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餘錄

묘보다 공양을 생각하라

작성자청소부|작성시간26.06.07|조회수2 목록 댓글 0

滝野隆浩の掃苔記

 

お墓よりも供養を思え

滝野隆浩

毎日新聞2026/6/7 東京朝刊有料記事901文字

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「関西の身延山」として知られる真如寺(大阪府能勢町)で開催された講演会。参加者は熱心に聞き入った=真如寺提供

 <滝野隆浩の掃苔記(そうたいき)>

 お寺に呼ばれて5月、話をしに行った。「関西の身延山」として知られる日蓮宗の真如寺(大阪府能勢町)。2023年に近くにある寺、能勢妙見山で遺骨を細かく砕いて森にかえす新しい葬地「循環葬」を取材した。そのとき話し込んだ植田観肇(かんじょう)さん(47)が真如寺でも同じ副住職をしていた。講演に行くというより、植田さんと話をしたかった。

 JR京都駅から嵯峨野線の亀岡駅へ。そこから車で40分。山あいの寺は「お滝行」でも有名な古刹(こさつ)である。正面の階段を上り山門横の掲示板に「特別講演」の案内が。少々、気恥ずかしい。いただいた演題は「最期まで自分らしく、心豊かに ―『周死期』を歩むための知恵と備え」。当欄で書いていることを1時間ほど話し、そのあとの副住職との対談では「供養」の話になった。

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 「実は祖母に相談され、家族で悩んだ末、墓じまいをしまして……」と植田さん。江戸期までは旗本の家で、東京都内に代々の墓はあった。曽祖父が仏門に入り、命じられてこの能勢の地に来たのだった。遠方の墓参りはなかなかできず、つらかった。「めっちゃくちゃ後ろめたかったのが、こちらに運んで供養でき、本当にすっきりいたしました」

 妙見山山頂付近のブナ原生林の保護活動をしてきた。そこで出た「森林葬」のアイデアが、3年前の「循環葬」につながった。故人の墓標もない葬地だが、日本人の感性に合って人気を集めている。ただ、こう話す。「供養とお墓って、必ずしもイコールではない。これ、私の持論なのです」

 

 

 

 遺骨を安置する場は必要なのだが、より大事なのは亡き祖父母をおもい、先祖に感謝する供養のほう。植田さんはそう考えている。手を合わせるのは位牌(いはい)でもいいし、もしなければ写真でもいい。仏教にはそうした多様性がある。

 対談の最後、植田さんは日蓮の遺文を紹介した。「先(まず)、臨終の事を習うて後に他事を習うべし」。なるほど。どう死ぬかをきちんと定めれば、おのずと生き方は決まってくるのだ。いまだふらふらし、思い悩んでいる私である。いい祖先になれるのだろうか。はなはだ心もとない。(客員編集委員)

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