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위태로운 이미지의 고정화. '포플리즘'의 의미는?

작성자청소부|작성시간26.06.07|조회수4 목록 댓글 0

危ういイメージの固定化 「ポピュリズム」の意味は?=多和田葉子・作家

毎日新聞2026/6/7 東京朝刊有料記事1767文字

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=新宮巳美撮影

 いつだったかアメリカで、「彼はクラスでとてもポピュラーだった」という英語表現を初めて耳にし、当時の日本では「ポピュラー」という言葉は主に音楽に関してしか使われていなかったので、「へえ、歌だけじゃなくて人間もポピュラーでありうるんだ」と少し驚いた記憶がある。

 大勢の人に好かれていることは強みである。好かれている人が、尊敬されている人以上に大きな影響力を持つ場合もある。しかし好かれるためには、嫌われないように周りに自分を合わせなければならないので、「ポピュラー」という言葉に本音の自分を生きていない人間に対する批判的ニュアンスを込める人もいる。

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 それではどんな子がクラスでポピュラーなのかといえば、スポーツができて、自己肯定感が強く、周りの人を苛立(いらだ)たせない子である。勉強は全然できない方がポピュラーになれる確率はずっと高い。これは政治家についても言えることで、もしも国のトップが無教養丸出しだったら国民は不安を感じるはずなのに、むしろその方が自分たちの仲間だという気がして親しみやすいのか、ポピュラーになってしまうような国も最近は存在する。だからポピュラーであることを権力の後ろ盾として利用する政治は知性を貶(おとし)め、愚かさを誠実さと取り違える反インテリ主義に結びつきやすい。

 かつてナチスドイツが捏造(ねつぞう)したユダヤ人に関する負のイメージの中には、「ユダヤ人はインテリである」という偏見が含まれていた。勤勉に働いているのに生活が苦しくなっていく労働者の不満を、大学など知的生産の場で権威と富と国際的なネットワークを築いていくように見えたインテリ層に向けさせようとする意図から、ユダヤ人・イコール・インテリという図式が作られた。

 

 

 

 わたし自身も実は、「ユダヤ人はインテリである」という偏見をいつの間にか持っていたことに気がついて反省したことがある。これは「ウィーンの人はみんな音楽的才能がある」という偏見と同じでナイーブな称賛を含むものではあるが、たとえポジティブな感情からくるものであっても、ある人種や国民のイメージの固定化は常に危険を含む。そのことに気付かせてくれたのはイスラエル出身でベルリン在住の作家トーメル・ガルディだった。彼が街中で耳から覚えたドイツ語で書いた「ブロークン・ジャーマン」を初めて読んだ時、「あれ、ユダヤ人作家なのにどうして文法間違えているの?」と違和感を持った。このように文法的に間違ったドイツ語を使うのは主にイスラム圏からの移民で、ユダヤ人は最初からフロイト、マルクス、アーレント、ベンヤミンみたいなドイツ語を書くものだというイメージを勝手に作り上げていた自分の愚かさに苦笑した。ガルディはわざとストリート・ジャーマンでこの本を書くことによって、わたしたちの頭の中にあるイスラム文化とユダヤ文化、ストリート文化と大学文化を隔てる偏見の壁を揺るがしたように思う。彼はパレスチナ人の人権を守るために闘う活動もしているようだが、今、作家として言語レベルで何ができるのかを考えた時、ブロークン・ジャーマンはユニークなプロジェクトだったと思う。

 ところで、手元にある1991年に出版された「広辞苑」の第4版を見ると、「ポピュリズム」は、1890年代のアメリカの第3政党だった人民党の主義、という意味である。それと並んでフランス語の「ポピュリスム」について、1929年以降フランスで貧しい民衆の生活を誠実に温かく描く傾向の文学を指す、という記述がある。全く悪い印象を与えない言葉だったのだ。最近問題になっている「ポピュリズム」の意味は、2008年になって「広辞苑」に掲載されたそうだ。なぜ「大衆迎合政治」と呼ばずに「ポピュリズム」と呼ぶのか、というもっともな批判を聞いたことがあるが、確かにこの言葉は危機感を感じさせるどころか、大衆に愛されてどこがいけない?と思わせるところがある。それなら「ポピュリズム」という言葉をどう言い換えたらいいのか。「その場で受けさえすればいいズム」「庶民の味方であるふりズム」「インテリは消えてほしいズム」「個人の自由を尊重するふりズム」「最終的には全体主義へ持っていきたいズム」。とりあえず思いつく答えはそんなところか。=毎週日曜日に掲載

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