長嶋茂雄さんの生き様に学ぶ 脳梗塞からの回復に重要なもの
2026/06/23無料会員記事
スポーツ報道写真展で、自身の選手時代の写真を見て懐かしむ長嶋茂雄さん=東京都港区で2018年3月3日午後2時半、小川昌宏撮影
目次
「ミスタージャイアンツ」と称された長嶋茂雄さんが亡くなられて、1年がたちました。子どもの頃、野球をやっていた私にとっても特別な存在です。選手、監督としての活躍はもちろん、私が高校2年生の時に長嶋さんが選手引退セレモニーで「ジャイアンツは不滅です」との名言を残したテレビ中継を見たことを、よく覚えています。
2004年3月のこと、私はクリニックで診療中に「長嶋さんが先ほど倒れて救急搬送された。脳梗塞(こうそく)と診断されたそうだ」と、あるマスコミから一報を受けました。脳梗塞についての解説を求めて、取材されたのです。私は、あのミスターが……と衝撃を受けながらも、「脳梗塞も程度がさまざまありますが、いずれの段階であっても早い時期にリハビリを一生懸命やることが復活の秘訣(ひけつ)です。長嶋さんは努力と根性の人、天才肌の人であるから、きっと必死に頑張って復活してくれるでしょう」と取材に答えました。その後は皆さんご存じの通り、長嶋さんはリハビリに励み、その姿は多くの人に力を与えてくださいました。今回は脳梗塞とその後のリハビリについてお話しします。
できるだけ早く
脳梗塞とは、脳の血管が詰まって血流が滞り、脳組織の一部が死んでしまう「梗塞」という状態が生じる病気です。死んでしまった脳細胞は再生しませんから、その周辺の神経細胞をリハビリで教育して、役割を代替させることを目指します。リハビリで重要な三つのポイント、それは①いつ始めるか、②どのような内容か、そして③患者さん自身の心持ち――です。
40~50年ほど前までは、脳のけがや手術、病気など、脳を損傷するような操作が加わった後は、しばらく安静が必要だとされていました。2~3週間は寝かせておいて、1カ月目くらいからやっとリハビリを始めるという時代です。それは、患者を動かすと血圧が上がり、さらに出血を起こすなど危険なことが起きるかもしれないと危惧されていたからです。予防的に安静を取って、危険な時期を脱したと思われる1カ月目くらいからリハビリを始めていました。
しかし今は、それでは遅すぎるとされています。血圧を下げる薬も進歩しているし、脳が損傷や病気によって腫れる「脳浮腫」をコントロールするいいお薬も出てきています。寝たきりになるのを防ぐには、それらの薬を使って管理しながら、できるだけ早くリハビリを開始するのが重要です。発症後数日以内の超急性期に行われるのは「ベッドサイドリハビリ」です。手足の筋肉が固まり動きにくくなる「拘縮」を防ぐため、患者さんはベッドに横たわった状態でリハビリスタッフが手足の関節を動かします。
=ゲッティ
なぜそれほど早く行うべきか。それは壊れてしまった脳の周辺部分にいち早く教育をしなければいけないからです。リハビリをしないで時間がたつほど、損傷周辺の神経の活性が落ち、余波が広がってしまいます。
つらいリハビリを乗り切るためには
2点目のリハビリ内容は、専門家が患者さんそれぞれの状態に合わせてリハビリ療養計画を作ってくれます。患者さんは、その内容をとにかく信じてやることが大事です。
発症後、患者さんはものすごく歯がゆくつらい思いをなさいます。自分の手足が全く思うように動かなくなるのですから。また、リハビリは地獄の始まりだとも言われます。発症直後の第一の苦しみは遠のくけれども、超急性期からリハビリを始めるとなると、手足を強引に動かされるのですから、ものすごく苦しいのです。腕一本にしても、重さが7~8kgあります。「はい、腕を動かしてください」と言われても、8kgもの重い荷物を持ち上げさせられているのと同じことです。それも、1日に朝昼晩10回ずつなどと……。だからこそ、専門家の作ってくれたプログラムを信じて、その向こうに一条の光が差すことを信じて、とにかく回復するんだという気持ちでリハビリすることが重要なのです。
患者さんとお話ししていると、リハビリに取り組む苦しさ、もうダメだと思ってしまう気持ちをたくさん打ち明けられます。それは人間ですから仕方が無いことです。周囲の家族や友人が「私たちも苦しいけれど一緒に頑張ろう」と声かけすることや、本人が「絶対回復するぞ」という執念・信念にも似た気持ち。それらがあるかないかで、病気の程度や年齢が同じであっても回復の度合いに大きな差があります。
私が勤務医の頃、同じように脳卒中を起こした2人の男性患者が入院されました。40代の患者さんは、家族が毎日面会にやって来て、腕を抱えて廊下を一緒に歩いてくださいました。リハビリに励んだおかげで、3カ月後に退院するときには歩いて帰ることができました。もう一方の患者さんは娘と妻がいらっしゃるとのことでしたが、一度も面会に来られませんでした。年齢も30代と若く、元高校球児で精神的・肉体的なポテンシャルは高かったのですが、リハビリの意欲が湧かなかったようです。ついに歩けないまま、他の療養型病院に転院されました。
こうした患者さんたちの姿を見てきた経験から、患者さんの「自身のため、大切な誰かのために絶対治るんだ。頑張ろう」という気持ちこそ回復のためには最も重要であると思うのです。
東京五輪で聖火の走者を務めた(左から)王貞治さん、長嶋茂雄さん、松井秀喜さん=国立競技場で2021年7月23日、久保玲撮影ヒーローの頑張りは伝説に
長嶋さんの話に戻りましょう。長嶋さんの発症直後、私は「きっと復活してくれるでしょう」と断言しました。それは、長嶋さんが信念の人、努力の人だからです。王貞治さんと並び称され、王さんは努力の人、長嶋さんは天才肌の人と言われました。しかし長嶋さんも努力無しではあそこまで上り詰められなかったに違いありません。長嶋さんは当時東京でも初めてできたリハビリ専門病院に入って、主治医の先生とリハビリに取り組まれました。今でもその病院では、患者さんやスタッフの間で長嶋さんの頑張りが伝説になっているそうです。同じようにリハビリに取り組む同世代にとってもヒーローであり、それが目の前で頑張っているとなれば「俺たちも頑張らなきゃ」と励みになるのです。テレビのドキュメンタリー番組も放送され、多くの人を勇気づけたことでしょう。21年の東京オリンピック開会式では、松井秀喜さんの支えを受けながら王さんと3人で歩みを進め、聖火リレーをつなぎました。あの姿は大きなエネルギーを与えてくださいました。私のクリニックに通う患者さんたちにも大きな影響になり、皆さんリハビリを頑張ってくださいました。
脳梗塞からの回復に重要な三つのポイントのうち、リハビリの開始時期と内容は技術や治療法の進化で前進してきました。最も重要な患者さんの心持ち、それは長嶋さんの信念と、支えてくれる家族やファンのために歯を食いしばってやる姿、その生き様を見て多くの方に感じ入るものがあったのではないでしょうか。
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工藤千秋
くどうちあき脳神経外科クリニック院長
くどう・ちあき 1985年島根医大卒。英国バーミンガム大、鹿児島市立病院などで脳神経外科を学ぶ。95年に東京労災病院脳神経外科副部長。2001年に東京都大田区にクリニックを開設。脳神経外科専門医。日本アロマセラピー学会認定医。