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2021年度

09月05日 ヨハネの黙示録17:7-18 獣の秘義を知らせよう。

작성자김용민|작성시간21.09.05|조회수106 목록 댓글 0

生きていく間、驚いたことがどの程度ありましたか。 ぼうっとしているのに誰かが急にパンとぶつかってびっくりすることは除きます。 普通、私たちが驚いたことを振り返ってみると、自分が考えていた以上のものを見たときや聞いたときです。 自分が思っていたより以下の場合は驚いたという言葉よりは、もちろん思っていたことなので驚いたでしょうが、この時は失望したという言葉を使います。 淫婦が獣に乗っていて、その獣の体には神様を冒涜する言葉がいっぱいのを見てヨハネはとても驚いたのです。

7節 すると、天使は私に言った。「なぜ驚くのか。私が、この女の秘義と、女を乗せた七つの頭と十本の角を持つ獣の秘義を知らせよう。

天使はヨハネになぜ獣と獣に乗った淫婦を見て驚くのかと言いながら女と獣の秘密を知らせてあげると言います。 皆さんはこの7節を読みながら何を感じますか。 女と獣が持っている秘密がすごいと思われますか。 それとも大した事ではないように見えますか。 天使はヨハネに獣と淫婦が大したことないということを言っています。 天使はヨハネになぜ驚くのかと反問しているのです。 驚くことではないということです。 女(淫婦)と獣の実体を知ったら、たいしたことではない存在だということを知るようになるということです。

8  あなたが見た獣はかつていたが、今はいない。やがて底なしの淵から上って来るが、ついには滅びてしまう。地上に住む者で、天地創造の時から命の書にその名が記されていない者たちは、かつていたが今はいないこの獣が、やがて来るのを見て驚くであろう

ヨハネが見た獣と女について驚く理由がないのは、ヨハネが見た獣は前にいたが、今はいないからです。 地球上のすべての人々がコロナで1年6ヶ月以上を苦労しています。 コロナがもっと怖いですか。 それとも天然痘がもっと怖いですか。 天然痘がもっと怖いと言う方は天然痘がどんな伝染病なのかを知っている方です。 でも、実際に感じられるのは、天然痘よりコロナがもっと怖いということです。 その理由は何ですか。 天然痘は数十年以上地球上で発生していません。 それで伝染病リストからもうなくなりました。 ずいぶん前の報道によると、天然痘のワクチンを持っているのは世界中でロシアの研究所しかないそうです。 「天然痘が非常に致命率が高くても、ほとんど消えたと考えるため、天然痘を恐れる理由がないのです。 ところがコロナは今もずっと変異して強く感染が広がっています。 何より治療薬も開発されなかったため、天然痘よりも恐ろしいものです。

このように獣は過去には存在したが今は存在しない存在だということです。 獣という存在はサタンの代行者でした。 私たちは黙示録から海から上がってきた獣と地中から上がってきた獣を見ました。 海から上がってきた獣はサタンの代行者で、地中から上がってきた獣は海から上がってきた獣の代行者で、獣の預言者の役割をすると言いました。 海から上がってきた獣であれ、地中から上がってきた獣であれ、その頂点にはサタンがいるのです。 このサタンはイエスが十字架で亡くなり、復活されたことで完全に敗北してしまったのです。

「私が何度も申し上げた第2次世界大戦の勝利を牽引したノルマンディー上陸作戦を覚えているはずです。 ノルマンディー上陸作戦で連合軍の勝利となりました。 このように、キリストの十字架と復活はサタンの権勢を完全に挫く決定的なものとなり、サタンはもはや力を尽くせない存在になったのです。 獣の頂点にいるサタンがこのような状態にあったため、獣はこれ以上存在しなくなったのです。

クリスチャンたちがこの地で生きる時、大胆に生きなければならない理由は、私たちを飲み込もうとする勢力は、すでに存在しない虚像であるからです。

ノルマンディー上陸作戦で連合軍の勝利の機先を制してドイツ·ベルリンに進撃していく時、ドイツの敗残兵と枝葉的な戦闘がありました。 枝葉の戦闘はほとんど連合軍が勝ちましたが、ドイツ軍の敗残兵が勝ったこともあります。 ドイツの敗残兵たちは最後のあがきをしたのです。 サタンも最後のあがきをしている姿を見せています。

