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'쇼와 100년' 타카이치 수상이 건드리지 않는 밑바닥

작성자청소부|작성시간26.06.06|조회수2 목록 댓글 0

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「昭和100年」高市首相が触れないどん底=栗原俊雄

栗原俊雄

毎日新聞2026/6/6 東京朝刊有料記事2076文字

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「昭和100年記念式典」で海上自衛隊東京音楽隊による演奏と歌唱を聞かれる天皇、皇后両陛下。右は高市早苗首相と木原稔官房長官=東京都千代田区の日本武道館で4月29日、後藤由耶撮影

 今年は1926年の昭和改元から100年。昭和天皇の誕生日だった4月29日、政府は東京の日本武道館で「昭和100年」の記念式典を開催した。

 「明治100年」だった68年にも同じ武道館で政府主催の式典が開かれた。しかし「天正〇〇年」や「元禄○×年」という式典は開かれない。戦後の保守政権にとって「昭和」は、「明治」と並んでとりわけ重要な時代なのだろう。

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 高市早苗首相は式辞で述べた。

 「昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有の変革を経験した時代でした。先の大戦の後、昭和天皇は、全国各地を巡幸され、戦没者・戦争犠牲者のご遺族をいたわり、戦後復興にいそしむ国民の皆様を励まされました。日本人は歯を食いしばって働きました。『もはや戦後ではない』、1956年。先人たちは、終戦から僅か10年で、日本経済を再び立ち上がらせました。その後、果敢な挑戦により、我が国の経済規模は世界2位にまで駆け上がっていきます」

 56年度経済白書に書かれた「もはや戦後ではない」は、経済史の通説では「戦後復興をバネにした経済成長はもはや期待できない。新たなけん引要素が必要だ」という危機感を表した言葉だった。復興・高度成長を礼賛する文脈で使うのはいささかズレている。

 

 

 

 高度成長に伴って顕在化したひずみ、例えば公害の問題に触れなかったことも気にかかるが、本稿ではそれらはおく。私が特に違和感を覚えたのは、戦争による悲惨な結果についての言及がほぼなかったことだ。

敗戦ゆえの成長

 明治政府は「富国強兵」をスローガンに近代化を進めた。日清・日露戦争、第一次世界大戦で戦勝国となり、「列強」の仲間入りをした。大日本帝国は戦争によって国際紛争を「解決」し、領土を広げ、国際社会での地位を高めたのだ。

 

 しかし、米英などと戦った第二次世界大戦では惨敗した。日本人だけで300万人以上が命を落とした。米軍の無差別爆撃で各地が焼け野原となり、都市部のインフラは壊滅状態となった。生き残ったものの体や心に傷を負った人、保護者を失って孤児になった人など、膨大な被害者が生まれた。さらには外国によって全国土が占領される屈辱を味わった。史上最悪、どん底に落ちた状態だった。

 先人たちはそこから立ち上がって国の再建を進め、「奇跡」とも言われる経済成長を遂げた。だが、高市首相が駆け上がったと表現するほどに成長ぶりが際立つのは、敗戦によって落ちた底が深かったからこそだ。

 

 であればこそ、「昭和100年」の節目に、その戦争被害に具体的に触れ、首相の言葉として歴史に記録すべきだったのではないか。限られた時間で詳しく話すことができなかったのかもしれない。とはいえ他の時間、例えば海上自衛隊東京音楽隊による昭和の流行歌6曲の演奏、歌唱(所管の内閣府に選曲理由を聞いたところ、「全ての世代の方が昭和に思いをはせられる曲」とのこと)に割く時間を、少しでも回すことはできなかったのか。

国策だった戦争

 高市首相はかつて、自らの戦争観を語っていた。2013年5月12日、NHKの「日曜討論 与野党に問う どうする外交・安全保障」に自民党政調会長として出た時のことだ。戦後50年の95年8月15日に村山富市首相が発表した「村山談話」が番組内で取り上げられた。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と振り返り、「痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします」などとしたものだ。

 高市氏は言った。「村山談話の中に『国策を誤り』とありますけれども、それでは当時、資源封鎖もされて、まったく抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのか。当時の国際状況の中で何が正しかったのかを、自信をもって主張できる政治家など今の日本にはいないと思います」

 日露戦争で勝利して以降、日本は張作霖爆殺事件や、満州事変の発端となった柳条湖事件を起こし、中国侵略を進めた。仏印(仏領インドシナ)にも軍を派遣した。こうした政策を認めない米国は、日本に石油禁輸などで圧力をかけた。石油の大部分を米国からの輸入に頼っていた日本にとっては大きな痛手で、まさに敵対行為だった。

 だが、日本が「抵抗」しなかったらどこかの植民地になっていたかもしれないというのは、相当な飛躍がある。植民地になるのを回避するために、戦争を選ばざるを得なかったのではない。大日本帝国は戦争を「国策」の一つとし、海外膨張を続けた。その結果、国は崩壊した。海外戦没者の遺骨100万体以上がいまだに収容されていないことから分かる通り、戦争被害は今も続いている。

 二度と戦争を起こさない、あるいは巻き込まれないために、戦争の記憶を歴史に記録する。「昭和100年」は、そのことを改めて決意する年にしたい。(専門記者)(第1土曜日掲載)


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