箱舟から放ったハトがオリーブの枝をくわえて戻り…
毎日新聞2026/6/12 東京朝刊有料記事612文字
表敬に訪れた河野洋平外相(左)と握手をする金大中韓国大統領。2人は長く交流があった=東京都内のホテルで2000年9月22日午後(代表撮影)
従軍慰安婦調査の結果を発表する河野洋平官房長官=首相官邸で1993年8月4日
箱舟から放ったハトがオリーブの枝をくわえて戻り、ノアは水が引き、平和が戻ったと知った。ハトが平和の象徴になったいわれである。タカと対比させ穏健派を指すようになったのは1962年のキューバ危機がきっかけらしい▲ベトナム戦争でもハト派、タカ派の対立が伝えられ、日本に政治用語として持ち込まれた。70年7月の小紙に「日米ハト派が交流」の記事がある。日本側の代表は自民党の「アジア・アフリカ問題研究会」(AA研)だ▲67年の初当選後、AA研に参加し、後に会長を務めたのが河野洋平元衆院議長だ。親台湾派が自民党内の多数を占めていた時代。日中国交回復や軍縮を求めたハト派は少数だった▲河野さんが89歳で亡くなった。近隣諸国との関係を重視し、慰安婦問題に関する「河野談話」を発表。戦後50年の「村山談話」にも関わった。衆院議長時代や政界引退後は「ハト派の重鎮」が枕ことばになった▲「小選挙区ではハト派は公認候補になりにくい」。自民党総裁時代に小選挙区制導入に賛成したことを後悔していたという。ハトが減ったせいだろうか。今の自民党には多様性が感じられない▲河野さんは月内の訪中を予定していたという。冷え切った日中関係を思えば、代わりになる政治家の顔が思い浮かばないのが残念だ。「過剰なナショナリズムが外交的理性を圧倒してしまうことは歴史的に見ても最も警戒すべきである」。タカばかりが増えては生態系が崩れ、河野さんの心配が現実化しかねない。