やがて底なしの淵から上って来るがと言っています。 この文章を誤解させる単語は「やがて」です。 原語聖書には「やがて」という単語がありません。 原語を直訳すると「底なしの淵から上がろうと思う。そして滅びに引っ張る。」です。 この二つの文章は共に未来形ではなく現在形です。 サタンはイエス·キリストが十字架から死んで復活されて地獄に落ちることになりました。 ドイツの敗残兵が降伏せずに最後まで踏ん張るように、サタンも底なしの淵にありますが、上がろうとしています。 なぜなら、人々を滅びに導こうとするからだということです。

先ほど獣は前にいたが今は存在しないと話しました。 獣は実際存在しない虚像です。 ところでこの虚像を見て驚く人々がいます。

8節 地上に住む者で、天地創造の時から命の書にその名が記されていない者たちは、かつていたが今はいないこの獣が、やがて来るのを見て驚くであろう

ローマの権力が、クリスチャンたちを迫害する勢力が、クリスチャンたちの命を取って揺さぶることができるように見えますが、実際は虚像にだまされた人々がその虚像に踊らされているのです。 では、誰が虚像の獣に踊らされているのですか? 聖書は地上に住む者で、天地創造の時から、命の書にその名が記されていない者だと語られています。 それでは誰が命の書に記されましたか。 イエスの御業を受け入れた者、イエスの御業を信じる者の名が生の書に記されているのです。

旧約時代には来られるメシヤが成し遂げられるその御業を信じ、その名が命の書に記されました。 新約時代以降は、旧約で予言されていたイエス·キリストが訪れ、成し遂げられた十字架の御業と復活を信じることで、その名が命の書に記されるのです。 イエス·キリストの十字架の御業を知らない者は、虚像を見て恐れ、虚像を神と勘違いし、神として仕える愚かな人生を送るようになります。

三位一体の神様の第二位である子なるイエス・キリストが私の罪のために人間になり、私の罪を背負って十字架で死んだことを信じますか。 そして十字架で死んだイエス様が3日ぶりに復活したことを信じますか? これを信じれば私の名が命の書に記されているし、救われた者たちなのです。 これ以上悩む必要はありません。 キリストの御業を信じていながら、自分が果たして救われたのかと疑っていること、私の名が命の書に記されたのではないかと疑っていることは、神様の御言葉である聖書を信じていないことです。 聖書はイエスの御業を信じれば救われたと言っています。 イエスの御業を信じれば命の書にその名が記されたと言っています。 私の感情、あるいは体験を信じないで神様の御言葉である聖書を信じてください。 ですから、救いの喜びと感激を持ち、救われた人としてこの地上で暮らす人生になることを願います。 救われない人々は虚像を恐れ、虚像に従います。 救われた神様の子供として虚像に従う人々ではなく、真の真理であるイエス・キリストに従う人生になることを願います。

9節と10節 9ここに、知恵のある理解が必要である。七つの頭とは、この女が座っている七つの丘のことであり、また、七人の王のことである。 10五人はすでに倒れたが、一人は今、王の位についている。他の一人は、まだ現れていないが、この王が現れても、位にとどまるべき期間は僅かである。

まず9節を見ると知恵ある理解が必要であると言っています。 この言葉はただ単純に考えてはいけないということを知らせてくれています。 少し考えて見なければならないということを言っています。

私が獣についてお話しする時も、この獣は黙示録を初めてもらって読む7つの教会の聖徒たちにはローマだが、キリスト教を迫害する勢力の象徴だと申し上げました。 獣はローマを指すものといえば、21世紀のクリスチャンたちの信仰を揺るがす勢力には説明がつかないのです。 獣には七つの頭があり、十角がありました。 七つの頭は獣がとてもずるいということを見せてくれます。 そして十角は力を象徴するものだと申し上げました。

9節と10節は7つの頭についてもう少し具体的に説明しています。 七つの頭は女が座った七つの丘だと言われています。 二つ目は七人の王だと言います。 この9節と10節を歴史神学者たちはローマを指すものといいます。 ローマが七つの丘の上に建てられたので、女性が座っている七つの丘といえば、当代の人々はすぐにローマを語るんだなと思うということです。 そして、七人の王というのもキリスト教を迫害したローマの皇帝を指すと考えました。

10節五人はすでに倒れたが、一人は今、王の位についている。他の一人は、まだ現れていないが、

7人の王のうち5人は倒れたと言います。 そして、残りの二人に一人は現在あると言います。 そして、もうひとつはまだ届いてないそうです。 これを五人の王はヨハネの黙示録が記録される前の皇帝たちを指し、現在いる一人はヨハネの黙示録を記録する際、ローマを治めるベスファシアン皇帝を指し、もう一つはローマ時代にキリスト教を大きく迫害した10代の迫害中の皇帝を指していると言えるでしょう。

