると、GSOMIAで共有された情報は、16年1件、17年19件、18年2件、19年7件となっている。
日本政府関係者は「16~17年にかけて、北朝鮮が日本海に向けて弾道ミサイルの発射を繰り返していたころ、韓国軍が当初発表したミサイルの推定の飛距離を後から修正したことがあった。韓国軍の地上レーダーでは、日本海の日本の排他的経済水域に着水するようなミサイルの正確な飛距離はわからない。日本が提供した情報に差し替えたということ」と打ち明ける。
北朝鮮のミサイル発射の瞬間を最初にとらえるのは米国の早期警戒衛星だ。自衛隊の地上レーダーや洋上に展開するイージス艦のレーダーも、早期警戒衛星の情報をもとに方向や角度を絞って追尾を始める。韓国軍のレーダーは、ミサイルが発射された直後に上昇している段階の短時間の追尾にとどまるのが実情だ。
自衛隊幹部は「韓国からの情報は、飛行距離の算出や着弾、着水地点の割り出し、迎撃の必要性の判断には使えない。事後的な分析に参考にするイメージ」と説明。防衛省幹部は「本音を言えば、日本側に実質的な影響はない」と話す。
政府関係者によると、米国は今後、日本から提供された北朝鮮のミサイル情報などを韓国に伝える際、保全上の観点から情報の一部を加工したり、特に機密度の高い情報については韓国側に直接伝えるのを控えたりするケースが想定されるという。
金沢工業大学虎ノ門大学院教授で元防衛省情報本部情報官の伊藤俊幸氏(元海将)は「今回の破棄で一番困るのは韓国軍であり韓国だ。北朝鮮が発射を繰り返しているミサイルの飛翔(ひしょう)や着水の具体的な状況を把握できるのは日本だけ。こうした機密度の高い情報を日本が米国に渡しても、米国は保全義務が切れた韓国には渡さないだろう。韓国自身の安全保障に直結するという認識があるのだろうか」と指摘する。(編集委員・土居貴輝)