「知恵のある理解が必要である」ということを覚えておかなければなりません。 七人の王のうち五人はすでに倒れました。 神の国を崩そうとし、神の民を惑わした勢力が七人のうちすでに五人が倒れたということです。 71%がすでに倒れてしまったということです。 そして現在、私たちの信仰を揺さぶる勢力がいます。 この勢力は全体の14.5%にしかならないということです。 そして、もう一人も来るはずですが、 位にとどまるべき期間は僅かであるということです。 その期間が短いということです。 この七人の王のうち五人はすでに倒れ、もう一つはあり、もう一つはまだ至っていないということは、地球全体の歴史においてこの時点だと言っているのではないということです。 ある時点を指すよりは、人生を生きてきて試練に瀕している一人一人の人生で出会う試練のうち、すでに五つは倒れたため、私たちは71%はすでに勝った戦いをしていることを知らせています。 今、私たちが戦っているこの戦いは14.5%に当たる戦いなので、軽い気持ちで勝とうということです。 「71%に勝ったのに14.5%が駄目なのか」ということです。 そしてこの戦いですべての戦いが終わりではありません。 まだ至っていない一つが来ているということです。 また試練が訪れるでしょう。 しかし、これは長い間私たちと戦うのではなく、しばらくの間にある試練だということです。 試練の時間が一時というのは試練と戦っている人々にはgood newsなのです。

私たちが試練と戦っている時、試練と戦っている人は自分だけ一人でこのような試練と戦っていると考えます。 「試練は私だけでなく、イエス様が再び来られるまで、すべての人々が様々な試練に出会い、戦っています。 例えばあの人は経済的に困っていないようですから、経済的に困っている人はあの人は何ら困っていないと思います。 経済的に余裕のある人々はその人なりにもう一つの信仰の戦いを戦っています。 私がやられる試練にあまり没頭してはいけません。 私たちはもう71%の勝利を得た者です。 今戦っている試練に直面しているのだから、大きく見えても、いくら大きくても14.5%しかないのです。 没頭しすぎているのでなく、信仰の目で全てを見なければなりません。 この試練が終わるとまた他の試練がやってきます。 しかし、信仰の目で見て、 位にとどまるべき期間は僅かである」という言葉の意味を実感します。 神様が一緒におられて71%をすでに勝利したことを信じてください。 そして信仰の目で見つめながら、信仰ですべての試練を乗り越える人生になることを願います。

11  かつていて今はいない獣は、第八の者で、同時に先の七人の中の一人であるが、やがては滅びる。

ヨハネの黙示録を理解するのに皆が難しいといわれているが、11節も理解しやすいくだりではありません。 11節に出てくる第八の者を最後の時、つまり終末の直前に現れる敵キリストだと解釈しようとする人がたくさんいます。 このような解釈をする理由は、黙示録はイエスが再臨するある特定の時期の直前に起こることが記されたという先入観を持っているからです。

黙示録はイエス様が必ず再臨するということを言っています。 再臨直前に起きることは、ある特定の時期を言うのではなく、神の昇天後に福音が広がり、この福音によって迫害を受けるようになるということです。 このような迫害の中で勝利しなければならない理由は、必ず神様が再臨するからだということです。 苦難の中、再びイエス様が来られることを期待しながら勝ちなさいというのが黙示録のメッセージです。

2節で獣は前にいたが今は存在しない存在、すなわち虚像だと申し上げました。 ところで、この虚像の獣が八番目の者だと言われています。 獣の頭の数がいくつですか。 七です。ところで頭は七しかないのに八番目の者ということです。 獣にとって、獣の頭の数として八つは虚数です。 獣は虚像で、虚数というものです。 これから何か大変なことがありそうですが、何でもないということです。 虚像であり虚数であるこの獣は七人の中で一人だと言っています。 7人の中ではすでに71%は倒れたし、現在14.5%もまもなくなくなるだろうし、残りの14.5%も早くなくなるという属性を持っているということです。 そして彼が滅びに向かうと聖書は語られています。 虚像と虚数は何でもないのです。 しかし、この何でもないことに、私たちの信仰が揺らぎ、信仰から離れることになれば、虚像や虚数に属するものが、滅びるように、共に滅んでしまうでしょう。

12  また、あなたが見た十本の角は、十人の王である。彼らはまだ国を治めていないが、一時の間、獣と共に王のような権威を受けるであろう。

12節は獣にある十本の角について説明しています。 この十本の角は十人の王だと言います。 現在権力を手に入れることができない状態だと言っています。 この十人の王を1980年代には、世代主義者はEUがまさに黙示録で言う十本の角、 十人の王だと言いました。 そして、このEUが敵キリストの国になると言いました。 ところで現在EUは27カ国になったことでこのような解釈がどれほど間違っており、危険なのかを示しました。

十本の角、つまり十人の王はまだ力を持たず、キリスト教を、そしてクリスチャンを迫害できない勢力を意味しています。 獣の七頭でクリスチャンたちにとって試練は終わりではないということです。 イエス様が再び来られるまで絶えず信仰を揺さぶろうとする勢力が登場するだろうということを言っています。 この勢力は自らの力で力を持つのではなく、獣とともに王様のように権威を受けるようになると話しています。

彼らは自分が得ようとするものを手段と方法を選ばず得ます。 自分が得ようとするものを得るためには良心も捨てて道徳も捨てる姿を見せてくれます。 手段と方法を選ばず、自分の良心を売って得たものを守るために、彼らは自分の持っている能力と権勢をもっと使います。 ところで獣と一緒に受けた権勢はほんの短い時間になるでしょう。 自分の良心まで売って手に入れたのが、あまりにも短い時間で終われば、もっと虚しくなるでしょう。

13  この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威を獣に与える。

自分の良心まで売って手に入れたことが、あまりにも短い時間で終わる可能性があることを知っているため、これを守るために自分の魂まで売る姿を見せています。

多くの独裁者は権力を手に入れるために手段と方法を選ばないのです。 そして、自分の権力を維持するために、自分に反対する人々を獄に閉じ込めたり、殺すことを何の良心の呵責も感じずに行なう姿を見せてくれます。 私たちはこのような独裁者ではありませんが、良心を売って欲しいものを手に入れたものはないですか。 これを守るために自分の魂まで売って守ろうとするのはありませんか。

14  この者どもは小羊と戦うが、小羊は彼らに勝利する。小羊は主の主、王の王であり、小羊と共にいる者たちは召された者、選ばれた者、忠実な者だからである。」

--非道徳的で非良心的なものの前で、クリスチャンたちはどのような姿ですか? クリスチャンたちが捨てなければならない先入観は、サタンは私たちに恐ろしい姿で近づいてきて、信仰を捨てろと強要するだろうということです。 良心を捨て、手段と方法を選ばずに目的を得ればいいという世俗的な考えを持たせます。 無条件に成功するのが神様の栄光のためだと洗脳をします。 世俗的な方法で成功したので、これを維持するためには世俗的な方法を使い続けるしかありません。 世俗的な方法で成功した後、精神を取り戻して神様の原理の通りにしようとすると、私が握っているすべてのものを捨てて再び始めなければなりません。 世俗的な方法で得たすべてのものを手放さなければなりません。 神様の方法でもう一度始めなければならないのです。

しかし、世俗的な方法で得たものをあきらめることはできません。 それで世俗的な方法が聖書的なものであるかのように化けさせようとします。 これは小羊のイエス様と戦おうとする態度です。 世俗的なことを放棄できない人は、小羊である主がどんな方なのかをまだ知らない人たちです。 ヨハネは小羊は主の主であり、王の王だといっています。 主の主、王の王だから神の方法を捨てて生きるすべての人々は主の主であり、王の王であるイエスに勝つことができないのです。

この勝利はイエス様だけのものではないと聖書は言っています。 神様と一緒にいる者が勝つと言っています。 誰が主と一緒にいますか。 主と一緒にいる人は先に召された者です。 二番目に神様と一緒にいて勝つ者は選ばれた者です。 三番目の主と一緒にいて勝つ人は忠実な者です。 召された、選ばれたという言葉は救いの主体であり、神様であることを語っています。 私たちの技と努力によって救われたのではなく神様の御心によって、神様の恵みによって救われたということを言っています。 自分の力で救おうとする人は勝てません。 いつも敗北するしかないのです。 神の恵みでいつも勝利する人生になることを願います。 忠実な者という言葉は原語では「信実だ」という意味です。 信実だという単語は忠誠心があるという意味です。 忠誠心を持ってただ神様だけをつかまえて生きるという覚悟で生きることをいいます。 こんな人が全てのことで勝つことができます。 神様の恵みを支えられてただ神様だけつかまえて生きるのですべての事で勝つ人生になるように願います。

獣は虚像と虚数なので、これを従う者は結局滅びる道です。 私たちの信仰を挫こうとする試練は71%がすでに終わった状態です。 14.5%の戦いを戦っています。 既に71%を得た勝利で、後押しし続けることができます。 そして、残りの14.5%はすぐ終わるでしょう。 もう少しだけ耐えればいいです。

15  天使はまた、私に言った。「あなたが見た水、あの淫婦が座っている所は、さまざまな民族、群衆、国民、言葉の違う民である。

淫婦が座っている所はさまざまな民族と群衆、国民、言葉の違う民だと記されていますが、この淫婦が多くの国と多くの民族に大きな影響力を及ぼしていることを示しています。 

16  また、あなたが見た十本の角とあの獣は、この淫婦を憎み、身ぐるみ剝いで裸にし、その肉を食らい、火で焼き尽くすであろう。

獣と十本の角はこの淫婦を滅ぼしました。 そしてとても残酷な方法でこの淫女に害を与えました。 内輪もめが起きたのです。 神様は分裂という道具を通じて神様に向かって対敵する勢力を折ってしまいます。 淫婦からいろんな利益を受けた十本の角と獣が淫婦に向かってこんなことをするとは思わなかったのです。

17  神の言葉が成就するときまで、神は彼らの心を動かして御旨を行わせ、彼らが心を一つにして、自分たちの支配権を獣に与えるようにされたからである。

十本の角と獣が一つの心になって淫婦を打つように神様が置いたということです。 互いに食べ合う関係で置かれたので悪がある程度は育たなかったのです。

18  あなたが見た女とは、地上の王たちを支配しているあの大きな都のことである。」

天使はヨハネに淫婦が何かを言っています。 地上の王が治める大きな都だということです。 大きな都は、いくら偉大に見えても、王によって食べさせられる獲物にすぎないということです。 アッシリアという国が世界を制覇しました。 しかしアッシリアはバビロンによって滅びました。 バビロンはペルシャによって滅ぼされました。 ペルシャがバビロンの首都を攻撃した時、城の中にいた人々が城門を開けてペルシャの人々を迎えました。 強いバビロンはあまりにもあっけなく崩れてしまいました。 ペルシヤはギリシアによって滅ぼされました。 ギリシアはローマによって滅びました。 ローマは異民族の侵略で引き裂かれて歴史から消えることになりました。 どんな国でも、どんな勢力でも神の原理に挑戦するようになれば、一瞬にして歴史から消えてしまうということを忘れてはいけないということです。

獣は虚像であり、虚数です。 なぜなら、実際に獣を操るサタンがキリストの十字架の御業で敗北したからです。 しかし、キリスト人を迫害するローマや他の多くの勢力は、虚像と虚数に見えません。 実力者と見られます。 それで多くの人がローマの皇帝崇拝と淫行に参加し、世の中の原理に従うようになるのです。 しかし、命の書にその名が記された人は、この虚像と虚数に惑わされず、世間の原理に従わず、信仰を守り、勝利する人生を送ることができます。

試練は今回で終わりではありません。 イエス様が再びこの地に来られるまで多様な姿で尋ねて来るでしょう。 試練はイエスを信じれば殉教になるという極端で直接的な脅威だけでなく、目的を成就するために良心を売れという誘惑の声もあります。 この誘惑の声は私たちの信仰を脅かすものだと言って深刻に悩みません。 神様の人として神様の原理から外れることは罪です。 それで罪という言葉には標的から外れたという意味もあるのです。 良心を売って神様の原理を脱して成功しようというこの誘惑は私たちの信仰を揺さぶるとても危険な声なのです。 このような誘惑に負け、私たちの良心を売って得たことは、自分の手にあまりにも短くとどまるということを知るようになります。 これからは良心を売って得たものを守るために、魂を売れと誘惑するでしょう。 これは主の主であり、王の王である神様と敵対的な立場で暮らす生なのです。 ヨハネの黙示録を通じて虚像と虚数にだまされて信仰の良心を売ってしまう人生を生きてはいけないと言っています。 神様に対敵する勢力は内輪もめによってすぐ崩れるでしょう。 少し忍耐すればいいです。 獣は虚像と虚数で、淫婦は奪い取られる餌食にすぎないということです。 私が神の恵みで救われた人であることをいつも認識してください。 救われた神様の人で神様の方法で生きる人生になることを願います。 この道が一番近道です。 世の中に勝った神様と一緒にいる者になって私たちの人生でいつも勝利する人生になることを願います。

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